第1話 受難の日々
大地がもつ安堵と、大樹がもつ信念をかねそなえた虹彩異色症が放つ、二つの光は悲しくまたたいていた。瞳の奥にある安堵と信念は蛹であり、その中には混沌とした宿命が蠢いていた。
「姉さんに手を出すな、もうやめてくれ!」
少年の色違いの虹彩は、赤銅色と玉虫色の光で、目の前の少女を煌々と照らし、必死に守ろうとしている。青白い肌をした姉のリュビアの腕や背中には、幾筋ものみみず腫れが刻まれ、そこから赤黒い血がしたたっていた。
少年の金色の髪も血に染まっていた。蛇のごとく襲いくる鞭の洗礼を受けて、赤い涙をこらえながら、それでも姉を守ろと金切り声をあげ続けた。
「奴隷の分際で腹がへっただと。虫けらとしての身分を、教えてやってるんだ、ありがたく思え」
発達した筋肉がもつ威圧感のある声で怒鳴っているのは、奴隷商人だった。
「もう二度としない。そう誓います。だからもうやめてください」
姉を抱きかかえながら、少年ヒュードラーが懇願するように叫んだ。
リビュアは、壊れたバネ人形のようにガタガタと手足を震わせながら、全身で悲鳴をあげていた。
「なあに、殺しゃあせん。稼ぎに関わるからな。元金を取るまでは生かしといてやる」
脂ぎった男は、趣味にあわない雑誌を投げ捨てるかのように、鼻で嘲弄しながら、鞭を一閃させた。
少年の頬から血が噴き出し、破れて汚れきった服に、どす黒い霧が吹きつけられた。
「俺も慈悲のない男じゃあない。お前は別としても――」
と男はヒュードラーの顎をこじ上げながら、
「こいつは将来の楽しみのために、生かしといてやる」
と言いい、震えているリュビアのたおやかな四肢を、舐めまわすような視線で打ちすえた。
「小僧、それまでは死んでも守ってやることだ。俺様のお楽しみのためにな」
埃でショートしかかっている天井の電球がはなつ落雷と、男の笑い声が混ざりあい、蝶番が軋むような不協和音が少年と少女の耳を痺れさせていたが、やがてそれは遠く、小さくなっていった。
「姉さん大丈夫? どうしておかわりをなんて言ったのさ」
血濡られた床には、引っくり返った皿と、はじけ飛んだ残飯が散らばり、切れかかった電球がまたたいては、暗い影を作りだしていた。
「だってお腹がへって……」
震えの治まらないリュビアの瞳には、水晶のような罪悪感のない輝きと、容易に恐怖をはらいのける貪欲な純真さがあった。その純真さは、鞭打たれた事を喜んでいるようにさえ見えた。
「なぜ笑うんだよ、なんでこんなことされて笑えるんだい?」
ヒュードラーの色違いの瞳は、姉の微妙な変化を見のがさなかった。
「わからない……わからないけど……」
それでも少女の口元に貼りついた笑みは消えなかった。まるで蛹の殻を破ろうとするかのような笑いが、青白い顔の中から孵化しようとしているようだった。
「しっかりしてよ、僕が姉さんを支えるから、僕が姉さんを守るから」
リュビアの耳は、少年の言葉をしっかり捉えていたが、心には届いていなかった。それから少女が見せたのは、暗がりの部屋にいながら、何もかも見えているような異様な振舞いだった。
二人が奴隷として売られてから、三年が過ぎた夜、リュビアの心にか細く灯っていた月は、暗闇に蝕まれはじめたのだった。




