第二章『届かぬ明日へ』
環斗が目を覚ますとそこは環斗がよく見知った場所。環斗の部屋だった。
……は? 確か俺、外に出てたよな? それで――
その時、環斗の脳裏に今、いや、先程見た光景が再生された。
――そうだ。俺、確か外に出て、そして――死んだ……のか……?
先程の状況を霞がかかったような状態でしか思い出せない環斗は、自分の記憶力をもどかしく思った。だが、確実なことはアレは夢ではない、ということだ。
何故なら環斗は間違いなく、記憶に残っているし、嗅覚に未だ、血がこべりついたような感覚が残っているからだ。
……とにかく、現状を確かめなくちゃな。さっきのアレが夢でも、何であったにせよ。そうしなきゃ、何も始まらない。
いつの間にか自身にかけられていたかけ布団を跳ね退け、環斗は寒気に包まれている部屋に身を晒した。
寒さで環斗は身を震わせるが、今はそれより重要なことがある。だから、寒さを押して環斗はリビングへ降りた。
とりあえず、今日の日付けを確認するために携帯電話と朝刊を見る。すると――
「日付が……変わってない……? 過ごしたハズだろ? 昨日を」
日付は間違いなく、アリスを含めた五人でゲームセンターへ行った日だった。
……となると、さっきのアレは夢だったのか?
だが、環斗はそんな自分の目を信じられずにいた。
夢にしては先程の光景は妙に生々しかった。
つまり、先程のは非現実的だが、現実感があり、今は現実的だが、現実感がないと感じているのだ。
そんな時、ふと、環斗はこの事態を説明できる答えを直感した。
例えば、超高精度な夢を見てた。
もしくは、未来の夢。即ち、予知夢。
まぁ、ファンタジーなら確かによくあるけどな……。
だが、環斗はすぐ、この荒唐無稽な思考を止めた。
余りにも現実感に欠けるからだ。もちろん、さっきの状況の方が荒唐無稽だが、夢、と割り切る方がまだ現実感があるからだ。
まぁ何はともあれ、今日を過ごしてみれば分かるだろうな。
もし、環斗の想像通り、予知夢であったならこれからの出来事も予想可能だ。
とりあえず、朝のテレビを点ける。
すると環斗の想像通り、昨日と同じ特集をインタビュアーがしていた。
だが、母親は昨日と同じような時間になっても、インタビュアーには捕まらなかった。
考えてみた結果、環斗は母親に電話をかけることを決定した。
母親の番号を携帯電話のアドレス帳から呼び出し、かける。
数回のコール後、乱暴に母親が環斗の電話に出た。
「環斗! 無事っ? 生きてる? 大丈夫っ? 覚えてるっ?」
母親の質問が矢継ぎ早に環斗に投げかけられる。
だが、環斗はこれで確信を持った。
あれは夢ではなかったことの。
「……母さん。とりあえず落ち着け。俺は無事だし生きてるし大丈夫だ」
一瞬、環斗は母親を問い詰めようとしたが、母親の方が取り乱していたお陰で逆に環斗が冷静になれた。
「は。ははは。す、凄い。お父さんの言う通りだったなんて……」
――ん? どうしてここで父さんの名前が出てくるんだ?
「母さん。何があったんだ? というか、アレは一体、何?」
すると、今度は母親の声から男の、環斗の父親の声に変わった。
「環斗。そのことは、僕が説明しよう。荒唐無稽な話だ。心の準備はいいか?」
その声の主は環斗の父親であった。
そんな父親の質問に環斗は父親が切迫した口調であると気づき、一も二もなく、頷いた。
「アレだって充分、荒唐無稽だった。今更、何が出ても驚けないな」
すると、電話越しに父親が、ふっ、と楽しそうな息を吐いた。
「まず環斗。お前に聞きたいんだが。お前、ファンタジーは好きか?」
いきなり、荒唐無稽ではなく関係なさそうな質問。だが、環斗は律儀に答えた。
「もちろん、好きだよ。やるゲームの半数はファンタジーだから」
何となく、環斗は電話の向こうで父親が頷いたと直感した。
「ほとんどの者は知らない。いや、忘れたんだ。この世界には元々、魔法が溢れていたという事実をね。今回のこれは、結論から言えば魔法のせいだ」
出だしから荒唐無稽だったのは環斗も予想済みだから、話は止めない。
「その昔、この世界には魔法があった。まぁ、火のない所に煙は立たないというしな。
使い手として有名所で言うと、卑弥呼、安倍晴明、マーリン等がそうだ。もちろん、他にもいるが。
そして、使える魔法は一人一種類
卑弥呼は未来予知。つまり、未来に起こる事象を予知することだ。
安倍晴明は自然界の操作。つまりは五行の操作。五行ってのは木、火、土、金、水からなる五つの元素のことだ。安倍晴明なら例えば、雨を降らせたり地震を起こしたり、だな。
マーリンは物質の配置転換。つまりは分子結合の配置を換えたりする能力。これはシャーペンの芯をダイヤモンドに出来たりするって言った方が分かり易いかもな」
一気に話す父親。だが、環斗の脳は優秀ではないので、一旦、整理してみる。
まず、この世界には魔法がある。それは元々、誰もが持っていた。
だが、何故、消えたんだ? それに話を聞く限りじゃ、父さんもアレを知ってた。つまり、あの惨状は世界に伝播してたのか? だとしたら、誰が? 何の為にやったんだ?
疑問はナイアガラの水のように流れる。が、とりあえず父親の話を聞く
「ちなみに、魔法は親から子供に遺伝する。二人共魔法使いで、別々の魔法の場合、どっちか片方が必ず遺伝する。ちなみに、お前は僕の魔法を継いだ。能力は簡単に言えばループ魔法だな。死んだ瞬間、最後に睡眠をとった場所に戻る。
ループ魔法ってのはゲームで言う所のロード機能だな。僕らの魔法を説明する。
睡眠は言わば、セーブポイントだな。ループ魔法は今、言った通りにロード機能。魔力ってのもあって、それは電池だ。この魔法を持つ者が死んだら魔力がある限り、死ぬ直前までの記憶をしっかり保持したまま、ロードポイントまで戻る」
ループ能力と聞くと、環斗はファンタジー脳にて、出た答えを言った。
「ってことは、この事実を知ってる人間がその魔法を止めなきゃ、昨日。いや、今夜、また繰り返されるのかっ?」
重々しい口調で父親は答える。
「……そうだ。今回、僕らは運良く出かける前に休息をとっていたお陰でこうしてお前と話が出来てる。
まぁ、それはいい。
問題なのは調べた結果、僕らは時間的に日本に戻れない。不幸にも、天候が悪い。だから、飛行機が動き難い。チケットもそう、すぐに取れないしな。
とりあえず、詳細を教えるから、これからは僕の言う通りに動け」
そう言うと、父親は話を戻した。
魔法がこの世から消えた理由は科学が出てきたからである。
魔法は確かに便利ではあるが、一人一種類しか魔法は使えない。魔法を使える人類にとってそれがネックになったのだ。
マーリン、安倍晴明のように高名な者たちは決まって強い能力を持つ。なら、逆の者はどうだろう?
