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第三章『戻らぬ過去へ』

結局、その日の敵の討伐(とうばつ)も叶わず、環斗と宵は死を迎えた。

しかし、何百回以上も同じ相手と戦ったのだ。いい加減、勝手も分かるというもの。

つまり父親の言う通り、(おそ)いかもしれないが、活路(かつろ)を見出だしたのだ。

そして朝。目覚めると、環斗はいつも通りの行動を起こした。

動き(やす)く、防寒に優れている服に着替え、階下に()り、文字通り代わり映えのしないテレビを見ていた。

それはニュース番組で、アメリカで流行の食事と(だい)うっていた。

しかし、環斗はニュースを動画ではなく、ただ音楽として(とら)えていた。

そんな時、環斗が聞き慣れた声が環斗の耳に入った。

『夕食は()られました? その夕食は何でしたか? カンガルーの肉を使いました?』

『いいえ。今晩はまだです。でも、今晩はフォアグラのステーキをいただこうかと』

『うわぁ。す、すごいですね。まさか、そんな豪華(ごうか)なものとは』

『えぇっと。日本人の方なら、日本にいるご家族へ一言、どうぞ』

 そして、そこで彼女は決定的な言葉を告げる。

『では、遠慮(えんりょ)なく。朝から残りのカレーなんか食べてんなよ。たまにはちゃんとしたものを食べるんだよ。あと、極力(きょくりょく)早く帰るからね、環斗。バイ育児放棄気味の両親』

それを聞いた瞬間、環斗は既視感(きしかん)と実質、二年以来の懐かしさを感じた。

――これって確か、俺がループする前に母親が言ってたことか?

そんなことを思い返すと、環斗は不意に宵の話を思い出した。

……まぁ、宵が昔、俺に会ったってのは嘘じゃないだろうし、この時間は暇だし、両親に電話でもしてみるか。

もはや習慣になっている朝の両親への電話。

環斗は電話機を手にとり、両親の携帯電話の番号をコールした。

何度かのコール後、眠そうな声で父親が迎えた。

「ハァイ……アイム十六夜(いざよい)。ハロー……アンド、グッナイ」

へなへなと、力のない声で父親が言うと、有無(うむ)を言わさず電話を切った。

当然、環斗はもう一度かけ直し、父親が出た時の第一声が

「父さん! とっとと起きてシャキッとしろ!」

になる。すると、父親は驚いたのか、素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げた。

「うっふぉう! な、ななななな何だ、環斗! 父さんを驚かせて楽しいのか!」

それを言われると、環斗は電話越しに不敵な笑みを浮かべた。

「当ったり前じゃないか、父さん! 中々面白いことを聞いたな。母さんに良い土産話ができたな。ねぇ、父さん?」

すると、父親は受話器から聞こえる位、歯を噛み締める。

「……何が望みだ? いや、分かった。振り込む金額を増やす。これでどうだ?」

十六夜家は環斗が小学校高学年になってからよく、両親が出張で海外に行く。両親はその国の社員寮(しゃいんりょう)に住む。

環斗はその(たび)に家を任され、結果、家事が上手くなった。

生活費は月の頭に一度、小遣(こづか)いと一緒に環斗の口座(こうざ)に振り込まれるのだ。

「残・念・だっ・た・な! 金の心配はない! むしろ、小金(こがね)持ちだからな、俺は」

だがその時、父親が「ん?」と疑問を表した。

「……環斗。今は月末だぞ? もしかしてお前、何かヤバいことに関わってるのか?」

この時、環斗は父親の話すことに疑問を持った。

「何言ってるんだよ、父さん。確かにいつか終わらせるけど、敵を倒すのはもうちょいかかる。その度にループ能力が使われるだろ?」

それでも父親は何も知らないような態度をとり、環斗は一から丁寧(ていねい)に説明した。

すると次の瞬間、父親が確かに息を()んだ。

「でさ。教えて欲しいんだけど俺は昔、宵に会ったのか?」

だが、環斗の疑問に父親は押し黙り、答えない。

「なぁ、会ったかどうかだぞ?別に考える程のことでもないだろ? それとも、噂の痴呆(ちほう)とやらか? いやはや、近頃の若い奴は軟弱(なんじゃく)だねぇ」

最後の部分は声を(しゃが)れ声にして発した。

それでも答えない父親から環斗は真面目な雰囲気を察した。

「――もしかしてこれ、そんなにマズイことなのか?」

やがて、父親は深いため息を吐いた後、諦めたように言葉を(つむ)ぎ始めた。

「話す時、だろうな。どうやら僕も焼きが回ったみたいだし」

 まず、環斗は父親が何を言っているのか皆目(かいもく)、検討がつかなかった。

「まず始めに、魔力喪失(まりょくそうしつ)時の話をしよう。話が違うって思うかもしれないが、聞いてくれ。

魔力が尽きたら、魔法が発動しなくなる。これは分かるな? で、僕らの場合、魔力切れには副作用がある。

――それ(すなわ)ち、記憶の一部欠落(いちぶけつらく)

とはいっても、欠落するのは前日の記憶と、それまで、ループした一日の記憶全てだ。さて、ここまで話せばこの先の展開、予想できるんじゃないか?」

(まさ)に父親の言う通りで、環斗は予想していた。

父親の話を()に受けるなら、それはつまり、父親は魔力が切れた。

それがさっきの不審(ふしん)な反応。そして――

環斗は宵がくれた情報を思い出した。

『凄かったんですよ、環斗くんは。全部の攻撃を簡単に()けたんですから』

これはつまり、昔の俺が魔法を使ったってこと。

そして今、環斗が敵を倒すために使っている作戦――相手の弱点、(くせ)から分析(ぶんせき)する対象の攻撃(こうげき)予測(よそく)――を使ったとしたら、話は見えてくる。

だが、環斗はここで疑問を持った。

何故、自分はそんな行動をしたのだろうか――? ということだ。

まぁ多分、父さんの話を聞けば分かるだろうな。

「ちなみに、このループ能力の副作用は幸運にも同じ魔法使いから話を聞けば、欠落した記憶が蘇る。実際、僕の記憶も戻ったしな。一日だけだが」

ここで父親は、ふぅ、と息を吐いて話を止める。

「さて。お前の記憶を戻してやろう。心して聞けよ」

その時、不意に環斗の脳の一部がそれを拒否した。

理由はない。しかし、それを聞いては自分が自分のままでいられないような、今までのままで誰かと接することができなくなりそうな、予感がしたのだ。

だが、環斗はそれを押して、怖いもの見たさに、聞いた。

「気付いていると思うがお前は過去、ループ能力を使った。理由は分からん。けど、予想ならできる。多分、子供らしい、馬鹿(ばか)な理由だ。まぁ、そこは思い出してくれ。

さて。そろそろ思い出してもらおうか。環斗の記憶を。

話そう。昔、何があったのか。何故、環斗は記憶を失くしたのか」

そう言って、父親は話し始めた。環斗の過去を。忘れたハズの、忘れたままなら誰も傷つかなかったであろう過去を。

その話を全て聞いた後、環斗は全てを思い出した。(うつ)ろな目で。



十年近くも昔の話だ。

環斗の父親は将来、自身の息子と望月(もちづき)の誰かが共に仕事をするだろうと思い、顔合わせをした。

そう。これはただの顔合わせのハズだったのだ。一つの誤算(ごさん)を除いて。

「ふむ。環斗くん、だったかな? 君、宵と手合わせをしてみぬか?」

この宵の祖父が放った一言が、今回の事件の発端(ほったん)となった。

環斗に決定権はなく、父親は一も二もなく頷いた。

当たり前な話だが、環斗は殺し合いをするために作られた剣術も教養(きょうよう)の武道として作られた剣道もやったことがない。(しか)るに、素人(しろうと)なのだ。

「助かる。宵も(わし)とばかりでは飽きてしまうでな」

声高々(こえたかだか)に笑う望月家の(おきな)。すると、宵が翁の道着(どうぎ)の袖を引っ張った。

「おじいさま。よいは、あきません。おじいさまと、しゅぎょうしたいです」

人見知りなのか、一桁(ひとけた)の子供だからか、宵の喋り方はたどたどしい。

そんな宵の頭を、翁は宵の顔より大きな手で優しく撫でた。

「だがな、宵。色んな相手と手合わせせねば、真に強くはなれんぞ?」

「……わかりました。では、えぇっと――きみ。おねがいします」

名前すら、覚えられていない環斗はムッとし、意地でも一矢報(いっしむく)いてやろうと躍起(やっき)になった。

だが当然、環斗が剣術を習っている宵に勝てるわけもなく、惨敗(ざんぱい)した。

その後、宵は翁と修業を再開し、環斗たちは帰宅した。

帰宅後、環斗は悔しさの余り、家を飛び出して近くの山に行った。

走れば気が(まぎ)れると思ったのだ。

結果、道が険しい山道で環斗は足を(すべ)らせ、道から転落して何メートルも下の地面に叩きつけられ、即死した。

当然、魔法が発動し、復活。

環斗は幼さ(ゆえ)の無知のお陰で、起こった事象(じしょう)をありのままに受け止め、宵に再戦した。

もちろん、何かが変わるわけもなく負ける。

また、死ぬ。戻っても負ける。

それを環斗は何度も繰り返した。

そしてある日、環斗は思いついた。

攻撃パターンの記憶による先読みを。

その作戦は功を(そう)し、宵の攻撃をループする(たび)に読めるようになった。

それから何度も繰り返す。そして、環斗は(つい)に必勝法を知った。

宵と戦う時、環斗はまず、宵が動く直前にフェイントを入れた。結果、(おさな)い宵は簡単に引っ掛かり、環斗はチャンスを得る。

いくら攻撃が来ようと、パターンを知っている環斗には遊びそのものだ。

最終的に、環斗は宵から勝利を勝ち取った。

翌日、環斗は公園で、中学の時には疎遠(そえん)になる友達と遊んでいた。そんな時、環斗の前に一人の男が現れた。

彼は環斗が魔法を使う時と使用直後に発する魔力から環斗を探し出したのだ。

そして、彼は環斗を有無(うむ)を言わさず焼き殺した。

その時丁度(ちょうど)、環斗は魔力が尽き、宵との戦いの記憶と殺された日の記憶が消えた。

環斗が魔力切れになって死んだ日に戻ると、環斗の父親は環斗の記憶の欠如(けつじょ)に気付いた。そして、父親は環斗の魔力が切れたことを察し、一日、環斗に付いた。

環斗が理由は分からないが、何かの拍子に死んだことは火を見るより明らかだったからだ。

そして、その日に外出すると、環斗を殺した男が現れた。

彼は環斗と父親にこう言った。

「お前ら、魔法使いだな? 魔力のくっせぇ(にお)いがすんぜ。なぁ、息子が魔法を使えるってんなら、親父も使えるんだよな? なら、戦え。息子を守りたいんならな」

男を一言で説明するなら、戦闘狂(せんとうきょう)だった。

そして、男は戦闘狂なだけあって、強い魔法使いだった。環斗の父親が直感で何があっても勝てないと分かる程。

さりとて、父親は簡単に息子を差し出す程、生き物として正しい判断も、親として最低な判断も下せなかった。

それはもちろん、父親の正義感と生き物の生存本能の間で()らいだからだ。

そして最終的に、父親は最悪な判断を下した。

「――僕らと戦いたいなら止めた方がいい。この町には、もっと強い魔法使いがいる。そいつと全力で戦いたいなら、僕らのような有象無象(うぞうむぞう)に魔力を消費するより、ずっと建設的(けんせつてき)だろうう? 残念だが、名前は分からないけど、魔力で分かるだろう?」

父親はうっすらと、自虐的(じぎゃくてき)な笑みを浮かべていた。

そしてそれは、ポーカーフェースの役割も果たしていた。

「――いいぜ。なら、お前らは見逃してやる。確かに詰まんないだろうしな」

ニヤニヤと、嫌みな笑顔を浮かべながら男は去って行った。

それから数年後、(はい)ビルで爆発事故が起き、宵の祖父が死んだ。



何もかもが環斗にとって信じられないことだった。

いや、実際に起こったことだ。環斗には信じる他ない。しかし――

でもこれじゃ、宵のお祖父(じい)さんが死んだのは、俺のせいだ。俺が変な意地を張ったりしなきゃ、状況は違ったかもしれない。

もし、環斗が変な意地を張らずに、家で引き(こも)っていなければ、魔力から発見されることはなかったかもしれない。

平たく言えば、宵の祖父(そふ)の命と引き換えに生きながらえた命なのだ

「……爆発事故が起こった年。お前が小学校高学年に上がった頃だ」

「父さんはもしかして、罪悪感を感じたから? だから、積極的に転勤(てんきん)してここには戻って来ないのか?」

「ああ、そうだ。罪悪感を感じたから宵ちゃんに合わせる顔がない。いや、僕のせいだ。本来なら、(つぐな)って(しか)るべきなんだ。それができないのは僕が弱いからだ。バカだろう? 滑稽(こっけい)だろう? 愚かだろう? でも――」

「あれしか、方法がなかった、でしょ。それでも償うべきなんだ、父さんは。俺と一緒に」

心なしか、父親が電話の向こうで泣いている気が、環斗はした。

「……父さん。俺、そろそろ宵と約束した時間だから、行くよ」

最後に、父親の嗚咽(おえつ)が聞こえた気がしたが、泣きたいのは環斗も同じだ。

実際に実行していないとはいえ、環斗は宵を親友と思っていた。

困ったことがあれば、力になってやりりたいと思っていた。

彼女を傷つける者がいるなら、守ってやりたいと思った。

だが、傷つけるのは、自分だった。困らせたのも自分だった。



環斗がいつも通り、公園に着くと、そこには宵がいた。

「ああ、おはよう、宵。来るのが早いな」

環斗は宵にどんな顔をすればいいのか分からず、ぎこちない笑顔を浮かべた。

彼女の祖父を殺したのは自分だと言えば、宵はどんな顔をするだろう?

