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すこしグロテスクなシーンがはいります。

 鳥の囀りが聞こえる朝、シズクは眠い目をこすりながらユリとの待ち合わせ場所に向かって歩いていた。昨日は後輩のシキミに頼まれてさんざん運動の手本を見せたのだ。その疲れはまだぬけない。


「ったく、シキミのやろう…これから転校生に学校紹介するってのに少しでいいですから~なんて言いあがって…」


 ただでさえあの転校生とユリを長い時間一緒にさせたくないのだ。シズクにとってあの転校生は邪魔でしかなかった。それに、転校前にあそこで会うだなんて都合がよすぎる。きっとあの転校生はなにかたくらんでいる。あの笑顔の奥に黒い何かを隠し持っているのだ。

 そんなことを思いながら歩いているともう待ち合わせの場所についていた。いつもならそこにはユリがいるのだが、今日は車道と歩道の境目からはえている花が揺れているだけだった。

 異様な空気だった。ユリがいないということもある。しかしそれだけではない。肌を撫でる風も、吸い込む空気も、走り去っていく車の音も、何もかもが気味悪く感じた。その感覚に背中を押されたのか、シズクは胸騒ぎがして、ユリの家につながる道に踏み出した。

 一秒でもはやくユリのもとにいきたい。その気持ちがシズクの足を動かしていき、一歩踏み出す度にアスファルトに罅がはいっていく。シズクの体は車の如く風をきっていった。



 だが、シズクは後悔した。二歩踏み出したあたりで、約一メートル先にユリがいたのに気づいた。

 ぶつかる――――シズクは急いでブレーキをかけた。だが、シズクの体は止まることなく直進していった。

 ユリは驚きもしなかった。素早くシズクの突進をかわすと、シズクの足もとに手提げ鞄を投げる。シズクは案の定それにつまずき、盛大にアスファルトの地面にダイビングした。


「……おはよう。シズク。朝から人を轢くところだったわね。」


 シズクはゆっくり起き上がると、制服についた汚れを払った。


「どうしてこんなに鞄が重いのかな?ユリちゃん?」


 ユリは手提げ鞄を拾うと、得意気な笑みを浮かべた。


「百科事典を入れたのよ。進化について興味が湧いたの。」


「ハハ、ソーッスカ。」


 シズクは進化について語られる前にそう言う。その後は他愛もない話をして通学路を歩いた。

 もう夏も終わりに近いだろうに、木々は青々とし、虫が鳴いている。この虫の声も秋のように涼しげであればよいのだが、暑苦しい蝉の声がガンガンとひびいている。まるで、まだ夏は終わらぬと叫んでいるようだった。そう思うとため息が出そうになるが、ふと思い返すと、この声はもうひとつの終わりが近づいている証でもあった。

 ずっと土の中で夏を待ち、やっと外に出てきたと思えばその命を燃料に声を絞り出す。それなのに人からは嫌悪の眼差を向けられ、子供からは命懸けで叫んでいるところを捕らえられる。そう思うと、夏は何だか残酷な気がした。

 歩行者用信号が赤に変わり、二人はそこで立ち止まった。そこでふとユリは口を開いた。


「そういえばシズク、ちょっとしたことを思い出したの。」


 ユリは眩しいくらいの笑顔だった。



「―――私、幼いころに好きだった人と、クラスが一緒だったの―――」




 ユリの言葉の最後の方が耳に入らなかった。シズクの目の前が真っ白になった。


―――何故だ。


―――ナゼだ?


「……私だけのモノなのに……」


 シズクは感じていた。心のなかで煮えたぎっていた溶岩のようなものが自分の冷静さを、理性を奪っていく感覚を。溶岩はどんどん獣のような姿になって、自分の操縦桿を乗っとっていく。まるで人間という外皮を破って中の怪物が脱皮しようとしている感触だった。止めようとしても中身は言うことをきかない。人間の姿を保っている外皮を破ってその禍々しい片腕を出した。

 シズクはユリを抱きしめていた。ユリの華奢な体が折れてもおかしくないほどに、鎖で縛りつけるよりも強く。

 ユリが何か言っているようだったが、怪物の腕はその言葉で止まろうとするシズクの強い理性さえも握り潰してしまう。

 あぁ……皮膚が痛いほどに感じている。ユリが自分を、シズクの体を引き剥がそうとしているのを。人間の自分はやめろと叫んでいる。だが、心はその感触すら糧にしている。どんどん心を暴走させていく。


