帝国の頭
もともとは使用人のための仮眠室だった一階の部屋。今はそれが俺の自室ということになっている。
仮眠室という割にはそれなりの広さのある部屋で、俺がここを使う前は黒巫女がときどき寝ていたようだ。あいつはたいてい留守がちで、たまに帰ってきてはただここで眠っていたらしい。二階の二部屋は客人用として使っていたようだ。
三つ並ぶ簡素なベッド。扉に鍵をかけた後、俺はその一つに腰をおろす。そして右腕の朋冠を高々と掲げる。
――朋冠。皇帝陛下の代理者たる執政官の証。
「帝圏、共鳴!」
俺の声に応え、朋冠が金色の光を放つ。それは金の魔紋様となり、渦を巻きながら俺の周囲を取り囲む。
(帝圏、共鳴……)
俺の声に少しだけ遅れて、もう一つの声がうっすらと俺の耳の内側で響く。
同時に、俺の視界の右斜め上で瞬いていた金色の光がゆっくりと大きさを持ち始める。
それは俺の朋冠の創り出した魔紋様と融け合うようにして膨らみ、やがて人のような形に収束した。
「半月ぶり……デしょう……カ。兄上」
金色に揺らぐ人影が、聞き取りにくい雑音混じりの声を絞り出す。その頭の部分には目も鼻もないが、ただ口だけが声を発するときの動きを見せる。
「ああ。前の共鳴は俺が帝国から発つときだったから、それくらいになるかな」
――帝圏の『共鳴』。
それは帝国の執政官に与えられた朋冠が持つもう一つの『力』だ。
執政官同士の帝圏が共鳴し合うと、その力を互いに共有できるようになる。今俺の視界の中で金色に光る人影、これは俺の帝圏と相手の帝圏の交じり合ったものだ。
「で? 何の用だエイターラ」
『帝国の頭』、エイターラ。
帝国の執政官の中では最も年若く、そして最も恐れられている切れ者だ。二歳にして執政官に選ばれ、まだ成人前にも関わらず帝国の東の最前線で目覚ましい戦果を上げ続けている。
長年に渡って帝国が手こずっていた聖王国を滅ぼしたのもエイターラだ。
「兄上ノことガ……心配だったのデ……少し見に来ましタ」
「のぞき見は悪趣味だぞ。俺の目を使うときは事前に連絡をよこせと言ってるだろう?」
それぞれの執政官の持つ『力』は異なる。
俺の帝圏がどんな場所にでも帝国領を現出させるのに対し、エイターラの帝圏は帝国のあらゆる民の五感を借用することができるのだ。
さっき俺の視界の隅っこで光っていたもの、それがエイターラの帝圏の魔紋様だ。俺の視覚を通じて、俺とトリスの食卓を盗み見ていたのだろう。
今、俺とエイターラは互いの五感を共有することで会話している。俺の声は俺の耳を通じてエイターラに、エイターラの声はエイターラの耳を通じて俺に。
エイターラはこの『力』ゆえに執政官の間の連絡役を担っている。そして広大な領土を持つ帝国では連絡役の持つ重要性は他の何とも代えがたく、その価値は計り知れない。
いわば『帝国の頭』こそが我らが版図をまとめあげるための要であり、帝国が帝国として強大であり続けている理由でもある。
「ここカらホーク辺境伯領宛に連絡するトなると二週間はかかってしまいマす……それでは意味がありませんヨ、兄上」
「その『兄上』という呼び方も止めろ。俺はお前の兄じゃない」
「兄上は兄上です……兄上」
エイターラと俺に血のつながりはない。ただ、エイターラの父は俺の前任者――『帝国の腕』だった人物だ。
そのこともあってか、エイターラは俺のことを兄上と呼びたがる。もちろん、本心から俺のことを兄と思っているわけではないだろう。こいつのことだから、何か後ろ暗い思惑があるに違いない。
「ところデ……兄上。先ほどノ方がトリスですか? そちらの公館の管理人の?」
「ん? ああそうだが……知っているのか?」
「もちろん。彼女は『繋ぎめ』の書ノ……関係者ですカら」
『繋ぎめ』の書……だって?