環斗は心中でそんなことを思って、自虐的(じぎゃくてき)に笑い飛ばした。

「? 環斗くん。どうかしたんですか?」

宵がそう言って環斗を(のぞ)き込んでくる。

環斗は聞きたいことがあり、無理に話を変えた。

「なぁ、宵。聞きたいんだけど、宵のお祖父さんって、どんな人だったんだ?」

宵は突然の話の転換(てんかん)に、少し戸惑う。

「お祖父様……ですか? なら、少し長くなりますけど――」

宵には(すで)に、魔法の話を通してあった。付け加えるなら、今までの経験のお陰で一々(いちいち)、宵に会って、人類絶滅の説明をする手間を省く方法を見つけた。

だから、宵は驚きもせず、今の環斗には(まぶ)しい程の笑顔で語り始めた。



話は環斗と宵が出会う一年前に(さかのぼ)る。

宵が保育園に通っていたある日の夜。

宵はトイレに起き、寝ぼけながら目を(こす)り、(かわや)へ向かった。すると、居間から明かりが漏れていることに宵は気付いた。

宵は子供特有の興味本位から聞き耳を立てることにした。

「だから父さん! 私は宵を魔法使いにするのは反対です! 今の時代、魔法使いなんていない。いるとしても、犯罪になんか使わない!」

声を(あら)げる宵の父親。対する宵の祖父の口調は落ち着き(はら)っている。

「甘いな。魔法などという、他者にはない力だからこそ、人は使いたがる」

「大体! 魔法の遺伝条件から見て、おかしいでしょう! そんな特異なことがあればすぐ露見(ろけん)する。なのになっていない。それに、私の時には修業などしなかったではないですか!」

「それは一重(ひとえ)に、お前に剣の才がなかったからだ。だが、魔法は教えた」

「それは、宵に魔法を伝える為でしょう!」

左様(さよう)。魔法を使えねば、いざという時、戦えぬ」

「そこがおかしいんだ! 魔法以外にも対処のしようはある! 銃器(じゅうき)でも刃物(はもの)でもあれば事足りるでしょう!」

「相手は世界を滅ぼす魔法を持っているやもしれぬのに、か?」

「そんなことあり得ない! 望月の魔法とて、強いとは言っても身体能力の爆発的増加だ。大体、そんなのがあれば、とうの昔に人類は滅びている!」

「だから実際、何度も滅びかけた。今なお、世界が健在(けんざい)なのは正しく奇跡の賜物(たまもの)以外の何物でもない」

「奇跡奇跡と、昔からあなたは、そればかりだ! とにかく、宵に望月の宿命など、背負わせない! どうしてもと言うなら、私も望月だ! 私を斬ってからにして(いただ)きたい!」

「ほう、そうか?なら、遠慮(えんりょ)なく斬らせて――いや。なら、本人に聞こうぞ」

すると、祖父は(ふすま)を一気に開いた。

宵は襖にもたれかかるように聞いていたので倒れながら部屋に流れ込む。

「――なっ! よ、宵! お前、どこから聞いて――」

その時、祖父が(あざけ)るように鼻を鳴らし、父親の疑問に答えた。

「途中から、であろう? 全く。望月の跡取(あとと)りだのに情けない。で、宵よ。どうだ? 弱き者を助ける正義の味方になるか、普通の平穏な暮らしをとるか」

その時、父親の表情が青ざめるのを宵は見た。

「そんな言い方は卑怯です! 宵はまだ幼い! 宵。お前はこんな世界へ来なくて――」

だが、父親の願いも(むな)しく、宵は一も二もなく頷いた。

「おじいさま。よいは、せいぎのみかたになりたいです」

子供にとって、正義の味方とは、何よりも子供のなりたいものだ。

まして、今の宵に平穏な生活の意味など分かるハズもない。

加えて、平穏な暮らしがどんな物でも、正義の味方は子供にとって免罪符(めんざいふ)なのだ。

そう答えるように、祖父は仕向けたのだ。

すると、祖父は優しげに笑い、大きな手で宵の小さな頭を()で回した。

「……そういうことだ。悪いが、(あきら)めてくれ」

祖父が快活(かいかつ)に笑うのに対して、父親は口惜(くちお)しそうな表情だった。

「――悪いけど。この言葉を使う大半の人間は悪びれてないんですよ」

嘆声(たんせい)混じりにその言葉を吐くと、父親は憐憫(れんびん)の目を宵に向けた。

だが、幼い宵にはそれが示唆(しさ)することを理解できなかった。

翌日。宵は祖父によって早朝の五時に起きるのが習慣になった。

来る日も来る日も修業修業修業の毎日。しかし、宵はそれを別段(べつだん)、苦とは感じなかった。

望月の血のお陰か、修業をむしろ、楽しいと感じていた。

祖父の修業自体は熾烈(しれつ)を極めたが、その中に垣間(かいま)見る優しさは両親が宵に与えてくれないものの一つであったことも理由の一端(いったん)だろう。

環斗と初めて戦った時、宵は感服(かんぷく)した。彼の技量に。

たった一年程度の修行であったが、それなりに自身が強くなることを実感していた宵は自信を持っていたのだ。

剣速(けんそく)は祖父程でもないが、祖父に永遠に届かない程とも思っていなかった上に、祖父も宵には才があると言っていたからだ。

だが、(ふた)を開けてみれば宵の惨敗(ざんぱい)であった。

その後、宵は悔しさに泣いたが、祖父は宵を(しか)りつけてくれた。

悩むな。泣くな。負けて悔しくて泣くなら、強くなって、いつか追い抜け、と。

いつだって、祖父は宵の味方であった。どんな時でも実際の親以上の親だった。

だから、宵が中学に入ってすぐに起きた事件は宵を悲嘆(ひたん)に暮れさせた。

ある日の帰宅途中、宵は一人の魔法使いによって誘拐された。

魔法を使う暇もなく、宵は『炎』を使う魔法使いに拉致(らち)されたのだ。

宵が連れて来られた場所は、町にある(はい)ビルだった。

男は宵をそこに閉じ込める以外のことは何もしない。

「……何が、目的ですか? お金ですか?」

自身の身の上を考えた上の答え。だが、男は鼻で笑い飛ばす。

「ハッ。んなチャチなモン、いらねぇよ。俺が欲しいのはアドレナリンが沸騰(ふっとう)して蒸発しちまうくらい、脳の回路が焼き切れるくらい、死んじまうくらいの恐怖をくれる奴と戦うことさ。お前は確かに魔法使いだろうけどよ、てめぇのジジイの方が強いだろ?」

宵は今更(いまさら)、彼が魔法使いであることは驚かない。

何故なら、こんな時のために宵は修業をこなしていたのだから。

もっとも、宵もこの男には勝てないことは直感で分かっていた。そして恐らく、祖父すらも、この男には勝てないことも。

それでなくとも、望月は刃主体(やいばしゅたい)の戦いだ。宵は抵抗の(すべ)がない。もちろん、人体の急所を学んだり、体術(たいじゅつ)を学んだりもしたが。

男は宵から奪った携帯電話からどこかに電話をかける。

「――よお。俺ぁ、てめぇんトコのガキを(さら)ったヤツだ。返して欲しきゃ、金なんざ、いらねぇ。武器持って殺す気で来な。来なかったら可愛い可愛いこのガキ、干物(ひもの)にすっからよ。ああ。魔法も使っていいぜ。俺も同族だからよ。場所は近場の廃ビルだ」

ひとしきり伝えたいことを言うと、男は電話をきった。

そして、携帯電話を魔法で燃やし、()かして投げ捨てた。

「ああ、ガキ。ジジイが来たらてめぇ、帰れ。邪魔(じゃま)だ」

面倒臭そうに吐き捨てる。宵はムッとし、言葉を放った。

「あなたなんか、お祖父様(じいさま)が本気になったらコテンパンに負けますよ」

だが当然、男はニヤリと満足そうな笑みを浮かべる。

「そうかい。むしろ、そっちの方が歓迎(かんげい)だぜ」

キッと、宵は男を(にら)む。男は口の両端(りょうたん)()り上げてそう返す。

それから()が落ち、辺りが漆黒(しっこく)(とばり)独壇場(どくだんじょう)になる。そんな時、宵は鋭くしていた聴覚より、足音という音情報を得た。

足音が迫り来る足音。宵は、本当は心の中で来て欲しくないと思っていた。

宵は彼よりも自分の近くにいる男の方が強いと分かっているからだ。

だが、その足音は一歩一歩、強く踏み()めている。

それは、音源(おんげん)の人間の自信を表すかのようだ。

そんな音を聞いていると宵はつい、彼なら勝てるのではないかと思ってしまう。

そして、廃ビルの扉の暗闇から(のぞ)く月光が一人の(おきな)を照らし出した。

彼は白色の少し長い口髭(くちひげ)顎髭(あごひげ)を蓄え、やや後退(こうたい)した生え(ぎわ)からは首まである白髪(しらが)を、顔には深い(しわ)が刻まれていた。