つまり、能力の低い者たちは不満には思わないのだろうか?
答えは否だ。加えて、能力が低い者たちは沢山いたのだ。
社会は多数が絶対的な正義である。
そして、正義が執行されれば、強者は数で虐げられる。その結果は――関係はないが――フランス革命などで明らかだ。最終的に、強者に恐怖した弱者は強者を多数の絶対的な正義の名の元に殺す。
そうして、能力が強い者たちは迫害され、弱い者たちは魔法を極端にも使用せず、科学に頼り切った結果、魔法は消えたのだ。
だが、迫害された者の中に生き残ったグループがある。そんな彼らは生きる為にひっそりと暮らした。それから幾年もの月日が過ぎた。
しかし、それでも魔法を悪用する者はあり、そんな彼らを生き残った者たちは退治している。何故なら、魔法を知る者の大半は強い魔法である。
環斗の家は退治する家である。父親は人知れず戦っていた。だから、知っていた。
しかし、環斗の母親は完全な外様だ。つまり、魔法を忘れた者。
「さて。ここまで話した。環斗。お前はこう思ってるんじゃないか? なら、一般人に魔法を思い出させて対処させればいいって」
正に環斗が抱いたものと同じ言葉だった。
……ヤバい。この先の展開がすげぇ予測できる。なるな、俺の予想通りには……!
しかし、父親の答えは環斗が抱いている淡い希望を打ち砕いた。
まず、この世界には魔法がある。大半の者はもう使えず、一握りの者は使える。
どんな魔法か、は人それぞれだが、うちの場合、ループ能力。
それには、魔力が必要で、魔力には質と量がある。
この場合、俺には高品質と相当量の魔力があると思う。
そして、今回の事件は過去に戻ったお陰で未遂だが、魔法使いのせい。
しかし、両親は戻れず、事件を知っている上に動けるのは俺だけ。
はい。ここから導き出せる答えは?
「父さん! 無理! 不可能! 俺みたいな脆弱なにわかオタな豚野郎には無理!」
必然、対処できるのは環斗に限られる。
「はぁ……だよなぁ……こんな時、望月の翁がいてくれれば……」
ん? 望月の翁? 望月ってもしかして、宵のことか?
「仕方ない。まだ若干の不安が残るけど、彼女に頼んでみるか」
ふと、気になったことで、試しに環斗は質問をぶつける。
「なぁ、父さん。その望月ってのは――」
「そうだ。お前と交流のある宵ちゃんのことだ。で、翁は宵ちゃんの祖父だ」
はぁ、と深いため息を父親は吐いた後、父親は環斗に命じた。
時刻は学校では丁度、昼休みに入っている頃。
環斗は学校で一番近い公園で宵を呼び出し、待っていた。
しばらくすると、土を擦る音と共に、宵が現れた。
「環斗くん。お待たせして、すみません」
宵には『類を見ない程、大事な話がある』と言っており、事態の緊迫さを感じ取った宵は急いで公園に来たのだ。
「いや、大丈夫。こっちこそ昼休みなのに呼び出してごめん」
しばらくお互い、どっちが悪いのか言い合っていたが、このままでは埒が開かないと思った環斗が切り出した。
「……あのな、宵。俺も今朝知ったし、急な話だけど――」
そう言って環斗は今夜、起こるであろうことと、今朝知ったことを宵に話した。
「ってことなんだ。頼めるか? って言えば父さんは通じるって言ったけど、宵。お前、もしかして――」
すると、宵は一も二もなく頷いた。
「はい。私と私の祖父は十六夜の家と交流がありました。そして、十六夜が敵の情報収集、望月が戦闘を担当しています」
情報収集とは文字通り、体を使っての敵情捜査だ。
つまり、ループ能力を使って敵の情報を収集し、死んだ後、それを望月に伝える。
敵にしてみれば敵襲も何もなかったのに、現れたのは自分のことをよく知る望月。これ程、恐ろしい組み合わせはないだろう
「……分かった。じゃあ俺、敵情の捜査にでも行くわ」
そう言うと環斗は公園から出ようとする。が、宵が環斗を止めた
「環斗くん、待って下さい。私、もう敵の情報は知ってるので大丈夫です。ですので、敵を倒しに行きます。ここで待ってもらえますか?」
それは意外なことだった。
環斗はてっきり、身を呈して情報収集をしなければならないと思っていたからだ。
「本当か? 本当に大丈夫なのか?」
何となく学校時の延長で宵を心配してしまう環斗。宵はしかし、胸を張った。
「大丈夫です。私だって望月の人間です。そう簡単には負けません」
……胸を張ったところで、あんまりないよなぁ。
だが、そう言う宵の表情には自信意外の感情も見えた。
「あと、家から武器を持ってくるので時間がかかります」
それでも、宵を信じて環斗は頷いた。
それから、何時間が経過しただろう。
環斗はただ、公園のベンチで先程買ったコーヒーをカイロ代わりにしながら、時間を気にしつつ、空を見上げていた。
はぁ、と息を吐くと曇天に環斗の呼気が昇る。
そうやっているとやがて、曇天から、ちらほらと微細な氷の結晶が降り始めた。
「……宵の奴、遅いな。大丈夫なのか?」
答えは既に、環斗の中に出ていたが、それでも環斗は宵を心配した。
それからまた、何時間も経過した。周囲には既に闇の帳が落ちきっている。
突如、突風が吹き荒れた。
環斗は素早く携帯電話を懐から取り出し、時間を見た。
――現在時刻、二十一時三十四分。
そう思った瞬間、環斗は今夜、味わった自由落下の感触をまた味わった。
「――で、こうなるわけ、か……気分は最悪だな」
前回の朝、両親が言った言葉を環斗は心の中で反芻した。
いいか、環斗。お前がすべきなのは三つ。
一つ目はこのことを宵ちゃんに教えること。
二つ目は、事が起こる時刻の確認。
三つ目は正直、十六夜(僕ら)の領分を越えているから、最悪の場合だ。
僕らの能力はループ能力。厳密には、脳の過去への転移だ。
だから、宵ちゃんに修業をつけてもらえ。
僕らは確かに戦闘には向かない。でも、宵ちゃんは未熟だ。
だから一回目の戦闘で宵ちゃんが負けたなら彼女に任せずにお前が戦え。
だが、初心者に戦いは不可能。だから、宵ちゃんに修業をつけてもらうんだ。
肉体的には成長しないが、知識としては脳に叩き込まれるから、問題ないハズだ。
っていうことは俺はつまり、これから熱血少年マンガの主人公バリに熱血な修業をしなきゃいけないのか……。
