第22話 蘇える心――ビッグバンとビッグクランチ
それからしばらくして、<ケイローン>号と<アイレース>号は、切り離しを行い、進路を火星へ、あるいは地球へと設定すべく、艦首を振った。
リンジーは<アイレース>号の艦橋にある窓から、ぼんやりと宇宙を眺めていた。なにかを見たかったのではない。漆黒に塗り固められた空間に、見つけ出すべきものがあると思えたのだ。
未知なるもの。星々が蠢く宇宙とわたしの中にあるもの。きっとそれは同じもの。
掴まえた気がするのに、掌を開けるとそこにはない。宇宙とあたしにある同じものは、いったいどこにいってしまったの? どこかにあることはわかる。けどいまは無いことをうっすらと思う、でも確実にそれはあると感じる。
宇宙と全身を繋いでいる不可思議な、虹のごときオーロラに誘われて、リンジーの魂は、いまにも肉体から遊離してしまいそうだった。
「何を見てるんだ? ――リンジー、何か見えるのかい?」
オーロラに呼ばれたの? 一瞬そう思ったが、自分の名を耳にしたとき、それがオズウェルの声であることに気づいて、我にかえった。
「ああ、なんでもないの。ただぼんやりと、ね」
「まだすっきりしないのかい?」
ふんわりした声と、心配を綿でくるんで、隠そうとしているオズウェルの表情がこちらを伺っていた。
「なんでもないの。ただ何となく、ね」
「ふむ。なんだかわからないけど、よく見ておくといいよ」
そう言って、オズウェルは窓外の宇宙へと目を向けた。
星雲が浮んでいた。青白く儚いヴェールに包まれ、明るく光る星が見える。白と青に明滅している光が、赤い光が強くなったり弱くなったりする光が、瞬いている。
「星雲?」
「ケフェウス座だ」
と、オズウェル。
「え、星座なの?……」
「そうだよ。あれは星雲であり星座だ。七つの星をつなぐと、使い古して短くなった、太っちょの鉛筆になる。時代物だから、最近はめったに見ることもできないけどね。昔懐かしいロケットのようでもある。少しいびつな五角形をした宇宙ロケット。昔は冒険小説なんかによく出てきたんだ。これもまた時代物だけどね」
彼女はほんのりと心が沸き立っていくのを感じた。
「ケフェウス座の中で一番明るくて白い星、あれはアルデラミンだ。今ロケットは天空に向かって上昇している。そのロケットの右下の端にあるあの星だ。わかるかい?」
と言ってオズウェルは、窓に五角形を描いて見せた。
「ええ、わかるわ」
「ロケットのずっと下の部分、あそこで赤くちかちか瞬いているのが、ガーネットスターだ。なんだか弱々しいけど、あいつは太陽の千五百倍もあるばかでかい星なんだ。難しくいうと赤色超巨星というんだ。超がつくってだけで恐ろしく大きくて凄まじいエネルギーを放射している。そう想像するといいね。ガーネットスターはロケットが吐き出している炎の位置にあるんだ」
あんなに儚い光なのに……まるで人間みたいね。遠くから見れば知らない存在、通りすぎてゆくだけの人。でも近づいて知って、友だちになることで、とてもまぶしく見えたり、耐えられないくらいの熱を浴びせてくる……。
「今はあんな風に赤くちかちかしてるけど、あいつはある瞬間がくると、自分が放った光すら飲み込もうとする、ブラックホールになってしまう。少しばかり無気味なやつともいえるんだけどね」
やはり人間だわ。思わず口をついて出てしまった言葉が、めぐり巡って自分の胸を焦がしてしまう。……恋してみたり、嫉きもちをやいてみたり。
彼の声がおとぎ話のように聞こえ、耳に心地よく響く。
「そしてあそこだ」
と言ってオズウェルは、まるでロケットがその星を目指しているかのように浮かんでいる光を指差した。
「あいつこそ奇妙な星だ。まだ名前はついてないはずだけど、アルゴル型食変光星と呼ばれている」
「難しい名前ね」
と、彼女は笑った。
「うむ。Uケフェイとも言うんだけど、どちらにしても、名前じゃないから、とても憶えにくいんだ」
「それで? それでその、You! はどんな星なの?」
とリンジーはオズウェルの胸をつついた。