男を見ると、翁は粟立(あわだ)った敵意を男に向けつつ、宵に聞いた。

「宵。無事であったか? 何か、彼奴(きゃつ)にされんかったか?」

だが、宵がその手の知識を得るのは当分先だ。(しか)るに、宵は首を(かし)げた。

すると、祖父は微笑(ほほえ)ましい光景を見るかのような目で宵を見た。

対して、男は困惑した表情を現し、祖父に聞いた。

「……なぁ。今時(いまどき)の女がその手の知識知らねぇの、おかしく――」

(だま)らっしゃい! 宵は処女雪(しょじょゆき)のような心の白さで問題ない!」

祖父は両目を見開き、声を荒げて男の言葉を(さえぎ)った。

当然、宵は二人が何の話をしているかなど、皆目検討(かいもくけんとう)もつかないのだった。

男は表情を作り直し、ニヤリと口の両端を吊り上げる。

「待ってたぜぇ、ジジイ。一日千秋(いちじつせんしゅう)の想いってヤツでよォ!」

「ふん。(わし)とて男。好意を寄せられるのは女子(おなご)で充分じゃわい」

祖父(そふ)はそう吐き捨てると、手に持つ刀を鞘から放った。

「ジジイ。言葉はいらねぇな? さぁ、殺し合おうぜ!」

男は宣告通り、宵を無視して、手から炎を()き散らして突っ込む。

祖父は刀を下段に構え、顔面に迫り来る火炎の手を迎え撃つ。

「浅い!」

振り上げる――

「――ッ!」

その瞬間、祖父は動作(どうさ)を無理に止め、右への回避(かいひ)を選択した。

すると、男の手に張り付いていた(ほのお)が延び、祖父がいた場所を()がす。

同時に祖父は下段のまま、男へ接近。振り上げ、()つ。

(あめ)ぇ!」

しかし、男は手を祖父のいる方へ向け、炎を推進剤(すいしんざい)のように使い、その一刀を()けた。

「――ほう? 口だけ達者(たっしゃ)若造(わかぞう)という訳ではないようだ」

「ジジイこそ、ムダに年ィ、食ってるってわけじゃねぇなぁ。安心したぜ」

祖父はやはり、(かたく)なに下段に構え続け、男は火力(かりょく)を強める。

そもそも、望月の魔法使いは代々、身体能力の爆発的増加が能力だ。本来なら、肉弾戦でも存分に強い。が、祖父は戦術的な戦いをするために剣術を取り入れた。

本来なら、剣術の攻めの常道(じょうどう)は上段からの振り下ろしである。

何故なら、振り下ろした時、重力と自重(じじゅう)によって勢いが乗り(やす)いからだ。

祖父が使う下段は守りの型。これは迫り来る刃を弾き上げるためである。

だが、望月の魔法を使えば攻めの常道を使わずとも、威力は爆発的に高い上に速い。なら、隙を作り(にく)い、守りの型の方が効率が良い。

何よりの理由が、これを敵が理解していれば油断するからである。

男が瞬時に周囲に拳大(こぶしだい)の炎の球を(いく)つも形成(けいせい)し、放つ。

(ぬる)いわ、(わっぱ)!」

祖父はその隙間を()うように回避。そこから攻めに転じる。

「チッ。しゃら――」

 男は右手を(よこ)一線(いっせん)に振るう。

「くせぇ!」

男は祖父が回避中(かいひちゅう)に言うと、そのフロア一帯を火の海と()した。

瞬間、祖父は男への攻撃を中止し、宵を(かか)えてビルの砕けかかっている窓を割って外へ出た。とはいっても、出たのは地上数メートルの位置。

宵は祖父を信じ、悲鳴を上げない。

祖父もそれに(こた)え、宵を抱えたまま受け身をとり、地面のコンクリートを砕き、勢いを殺した。

「――あぁ、悪ぃ。ガキが逃げたと思ってやっちまった!」

男はビルのフロアから地上にいる祖父に声をかけた。

「構わんよ。今のは宵を助けた(わし)の失策であったからな」

だがその時、宵は見てしまった。砕け、だらしなく垂れ下がった祖父の片手を。

それは宵を(かば)って受け身をとった方の腕であった。

「――っ! お、お祖父様(じいさま)! う、腕が……!」

だが、祖父は柔らかな笑みで首を横に振った。

「宵よ。お主はそこで見ておれ。これ程、高揚(こうよう)したのは久しいからな」

次の瞬間、祖父はビルの壁を蹴り上げて登り、先程のフロアに戻った。

「さぁて。ジジイ。そろそろ、終幕(しゅうまく)にしようぜ。てめぇの腕が痛々しいからな。それに、年寄りは寝んの、(はえ)ぇだろ?」

すると、男の振り上げた手の平に炎が収束するばかりではなく、周囲の炎も集まり、火の海は鎮火する。

「ふっ。近頃の若造にしては、生意気にも敬老精神を(かい)すらしいな」

祖父は勝負に出るために、何よりも迅い一刀を放つために最上段(さいじょうだん)に構える。

双方(そうほう)(にら)み合う。――が、炎が完全に集まり切ると、男が()えた。

「ジジイ! いくぜ! 最ッ高の火葬(かそう)にしてやらぁ!」

望月(もちづき)轟人(ごうと)! 押して参る!」

全ての力をただ一歩の踏み込みに使う。

一方、男は懐に祖父がいるというのに、炎を解放する気配はない。

だが、祖父(そふ)は男の思惑(おもわく)を無視して男を左肩より袈裟斬(けさぎ)りに振り下ろす。

皮膚(ひふ)(やいば)が侵入し、血管を()ち、肩骨(かたぼね)を食らい、肉を食らう。瞬間、部屋が、そのフロア一帯が炎に包まれ、()ぜ、爆風が上のフロアを吹き飛ばした。

そんな中、宵はただそれを見ているしかなかった。

そして、祖父とその相手は帰らぬ人となった。

祖父を助けられない無力感。

実力不足による悔しさ。

自身のせいで祖父を巻き込んでしまった自責の念。

現実を受け止めたくない故の虚脱感。

それによって宵は膨大な虚無感に襲われた。



「あとは、環斗くんがご存知の通りです」

それから一般人に手を上げ、引き(こも)り、環斗が助けた、ということだ。

話を聞き終わり、環斗は自身の重心(じゅうしん)すらも忘れた。

とてもではないが立っていられず、座り込みそうになる。

何しろ、環斗が心の底から否定したかった事だったからだ。しかし、それは認めざる得なくなった。何せ、宵の祖父が死んだのは環斗のせいだからだ。

「お祖父様のお葬式の時、炎使いの家族が来て泣きながら謝っていました。あと、彼の弟さんでしょう。その子が炎使いが亡くなったことを泣いてました。その時、知ったんです。どんな人だって愛されているんだって。だから人の命を(ないがし)ろにする人は許せないんです」

だが、環斗の心境はそれどころではなかった。すると――

「どうしたんですか? さっきからフラフラしているような気が――」

結局、環斗は立っていられずに座り込んでしまう。

「環斗くんっ? どうしたんですか! 大丈夫ですかっ?」

そして、環斗は下を向いて涙を流し始めた。

環斗は嗚咽(おえつ)()らしながら、懺悔(ざんげ)するかのように、言葉をぽつぽつと(つむ)ぎ始めた。自身が犯してしまった罪を。

これ以上、黙っていたら自分が壊れてしまいそうだから。

環斗は別段(べつだん)、宵に許して欲しいわけではない。

(ばっ)して欲しかった。

(ののし)って欲しかった。

だが、宵はそれを聞き終えると怒るわけでも悲しむこともなく、母が子をあやすわけに環斗を抱き寄せた。

「大丈夫。大丈夫です、環斗くん。辛かったでしょう? 苦しかったでしょう?

ごめんなさい、環斗くん。私、知ってました。

炎使いが環斗くんたちの前に現れた日の夜。お祖父様(じいさま)にそんな電話があったんです。お祖父様は『教えてくれて感謝する』って(おっしゃ)いました。お祖父様がお許しになられたように私も恨んではいません」

環斗は苦しかった。宵の優しさが。

罪の重さを背負いながら生きるならまだしも、罪を忘れてのうのうと、平等(びょうどう)な顔をして宵と一緒にいたことが嫌になる。

つまり、宵が知っていたという事実は環斗を更なる奈落(ならく)へ落としたのだ。

何もできない。何もしたくない。ただひっそりと自分を殺して欲しい。

環斗は心の底からそんなことを思った。

「……ごめん。宵の気持ちが分からないで、今まで会って。ごめん……」

すると宵は悲しそうな瞳で、表情で環斗を見た。

「分かりました。では環斗くんには二つ罰を受けてもらいます。すごく辛い罰を」

その宵の台詞に環斗は希望を得た。

「つかぬことをお伺いしますが環斗くん。あなたは同じ日々を何度も過ごした。その中でただの一日でも同じ一日がありましたか?」

つまり宵は同じ人物が同じ行動を丸一日間、とったか、と聞いているのだ。

しかし、環斗は何故、宵が聞くのか皆目検討がつかない。

「? いや。皆、俺が関わってからの行動は違った」

「そっか。なら、良かった。環斗くん。私、一人で敵と戦いに行きます」

「なっ! お前じゃ、今のお前じゃ、敵には勝てない!」

「確かに、そうかもしれません。

ねぇ、環斗くん。私、環斗くんの話を聞いて思ったんです。

この世界の何気ない日常っていうのは実は、奇跡の連続なんじゃないかって。この会話自体がそう。だから、同じ一日を何回も過ごしてるのに環斗くんが同じ一日をただ一回も過ごさない。だから、勝てないっていう事象も、もしかしたら、その奇跡でなんとかなるかもしれません。だから私、行きます。ううん。黙って私を見送って欲しいんです。それが一つ目」

「無理だ! そんなのできるわけ、ない……!」

あんなことを言う宵に環斗はそう言いたかった。

だが、宵がそう言ったのだ。環斗の中で二つの葛藤(かっとう)が生まれる。

(すなわ)ち、宵をこのまま行かせる、と行かせない二つだ。

「そしてもう一つ。次の一日からは生きている私に今まで通り、接して下さい。

――じゃ環斗くん。さよなら。また明日」

宵の聞き慣れた靴音(くつおと)が、彼女が回れ右をしたことを告げた。

(あわ)てて環斗は宵を止めようとするが、葛藤の一つが環斗を止める。

ただ、雪上に落ち、染みていた水滴が宵がここにいたことを雄弁に語っていた。



そして、気付けば環斗はベッドの上にいた。

環斗は当然、両親に連絡する気にもなれなかったし、宵と顔を合わせることもしたくなかった。

環斗は罪悪感(ざいあくかん)に押し潰されそうな気分に加え、敵を倒すことなど、どうでも良いとさえ、思っていた。

食欲すら環斗にはなく、ただ習慣になっていた着替えだけは済ませる。

何となく、環斗は学校へ行かなければと思った。

当然、学校へ行けば環斗は宵に会ってしまう。だが、環斗にとっては魔法を考えない宵となら、まだ気が楽であることは事実だ。

環斗はいつもより早い時間に家を出て学校へ向かった。

その行程(こうてい)はよく覚えていなかったが特に寒いという感覚はなかった。

学校に辿(たど)り着くと、早く着き過ぎたのか一人の少女を除いて他にいなかった。

環斗は体感時間的(からだかんじかんてき)に久し振り過ぎて一瞬、少女の名前が出てこない。

「――あぁ。アリス。久し振り。元気にしてたか?」

だが当然、アリスは首を(かし)げて環斗に聞く。

「久し振り? 昨日も会ったでしょう? ……それより、早いのね」

当たり前だが、環斗は心中(しんちゅう)を悟られないよう、笑顔を取り(つくろ)った。

「あぁ。悪い。何かこうやって話すの、久し振りな気がしてさ」

他意(たい)はないんだ――と言う前にアリスは鋭く切り込んだ。

「何か、あったの? 環斗、凄く辛そうな顔してる」

その瞬間、愛想(あいそ)笑いで塗り固めた環斗の仮面はあっさりと割れた。

「――何、言ってんだ? そんなわけないだろ……?」

動揺が完全に言葉に(あらわ)れていることに環斗は気付かない。だが、機微(きび)に聡いアリスは追求を止めない。

「確かに私から環斗に接触したのは昨日が初めて。だけど――」

その時、『昨日』という言葉を環斗は懐かしい気分で聞いた。

「私はあなたを見てきた。こう言うのは恥ずかしいけど、私は雪子(ゆきこ)さんや駿太郎(しゅんたろう)君より、あなたを見てた時間は長い。だから、分かる」

環斗はアリスに反論しようとした。

昨日今日、俺と係わり合いを持った奴が知った風な口をきくな――と。

だが、思うだけで言わない。それどころか、自己嫌悪(じこけんお)に環斗は(おちい)る。

何故なら、アリスは単に環斗を心配しているだけなのだ。感謝こそすれ、傷つけることを言うなど、論外だ。

だからと言って、アリスにまで事情を話せるわけ、ない。

彼女は飽くまで一般人なのだから。と思う環斗と、どうせ、今夜には死ぬんだ。話してしまえばいい。と思う環斗の二人が環斗の鳩尾(みぞおち)の奥に鎮座している。

「話せないなら、いい。でも、話して楽になることもある」

しかし、果たして勝ったのは、前者の環斗だった。

「――良いんだな? 荒唐無稽(こうとうむけい)なのは理解してるけど、信じて欲しい」

そして、環斗は話した。魔法のことを。宵のことを。全てを。

その話が全て終わった後、教室にはまばらに生徒が来ていた。

アリスは周囲を見渡すと、環斗の手をとり、教室から出て、屋上に出た。

コンクリートのタイルで()き詰められた、雪が所々(ところどころ)残っている床。落下防止用の少し()び付いた金属の(フェンス)。殺風景で、物悲しい。冬の空間である。