これからの展開に辟易した環斗は、はぁ、と深いため息を吐いた。
「それで、まぁ、結果は昨日体験したから聞く必要はないな」
「ああ。これから俺は父さんの言う通りに熱血でもしてくるさ」
少しふざけながら父親に言うと、父親はふっと笑った。
「お前が熱血、か。似合わなさ過ぎて笑えるな」
そんなの、父さんに言われなくてもキチンと理解してるさ。
などと思いつつ、調べた決行時間を報告した。
「……ふむ。じゃあ、これからお前にいくつか心構えを教えてやる。
まず、寝るな。寝たら活動可能時間が減るからな。
次に無駄に生きるな。ループ魔法を行使するには魔力がいる。この魔法は僕の場合、三日分の魔力でやっと一回使える。
例えるなら車だな。車を動かすには燃料がいる。でも、ただ量があるだけじゃダメだ。車の燃費もいる。まぁ、燃費は質、量は燃料だな。僕と違ってお前には両方あるが、それでも有限だ。
何故なら魔力は脳と肉体に宿るもので、それは一日過ごす必要がある。
だが、ループ能力を使うと脳と肉体の魔力に誤差が出る。そこで合わせる為に魔力は回復しなくなる」
つまり、俺にはループ能力を沢山使えるけど有限だってことか。
「ちなみに、父さんの見立てじゃ、俺は何回ループできる?」
ふぅむ、と父親は唸りながら考えた後、答えた。
「最近は会ってないから分からないが、僕の大体の予想だと、千回かな?」
環斗にとって、予想を遥かに上回る数字が出た。
それを聞いた環斗は素っ頓狂な声を上げた。
「ふへぇ……そんなにあったら余裕で勝てるんじゃないのか?」
「楽観するな。相手は全人類を殺せる魔法を使えるんだ」
その言葉を聞くと、環斗はふと思い出したことを父親に報告した。
「そういや多分、敵の魔法は風を操ることだと思う。まぁ、俺の予想だけど。死ぬ前に風が異常に吹き始めるから」
「いや。環斗の予想は正しい。まぁ、僕は初見で理解したが」
うわっ! 我が父ながらウザッ! いや、ここは我慢だ。
環斗は自分にそう言い聞かせて怒鳴りたい気分を自制した。
「はっはっはっ! ――って、うぎゃあああああ! や、止め――」
「うっさい! 環斗は始めてなんだからしょうがないでしょ。威張んなっての」
ふぅ、と息を吐いた母親に環斗は盛大な拍手を送った。
それにしても、電話でハッキリ聞こえるなんて相当音、でかいなぁ……。
母親だけは敵に回すまいと心に誓った環斗だった。
「……というわけで環斗くんは私に戦い方を教えて欲しい、と?」
宵をメールで呼び出した後、公園で待っていると、宵が上機嫌でやって来た。
そんな宵に今回の話をすると、宵の落胆が目に見えて分かった。
ちなみに、メールの本文は『大事な話がある。すぐに公園に来て欲しい』だ。
「ああ。望月の宵には失礼だろうけど頼む」
頭を下げる環斗。
宵は更にはぁ、と盛大なため息を吐いた。そして、表情を引き締め、鋭い目になった。
「そのお話、私に心当たりがあります。任せて――」
「やりたいけど悪い。前回から察するに宵は負けたんだと思う。だから、ダメだ。無意味に能力を使ってたら皆を救えない。それに、宵。お前は敵のことを知ってるんだろ? なら、教えてくれ。俺なら、勝てるかもしれない」
すると、今度は宵が悲しそうな顔をする。
「環斗くんのお気持ちは分かります。では、望月として聞きます。あなたは、魔法使いとして、敵対魔法使いを殺せますか?」
今度、宵は冷徹な仮面を被って問うた。
その返答に環斗は言葉を詰まらせてしまう。
「確かに環斗くんの言う通りです。私では、彼には勝てない」
彼、という言葉から察するに敵は男か。しかも、戦闘専門の望月も勝てないんだから、相当に強いハズだ。勝てるか? いや、勝たきゃいけないんだ。
「ですが、敵を倒すというのはマンガ等のようにただ、倒してお終い。ではありません。敵は人類を殺すなら、生きてる限り殺そうとするでしょう。相当の理由がなければ、そんなことはできないでしょう。だから、殺す必要があるんです。ですが、人一人殺せばその人の命を一生背負うことになります。背負えますか? 環斗くんに」
何一つ、反論できない環斗がいる。それでも、それでも、環斗は――
「じゃあ、宵には、その覚悟があるって言うのかよっ?」
だが、環斗の予想とは裏腹に宵は固い表情で答えた。
「――あります。私は、望月はその為に存在しています」
「ふざけんな! 宵は一人の女の子じゃないか! 人一人の命は重いんだろ! なら、宵は背負えない! だって、宵は、俺たちは弱いって知ってるから」
「背負えます! 何も環斗くんがそれを背負わなくてもいいんです! こんな汚れ役。私で――望月だけで充分なんです!」
「なら、俺と宵で背負えばいい! 何も宵だけが背負う必要はないんだ! 宵だけが悩む必要はないんだ! 悩んでたら俺にぶつければいい! 昔、そう言っただろう?」
そう言った瞬間、環斗の脳裏に昔の、宵と環斗が初めて接触した時の、記憶が思い出された。
今から三年前。宵は引きこもり同然の生活をしていた。
それは彼女が愛していた宵の祖父が死んだことと、別の理由からだ。
宵は生真面目な性格をしている。
だから、つい感情的になってやったことを後悔していた。
宵が好きな祖父をある事故で亡くした時、彼女は悲しかったが、気丈にふるまって学校へ行った。
その事故とは、爆発事故。
何年も誰も寄り付かない廃ビルに偶然居合わせた宵の祖父。更に偶然にも、老朽化したパイプから漏れた可燃ガス。こんな不幸が重なった結果、宵の祖父は爆発事故に巻き込まれ、死亡した。
そして、宵が悲しみに暮れながらも、学校へ行くと様々な同級生たちの質問。自慢。
事件の時、偶然現場に居合わせた同級生は宵に火災時の写真を見せた。
そして、心ない者たちは宵に事件のことを根掘り葉掘り聞く。
何より、決定的だったのは宵自身を昔から疎んでいた者たちの一言だった。
「別にそんなジジイ、死んぢゃって良かったんぢゃない? それにジジイってフツーウザいっしょ? ってか、この世界のため?」
そう言って彼女のいるグループ連中は笑った。
致命的だったのはこれを宵が見ていたことだろう。
