第11話 祈りと鮮血
「姉さん、どうするつもりなの?」
「ビリビリ、ビリビリ、ドーン。小さな花火、大きな花火、それから、たくさんの流星みたいなしかけ花火をあげるのよ」
細い光が差し込んでくる、隙間の前にいる少女に近づいた少年は、異様な臭気に直撃され、体を折って咳き込んだ。だが少女は、気にとめることなく半透明の容器に手をつっこみ、どろどろした液体を隙間に流しこむように、なすりつけはじめた。
牢獄のような部屋の向こうには、照明が灯っている船内通路があった。油染みと黒い錆の浮き出た通路の先では、貨物搬入口の扉が床にむかって大きく開いていた。それだけではない。輸送船の各部にある外へと通じる扉という扉、ハッチというハッチが開いていた。
「どういうことなの? 彼らは船に戻る気がないようね。――ということは、目的は港湾設備、管制ターミナル、そしてソーラーシステムを掌握して占拠するつもりだわ」
まずいわね……これは略奪とか暴動ってレベルじゃないわ。少なくとも反乱といえそうね。
リンジーの思考は光速すら超えるような早さで脳内を飛びかっていた。そのとき、腕にある送受信機が黄色い光を点滅させながら短く鳴ったあと、エヴシンの声が弾けだした。
「リンジー、リンジー、聞こえるか? 聞こえているなら応答してくれ! リンジー……」
だが、あちこちで起こっている無法者と警備員との銃撃音やら、叫び声や爆発音のせいで、彼女には何も聞こえなかった。
「こんなときに故障したの!?」
リンジーは何度かレシーバを叩いては耳に当てていたが、求める声は聞こえなかった。
だめか……。でもあたしの居場所を知らせるビーコンは発信されてるみたいね。持つべきものは友よ、あたしは信じるわ。意を決した彼女は、騒ぎが治まるまで、輸送船の中に身を隠しているのが安全だと判断し、身を守る遮蔽物ひとつない数十メートルを駆け抜けるために、物陰から飛びだした。
ようやく息が吸えないような咳から解放された少年は、
「姉さん、僕も手伝うよ」
と言ったが、それを聞いているのかいないのかさえ定かでないリビュアは、残り少なくなっていた黄土色の液体を、扉の錠があるだろう場所に向けて、投げつけるようにふりかけた。
何も起こらなかった。少女は床に膝をつき、両手をつき、頭を垂れてつぶやいた。
「どうしてよ……どうしてなの……」
少女の目から涙が落ちた。
「主よ、我と我が愛するものを救いたまえ」
自然に口からこぼれでたのは、祈りの言葉だった。
隙間に塗りつけられ、ふりかけられた液体がゆっくりとゆっくりと、錠を固定している部分に流れ込んでいった。少年と少女の命が注ぎこまれた液体は、プリント基板を伝い、コンデンサーや抵抗、リレーへと染み入っていった。強い塩分を含んだ液体が基板の核ともいえる部分に流れこんだ瞬間、少年は目を開けていられないほどの真白な閃光が炸裂するのを見た。とっさに目を閉じたが、瞼の裏ではいくつものフラッシュが瞬いていた。目を開いてみると、ぼんやりとした緑色の光の玉が浮かび、バチバチと散る火花が見えた。そのとき、少年は錠が外れるカチリという音を耳にした。
「姉さん、開いたよ! 開いたんだ、姉さん」
そう叫んだ少年は、貪るように壁と扉にある隙間に爪を立てて扉を引き開けようとした。
「くそー! くそー!」
ヒュードラーは爪が剥がれるような痛みを感じたが、かまわずに力を込めた。一ミリまた一ミリと扉が内側に向かって開きはじめた。
あまりの激痛に耐えきれず、少年は隙間から手を離した。
「くそー!」
「主よ、我と我が愛するものを救いたまえ、主よ……」
リビュアの祈りに勇気づけられたのか、少年は再び隙間に爪を突き立てた。
絶叫――。少年の指先にあった爪が剥がれ落ちて、真赤な血が手首をつたい、床に流れ落ちた。
そこから百五十メートルほど離れた辺りでは、カーゴベイのスロープを駆けあがったリンジーが息を切らしながら、貨物箱を背にして座りこんでいた。