「……で? 何で俺をこんな所に連れて来たんだ?」

アリスは扉に背中を預け、環斗はそんなアリスを見る。

「少し聞かれたらマズイ話だから。特に宵さんには。()が、(にぶ)る」

話している途中、環斗は不思議に思っていることがあった。

それは、荒唐無稽な話のハズだが、アリスの反応が非常に鈍いのだ。

現実味が薄い。どうでもいいと思っていた。それなら、まだ説明がつくが、それとは別の、諦念(ていねん)に似たものを感じた。

「これから先は、昔話。私の主観(しゅかん)で形作られた昔話」

そう言うと、アリスは話した。昔の、奇跡とも言える巡り会わせの話を。



アリスが生まれた場所は土が渇き、だからこそ紛争(ふんそう)が絶えない地域だった。

何故なら、土地が渇いているなら作物は作り(にく)い。水も自然と高騰(こうとう)する。その数少ない資源を(めぐ)って奪い合う。

治安が悪く、金もない人間が数多く存在する土地でもある。

だから、子供を育てる余裕がなく、アリスのように捨てられる子供は(いく)らでもいた。

アリスが売られなかったのは親のせめてもの温情(おんじょう)だろう。

そのまま野垂(のた)れ死ぬ者もいれば、紛争に加わって食いぶちを得る者もいる。

アリスの父親、ルッソ・ヴェラルーンと母親、サラ・ヴェラルーンはボランティアの医師としてそこを訪れ、野垂れ死ぬ寸前(すんぜん)だったアリスを救った。

父、ルッソはそれは自己満足だとか、お前以外を救わなかった悪人と自称した。

だが、アリスはルッソの優しさに気付き、彼とサラに感謝した。

そんな彼らをアリスは手伝おうと思い、看護師(かんごし)のまね事をした。

当たり前だが、医師と看護師の数は絶対的に足りていない。

だから、素人(しろうと)で子供のアリスでも、多少は役に立った。

更に、アリスは天才的な頭脳のお陰で一ヶ月足らずの内に立派な看護師としても役に立ち始めた。

そんなある日、ボランティアのキャンプに子供のゲリラ兵が入った。

子供は看護師の一人を人質(ひとじち)にし、キャンプの即時撤去(そくじてっきょ)を要求した。

その時丁度(ちょうど)、募金の援助が途切れそうになり、後援会(こうえんかい)からも撤去命令(てっきょめいれい)が来ていた。ボランティア団体はこれを契機(けいき)に撤退した。三人を除いて。

サラとルッソ、アリスの三人は現地に残って治療を続けた。

幸運にも、サラの父親は富豪(ふごう)で後援会の一人でもあった。しかし、連日(れんじつ)の脅迫があったのも事実である。

結局、アリスが流れ弾とはいえ、怪我をしたことを契機にアリスを心配した夫妻も撤退した。

三人は都会より山中にある人里へ行き、そこで診療所(しんりょうじょ)を開いた。

そこは保守的な地域で、最初、三人は歓迎されなかった。

何せ、その村では神を(あが)(たてまつ)っていて、病気にかかったり、悪天候(あくてんこう)になると天罰や神の怒りと形容するような所だからだ。

神への供物(くもつ)や祈り、(まつり)。昔は生贄(いけにえ)を出したこともあるらしい。

そんなある日、彼らに契機が訪れる。

村人の一人が大怪我をして、ルッソ、アリス、サラの三人が出張ったのだ。

三人からすれば、その患者(かんじゃ)の怪我の治療は大怪我だったがさほど、難しいものではなかった。

三人は的確に素早く治療を施し、患者は一ヶ月足らずで復帰した。

当然、治療を施すまで患者が断る(など)紆余曲折(うよきょくせつ)()たが、それでも治療できた。

すると、それを見た村人たちは「神の御技(みわざ)」と言って三人を()(たた)えた。当たり前だが、三人にとっては神の御技でも奇跡でもない。

それから、三人は急速に村人に受け入れられた。

村にある古く、()びた学校にアリスは通い、村人には治療の代わりに食料を(もら)う。そんな一昔前のやり取りをした。

アリスは学校から家に帰ると、ルッソの書斎(しょさい)にある医学書(いがくしょ)を含めた本を片っ(かたっぱし)から読み(あさ)る。アリスの脳は渇いたスポンジのように知識という水を吸収していった。

ルッソはというと、診療所の(おさ)として仕事に(はげ)み、時にはアリスに勉学を授ける。そして、村で祭られている神にも関心を示し、知識を得ていった。

サラはルッソの補佐をしたり、アリスに勉強を教える以外、部屋に籠っていた。

何もかもが順調に見えた毎日。だが、そんな日常はあっさり崩れた。

ある日、サラが診療中にいきなり倒れたのだ。

その話を学校で聞いたアリスは学校を抜け出して二人のいる診療所へ向かった。

「お父さん! お母さんは? お母さんは大丈夫なのっ?」

アリスは拾われた当時から感情の起伏(きふく)が薄かったが、その時のアリスは二人が知っている中で一番、取り乱していた。

診療所の診療室にルッソの姿を見つけられなかったアリスは母親の部屋へ行った。

幸運なことに、そこではベッドに寝ているサラにルッソが付いていた。

ルッソの表情は驚き、だがすぐに弱々しい笑みを浮かべた。

「あぁ、アリスか。大声を出すから誰かと思いました」

ルッソの口調は昔からこんな風であった。それはサラにも同じだ。

茶化(ちゃか)さなくていい。それよりお母さんの容態」

ルッソが一瞬、逡巡(しゅんじゅん)したことをアリスは見抜いた。

ルッソは逡巡する時、口元に手を置く(くせ)があるのだ。

「まさか、お父さんでも助けられないの……? お父さん、あんなに勉強してたのに」

ルッソは一人前の医者になったハズなのに医学を学び続けていた。だからアリスにとってルッソは、良き父であると同時に競争相手だったのだ。

「――こればかりは努力でなんとかなるものじゃありません」

「なら、教えて。私だって何かできるかもしれない」

「ダメよ、アリス。あなたは自分の道を進みなさい。せっかく(つか)んだ命でしょう?」

どこから聞いていたのか、サラはアリスに忠告する。

「だからこそ。お母さんとお父さんに助けられたから、私はお母さんを助けたい。そうじゃなくてもお母さんは良い人なんだから死んだらダメ」

「違うのよ、アリス。私は絶対に助からない。それはこの力を受け継いだ時に、分かっていたの。私の母もこれで亡くなった」

アリスは母の言うことが理解できなかった。

ルッソはサラと目配せをし、ルッソは嘆声(たんせい)()らした。

「アリス、いい? 信じられないかもしれないけど――」

そう言うと、サラは歴史的に失われた魔法について語った。

当然、科学で証明できないことはないと思っていたアリスには衝撃的な話だった。

だが、それはルッソが証明し、アリスは信じる他なかった。

「そして、私の魔法は対象の免疫力(めんえきりょく)極端(きょくたん)な低下。それは、使わなくても私にも余波(よは)があるみたいなの。だから、治しても病気は再発し続ける。根本的な話なのよ」

サラは悲しそうな表情で無理に笑った。当然、二人の表情は固い。

「対処法があったら、何を犠牲にしてもいい。知りたい。でも、こればかりは医学書をいくら読んでも無理だ。免疫力を上げる薬を使っても、空気の良い場所に行っても、果ては神に祈っても届かない……!」

感情を()み殺しながらルッソは言う。

「子供が作れないのはそのせい。そんな私でもルッソは愛してくれた。だから私は()(まま)を言ったの。どうせ死に()く命なら、誰かを救いたい。そうして私がこの世界で生きていた証明が欲しかった。そこでアリスに出会った」

そうして、今のアリスがここにある。

「――ッ! で、でも、魔力が尽きれば魔法は使えなくなるんでしょう? なら――」

「無理よ、アリス。私もルッソもお金じゃなくて患者のために医者になったんだもの。そうまでして、生きたくないわ」

 そして、ルッソが止めをさす。

「しかも、サラは天才なんだ。魔力の質と量は普通の人より圧倒的に高い。だから――

 諦めるんだ(・・・・・)」

アリスは駆け出した。

何もかもが受け入れられないから。

逃げた。

走り続けて、アリスは気付くと森林の中にいた。

幸運なのは、そこが知っている場所だったことだ。

しかし今はまだ、アリスは二人の元へ戻りたくなかった。戻ったら泣き崩れるのは理解できていたから。

それから、アリスの中には二つの葛藤が生まれた。

サラの最期を温かく見守るか、足掻(あが)くか、だ。

アリスは医学の、自信の無力を恨んだ。

科学じゃ、魔法には敵わないの……? いや! 諦めちゃ、ダメだ! お父さんだって分からないこと位、あるんだから。

だが、アリスの脳裏には同時にルッソの言葉が思い出された。

――もし。もし、本当に医学が魔法に勝てないならお母さんの(そば)にいた方が、お母さんは喜ぶ。悲しい思いはしない。

アリスは悩んだ。考えた。何度、思考停止しようとしたか分からない。

そしてアリスは結局、母親の余生を謳歌(おうか)させることを選んだ。

それからアリスはサラの近くにいた。

元より学校の授業など、習わなくてもアリスに問題はない。それならばサラと少しでも長く一緒にいた方が良い。

ルッソも診療時以外は極力、サラと共にいた。

サラは申し訳ない、悲しい顔をしていたが二人が来ると笑顔という仮面を被り続けた。もちろん、その仮面はすぐに()がれ、屈託(くったく)のない笑顔になる。

だが、日に日に弱り、やつれていくサラを見る二人の顔はどんどん弱くなっていった。

更に悪いことに村の作物が例年より不作に加え、神の罰が診療所の妻に下されたという噂がまことしやかに(ささや)かれた。

そんなある日、ルッソは狂喜しながら二人に言った。

「やった! 見つけた! サラを助ける方法を! やっと! 見つけました!」

ルッソの言葉に最初、二人はポカンと口を開けたまま固まった。

その意味を理解したアリスは声を上げて喜び、サラは涙ぐむ。

「ここの神主の祖先は文献(ぶんけん)によると昔、この地に舞い降りた水を引き連れた災い、ウンディーネを御神刀(ごしんとう)(はら)ったようです。

この場合、ウンディーネではなく、ウンディーネに似た特徴を持つ魔法使いが暴れたとみて良いでしょう。

どのようにして祓ったかと言えば、ウンディーネの水を祖先は不思議な光でかき消し、二度と使わせなかったようです」

そこまで聞いてアリスはルッソの言わんとすることが分かった。

(すなわ)ち、祖先は魔法使いから魔法を消し去ったということだ。

もしこれが本当なら、サラから魔法を消し去れる。

「じゃあお父さん、早く行こう」

「ええ。そして皆で今みたいに暮らしていきましょう」

決めるとルッソはサラを背負い、走りながらアリスと診療所を出た。

この時、下手な希望に(すが)らず(あきら)め切って都会に戻れば、結果は違っただろう。

三人はその子孫がいるという、祭壇(さいだん)へ向かった。

道のりは平坦(へいたん)ではなく木の根や大小の石、急勾配(きゅうこうばい)の獣道が三人の行く手を(さえぎ)った。

それでもルッソ、アリスは諦めることなく進み、祭壇を視界に(とら)えた。

場所が森の中だけあって辺りは響き渡る鳥の鳴き声、青々(あおあお)と(しげ)った木葉の声、木葉と三人を()でるように駆け抜ける微風(びふう)の音以外、聞こえない。

当然ながら、この大自然には三人以外、見を(さら)していない。

祭壇の近くには教会のような建物がある。ルッソはその扉を軽く三度、ノックした。

だが、その返事はいくら待っても返ってこない。

ルッソは怪訝(けげん)な顔をし、一応、再度ノックした。だが、やはり返ってこない。

手の()いているアリスは扉の取っ手にをかけ、引いた。

すると、扉は(きし)んだが問題なく開く。アリスが中を覗く。と――

「――っ! お……父さん……これ、何……?」

驚きにアリスは両目を見開きながら固まった。

ルッソがアリスの横を通ると、そこには腹部から(くわ)を生やしている男がいた。

男は腹部から鍬の他に(あか)い液体を地面へ滴らせている。

「そんな……何故……? あなたが死んだら、サラが助けられないじゃないか!」

ルッソは男に駆け寄り、乱暴に男を揺らした。が、アリスがそれを止める。

「お父さん。そんなに()らしたら出血が(ひど)くなる。そうなれば、この人を助けるどころか、お母さんも助けられなくなる」

「――ええ。ありがとう、アリス。確かに、アリスの言う通りだ」

ルッソがサラを近くにある椅子に寝かせている間、アリスが男を()る。

息はある。なら、急げば助かるかもしれない。

アリスがいつも、もしもの為に応急セットを持っていることが幸運だった。

ロクな処置ができないが、何もないよりか幾分(いくぶん)かマシだからだ。

そんな急を(よう)する時、アリスが急に何者かに引っ張られ、床に抑えつけられた。

ルッソも突然のことに手が止まり、アリスを見る。

すると、いつの間にか、村人たちが四人を囲んでいた。

「その偽神父(にせしんぷ)を助けてもムダだ。どっちにしろ死ぬんだからな」

野太(のぶと)い声の、がっしりとした体つきの村長の息子が言う。その男は三人がこの村で最初に治療した者だった。

ルッソは男を(にら)みつけながら、怒りを押し殺しながら聞く。

「偽神父とは、一体どういう意味でしょうか?」

「ふん。災いを呼んだ元凶(げんきょう)とはいえ、俺を助けた奴だ。答えてやろう。

この神父は祖先の栄光に胡座(あぐら)をかき続けた挙げ(あげく)、村に災いが降りかかった時には何もできない無能者なんだ! 何が先祖は使えた、だ! 苦しい言い(わけ)をして!」