結果、宵は感情的に彼女たちを半殺しにした。
最終的に事なかれ主義の学校と教育委員会がこれを揉み消し、宵には停学が下されて、この事件は収束したかに見えた。
しかし、当の宵は停学が終わった後でも家にずっといた。早い話が登校拒否だ。
そのまま、一学年上がった後の話だ。
ある日、環斗は夜通しゲームをした結果、体調を崩して学校を休んだ。
翌日、環斗が学校に行くと、望月宵という少女に学校プリントを届ける係に勝手に任命されていた。
環斗の腹がたったのは言うまでもない。
しかし、抗議するのも面倒で、環斗は不承不承、従った。
環斗が宵の家に着くと、環斗は目を丸くすることになった。
宵の家が大きかったからだ。
古来の日本家屋で二階はないが、その分、というよりはそれを差し引いても遥かに広い。
もしかしたら、これ程の金持ちなら望月さんの事件も揉み消せるかもな。
気後れしながらも、壁に備え付けられたインターホンを押す。
出た人間に用件を伝え、宵という少女にプリントを渡せば達成する簡単なもの。
だが、そんな環斗の予想は簡単に裏切られた。
「あらあら。最近だと来てくれる子も少ないのよ。十六夜の子でしょう? なら良かったら、宵の話し相手にてもなってくれないかしら?」
十六夜を初対面であるハズの女性が知っていることを環斗は怪訝に思ったが、連絡網で知ったのだろうと、結論付ける。
そんな申し出を環斗は最初、断ろうとしたが、ふと、宵という少女が登校拒否になった理由を思い出した環斗は、まぁいいか、という理由で了承した。
家の中は木製の床、いくつもの襖で仕切られていた。
宵の母親は尋ねてもいないのにベラベラと家について語る。
そこで分かったのは、凄いのは少女の親ではなく、彼女の祖父であった。
少女の祖父は有名企業の重役を勤めていた。
もちろん、維持費もかかるが、少女の父親は有名企業の重役たち専属のSPらしい。だから、その金銭面は問題ないようだ。
そんな母親の自慢話に環斗は、はぁ、と気のない返事をする。
そして、二人は一つの襖の前で立ち止まった。
「宵。クラスの方よ。プリントを持って来て下さったそうよ。出て来なさい。それが礼儀でしょう?」
自慢話と強引さが特徴だが、物静かで言葉の物腰は丁寧だった宵の母親。だが、次の瞬間、そんな環斗の第一印象は簡単に崩れ去った。
宵の母親の呼び出しがあっても出て来ない。
居心地が悪いと思った環斗が帰ることを告げようとすると、痺れを切らせた宵の母親は――
「宵! 早く出て来なさい! いつまでもうじうじ死んだお祖父様を思って、それでも栄誉ある望月の娘ですかっ!」
だが、そんな彼女の母親はいつまでも出て来ない娘、宵を声を荒げて叱った。
すると、先程まで沈黙を守っていた宵が言った。
「政略結婚で望月に来た外様が、望月の家名の重さを知らないあなたが軽々しく望月を口にしないで下さい!
あなたは満足でしょうね。だって、お祖父様の仕事を軽んじていたあなただ。目障りな、跡取り娘を可愛がっていた祖父が亡くなったんですから!」
「お祖父様を軽んじているのは、あなたの方でしょう! 亡くなったお祖父様はあなたがこんな子になって欲しくて命を助けた訳じゃないでしょう!」
そこで、言い争っていた二人の会話は止まった。
厳密には、宵の咽び泣く声にて止まった。
後味の悪い、真の外様である環斗はため息を漏らした。
ダメだな。まぁ、乗りかかった船だ。毒を食らわば皿までってね。
「……宵さんのお母さん。あなたが宵さんに呼びかけても火に油を注ぐだけだと思います。なら、僕に任せてもらえませんか?」
いつもは使わない言葉遣いを環斗は言う。
宵の母親は目を丸くしたがやがて、環斗の申し出を受け、立ち去った。
そして、都合の良い時に有言実行を信条にする環斗は宵と話し始めた。
「あぁ……えっと。お、俺は新しいクラスの十六夜環斗って奴だ。んっと。で、話しっていうのは――」
初めて話す相手。加えて不発弾のような不安定な心を宵は持っている。然るに、慎重に話さなければ彼女を逆上させるだけなのは想像に難くない。
息を大きく吸った後、ふぅ、と息を軽く吐く。
「望月さん。君はただ、聞いてくれるだけでいい。
君の事情はある程度は理解したよ。いつまでも、うじうじすんな。確かに正論かもね。
――でも、個人的にはクソ食らえな意見だ。
何故って? 俺たちは人間だよ。
人間なら悩む。悲しむ。怒る。いつまでも昔のことを引きずる。誰かに八つ当たりもする。甘える。誰かに頼る。望月さんの感情は当たり前だ。逆にあの人がおかしい。それこそ、望月さんの言う通り、あの人が望月さんのお祖父さんを嫌っているからだろうね。
でもさ、悩むのも、悲しむのも、どこだってできるだろ? そこでやる必要はない。だからさ。一緒に学校、だけじゃなくていい。他の所でもいい。どこかに行こう。それにたまには気分転換に外でも出ないと気が滅入るしな。
まぁ、要は引きこもるなってことさ。
でももし、君がいつかはこの状況が打開されるだろうって思うんなら、それは間違いだ。
時間が解決してくれるとも言わないよ。だっとソレはその感情を忘れるってことだから」
そうは言ってみるものの、環斗は何か失敗していないか肝を冷やしている。
背中から少量の冷や汗が流れる。声が上ずる。
そして、その環斗の嫌な予想は図らずも当たることとなった。
「出来るわけありません! 私、私はお祖父様の言い付けを破って与えられた力を一般人に使った。なのに、どんな顔をしろって言うんですか!」
「言っただろ。人間なら怒るのは当たり前だ。人間は怒りが抑制できない、感情の生き物だ。増して、負の感情を御し切れるわけはない。だから、仕方ない」
「仕方ないっ? 仕方ないで人を傷つけて良いわけがありません! 強いあなたなら、分かるでしょう?」
「なら、望月さんのお祖父さんは愚弄された方が良かったか? んなわけない。君は正しい。それより問題は、事が起こった後どうするかだろ?」
「どうもしようはありません! だって、だって――起こったことは……覆せない……から……」
また泣き出す宵。その時、環斗は解決の糸口を見た。