彼女は心が解き放たれ、楽しもうとしていることに気づいた。宇宙を飛翔しながら、物語りを聞いているような浮遊感とともに。
「ユー! と言われても、あいつは多分、俺には似てないと思うよ」
「なぜ? どうして?」
「うまくは言えないけど……ともかく、あいつは変わってるんだ。ユーは食変光星だって話はさっきしたよね」
「ええ」
「時々色が変わるってこと。あいつというか、あいつらは二連星といってね、姉弟のような星なんだ――」
リンジーの表情が曇った。
「すまない、思い出させるつもりはないんだ……」
「ごめんなさい。いいの、続けて。気にしないでいいの」
宇宙を吸い込んでしまったような、彼女の深く青い瞳には光が滾っていた。
「うむ。あいつらは、重力で引きあい、互いの周りを周っている。だから、離れた僕らから見ると、赤く見えたり青く見えたりするんだ。いいかい、こうだ」
オズウェルは窓に指で三つの点を打った。二つの点は近く、一つだけがぽつりと取り残されたように、二つの点から離れている。
「この二つが二連星。そして、この離れた場所にいるのが僕らだ。二連星は僕らの位置から見ると、一方が一方の前にあるときもあれば、後になってしまうときもある。一方が青く光る星で、一方が赤く光る星だとしたら、どう見える?」
「なるほど、日蝕や月蝕のように互いが互いを隠しあうときがある。そういうことね」
「正解だ。ただし、こいつらは恒星だから、どちらかがどちらかを隠しても、僕らには光って見える。赤く見えたり青く見えるのはそのせいなんだ」
リンジーは、少年が連れ去られ、少女が記憶を失ったあの日に途切れてしまった、自分と宇宙との絆が蘇えるのを感じた。
「もう大丈夫よ、オズウェル。あたし、とても平面的にものを見ていたようね。人間というものには広さも深さもあるのよね。思い出させてくれて、ありがとう」
胸の中にあったぼんやりとしたものが寄り集まり、水晶のような珠をかたち作ってゆくのがわかった。
まだ曇っているけど、磨くことで透明になるはずよ。そうでなくてもいい。手にした鑿と木槌で素敵な彫刻にしたっていいのよ。
「君の専門は、心理学と医学だ。その君が自分の心を見失うのはいいことじゃあない。気づいてほしかったんだよ」
と、オズウェルは、囁くように、しかし一言一言に力を籠めて言った。
「ごめんなさい……心配をかけたみたいね」
「こんな柄にあわない自分を演じるのは、いささか骨が折れた」
彼女の胸の中で、それまで耳にしてきた言葉と目にした光景が爆発するように閃いた。星雲、儚い雲のヴェール、星々、明るく輝く白い星、ロケットの炎のようにまぶしく赤い星、その場所に佇んだまま、赤く青く光る星。それを目指してロケットが飛んだ。やがて全てを覆う白い閃光に包まれる。爆発は一瞬にして彼女の中の一点に収束され、それは水晶となり珠となった。胸が一杯になった。すべてが蘇えり、そこからひとつの言葉が溢れだしてくる。
リンジーの唇が開きかけようとしたのと、オズウェルが話し出したのはほとんど同時だった。
「だからきちんと支払いはしてもらう」
「……」
彼女は思わず言葉を飲み込んでいた。
「こいつでね――。安いもんだろう」
「きゃ!」
いきなりお尻に触れられた彼女は、小さく悲鳴をあげていた。
「フェデリコほど女たらしじゃあない。けど俺の性分は奴に近いってことをお忘れなく!」
「やったわねー。許さないんだから!」
「ちなみに、あのロケットの先端にある星の名前は、エライだ。つまり、俺のことさ!」
「なにがエライよ。そんなにあなたは偉くないわ。ただのスケベよ! スケベな子にはお仕置きをしないとね」
「掴まえてみろよ。逃げ足には自信があるぞ!」
「オジーったら……いくわよ!」
リンジーは艦橋の床を軽快に蹴りながら、オズウェルを追いかけ回した。二連星のように。彼女はいつまでも彼を掴まえられなかった。汗が流れて体が熱くなったが、あるのは爽快感だけだった。彼女は心の中で手にした木槌を振り上げながら、逃げるオズウェルをひたすらに追い、ありがとうと何度もつぶやいていた。