その時、全ての意味を察した三人は愕然(がくぜん)とした。

それはつまり、子孫の一人が魔法を使わなかったという意味だ。

だから、現状でサラを助ける方法は失われたということだ。

「分かったか? なら次は村に災いを運んだお前たちに罰を与える」

先程から出ていたその話。三人は彼が何を言っているのか分からなかった。

「分からない顔をしてるな? お前らは神の御技。に見せかけたペテンを使った」

「何を言ってるんですか! 神の御技など最初からないと言っていたでしょう! あれは医術という、立派な科学――」

その時、男が凶悪(きょうあく)なまでに口元を()り上げた。

自白(じはく)したな? 俺たちはお前らを神の使いと信じていた。だが、お前らはそんな俺たちを平気で裏切ったのだ!」

「そんな! 言ってることが支離滅裂(しりめつれつ)よ!」

「黙れ! お前らのせいで災いが起きたのだ! 不作もお前たちの嘘に神がお怒りになったのだ! その証拠に神はお前に罰を与えただろう!」

どうやら村人はサラの病気を神の罰と誤解していた。

「医術には治せるものとそうじゃないものがある!

これは――治せないんだ! 僕の管轄(かんかつ)は外科だから……!」

言っている途中、ルッソは内科にならなかった自身を恨んだ。

もちろん、そのために内科を勉強していたが、講義と自習は違う。何より、学んでいようといまいと、治せるものではない。

何せ、免疫力(めんえきりょく)は医者の腕だけでは治せないのだから。

「意味の分からんことを言って! とにかく! お前らはここで生贄(いけにえ)になれ! 運良くここは祭壇だからな。さすれば神もお怒りを(しず)めて下さる」

「誰が! お前たちの言いなりになるかァああああ!」

ルッソが吠えながらアリスを抑えている男に体当たりを敢行(かんこう)する。だが――

「ふん。そんな弱っちい攻撃、屁でもない!」

(またた)く間にルッソもアリスと同じく抑えられる。サラも、だ。

「離せ! 僕はどうなってもいい! だからサラは! サラとアリスは助けてくれ! ほんの子供なんだ! サラは、サラはもう、余命(よめい)幾許(いくばく)もないんだ! だから――」

必死に懇願(こんがん)するルッソ。だが、現実は暗く、重かった。

「ダメだ! お前らを全員生贄に捧げねば神はお怒りを鎮めて下さらん!」

そう言うと男は首を動かして村人に命じた。

命じられた村人は使命に燃えた目で(うなず)き、手に持つ(なた)を――

「止めろ! 止めてくれぇええええええええ!」

振り下ろした。

サラに振り下ろされた鉈はサラの首の骨で止まる。

本来、人間の首は太く、一気に叩き切るには不向きな所だからだ。

村人は(たきぎ)を叩き切るかのように、サラの首を今度こそ断ち切った。

「あっ…………あ…………あぁ……あ……あぁああ!」

アリスは叫んだ。現実を受け入れたくないから。(のど)()れる程。涙を流して。

「う……そ……だ…………嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」

その状況をルッソは最初、拒絶した。

だが徐々(じょじょ)にルッソの中で急速に成長するものがあった。

それは本来、ルッソの中の希望を食べて大きくなるハズだった。しかし、ルッソの中に溜まったのは希望ではなく絶望。だから、それはルッソの絶望を食べ、急速に成長した。そしてそれは――

「あ……あぁ……あぁああああアァアアアアアアアアア!」

吠えた。

ルッソの中にいる正義という名前の獣が。絶望を食べ、(ゆが)んだソレが。

「殺す! ころす! コロス! (ころ)してやる! お前たちを! 全員、引き千切って、殺す! 殺してやる!」

サラを失い、サラを殺されたルッソに最早(もはや)躊躇(ためら)いはなかった。

次の瞬間、教会が壊れそうな程、強い突風が密室に吹いた。

アリスは目を(つむ)って(ほこり)から瞳を守る。

風は強く、アリスの叫びと涙をどこかに(さら)った。

風が止むと、アリスはゆっくりと目を開き、視覚情報(しかくじょうほう)を得ようとする。

「あ……あ……ぁ……」

すると人々が体の(いた)る所を切断させながら血を湯水(ゆみず)のように流しながらそこに存在していた。

アリスを抑えつけていた男も()し気もなく赤ワインのような血を彼女に浴びせる。

アリスはそれが、風がルッソの魔法であることを知っていた。

ルッソはこの魔法の危険性を知っていたからどんな時も使わなかった。

「は……はハ……ははははハハハハ! ハッハッハッハ!」

だが今、ルッソは間違いなく使った。

「――僕は言いました。止めろと。でも、君たちは止めなかった。なら、言葉で解決しないなら、力で解決するしかないじゃないか。

君たちは正しいです。そんな話、僕らは聞きませんから。なら、熱量のムダです。殺した方が手っ取り早い。ありがとう。今、とても晴れやかな気分です」

笑顔で、愉快そうに笑いながら、泣きながら、ルッソは狂う。

絶望だけを喰い、()えた獣はルッソの最悪の部分だけをさらけ出した。

「いいでしょう。サラ、待って下さい。あなた一人、悲しませない。僕と皆がそちらへ行きますから。(にぎ)やかになりそうですねぇ、あの世は」

そう言うと、絶望に愛されたルッソはアリスの頭を()でた。

「アリス。行きましょう。非力(ひりき)な僕でも勝てるように、力を(たくわ)えるために、行きましょう」

辺りは暗く、漆黒の(とばり)が彼らの死体を(とく)う。だが、臭いは雄弁(ゆうべん)に彼らが死んでいることを伝えていた。


 それから、ルッソとアリスは日本へと(わた)った。

 ルッソを止めるものは何もない。だが、万が一をルッソは予想し、知人がいないであろう日本へと行った。

 日本へ行く前にルッソとアリスは日本語の勉強をした。ルッソが魔力を蓄えるためには時間がかかるからだ。

幸運にも二人の習熟速度は早く、日本にも早々に馴染めた。

ルッソはカウンセラーとなった。人の死に同情し、決意が鈍ると思ったからだ。

アリスも入学した中学では彼女の性格が災いし、友人を作れなかった。

そんな二人。

ある日、ルッソがふとした拍子に言った。

「アリス。僕は決めました。まぁ、昔も言いましたが僕は人間を殺します。一人残らず。もちろん、あなたも、です。(よろ)しいですね?」

 ルッソの言葉は拒否を許さないものであり、アリスは自身の命を喪失するであろうと直感し、喪失感と絶望感を味わった。

 結果、アリスはルッソの言葉に頷いた。

 その直後、ふらふらと、危ない足取りでアリスは外出した。

 何か目的があったものではない。

ただ、歩きたかった。歩いて忘れたかったのだ。何もかも。

アリスを助けてくれたのはルッソとサラ。元々ない命と考えれば、簡単に割り切れればアリスも悩まなかっただろう。

だが、生きてしまった。だから、生きたいと願ってしまった。

そんな考えを払拭(ふっしょく)するためにアリスは出歩いていた。

そんな(おり)、アリスはからまれた。どこにでもいる、ナンパをする者に、だ。



アリスは悲しそうな表情で言う。環斗はただ、聞いた。

「これが、私の話。私が言いたいこと、分かった?」

環斗は全てが分かったわけではない。だが、収穫(しゅうかく)はある。

敵はルッソ・ヴェラルーンという、アリス・ヴェラルーンの父親だ。

「……それはつまり、殺すのを止めろって意味か? だったら――」

大丈夫。俺はもう、戦うなんてしないから。

と言おうとしたが、アリスは首を横に振った。

「違う。ねぇ、本当に諦めるの? 環斗には力があるのに?」

「何、言ってんだよ。俺は、負けたんだ。負け続けたんだ。力なんて、ない」

「ある。少なくとも、環斗がいなければとっくにこの世界は終わっていた」

「そういうの、もう止めてくれよ! 俺にプレッシャーを、期待をかけるのは止めてくれよ! 俺はただの、どこにでもいる様なガキでしかないんだよ! いや、もっと(ひど)い。(よい)のことを分かってやれなくて、宵の大切な人を傷つけてのうのうと生きていたんだから……!」

その時、環斗の(ほお)をアリスは叩いた。

「あなたは、あなたこそ分かっていない! どんな運命を辿(たど)っても宵さんのお祖父(じい)さんは亡くなった。なら、一人でも多く生き残った方がいい。とは言っても過去は戻らない。なら、罪を背負って生き続けろ! じゃないと、ずっと一人で戦って、死の恐怖とも戦った宵さんが、(むく)われない」

口調を荒げるアリス。環斗はただ、(うつむ)くだけだ。

「宵さんに報いたいなら、宵さんを助けたいなら、お父さんを、ルッソを殺して。私も、それを望んでいる」

それが、アリスが環斗に言いたい、頼みたいことだった。

「もうこれ以上、お父さんに罪を背負って欲しくない。歪んだから。助けるには獣を退治するしか方法がないから。だから、殺して」

だが、環斗は安易(あんい)に頷くことなど、できない。

苦しいから。苦しくて苦しくて狂いそうだから、頷きたくないのだ。

「怖いでしょう? 恐ろしいでしょう? 苦しいでしょう? 逃げたいよね? でも、逃げるな。戦え。それが、あなたの贖罪(しょくざい)

「――っ! ……でも俺は、それでも俺は――!」

「なら、全ての人を見捨ててもいいの? あなた一人の()(まま)で」

環斗は最早(もはや)、何も言い返せない。言い返す権利など、ない。

「今日はもう、帰った方がいい。急なことだから頭を整理した方がいい」

そう言うと、アリスは予鈴が鳴ると共に屋内に戻った。

だが、環斗は動かなかった。動けなかった。

仰向(あおむ)け横になりつつ天を(あお)いでいると、屋上へ通じる階段から足音が響いた。

そこから現れたのは久しく顔を会わせる駿太郎(しゅんたろう)だった。

「いよう。欠席って担任が言ってなかったから探したぞ」

快活(かいかつ)に笑顔を浮かべながら駿太郎が接近する。

今まで俺が休んだ時、駿太郎はずっと俺を探してくれたのか……?