「……分かったよ。君は自分に厳しいんだ。そして、甘える相手もいない。そして、思考がマイナスに働いて、そこで堂々(どうどう)巡りしているんだ。じゃあさ、俺に甘えてくれ。俺なら、受け止められると思うから」
すると、宵の啜り泣く音が小さくなった。
「――何が狙いですか? お金ですか? 私ですか? 人間はタダでは動かない。そうでしょう?」
それを聞くと環斗はふっと笑った。
「そうだな。じゃあ、答えは君、だ。俺さ、実は学校が正直、つまんないんだ。友達も一応、いるけど本当の友達じゃない」
環斗の答えに呆気にとられた宵は泣くことも忘れた。
「友達の悪口を言うんだ。そんなの、本当の友達じゃない。そうだろ?」
「……そう、ですね。あの……本当に、本当に甘えていいんですか?」
「ああ」
「頼って、いいですか?」
「ああ」
「八つ当たり、するかもしれませんよ?」
「ああ。それだけで君と友達になれるんなら安いもんだ」
「本当に、受け止めてくれますか?」
「ああ。そう言っただろ。ほら、どんと来い」
そう言うと、宵は胸に支えていた異物を吐き出すかのように言葉を吐いた。
幾百、幾千もの言葉を宵は吐いた。
泣きながら、まるで懺悔するかの如く、宵は言い、環斗はそれを受け止めた。
それが終えると、ふぅ、と宵は息を吐いた。
「……ありがとうございました。じゃあ十六夜さん。あとあの、もう少し甘えていいですか?」
「ん? ああ。そう言ってるだろ? ほら、どんと来い」
襖が滑り、開けられる。すると、そこからお茶漬けが出された。
「? 何で、お茶漬けなんだ?」
「いえ、ぶぶ漬けです」
「帰れと! なぁ、俺に帰れと言うか!」
ちなみに、京都では暗に帰れと言う時はぶぶ漬けを出す。
「――だって、今いられたら甘えちゃいますし――また……泣きそうで――」
それを聞くと環斗は襖を開き、真っ暗な部屋にいる宵を抱きしめた。
「だから、言ってんだろ? 甘えろって。いきなりは、皆無理だからさ」
すると、宵も環斗を抱きしめ、また泣き出した。
「っく……ありがどう゛ございまず……十六夜さん」
「何言ってんだよ。俺らはもう友達だろ。あとさ、もし良かったら、環斗って呼んでくれ」
こうして、図らずも宵の柔らかな肢体を抱けた環斗は宵を連れ出した。
ちなみに、役得と環斗が感じたのは間違いない。
「……確かに昔、環斗くんにそう言われました。でも、だからこそ、私は環斗くんに背負わせたくない。それに、私は強くならなきゃいけないんです! いつまでも環斗くんに守られてちゃダメなんです!」
「じゃあ何の為の友達だよ! 何の為に俺らはいるんだよ!」
「望月の力は弱者の為にあります。だから私は皆を――」
「守るって? 宵。お前は自分が神になったつもりか? お前はそんなに強くない。俺が、俺らが知ってる! それに、俺らはお前が思う程、弱くもない! だから、友達だから、お前は俺らを頼り続けていいんだ。その代わり、俺らもお前に頼るから、さ」
環斗はまくし立てるように一気に言った。
そんな彼を見て宵は呆気にとられ、ポカンとしていたが、破顔した。
それも束の間、すぐに宵は顔の表情を引き締めた。
「環斗くん。お話を戻します。あなたは、彼を、敵を、殺せますか?」
はい、か、いいえ以外、宵は回答を受け付けない。
それを直感した環斗は息を深く吸い込んでから、言った。
「皆を守る為なら、人殺しだって何だって、やってやるさ」
その言葉を発することによって、環斗の戦いが今、決定された。
「それで、その敵ってのはどんな奴なんだ?」
基礎訓練であるのは体力作りだが、ループ能力の対象となるのは脳。
つまり、体力をつけたり、筋肉トレーニングをしたところで意味はない。そんな理由でまずは刀の握り方から体術の形の習得をしている。
「では、私の経験をお話します」
それは一ヶ月前の話だ。
魔法使いは、ある程度の距離が離れていようと魔法使いであることが露見する場合がある。どんな場合かと言えば、魔法を使った後だ。
魔法を使えば魔力を消費する。
使用された魔力はごく僅かだが、しばらくは使用された場所に残留する。
それはあたかも発信機と受信機のような関係である。
残留した魔力が発信機、魔法使いが受信機である。
宵はこれを感じ取り、発信源であるゲームセンター近くの山へ急行。敵を発見した。
そこにいたのは二人。体が切断され、血が倒れたペットボトルから流れる水のように流している死者と、黒髪の顔の彫りが深い外国人だ。
宵は怒りに震えながらもながらも生者の男にこう問うた。
「……人を、殺しましたね? 何で、何で殺したんですかっ!」
すると、男はニヤリと、まるで自虐的な笑みを浮かべ、流暢な日本語で答えた。
「自分の秘密を、魔法を使ったところを見られたんだ。普通、殺すでしょう?」
そんな答えを聞いた瞬間、宵の中で沢山の感情と魔力が弾けた。
宵の魔法は肉体強化だ。といっても、その上がり幅が大きく、素手で厚さ十センチの鉄板を貫通できる程の速度と威力を叩き出せる。加えてそれに堪え得る肉体になり、全ての身体能力が人間を凌駕する。が――
気付けば、宵は痛みもなく、ただ天を仰いでいた。
そして、近くの木に叩きつけられたことで、痛みを感じた。
人殺しを野放しにできない宵は果敢に男に戦いを挑むがどんな攻撃も風に防がれる。
それを何度も繰り返す内に宵は、とある疑問に思い当たった。
「……何で、何で殺さないんですか? 殺すチャンスはいくらでもあったのに」
宵は何度も宙を浮き、その度に生きた心地がしなかった。
男の使う魔法が風なのは一目見ただけで分かったが、だからこそ、一瞬の隙が死に繋がることは望月の修業で宵は理解していた。
だというのに、隙を突くチャンスは幾らでもあったのに男は何もしなかった。
「……余裕のつもりですか?あなた、足元を掬われますよ?」
「でしょうね。しかし、僕は君のように人殺しを悪とし、是としないその姿勢が好きです。普通の人ならそんな暇もなく逃げますから。ですから、僕は君を殺さない。君みたいに正義感が強い人は好きですからね」
「残念ですが、私はあなたみたいな人が大嫌いです」
そう、宵は言って戦いを再開した。
結果は宵の負けに終わったが、宵は殺されず、生き延び、何度も男に戦いを挑んだ。