――――誰か、止めて。


まだそのときではないのだ。


違うんダ……








「あや~?シズクさん、ハサミ虫のモノマネしてるの~?」



 突如、緩やかな声が怪物の腕を断ち切った。心にはいつものように穏やかに揺れる。思いの暴走が止まって、やっとこ腕を離すことができた。


「ユウヤミ!」


 ユリはシズクに文句も言わずにユウヤミに抱きついた。


「今までどうして忘れていたのかしら……ごめんなさい…ずっと、こうしたかったの。」


 いつもなら真っ先にシズクに文句を言うはずだった。それこそが、日常だった。それだけが、壊れないものだった。

 シズクの心に何か真っ黒な塊がぼちゃん、とおちた。蝉の声さえ耳に入ってこない。真っ黒な塊はぐんぐんと広がっていき、脳内を寄生虫のように這いずりまわる。



あ ぁ あ あ ぁ ああ ……

何 か が 囁い てい る……

心から 、黒い血が溢れでていく……



 信号が青になった。シズクの足は地を蹴って、横断歩道を疾風の如く走り去らせていった。もう、心の箍がはずれてどうにもならなかった。

 ユリがそのシズクに気付き、止めようと手をのばした時には、少し罅のはいった横断歩道に生暖かい風が舞っているだけだった。


「どうしたのかしら……」


 心配そうな顔をしたユリがそう呟くと、ユウヤミはユリの手を握った。途端、ユリの頬が赤く染まる。まるで、水面に赤色の絵の具を一滴落としたようだった。ユウヤミは優しく微笑んでユリの手をひく。ユリは流れに身をまかせて、ユウヤミとともに横断歩道をわたっていった。

 葉が青々とし、蝉は命を削って声をだす。こんな季節は命の瑞々しい薫りが漂う。だが、ユリは甘い花の薫りに包まれたようになっていた。


「ねえ、ユリ」


 横断歩道をわたりきったあたりで、ユウヤミは優しくユリに話しかけた。ユリはその絹のような柔らかな言葉に振り向かせられる。


「今日、学校が終わったら僕の家に来てくれないかな……?小さな頃に約束した『あの事』をもう一度、誓いあいたいんだ。」


 ユリは頷いた。そう、幼い頃交わしたあの約束。兄のように慕っていた人と小指を絡ませたのだ。

『ずっと、好きでいよう。ひとりぼっちにはさせない。』

 深い橙色の太陽が、砂場で遊んでいた二人の指切りの姿の影を、しっかりとそこに焼き付けていた。その像がユリの頭にもしっかりと残っている。



 学校に着いた二人は下駄箱に向かう。ユリは靴をぬいで上履きに履き替えていた。その頃、ユウヤミはもう既に履き替えていたので、ユリの傍で待っていた。


「ごめんなさい……待たせてしまって……」


 ユリが上履きを履きながらユウヤミに謝ると、彼は優しい笑顔で大丈夫だよ、と囁くように言った。ユリはこんなにも優しい彼を待たせてしまっているのが申し訳なくなってきた。急いで上履きをはこうとするのだが、こういう時に限って足のサイズにぴったりな上履きはうまくいかない。かかとの方がつぶれてしまうのだ。三回ほどそれを繰り返すと、やっとはけた。ユリはお待たせ、と言うつもりでユウヤミの方を向いた。

 しかし、体をまえに進ませるはずだった足は何故だか縺れてしまい、ユウヤミの方に体を倒れこませてしまった。このままではユウヤミを巻き込んでしまう――――そう、おもった。




「大丈夫……?ユリ。」


 ユウヤミとともに床に叩きつけられる、そんな光景が目にうかんでいた。だが、それはユウヤミの暖かな声に掻き消されていた。体を包む温もりがユリの目を開かせ、現実を脳に染み込ませる。ユリの顔はユウヤミの胸のあたりにあった。ちょうどユウヤミがユリを抱き締める形になっている。ユリはそれにやっと気づいて、恥ずかしさのあまりユウヤミをひきはがす。


「ごめんなさい!そ、そういうつもりじゃ……」


 顔の真っ赤なユリが慌てて謝ると、ユウヤミはにっこりと微笑んだ。そして、ユリの手を優しく、しかししっかりと握った。


「大丈夫だよ!ほら、はやく教室行こうよ~。」


 廊下は走ってはいけない。それなのに、ユウヤミはユリの手をひいて教室に向かって走っていく。


  あぁ……こんな幸せが続けばいいのに……。こんな風に自分を引っ張っていってくれる彼が好きだ。彼が昔言ってくれたように私も彼の全てが愛しい。幼い頃、彼はよく私と妹と遊んでくれた。 あんなに小さかった彼はもうこんなに大きく、たくましくなっている。だが、あの太陽のような笑顔は今も変わらないようだ。



…………あれ ? 一寸待って…………


わたしはよく………………


シズクとあそんでいたはずじゃ…………


 教室についたユウヤミはいつものように戸を開けた。ガラッという音がユリの意識を現実に引き戻す。いままで見えていなかった教室の中がパッと目に入った。


「おッはよー!!!ユリぃぃぃぃいいい!!!!!今日は遅かったねっっ!!」


 ユリが教室に入るなりシズクがこちらに両手を広げながら突進してきた。彼女が床に足をつける度に、ぴちゃ、ぴちゃ、と音がなる。いつもならユリはこの突進をかわして、シズクは廊下の壁にぶつかる。だが、ユリは体を動かすこともできず、シズクに抱き締められていた。