ふと、環斗はそんなことを天を仰ぎながら考える。

「ってオイ! 環斗! 下、まだ溶けた雪でめっちゃ()れてんぞ!」

駿太郎に言われて環斗は初めて髪と背中を制服越(せいふくご)しにひんやりと、じっとりと伝っている雪解(ゆきど)け水に気付いた。

「――あぁ。ありがとうな、駿太郎。気付かなかった」

はぁ、と駿太郎は深いため息を()いて環斗の横に座った。

「バカ。お前まで濡れてんぞ。いいのか?」

「まぁ、環斗がいいんなら、いいんじゃないか? それより――」

すると、駿太郎は鋭い眼光を放ちながら環斗を見た。

「何があった? 言っとくけど、冗談も嘘も言うなよ。俺に話せ。俺じゃ頼りないだろうけど、友達だろ?」

その言葉を発した時の駿太郎は恥ずかしそうだが、しっかりと環斗を見据(みす)えている。

それを見た環斗は一瞬、呆気(あっけ)にとられた。

結局、環斗はアリスに話したのだからと、宵の名前とアリスに関する話を()せて事情を話した。

全ての話を聞き終えた駿太郎が発した言葉は

「――なぁ。それ、どこの中二病の話なんだ?」

軽くイラッとした環斗が拳を振り上げようとする。

「うぉっ! ま、待て待て! 嘘! 冗談! だから拳を振り上げんな!」

「――お前が言ったんだぞ。全部話せって。全部、本当だからな」

悪びれた様子もなく、駿太郎は謝る。その後、駿太郎が話す。

「でもさ。それって(うらや)ましいな。だってその魔法、未来が分かるんだぜ。過去に戻れるんだぜ。今を、生きれるんだぜ」

「でも、それによって悲しんだ人がいる。それでも、羨ましいか?」

顔に陰りを出しながら、環斗は問う。

「ああ。確かにその人からすりゃ、悲しいだろうさ。

でも、それでもこの世界を救えるのはお前だけなんだろ? その人じゃ、無理だろうしな。俺も皆を救うヒーローに憧れてんだよ。でも、俺にはあの面子(めんつ)が精一杯なんだ。

お前はさ、もっと図々(ずうずう)しくなれ。図太(ずぶと)くなれ。我が儘になれ。その人が大切なんだろ?なら『救ってやるから俺を許せ』くらい、言えよ」

「言え、ねぇよ。そんな、簡単に割り切れれば――」

「じゃあさ、ちょっと話、聞いてくれよ。別にそんな長くねぇからよ。

 俺は昔、荒れてた。人より強くて、その力を持て余してた。力を見せりゃ、大概(たいがい)の奴は俺に従った。沢山、他人を傷つけた。だから、力を持ってる俺はすげぇ奴だって、思い込んでた。

そんなある日の夜さ、俺は手下みたいな奴らを引き連れてコンビニで遊んでた。そんな時、たまたま近くにいた女の子が『周囲の皆さんに迷惑です』って注意したんだ。まぁ、不良だった俺らがその子の話、聞くわきゃねぇ。断るどころか、笑い飛ばしてやって、無視したよ。そしたらその子がキレて俺らを全員、倒したんだ。

 そん時は衝撃的だった。何せ、力至上主義(ちからしじょうしゅぎ)で負け知らずだった俺がただの華奢(きゃしゃ)な子にボッコボコにされたんだ。

 俺はその子を尊敬したよ。その子みたいになりたいって思った。

だからまず、足を洗いたいって思ったんだ。でも、俺は他人を傷つけてきた。

調子いいだろ? 今まで散々(さんざん)好き勝手やったってのにさ。んで、ちょっと相談したんだ。どうすりゃ足を洗えるかって。

そしたらその子さ、『過去は変えられません。だから、それを(かて)にして生きなさい。まぁ、簡単に言えば気にするなってことですね』って言ったんだ。だから、その通りに生きようって思った。結局、足、洗えなかったけどな」

その時、環斗は直感した。少女の名前を。

だから、宵は好きじゃない喧嘩(けんか)をしたんだな。で、高校に入って駿太郎は俺の作ったグループに入った。宵がいるから。

そして、宵が言ったことには、環斗の悩みにも該当(がいとう)した。

「我が儘になれ……か……確かに、駿太郎の言う通りかもな」

その言葉を聞くと、駿太郎は満面の笑みで肯定(こうてい)した。

「なぁ、駿太郎。お前は何で、助けてくれたんだ?」

「言ったろ? あの面子を救うのが精一杯って。環斗もその一人だからだよ。っと。そのこと、宵ちゃんに言えよ」

「――はぁ? 俺、そいつが宵だなんて言ってないぞ?」

環斗が上半身を起こすと同時に駿太郎が水を滴らせながら立った。

「お前の交友関係とその性格を考えりゃ、宵ちゃんぐらいしかいないだろ?」

そう言うと、環斗の制止(せいし)を聞かず、駿太郎は去った。

宵と入れ替わりで。

「……環斗くん。駿太郎くんと雪子ちゃんも探してましたよ?」

――あいつ、()めたな。宵が探してるのをいいことに時間稼ぎかよ。

つまり、宵が来るまで話をする気だったのだ。頃合いを見て宵と入れ替わる。

それが、駿太郎の計略(けいりゃく)だと、環斗は直感した。

「……なぁ、宵。もしかして今の話、聞いてたか? アリスの話は?」

宵は一瞬、躊躇(ちゅうちょ)したが、すぐに首肯(しゅこう)する。

「いいえ、アリスさんの話は聞いていませんでした。すみません……まさか、魔法の話も彼の、敵のことも全部、知ってしまったんですね……」

諦念(ていねん)にも、解放感にも似た宵の表情がある。

「ああ。……宵、ごめん。本当に、ごめん……」

(うつむ)きながら、環斗は謝り続ける。

宵は環斗に近付き、黒いハイソックスが()れることを(いと)わず、膝を折る。膝を濡れているコンクリートの床に着け、環斗を抱き寄せた。

「環斗くんが私に下さった言葉を、今度は私が言わせてもらいます」

環斗の顔のすぐ横に宵の顔がある。

宵の香りはなんとも言い(がた)い。だが、確かに宵が存在する、宵らしい、柔らかで優しい香りだ。

「『甘えて下さい』。環斗くん私の大切な人です。駿太郎くんにとってもそう。だから、皆、環斗くんが好きだから、甘えて欲しいんです」

それでも、宵と話す前に駿太郎に気付かされたことが環斗はあった。

それを含めて環斗は謝った。最早(もはや)、環斗に迷いはない。

「ごめん。俺、我が儘を言う。甘える。受け止めてくれるか?」

宵は顔を引き戻し、至近距離から真正面に環斗を見る。

宵は瑞々(みずみず)しく、艶やかな唇を動かした。

「大丈夫。だって、私だって、成長しましたから」

「――あり……がとう……! 宵。ありがとう……!」

そんな簡単な一言を環斗は言えなかった。一歩踏み出す勇気がなかったから。

だが、環斗は今、やっとその言葉を発することができた。

涙で視界が(かす)む。呼吸(こきゅう)がし辛くなる。声が震える。舌が回らなくなる。

それでも、環斗は吐く。言葉を。我が儘を。

「俺は……もう、戦いたくない……。そう思ってた……。でも、それじゃあ、贖罪(しょくざい)の時なんて、永遠に来ない。だから――」

冷めた空気を肺に満たし、緊張した体を、脳を冷やす。

生唾(なまつば)を飲み込んで、本当の勇気を吐き出す。

「あいつは俺が倒してやる。宵は俺を信じて、許して欲しい」

その言葉を言い切った時、環斗は達成感と喪失感(そうしつかん)を味わった。

失敗すれば、もう元の関係には戻れない。だが、ちゃんと言えた。

もちろん、その相反する二つは環斗の本能が感じただけだ。

「――はい。じゃあ環斗くん。お願いします。私も協力しますから」

宵は子供のような、無邪気な満面の笑みを(こぼ)した。

――ありがとう、宵、駿太郎。んで多分、雪子(ゆきこ)。お前が一番の立役者なんだろ? ありがとう。お前ら、最高の友達だよ。

曇天(どんてん)を仰ぎながら、熱く濡れた瞳を環斗は乾かしながら、心中で礼を言った。


「――ふぅ。ったく、世話のかかる奴だよ。なぁ、雪子?」

二人の話を階下(かいか)から聞いていた駿太郎は近くにいた雪子に言った。

すると彼女は、身を驚きで震わせ、飛び跳ねた。

「ひゃっ! ……白凪(しらなぎ)さん。いつからお気付きに?」

「最初から。というか、そうじゃないと色々、不自然だからな」

実は、環斗を探そうと言い出したのは雪子である。

雪子は宵と二人で校内を、駿太郎に屋上を探させた。

だが、当の宵は今、一人で屋上にいる。なら、雪子はどこに行ったか?

「一番のペテン師だな。それはそうとお前、全部分かってたのか?」

駿太郎が聞いているのは魔法のこと。彼らが置かれている状況のことだ。

「いえ、全然。ただ、アリスさんに『屋上にいる環斗のことをお願い』って言われたので、何をすべきかは理解できました。実際、お二人の会話を聞いて一番驚いたのは私でしょうし」

ふっ、と駿太郎が笑みを(こぼ)す。

「お前も大概(たいがい)、損な性格だな。美味しいポジションだぜ、環斗の相談役ってのは」

適材適所(てきざいてきしょ)って言葉があるでしょう、白凪さん」

ニヤリと笑った駿太郎に雪子は少し(うれ)いた顔で笑い返す。

予鈴が鳴ると、二人はそそくさと教室へ戻った。



環斗は結局、()れたままでは授業ができないせいで帰宅していた。

……というか、久しぶりに教科書開いたら全く分かんねぇ。

環斗は長い間、勉強をしなかったのだ。必然といえるだろう。

更に、宵と駿太郎も気分的に早退を使っている。

環斗が宵と修行をしないのは宵が着替えていて、環斗が覗きの自制を確約できないからだ。だから、宵の家にも行かない。

俺は決してチキンでも()れてるわけでもない! ただ、古来より日本男児とは――

先程から、環斗は宵の家に行かない理由を己に言い聞かせている。

そんなことを聞かせつつ、久々に環斗はパソコンの電源を入れた。

懐かしのデスクトップ。懐かしのファンの音。

その他の何気ないものを懐かしみながら、環斗はアプリを立ち上げる。

そのアプリとは、擬人化アプリである。

ネットに(つな)いでなくては使えないアプリで、擬人化したい物の名称とその性格設定をタイピングする。ネットで自動で検索をし、それに近いイラストを発見して出力するのだ。

更にこのアプリの凄い所は性格に合ったボイスもついでに探すのだ。

こうして環斗は労せずしてクールなタ・タイテの画像とボイスを手に入れた。

タ・タイテとは太古の達人のイメージキャラクターの達人である。

環斗が設定したのはタ・タイテ、クーデレ、(きわ)どい、である。

結果、クーデレなタ・タイテの際どい画像とボイスが手に入った。

サファイアのような、(つや)やかかな輝くロングの髪。青紫(あおむらさき)の瞳。胸はロードローラーで整地された地面のようだ。肌はミルクのように(なめ)らか、きめ細かく、白磁(はくじ)のように白い。腰、尻はそれに合わせている。つまり、薄い。顔は無表情そうで少し、頬が赤い。

ブルァヴォ! やはり、俺と同じことを考えてる奴はいるんだな!

称賛(しょうさん)と感心をイラストを書いた者に寄せながらボイスを再生する。

すると、タ・タイテの感情を押し殺した際どいボイスが環斗の鼓膜を刺激する。

『ん……! あ……! ふあぁ……! んん……あん……ん……はぁ……あぁ……! は……ひぃ……んぁ……あぁあ……!』

羞恥(しゅうち)に声を最初は静かに押し殺していたが、徐々に己の劣情に従順になり、声を荒げ、やがて自身の情欲に擬人化タ・タイテは素直になる。

段々と、本格的になるタ・タイテのボイス。その時――

「環斗くん? いないんですか? 入っちゃいますよぉ?」

そんな呑気(のんき)な、でもどこか緊張した宵の声が聞こえた。

環斗は驚きで両目を見開き、気が動転して体が震える。

い、いやいや! ま、待て。落ち着け。宵は今、確かにこの家に入った。何、他人の許可なく入ってんだ。って言いたいけど、それだとやましいのか、と勘繰(かんぐ)られる。

とりあえず、パソコンのスピーカーの音量をゼロにする。

「――か、環斗くんの匂いがします……いやいや! な、何はしたないことをしてるんですか、私は! 環斗くんがいたら変な目で見ますよ!」

自身にそう言い聞かせる宵だが、声は宵の行動に肯定的(こうていてき)だ。

とり急ぎ、環斗はボイスと画像を保存すると、パソコンの電源を落とす。

そして、足音を殺して、階下にいる宵の様子を見た。

宵はリビングにいる。環斗はリビングの入口近くから宵を監視する。

宵は白のプリーツスカート、クリーム色のツインニットの上に白いファーの付いた白いケープを着、白と灰色の(しま)ニーソックスを穿()いている。

宵の白を基調とした服装は宵の髪、瞳とのコントラストが絶妙に作用し合い、彼女の幻想的な外見に拍車(はくしゃ)をかけている。

環斗は実験のために持ってきた(まくら)をそっと、置いた。

同時に急いで鏡がある壁に張り付くと、壁が回転し隠し部屋に入る。

環斗の家はからくり屋敷(やしき)と形容しても問題ない。

これはそもそも、父親が子供心を暴走させて家の建築時(けんちくじ)に追加で作らせた。

その数は大量で、提案者の父親でさえ、場所がうろ覚えな状態だ。

環斗が入った隠し部屋はその一つである。

だが、回転時の扉の音で気付いたのか、宵がリビングから出る。と――

「枕……? どなたのでしょう。――そういえば前に環斗くんのご両親が出張中だと聞きましたね。――!なら、これは環斗くんの枕ではっ?」

鏡はマジックミラーになっている。然るに、一方的に環斗は宵の状況をマジックミラー越しに見れるのだ。

宵は環斗の枕を壊れ物でも扱うかの(ごと)く拾う。

顔と胸を枕に(うず)め、宵はうっとりとした表情になった。

「か、環斗くんの香りがします……」

もし、環斗が常人(じょうじん)並みの理性しか持ち合わせていなかったら、今すぐ宵に襲いかかっていただろう。

しかし、環斗の理性という(くさり)はダイヤモンド並みの硬さを有する。

お陰で環斗は今、宵を襲わずに踏み止まれている。

心頭を滅却すれば火もまた涼すずし。だから、俺よ! 迷走――じゃなくて瞑想(めいそう)しろ!煩悩退散(ぼんのうたいさん)。煩悩退散。煩悩煩悩。煩悩即菩提(ぼんのうそくぼたい)