「彼はどうやら、おおよそ、いつもその山にいるみたいです」
宵が構えた形を環斗も真似て同じようにする。
それを二人は何度も繰り返し、気付けば夕方になっていた。
「というかさ、頼んでおいてなんだけど、学校は良かったのか?」
「ええ。どうせ、環斗くんが彼を倒さなければ、明日は来ません。皆、殺されて、明日を迎えるのはその男一人。なら、環斗くんを強くして勝率を上げた方がいいです。こういうのも環斗くんは嫌いでしょうけど、私は踏み台だと考えて下さい。今の私を踏み越えて、次の今日がその日を越す為の布石、と考えて下さい」
「……できない。そんな、友達を犠牲にするなんて」
弱気になる環斗。すると、宵がそんなに平手をくれた。
「なら、環斗くんは皆が死んでもいいんですか? なら、ここで諦めてもいいんです。殺すということは、何かを代わりに亡くしても構わないということと同義ですから」
「……分かった。なら、俺は亡くす覚悟を持つ。ごめんな、宵」
覚悟を決める。環斗は弱気になり、迷惑をかけたことと、今の宵を見捨てることに謝った。
「……それを言うなら、私の力不足で環斗くんにこんな役目を負わせてすみません」
その後、二人はお互いに謝りながら不毛な争いをした。
それから、陽が落ちかける夕方になった。
環斗は一通りの武器の持ち方と見た目だけの構えを習得した。
「さて。では、環斗くん。一緒に敵の顔でも見に行きましょうか」
まるで、近くのコンビニに行くかのような感覚で提案する宵。
「いやいやいや! 無理だろ、今行ったら。というか逝くだろ! ゲームでラスボスに初期性能で挑むのと同じ位、無謀だぞ!」
「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず。そう言います」
「えっと、孫子ちゃんの兵法だっけ?」
「我孫子みたいに言わないで下さい! 孫子ですよ。それに環斗くんの家は元々情報収集が得意です。これなら、まさにうってつけです」
環斗は少し考えると、はぁ、とため息を吐いた。
「……まぁ、どっちにしろ、いつか戦うんだし、いいか」
決めると、宵は一度頷き、二人は敵のいる場所へ向かった。
この時、いや、環斗は永遠に気付かないだろう。
宵が、自分の逃れられない死の運命にあり、泣きそうなのに、環斗に心配させまいと涙を懸命に堪えていることを。
ふと、曇天を仰げば、そこからは白色で温度零の結晶が降っている。
ここを今季以外に通ればさぞ、美しいものだろう。
春に来れば青々(あおあお)とした木々が迎え、夏なら燦々(さんさん)と輝く太陽が木葉や枝の間から光りを覗かせる、避暑地となり、秋なら紅葉や落ち葉が芸術を醸し出す。
だが、今の季節は冬。動植物の生存を許さない季節だ。
宵と軽い会話を交えながらしばらく歩き続け、草木が生い茂っている所に入ってかれこれ十数分経過していた。
ループ魔法を使えば治ることだが、環斗はある程度の修業をし続け、更に緩急の激しい山道を通っているのだ。疲労で足が重い。
それでも自分に大丈夫だと環斗は言い聞かせながら進む。
すると、宵が突然、足を止めた。環斗も肩で息をしながら止まる。
「環斗くん。これから何が起きても決して驚かないで下さい」
「ん? まぁ、今さら何があっても驚かないと思うけど、いいぞ」
環斗が頷くと、ふぅ、と宵が安堵の息を吐く。
宵は顔を引き締め、歩く。環斗もそれに続く。
すぐに目的地である所へ着いた。そこは一カ所だけ拓けた土地だった。
だが、拓けた、というよりは拓かされた、という方が適切だ。
宵が先にそこへ行き、環斗も続いてそこへ出た。
周囲の木々は何か鋭利な物で切られ、切り株になっており、色褪せた木葉が切り株の周囲に落ちていた。
更に目を凝らしてみると、切り株の大半はさながら、大地に埋め込まれているかのように地中にあった。
そんな中、切り株の一つに座っている男性がいる。
男はショートに切り揃えられた黒髪、黒縁の眼鏡、黒色で本革のローファー、黒いスーツとズボン、カラスの濡れ羽より黒いロングコードを着ている。
「やぁ。望月さん。今宵の雪は綺麗なものとなりそうですね。と、新顔ですか。感心しませんねぇ。無関係な人を巻き込むとは」
不思議な喋り方をする男。どうやら、敵が一方的に宵を知っているようだ。
「関係ないわけじゃありません。彼は、今日、あなたを倒す者です」
すると、それを聞いた男が噴き出した。
「ぷっ。ふふふ。中々面白いジョークだ。僕を倒すとは。幸か不幸か、今日の僕は中々に気分が良い。分かりました。なら――君から殺してあげましょう」
男が親指と中指を鳴らす。
すると、突風が環斗たちを包んだ。それだけでなく、風によって巻き上げられた砂と雪が強引に昇る。
環斗は砂埃が目に入り、目を閉じてしまう。その瞬間――
「――か……ぁ……ッ!」
宵の声にならない悲鳴が聞こえた。環斗は目を薄く開ける。と――
「――ッ! ……う……ぁ……ああ……ああああああ!」
吠えた。叫んだ。喉がはち切れんばかりに。
目の前には一人の人間、いや、人間であった肉塊が転がっていた。
「さすが、といわざる得ませんね。己の身を呈してまで君を助けるとは」
男はにこやかに目を線にしながら笑みを続ける。
「ッ! ざ、ざけんな! お前、お前は人を、宵を殺してんだぞ!」
「――だから? 確かに君は正論を言いました。ですが、君は彼女の死の上に立って、今がある。とてもじゃありませんが君の言えた台詞じゃありません」
一瞬、環斗は言葉に詰まった。が、叫ぶ。
「人殺しが、自分を正当化しようとしてんじゃねぇ!」
怒りに打ち震えながら、環斗は叫ぶ。しかし、男は笑みを絶やさない。
「確かに。どうやら君も彼女と同じ人間のようだ。
だが、何故人を殺してはいけないのか、と考えたことはありませんか? 例えば戦場で人殺しは犯罪どころか、褒め讃えられる。矛盾を感じませんか? 殺人を犯した人間に極刑を与える。これは何故? 殺人はいけないんでしょう。法律で定められているから? ナンセンスだ。例外を認めてはいつか、その体制は崩れる。やるなら徹底的に、です。
それにあなたは考えたことはありませんか?