 途端、ユウヤミがいる方で大きな鈍い音がした。顔にはべったりと生暖かい赤い液体がつく。


「もう大丈夫だよっ♪ユリを不幸にする悪い虫は私が駆除しておいたから!うふふ♪」


 教室が真っ赤に染まっていた。床は赤い海のようになっており、肉片のようなものが散らばっている。壁には人の形をしたものが埋められている。それらになかからは大腸やら脳みそが出ていて、壁が内臓で飾り付けられているみたいだ。

 臭い。だが、鼻を覆うことすらできないくらいにユリは衝撃を受けていた。何かを踏んでいる感触が上履き越しからつたわっている。

 机の上には指の破片や潰れた目玉。椅子の足には心臓のような形をしたものが。思わず目を背けたユリの胸に顔を埋めていたシズクが顔をあげると、自然と、ユリのさまよっていた目はシズクの目に吸い込まれた。その目は歓喜と狂気で暗く染まっている。


「シ…ズク……?あなた、これは、どういう……」


 震えるユリの声。シズクは殆どが真っ赤に染まった顔で笑った。


「え?ああ、これ?……んーーーーっ、何て言ったらいいかな……?朝ごはん、って感じじゃないし…………あっ、そうそう!!害虫駆除っっ!害虫駆除だよ!」


 シズクはいつものテンションだった。

 ユリはシズクの異常な様子に突き動かされ、思わず彼女の両肩を掴んでいた。


「何があったのよ!?シズク!!さっきは急に走っていってしまったし…………それに、どうしてこんな……」


 シズクは子供のように首を傾げた。


「え……?何って……そんなことどうだっていいよ。結果的にユリが幸せであれば他の奴なんてどうなったっていいじゃん。

 それよりさ、喜ぼうよっっ!!ユリの偽物の恋人達はこれでもうストーキングしてこないんだからさぁっっ!!!」


 このときのシズクの笑顔はまさに太陽のようだった。だが、いつも輝き、暖かく、心にあかりを灯していたその笑顔は、今やもう、黒く染まっている。


「これからずーっっっっとユリは私のものだよ……!!ねっっ、コレデ幸セニナレル!!あぁあ、やっと……ユリが叶えタカったユめが……私ノカナエたかったゆメが……!!!!」


 天を仰ぎ、両手を広げてシズクは狂ったように笑っている。

 もう、何が何なのか、どうしたらいいのか分からなかった。ただ、心に押し寄せてくる悲しみなのか、怒りなのか、恐れなのか、それとも違うなにかなのか分からないぐちゃぐちゃとした感情に流されるだけだ。


「あはははっっ、はははははははっっ!!!!ヤッとじゃマなやつがキエタヨ!!やっタよ!おにイちゃン!!!!あははは、私ノ勝チだぁっ、今度は同情なんカじャないのさっ!!」


 ユリは思わずシズクの両肩を掴んでいた手をはなした。目の前にいる彼女がシズクではないように思えた。夢であればいいと願ってしまった。 そうしているあいだにシズクは情緒不安定な状態に陥っていく。


「わたしわるくないわたしわるくない。おにイちゃンノせいなんダよ。わたしがこうしているのも、ユリがユリであるのも、わたしがシズクであるのもぉ…………

決めたもんね………………決めたもんねッ!!!!!!おにいちゃんとわたしでッッッッ!!!!!それで…………わた……しが……"雫"で……お兄ちゃんが――――」


 急に言葉が途絶える。ユリはシズクがもとに戻ったのかと淡い期待を抱きながら、どうしたの、と左肩に軽く触れた。途端、シズクが痙攣をおこしたように震えだし、白目をむいた。震えはどんどん大きくなり、ユリの手をはねのける程になっていった。

 頭がじんじんと痛む。全身が熱を失って冷たくなってしまったかのように寒い。恐怖が体を凍らせ、小さく震えさせる。頭のなかが真っ白になって、現状を受け入れきれないユリの脳は考えることをやめてしまった。

 シズクは不気味に震えながらぶつぶつと何か呟いている。

「ヴ………………オ、マ……なん……で……ヴヴ、ヤ…………」


 その言葉を最後に呟く声が急に止まった。震えも止まり、シズクはゆっくりと顔をあげる。そして、みたことのあるような笑顔になった。

 もとに戻ったのかのだろうか。ユリはそんな淡い期待を抱きながらシズクに触れようと手を伸ばした。この緊迫感と恐怖感から逃げ出したかった強い思いが警戒心を打ち消してしまったのだ。


「シ……ズク?大丈夫?ねぇ、大丈夫なの……?」


 ユリの手がシズクの肩に触れた。するとシズクはその手をおもいきり引っ張り、ユリを急に引き寄せた。からだがシズクに向かって倒れていく。その感触に気づいたときにはもう、手遅れだった。



――――ユリの頸動脈に、シズクの鋭い犬歯が深々と突き刺さっていたのだ。



 シズクは柔らかなユリの喉を噛みちぎり、暖かな液体をごくりと飲んだ。ユリの首からは真っ赤な血が吹き出し、体は糸が切れた人形のように倒れていった。

 ユリの意識が薄れていく。そして、体全身が赤い床にうちつけられたとき、シズクの『大丈夫、私が君を導くから。 』という言葉が微かに聞こえた気がした。













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