煩悩即菩提とは、仏語(ぶつご)である。(フランス)語ではない。

意味は、煩悩にとらわれている姿も、その本体は真実不変(しんじつふへん)(さと)りである、ということ。

平たく言えば煩悩と菩提は別のものではないということだ。

ちなみに、菩提とは、仏から与えられる知慧のことである。

だぁああああ! バカか、俺は! 何考えてんだ、俺! これじゃあ襲えって言ってるようなもんだぞ!

その時、環斗の脳裏に親指を立てている仏像がニヤリとしている映像が流れた。

何じゃ、この絵! お、俺よ、自制しろ!

一度、環斗は落ち着いて、瞑想を初めてみる。

視覚情報を遮断(しゃだん)し、己の世界に入り、悟りの境地に挑む。が――

「ふぁ……あぁ……んぁ……ん……は……ぁ……環……斗……くぅん……」

悩ましげな、(なま)めかしい宵の静かで押し殺した声。

環斗は視覚情報を閉ざしている反面(はんめん)、音情報は常時より敏感(びんかん)に感じ取ってしまう。聴覚に意識が集中するからだ。

だから、環斗は音情報から宵の行動を妄想(もうそう)してしまう。

「ふぅ……はぁ……あ、ん……環斗……くぅん……」

宵の声は甘ったるく、まるで環斗を誘惑するかのような息遣(いきづか)いだ。

環斗は諦めて目を開き、むしろ刮目(かつもく)して見る。

だが、壁に張り付いて見たせいだろう。壁が誤作動を起こし、回った。

つまり、壁に圧力をかけたせいで、からくりが作動したのた。

(しか)るに、宵と環斗はばったり出会うことになる。

「――っ! ……あ……ぁ……あぁ……環斗くん、ごめんなさぁああああい!」

「ちょっ! え? よ、宵ぃいいいい――?」

宵はサクランボと見間違う程、赤面して走って環斗の家から出て行った。

ぽかん、とただ一人でそこに残された環斗はとりあえず、部屋に戻った。

すでに習慣になっているが、今回も環斗は死んだ。



「まずいな……。もうそろそろ、限度か……」

環斗が朝、目覚めると、環斗はぽつりと呟いた。

環斗は魔法使いになってから、時間がかかったが魔力を感知できるようになった。そこから弾き出した結論は、現在の魔力残高ゼロである。

つまり、これ以上のループは使えない、ということだ。

分かっていたことだ。環斗の父親も魔力を失った。

環斗の祖父(そふ)早死(はやじ)に。父親自身は一人っ子。つまり、仲間はいない。

環斗の双肩(そうけん)に世界の、全人類の、全生命の明日(あす)がかかっている。重圧はもう、環斗は慣れていた。だから――

「今日で、決める。待ってろ、ルッソ」

動物を狩る肉食獣のような眼光(がんこう)を放ちながら、環斗は(ひと)りでに呟いた。

決戦当日だからこそ、環斗は気を、体を解すために登校した。

自宅にいる間に決戦のための準備を整え、準備は万端(ばんたん)整った。

ルッソは想いを断ち切った。それで戦っている。なら、環斗も全ての想いを断ち切れば覚悟の点でイーブンだ。

そんな理由も含めての登校だった。

宵に言えば、反対されるのは目に見えている。だから、話さない。

環斗は深い底に眠っている記憶を反芻(はんすう)した結果、宵にメールを出した。

宵にいつもより早く出るように言ったのだ。

そうすれば、宵が男子生徒に(から)まれることはない。

環斗は結局、いつもより少し早く学校に着いた。

教室には(すで)にアリスと宵、駿(しゅん)太郎(たろう)雪子(ゆきこ)談笑(だんしょう)している。

四人を視界に捉えると環斗は今まで以上、精一杯、笑った。

「いようっ! 何、話してるんだ? 俺も交ぜてくれよ!」



環斗は何気ない日常が、今まで以上に好きになっていた。

冬の朝。

一昨日(おととい)降った雪が一日経過して溶ける。だが、その下にある雪は溶けずに朝の寒気と相まって薄氷(はくひょう)を作る。加えて、微量の水分が雪に浸透(しんとう)して積雪を固める。

寒風(かんぷう)はそこに生存する者が気に入らないのか(こば)み続ける。

息を吐けば薄白(うすじろ)呼気(こき)が天空へと舞い踊る。

山は禿()げた木々に木葉(このは)の代わりに雪色の白粉(おしろい)を塗りたくり、化粧をする。

並んでいる家々も雪という分厚い(かさ)を被る。

そんな光景が環斗は好きだ。日常はきっと、奇跡の上に立っているのだから。

「――という訳で、私は養女(ようじょ)。生みの親より育ての親っていうし今更、本当の両親なんて興味ない」

駿太郎は余りの(ひま)さからアリスに適当な話を要求した。

結果、話題に(きゅう)したアリスは自身の過去の話を魔法の話を除いて上手い具合に整理して話した。

当然だが、駿太郎が望んでいたのはもっと明るい話だ。

クラスの中にはアリスの話を盗み聞きした生徒が涙を浮かべていた。

古来から、人間は悲劇を好むのは変わらない。それは対象が不幸であればある程、人間はそれに食いつく。

その話を聞いた大半の者は意気消沈していた。だが――

「――確かに、な。確かにもう、アリスは幼女(ようじょ)じゃねぇな」

駿太郎は何もかもを、打ち破るのが得意分野であった。

「いや駿太郎、早計(そうけい)だ! アリスをよぉく見てみろ!」

その勢いに乗じる環斗。環斗に言われるがままに駿太郎はアリスを見る。

「――確かにな。だが環斗。よく考えろ。幼女は何を(もっ)てして幼女か」

「体型、顔だ! それ以外に幼女を幼女たらしめるものはない!」

「否! 甘い、甘いぞ、環斗! 幼女は年齢(ねんれい)によって決まる」

「それは詭弁(きべん)だ! なら、幼女の線引きはどこだと言うっ?」

環斗と駿太郎は幼女について、語り出す。

アリスは自身の体型を見て、ペタペタな胸を触った。

「――そんな。私だって、この体で悩んでる」

アリスの小さな抵抗はしかし、二人には届いていない。

アリスは勇気を持ってもう一度言おうとすると、雪子が間に入った。

(あま)っっっったれないで下さい! こちとら肩凝(かたこ)りが(ひど)いんですよ!」

アリスは忌々(いまいま)しげに、半眼(はんがん)で雪子の胸と自分の胸を見比べた。ついでに、宵の胸も盗み見た。結果――

「私が……一番、小さいの……? そん………な……」

突き付けられた事実が信じられないのか、顔面蒼白(そうはく)になるアリス。そこに雪子が追い撃ちをかける。

「いいじゃないですか。胸があって良いことなんてありませんよ」

その一言は余りにも残忍(ざんにん)に、残虐(ざんぎゃく)にアリスと宵の心を(えぐ)った。

「何より! 無乳(むにゅう)微乳(びにゅう)貧乳(ひんにゅう)には一部の人から絶大なニーズがあります! その点で言えば、アリスさんは強力な武器を持っています。対して私なんて、何かしらの小説ならお色気要員(いろけよういん)で使われるのが関の山。時代は胸じゃないんです! キャラなんですよ!」

「へ、へぇえええ? ゆぅきぃこぉちゃぁああん?」

幽鬼(ゆうき)のようにゆらぁりと、宵は雪子の前に出た。そして、雪子の肩を掴み――

「痛っ! いや、本当! なんか冗談抜きで痛いです、望月(もちづき)さん!」

「胸なんて、大きい胸なんて――っ! ただ破廉恥(はれんち)で塗り固められただけじゃないですか!いいですか! こっちの胸には夢と希望が詰まってるんですよっ!」

涙目になりながら力説する宵。そんな宵もいいなぁ、と鑑賞(かんしょう)する環斗。結局、環斗に論破(ろんぱ)され、うずくまる駿太郎。ペタペタと、自分の胸を触って大きくならないかなぁ、と渇望(かつぼう)するアリス。内心では勝った、とほくそ笑む雪子。

「お・ま・え・ら! いい加減に授業を聞けぇええええええ!」

ついに()える教師。しかし、五人は聞かない。と思うと――

「だって先生! これって昨日の復習でしょ! 俺は完全に覚えたんですよ! そんな状態で何をしろと?」

ルッソとの決闘と授業の復習を平行でやっていた環斗が言う。

すると、教師は試すかのように環斗に(いく)つかの質問を投げかける。

だが、環斗はすらすらと質問を答えた。結果、教師は言葉に詰まる。

「――っ! お前など、もう知らん! 机の上でも(おど)っていろ!」

教師がついにキレた。そんな状況を見て、環斗は内心でほくそ笑んでいた。

くぅうううっ! この台詞(セリフ)、一回言ってみたかったんだよ。

ふっ、と環斗が勝利の笑みをする。が、環斗は止まらない。

「サー! イェッサー!」

教師に敬礼をすると、環斗は卓上(たくじょう)に上がった。

「ふぅうううううう! ふぃいいいいいい! いぇええええええ!」

卓上で環斗は回転しながら適当に叫ぶ。すると、それに呼応(こおう)して――

「ミッシング雪子! ミッシング雪子! (さば)の味噌煮ぃいいいいいい!」

奇異(きい)な踊りを披露(ひろう)する駿太郎。すると、それに雪子が――

「さぁ。十六夜(いざよい)さん、白凪(しらなぎ)さん。あの決めポーズを!」

――あの決めポーズって何だよぉおおおおおお!