この地上に住む生き物、いや、地球そのものにとって僕ら人間は消えた方がいい」
「じゃあお前は! 人間より動植物の命の方が重いってのか!」
「ええ。まぁ、理解して貰おうとは思いません。あなたと僕は価値観が違う。
ですが、敢えて言うなら、この世界は多数が絶対的な正義。多数が少数に虐げられて良い道理などありません。それに最終的には多数が虐げた。それは歴史からでも明らかなことです」
環斗は父親から聞かされた魔法使いの末路を思い出した。
「それに、人間が僕は大嫌いです。あんなに醜い種族は類を見ないでしょう。だから僕は抹殺する。まぁ、私情が混じってはいます。殺したくないと思う自分も確かにいる。が、僕の憎しみはそれを上回っている」
憎しみがあると言う。
だからこそ、環斗は笑みを絶やさない男を恐ろしく思った。
「さて。僕の動機も分かったでしょう。なので、そろそろ死んで下さい」
そう言った瞬間、環斗は身構えた。
武器は何もない。当然、防御も出来ない。そして、環斗は気付けば、今日、三度目となる浮遊感を味わった。
「……寝覚めはどうですかって聞かれたら聞いた奴を絶対殴ってる」
環斗は上体を起こすと、昨日と同じ行動を行った。
「――で、俺は死んだ。まぁ、全く無意味の死じゃないとは思うけど」
今日あったことを全部父親に説明する環斗。
「――なるほどな。まぁ、分かってるとは思うが、敵――仮称をEとしよう。Eが一ヶ月動かなかったのは魔力の問題だろう。一ヶ月もあれば、それなりの量の魔力になるからな」
そこで環斗は、自身が一番気にしていることを聞いた。
「なぁ。これって俺でも勝てる敵なのか? いや、勝たなきゃってのは分かってるけど」
返答に父親は躊躇うことなくあっさり言った。
「無理だろうな。環斗に戦闘技術がある、もしくはそれに準ずる魔法があるなら別だが、両方ないだろ。はっきり言って勝ったら奇跡以上だな。頼みの綱は宵ちゃんだが、負けたしぶっちゃけ、打つ手はない」
そこで父親は言葉を切り、「が――」と続けた。
「十六夜のループ能力を有効に使えばEに勝つ方法は幾らでも出てくる。何せ、望月と戦って勝ったこともあるからな」
「なっ……! も、望月に勝ったぁッ?」
環斗は自分の耳を疑った。
「ああ。話してなかったか。
昔、十六夜がこの土地に越した時、敵だと思って問答無用で望月と戦ったんだよ。まぁ、何度かループ能力を使ったけど、最終的に倒したんだ。けど、あのクソジジイ、しぶとくて殺せなかった。というのがまぁ、僕と望月の翁の話だ」
しかも、そんなに古い話じゃない! というか、血気盛んだな、父さん。
「ま、若気の至りだ。よくあるよくある」
「ねぇよ! 全力でねぇよ!」
「いや。絶対あるから。とにかく、能力の使いようで勝てるってことだ。よく覚えとけよ。どんな奴だって、最強じゃない。必ず弱点はある」
弱点――。
その言葉を考えながら、環斗は前回の今日、会ったEのことを思い出す。
……というか、弱点の有無よりまず、あいつの攻撃の防衛方法が全く思いつかん。そもそも、風って不可視だしなぁ……。
はぁ……と深いため息を吐いて途方に暮れる環斗。
すると、環斗の心中を察した父親は少し唸った後、こんな話をした。
「例え話をしよう。ギャルゲーの話だ。どんなにツンケンしているキャラも攻略キャラに設定されているなら必ず攻略できる。どこかに弱点がある。だから諦めるな」
環斗は父親の例えを聞いて、何とも言えない表情になった。
「――ちなみに、僕のヤったゲームだと、体に直接訴えれば攻略できるゲームだった。ブヒ! グヒヒ! これを参考にして母さんも攻略したんだぞ」
両親のいらない馴れ初め聞いた――! しかも、父親のいらねぇ性癖も暴露しやがった! 気持ち悪ぃ。
とてつもなく、どうでもいい情報を掴んだ環斗。
だが同時に、電話越しに金属が擦れる音を耳にした。それは――
「い、いやぁああああ! や、止め――ほ、包丁の二刀流なんて――」
「ほら、逃げない。武蔵円明流の免許総伝でも、動く標的は外すかもしれないから」
こ、こんな所に本家の、しかも免許総伝がいた――!
ちなみに、剣術の免許皆伝とは、一通りの型を習得した者に贈られる称号で、免許総伝とは裏の型までマスターした者に贈られる称号だ。
つまり、環斗の母親は異常な程の腕前なのだ。
「――くっ! こうなれば、太古の達人でマスターした桴テクニックを披露して――うおぉおおお! ば、桴が根元から斬れた――!」
なんか父さんも太古の達人の廃人だったぁ――!