『繋ぎめ』の書というのは確か、あの『繋ぎめ』の戦役のことを記したものだ。和平の後に書かれたものを黒巫女が入手し、皇帝陛下へ献上したと聞いている。
トリスがその関係者? いや、しかし……。
「トリスはあの戦いのとき、眠っていたと言っていた。だったら関係者というのはおかしい」
「いえ……おかしくはありマせん」
「彼女が嘘をついていると?」
「違いマす」
エイターラはここで一度言葉を止めた。金色の人影が、考え込むかのように揺らぐ。
「もしかして兄上は……あれヲ読んでいないのですカ?」
「やめてくれ。俺はそういうのは信じないことにしてるんだ」
読んだ者から漏れ聞こえる噂では、『繋ぎめ』の書には数々の不気味が記されているらしい。魔道の力で城門を破壊する超大砲、この世に存在しないはずの女司令官、魔来人の予言、古の森の魔獣、数千の死者の軍勢、魔道大戦の生き残り、死者の魂を喰らう魔物、そして炎剣鬼。
どれもこれも寝物語のような話ばかりだが、しかしそもそも『繋ぎめ』の書自体が、この世に未練を残した死者の魂が書いたものだと言う者すらいる始末だ。
怖い。正直、そんなものを読みたくはない。
「そういえばエイターラ。お前、今までトリスを見たことがなかったのか? セイラムの目を借りればいつでも見られたはずじゃないか?」
俺の言葉に、エイターラの小さな含み笑いが応えた。
「前に言ったと思いますガ……セイラムに帝圏は通じませんヨ……兄上」
そうか……そういえばそうだったな……。
俺の後頭部に、あの黒巫女のかかとの感触がよみがえる。魔道の力を消し去る巫女の術。俺の帝圏も黒巫女の前では無力だった。
「兄上の帝圏と違い……私の帝圏は帝国の臣民にしカ、使えマせん。これまでセイラムは帝国民が……辺境伯領に足を踏み入れるこトを頑なに拒んできマした……ですかラ私も、彼女がいままでそこで何をしていたのか知らないノです」
「このホーク辺境伯領が抱えている問題は根深い……セイラムはそんなことを言っていた。あいつはあいつなりに何か考えがあってのことだったのだろう」
「ええ。恐らくは……」
その黒巫女はいま西の最前線に向かっているのだろう。今となっては彼女の意図を聞いてみるわけにもいかない。
「……ですが、仮にも帝国領となったからには、私の目の届かない地のままというノは問題です」
「そうだな……だがエイターラ。この辺境伯領は我が帝国と王国の共同統治ということになっているようだぞ。他の土地と同じようにはいかないかも知れない」
「共同統治の件は知っていマす。だとすれば余計に、私の目が届くようにシておきたい……そろそろ時間切れですネ……兄上には一つ、お願いがありマす」
帝圏の共鳴が次第にその輝きを薄れさせ始めていた。共鳴は疲れる。長い時間、この状態を維持しておくのは難しい。
「辺境伯領に私の目となる者を数名……送り込みたいと思っていマす。そうすれば兄上の目を勝手に借りずにすみマすから……構いマせんか?」
「ああ。好きにすればいい」
「ありがとうございマす。準備はこちらで進めマす……ただ、セイラムが今まで拒んでキた理由も知っておく必要があると考えていマす。我が配下を送り込むにあたっては慎重を期シたく」
「そうだな……そちらは俺の方で調べておこう。辺境伯や王国と何か調整が必要な場合には、手を打っておく」
「お願いします。では……」
エイターラの言葉が薄れると同時に金色の人影は大きく揺らぎ、そのまま大気の中へと消え失せた。