なんてことを環斗は思ったが、心に止めた。

「ふっ。一ヶ月前から訓練し、ついにお披露目か」

「いえ、白凪さん。そんなのを作った覚えはありませんよ?」

「――えっ? ちょっ! それ言ったらアカン――」

そのまま三人は思い思いの、言い方を変えれば適当なポーズをとった。

環斗は天井を(あお)ぎつつ、両手を伸ばして手の平を天井へ向ける。雪子は歌舞伎(かぶき)でよくある見栄を切り、駿太郎はローリング土下座を披露した。

「「「SKY駿太郎、環斗、雪子(SKY)五一(フィフティワン)! 推参(すいさん)!」」」

この瞬間、三人のインスピレーションは同レベルと証明された。

ちなみに、五一の意味は三人の年齢を合計したらそうなるからだ。

『………………………………』

「ふっ。皆、俺らのかっこよさに絶句(ぜっく)してやがるぜ」

「土下座し続けてるお前が言うなよ!」

「だってスカイですよ。蒼穹(そうきゅう)ですよ。広大じゃないですか。憧れますよ」

「だが! 俺は小振りな双丘(そうきゅう)の方だぁい好きだぁあああ!」

決めポーズを止めると、駿太郎は拳を固めて主張した。

その日を境に駿太郎の株が急暴落したのは言うまでもない。



「というかさ。冬場にグラウンドで体育って、学校側はそんなに俺たちに風邪をひいてもらいたいのかよ」

駿太郎がぼやくと、俺は全力で首肯(しゅこう)した。

次の授業は体育だった。しかも真冬の中の陸上競技だ。

当然、生徒たちは着替えなければならない。

女子には専用の更衣室(こういしつ)があり、男子は教室で着替えることとなっている。

すると、何かを駿太郎が思案する。そしておもむろに携帯電話を取り出すと、どこかに通話をし始めた。

しばらくすると、駿太郎は通話を切り、電話をポケットにしまった。

環斗はズボンを脱いだ時、環斗の携帯電話が震えた。

通話であったので、環斗は携帯電話を取り、通話を始めた。

「ハァ……ハァ……今、どんな下着を穿()いているんだい?」

厳密には録音であったソレに環斗は返答をした。

「白と青のストライプだ。ってか、目の前で着替えてんじゃねぇか、駿太郎!」

「ミステェエエエエエエイク! 宵ちゃんにかける気だったのに! というかそれ、トランクスじゃねぇか!」

環斗と駿太郎の叫びの応酬(おうしゅう)。そんな時、環斗は思い出した。

久々に学校の授業出たせいで、ジャージ忘れた――!

だが、生憎(あいにく)と環斗の知り合いは他クラスにはいない。借りるツテはない。

「……駿太郎。ジャージ、貸してくれ……!」

当然、駿太郎も体育を今からするのである。無理な相談だ。

「ん? あぁ。忘れたのか。いいぜ。ほら、これを着な」

そう言うと、駿太郎はそれを環斗に投げて寄越した。

「――ってこれ、ネクタイと靴下じゃねぇか! これを着ろとっ? (はだか)でっ?」

「そうさ。さぁ、着ろ! 着て授業に出ろ! 温情(おんじょう)で下着は穿かせてやる」

「ふっざけんなぁああああ! ネクタイぐらい、自分のを使うわぁあああ!」

そう言って、環斗は自分のネクタイと靴下を着けて行った。

廊下ですれ違った教師に怒られた挙句、止められたが。



「えぇ……今日からカウンセリングルームが開きます。用がある人はいつでも立ち寄りなさい、と。以上で連絡を終える。日直、号令」

担任が言うと、日直はクラスメイトを起立させ、礼をさせた。

その合図を皮切りに生徒たちが思い思いの言葉を()いた。

帰りにゲームセンターに寄ったり、帰宅してゲームをしたりと人それぞれだ。

そんな中、駿太郎がゲームセンターへと、四人を(さそ)う。が――

「悪い。俺、今日は用事があるんだ」

環斗はルッソと決着を付ける用事があるため、断った。

「え? 環斗くん、来ないんですか? 用事ってなんの?」

ここで具体的なことを答えるわけにはいかない。

加えて、アリスが少し不安そうな表情を浮かべる。だから――

「用事は色々だよ。俺一人で片付けなきゃいけないからな。あと、アリス。大丈夫だ。こいつら、意外と良い奴らだから」

「はぁ? 環斗。お前、頭は大丈夫か? 俺はどこからどう見たって善人(ぜんにん)だろ?」

「白凪さんが善人? ふふっ。つまらないギャグはかまさないで下さいよ」

ギスギスしながら二人は互いの足を踏み合う。踏んで、踏み返す。

そんな二人の様子を見て、環斗は微笑(ほほえ)みを()らした。

その時、環斗の(うれ)いた微笑みに何かを感じ取った宵が忠告した。

「環斗くん。これだけは覚えて下さい。助け合うのが友達ですよ」

やはり、宵は当事者だけあって何かに感づいていると、環斗は思った。

だからこそ、宵とアリスに環斗は知られたくない。

「ああ。分かってるよ。俺、そんな強くないしな」

どこか、得心(とくしん)がいかない顔を宵はするが、引き下がった。

四人が一度、教室から出て行く光景を環斗は見届ける。

だが、そんな中で駿太郎一人が引き返して戻った。

「? 駿太郎、どうした?忘れ物か?」

環斗の疑問に、駿太郎は首を横に振った。

「なぁ、環斗。困ったことがあったら、俺たちに言え。俺たちじゃ役に立たないとかもしれねぇけど出来る範囲なら、手伝ってやる。だから、一人で抱えるな。それが、俺たちの総意(・・・・・・)だ」

その時、環斗は視界に宵、アリス、雪子を(とら)えた。

……ったく。こいつらは。本当、止めてくれよ。じゃないと、泣きそうだ。

四人の優しさに環斗はつい、甘えたくなる。でも、甘えられない。

甘えたら、宵に、アリスに今より重い重荷を背負わせるから。

「……ありがとう。――なら、ホらせてくれ」

「あぁ。もちろんそれくらい大丈夫――じゃねぇ!」

だから、環斗は仮面を被る。少なくとも、この場は(たも)つ嘘という仮面を。

その仮面の上に更に笑顔という仮面を環斗は被った。

「――ったく。まぁ、俺らの勘繰(かんぐ)り過ぎなんだろうな。じゃあ、また明日な」

いつからだろう? 環斗にとって『明日』という言葉が特別になったのは。

「ああ。また明日、会おう(・・・・・・・・)。じゃあな」

駿太郎は笑いながら、三人とゲームセンターへ向かった。

環斗は携帯電話を見て、時間を確かめながらメールを認める。

送る相手は宵とアリスの二人である。内容はそれぞれ違う。

宵には、今までの環斗の道程を簡潔に記し、謝罪のメールを作り、アリスには父親を、ルッソを止める旨をメールに記した。

それを書き終えると、環斗は携帯電話が闘いで壊れないよう、携帯電話にロックをかけて机の中に放り込んだ。



環斗はカウンセリングルームとポップな文字で書かれた部屋の前にいた。

その扉を三回ノックし、返答があると、環斗は室内に入った。

室内には黒みがかかったズボンと黒いスーツを着ている、物腰が柔らかそうな男性がいた。壁にはカラスの濡れ羽より黒いコートがかけられている

室内は教室内部とは違い、暖房が快い温風で迎えた。

「どうしました? 何か相談事でも? 迷える子豚よ」

初見(しょけん)から子豚かよ! こいつを採用した奴、怒るぞぉおおお!

心が傷付いた時は絶対彼に相談はしまいと、環斗は誓った。

「……実は俺、重大な病気にかかっているんです」

それを聞くと、彼は「ほう?」と言葉を吐く。

続けて、という意味だと環斗は解釈した。

「しかもこの病気、一度かかると滅多(めった)に治らないらしくて。一歩間違えば人生にも大きな影響を与えるとか」

すると男はカウンセラーらしく、何かを考え始めた。

考えがすぐに(まと)まったのだろう。男が口を開いた。

「ですが、残念ながら私はカウンセラーだ。一応、内科と外科をかじったこともありますが」

「ええ。この病気を治すのは最悪、医師じゃなくてもいいんです」

「なるほど。それで、その病気とは何か、聞いても?」

環斗は暗い表情で首肯した。そして、その病名を告げる。

「この、この不治の病気の名前は通称――中二病(ちゅうにびょう)と言います」

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァッ!」

カウンセラーは何秒と経たず(さじ)を投げた。

少しテンションが上がったのか、カウンセラーは咳ばらいをする。

「何故なら、私も罹病患者(りびょうかんじゃ)です。治った例は見たことがありません」

ふう、と一度、カウンセラーは息を吐く。

「まぁ、冗談は抜きにして相談事(そうだんこと)があるのは本当です」

「でしょうね。それで相談事とは、どんな?」

「正確には、相談事ではなく、後押しが欲しいんです。

例えば、絶対に失敗することをしなきゃいけません。でも失敗すると、何もかもを失う。友達も、親も、人生も。それに、友達を巻き込めますか?」

「いいえ。巻き込めませんね。でも、全てを失うならいっそ、巻き込むのも手です」

「――それが、あなたの娘さんでも?」

そう切り出した環斗の言葉に男は、ルッソは(まゆ)(ひそ)める。

「ルッソ・ヴェラルーン。魔法使い。アリスの養父――」

目の前にいるルッソに彼の経歴(けいれき)を環斗は淡々と語る。

「おかしいと思った。いくらサラさんの父が富豪でも、あなたの性格を考えれば生活資金は借りない。では、どうやって稼いでいるか」

それはつまり、こうしてカウンセラーとして働くことだ。

「――なるほど。

一応、申しておきますと、僕が病院で働かなかったのはこれ以上、助からない人を見たくないからです。見れば、生きるのに懸命な人たちに感化されて覚悟が(にぶ)る」

それが、ルッソがこの職業を選んだ理由だった。

「それで? 君の目的は? 望月さんの様に僕に殺すな、と?」

そんなルッソの質問に環斗は思わず笑ってしまった。

物語の主人公なら殺すなって言うんだろうな。でも――

「いや。今日は早引きしろ。早引きして、宵と初めて会った場所に来い。準備ができたら、そこで決着を付ける。明日を、迎えさせてやる」

今日で終わらせる予定であるルッソにとって、それは宣戦布告と同じ意味を持つ。

ルッソは、口元を吊り上げて、狂ったように笑みを浮かべる。

「いいでしょう。そのご招待を受けます。では、その地にてお待ちします」

ルッソは環斗を止めなかった。

それは、環斗の説得が不可能と判断したか、面倒と思ったか。

どちらにせよ、止めなかったという事実は環斗の背中を押したことは間違いない。

ルッソは硬い、何よりも硬い決意を持っている。今日で終わりにするという。

対する環斗は明日を迎えさせたい。

二律背反(にりつはいはん)する二つの意見。

絶対に譲れない二つはぶつかるなら、自身の意見をごり押しするしか、方法はない。

それが他者の意見を踏みにじるとしても。

それ程の覚悟があって初めて闘いは起こるのだ。

ルッソは壁に付いているコートの袖に手を通し、出て行った。

環斗もその部屋を出て行って最後の準備にとりかかった。



環斗は宵の屋敷(やしき)に入り、刀を一本拝借(はいしゃく)した。

罪悪感もある。引け目もある。だが、これなくして環斗に勝機はない。

何より、宵へと作成したメールの中にその(むね)()せた。だから、罪悪感も軽い方ではある。

そして夕方。環斗は雪によって不安定な山道を登っていた。

寒風(かんぷう)が吹き付け、環斗を引き止めるが環斗の意思はそれでは止まらない。

夕方。

そもそも、夕陽も沈みかけるのが冬は早い。

周囲はうっすらと暗い影を落としている。気温の低下に合わせて昼間に溶けかけた雪が固まり直し、薄氷(はくひょう)を作る。

雪を被る禿()げた草木からは(とき)折、雪を落とす。

深く吐き出された息は寒風によって(うごめ)く草木と共に踊り、(さら)われる。

環斗は薄氷を砕いて雪を潰して真っ白な雪山に足跡を遺す。

環斗はそんな光景が昔より更に好きになった。

今はその光景が何より美しく、幻想的で、愛おしく思える。

それでも、後世にこの素晴らしさを遺すためには、この一瞬一瞬を見限り、進み続けなければならない。

例えば俺が死んだとして、この光景を愛してくれる人はいるのか?

だが、いようといまいと環斗は進み続ける。それが彼の(みち)だから。

我が人生に一片の悔いなし。

だが、環斗は悔いどころか、生きたいと願う。

明日が見たいと願う。

明日に誰かと出会いたいと思う。

願いが叶わないことも環斗は知っている。だから、進む。

幾多(いくた)の環斗の足を引っ張った生存本能をやっと捨て切る。そして――

「よお。待たせたな、ルッソ・ヴェラルーン」

環斗は真白の雪原に(たたず)む、黒い存在に言葉を投げた。



はい。後は最終章(四章と命名)だけです。ご想像の通り、見切り発車です。五章構成とはほざき、加えて遅筆。救いようのない作者ですね。すみません。でもですよ! 例えばあなたの好きなもの。例えば小説としましょう。あなたの大好きな小説の新刊が立て続けに出たとしましょう。(滅多にありませんが)あなたは読まずにいられますか? 私は無理です。←こいつの場合はゲーム。本当にどうにかなればいいのに。はい、すみません。ゲームしていました。で、でも大丈夫! 今月中に! 今月中には必ず、四章を……!←失敗フラグ

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