とりあえず安全そうな部屋を見つけないことには……。リンジーは息が整うのを待たずに立ち上がって歩きだした。
「人気がないってのはかえって無気味ね」
彼女は腰から拳銃を抜き取ると、安全装置を外してセレクターをスタンモードに入れた。床を打つ靴音が妙に大きく感じられる。走り出したい衝動に駆られるのを抑えつけて、リンジーは通路にある表示板をひとつひとつ確かめながら足を運んでいった。
十字路。――右は緊急救命ブロック。左は動力ブロックね。真っ直ぐいけば艦橋のようね。
リンジーは銃撃を受けたさい、相手が重火器を使えない場所は? と考え、動力ブロックが適切だと判断した。船内地図を頭に描きつつ、彼女は慎重かつ大胆に通路を進んで行った。動力ブロックに足を踏み入れたとき、リンジーは悲鳴のようなものを聞いた気がした。
「主よ……」
リュビアの声と涙は、いまにも枯れ果ててしまいそうだった。
「くそー、くそー、痛い、痛いよ……でも開けるんだ」
ヒュードラーの頭と指先は燃えるように奔騰していた。赤らんだ顔にある色違いの瞳は怒りに沸騰していた。肩は大きく上下に揺れていた。
呻き、呻き声、叫ぶとも呻きともいえない獣が吠える声、咆哮。
少年が再び絶叫したと同時に、彼の指先にあった爪がまた剥がれ落ちた。
気を失うような痛みに焼かれた手の先に、光の帯があらわれた。扉がその厚みぶん引き開けられたのだ。少女の耳には、苦しそうに喘ぐ息づかいが聞こえていた。
「ヒュー、あなた、その手」
「姉さん、開いたよ、開いたんだ」
「主よ、神よ! あなたは――」
跪いていた少女と肩で息をする少年は、扉にしがみついて、力の限り引いた。扉を抜けた場所は目がくらむほど明るかった。
「姉さん」
「ヒュー、ここから逃げ出すの」
リュビアは、両手と膝で床を這い進んだ。
「姉さん、僕につかまって」
少年は肩を貸して、少女を立ち上がらせた。
「誰、そこにいるのは? 動かないでちょうだい」
ヒュードラーはその声を聞いて、一瞬体をピクつかせた。しかし、少年と少女には、もう恐れさえ残っていなかった。
「ボクは、あの部屋で死にたくなかった」
「あたしもよ」
二人は声のする方に向かって歩き出した。少年は手から血を流しながら、少女は足を引きずり、床に赤い筋をつけながら。
「動かないでって言ってるの、撃つわよ!」
リンジーは膝立ちの姿勢で、こちらにやってくる人影に狙いをさだめた。
通路にある扉はどこもロックされている。逃げ場はない。困ったわ……。
緊張と恐怖でバイザーが曇り、照準すら怪しかった。
酸素は、酸素はあるの?
リンジーは素早く視線をめぐらせてみたが、安全であることを示すものは何も見つからなかった。
でも向こうからくる人影。ヘルメットをしていないようね。――ええい、ままよ!
リンジーは素早く拳銃を床に置くと、ヘルメットを持ちあげて背中へと押しやった。十数メートル先の人影がはっきりと見えた。鮮血にまみれ、汚物にまみれ、破れはてた服を引きずる、痩せ細った少年と少女の姿が見えた。
「なんて、なんて酷いことを……」
彼女は走った。一目散に走った。二人のところにたどり着いたリンジーは、膝をついて少年と少女をしっかと抱き寄せた。
「なんて……」
そこまで言うのが精いっぱいだった。
突如、異臭に襲われたリンジーは、胃の腑から突き上げてくるものを抑えることができずに、体を折った。
「……ごめんなさい。――嫌な思いをさせるつもりはないの」
少年は黙って首を振った。少女は助かったのか、またあの部屋に戻されるのかもわかっていないようだった。虚ろな瞳でリンジーを見つめていた。
「……ごめんね」
リンジーはふたたび吐瀉物をまき散らし、咳き込んだ。
「ごめんね……あなた達は何も悪くないの。何も悪くないのよ……ごめんね」
悲しみと苦痛の涙がリンジーの頬を濡らしていた。