しかも、マイ桴を持つ程のレベルだ。だからこそ、憐れ、桴よ。
「くっ! こうなれば、最近習得した流派、腐・男子の力場っぽいものを使って、そして、僕は生きるんだぁああああ!」
なんか父さんも雪子と同じ穴のムジナだったぁああああ!
決意を表明し、父親は恐らく、力場っぽいものを使ったのだろう。が――
「――なっ! ぼ、僕の力場っぽいものが斬られ――」
驚きの声を上げる父親。
母親の高い笑い声。
妄想する環斗。
三者三様の反応をする中、発言したのは母親だった。
「――はん! そんなのが通用するのは頭がおかしい奴だけよ」
舌打ちをする父親。
勝ちを確信し、声色を上げる母親。
頭がおかしいと言われて落ち込む環斗。
そして、両親の決闘。その勝利の行方は――
「――あっ。ごめん。頸動脈斬っちゃった。テヘッ」
「とぉおおおおさぁあああああん! しかもボケ方古い!」
ひとしきり叫ぶと荒く呼吸する環斗。すると父親が余力を振り絞って言葉を発した。
「か、環斗……逃げ……お前だけでも…………生きて――」
「まだ余力があったかぁあああ!」
豪快な切断音と同時に何か、例えば水分が勢いよく迸る音がした。
「母さぁあああああん!」
いつかあると思ったけど! ループ能力ってことは、一定の間、不死だからギャグで死ぬとは薄々感じたけど!
ノリが軽過ぎる!
「ふぅ。じゃあ環斗。お父さんの言ったこと、忘れないでね」
何故か明るい口調で言うと母親は電話を切った。
そして、環斗は心の中で再度誓った。母親だけは敵に回すまい、と。
環斗はループ二回目の今日とは違い、敵を殺す覚悟で宵に話した。
結果は当然その時の今日と似たようなものだったが、なんとか修業を取り付けさせて宵の指導の下、修業を開始した。
「さて、環斗くん。前回はどこまでやりました?」
そんなことを宵が聞くと、環斗は前回やったことを思い出した。
「ええっと……。確か……打ち合いをやったよ」
それを聞くと、宵は顎に手を添え、少し考える。考えがまとまると
「では環斗くん。一緒に来て下さい。時間がないので、望月の道場で修業します」
本格的な修業を始める合図である言葉。だが同時に環斗は一抹の不安を覚えた。
それが何でか、環斗は脳内を探ってみる。と、見つかった。
「……なぁ、宵。そういえば忘れてたけど、宵の母親って、この時間に家にいるんじゃないのか?」
そんな環斗の質問に宵は何の躊躇いもなく答えた。
「いませんよ。あの人は他の男と浮気して望月から勘当されましたから」
むしろ、宵は嬉しそうに笑顔で話している。
うわぁ……。確かに俺もあの人、苦手だったけど、そんなに嫌われてたんだぁ……。
そんなことを言うと、いきなり宵は顔を赤らめた。
「――っ! か、環斗くんと密室で二人きり……二人きり……二人きり……」
ブツブツと、宵は環斗に聞こえない程度の声で呟く。
だが丁度、環斗は宵が声を出しているのを耳に入れてしまい、宵の言葉が気になってしまう。だから、宵に気付かれず、そっと耳を近付ける。すると――
「――っ! か、かかかかか環斗くん! か、かか顔が近い……ですぅ……」
環斗の接近に気付いた宵は顔から湯気を出し、更に顔の赤みを濃くする。
しかし、宵の頬の紅潮の理由が分かっていない環斗は――
「宵、大丈夫か? も、もしかして熱でもあるんじゃ……? だから、敵に勝てなかったとか? あ、ありえる……」
自分で結論付けた環斗は宵の額に自身の額を触れさせた。そして――
「か、かかかかか環斗くん。こ、こここここのままじゃ、キ、キキキキキスが……! も、もちろん環斗くんがしたいなら私もやぶさかじゃありませんが、それでも物事には順序が――うきゅぅぅううう」
目を忙しなく回し、早口で一気に言葉を発した結果、宵は倒れた。
いきなりの事態に対応できなかった環斗は驚いて宵を呼びかけた。
「宵! おい、宵! な、何があったっ? おーい」
しかし、環斗の呼びかけに倒れた宵は当然、反応できなかった。
そして、環斗は自身の額に手をやり、考えた。結果――
「と、とりあえず、宵の家に運んでみるか……」
環斗は宵を背負い、宵の自宅へと向かう。
十数分もの時間をかけ、宵を運んでいる環斗は後、数分で宵の家に着く距離にいた。
ふぅ、と疲れから息を吐く。宵を背負い直し、歩く。そんな時、宵の口から「ん……」と声が漏れた。
それから、ワンテンポ置いてから宵がゆっくりと睫毛を上げた。
「あ……。宵、起きたか? もう少しで着くから、そのまま寝てていいぞ」
優しげな口調で、そっと宵に語りかける。
宵は誰かと勘違いしたのか「はい」と安心しきった様子で頷くと、再度眠りについた。
その後、環斗は宵の自宅に辿り着いた。塀に囲まれた中、一箇所だけの出入口に辿り着く。と、環斗の記憶と違い、出入口の鍵が電子パスワードになっていた。
まぁどっちにしろ、宵は起こさなきゃいけないしな。
環斗は背中で寝ている宵を静かに起こした。
「おぉい、宵。家に着いたぞ。起きなさい」
しかし、宵は少し唸る程度の反応しかしない。環斗は宵を揺らしてみる。
すると、宵は先程より反応する。環斗はもう少し強く揺すると――
「ふぁい。なんれすかぁ、環斗くん……もう少し寝かせて欲しいれす。環斗――くぅぅううううんっ!」
え? 犬? 宵、何で犬なんだ? いや、待て! きっとこれには何か関係性があるんだ。考えろ。考えろ、環斗!
宵はあたふたしながら環斗の背中から降りようとするが、思考中の環斗は気付かない。
――まさか! ま・さ・か! 宵が俺の犬になりたいという暗示ではっ?
そう考えた環斗は犬になった宵の姿を想ぞ――妄想してみた。
黒色のふさふさした犬耳。
モフモフで大きな黒色の尻尾。宵は制服姿で、スカートの裾を尻尾によって少したくしあげられる。更にそれは俺に見られたことにより、元気に振られる。
俺はその尻尾を触り、宵の頬は紅潮する。
いい! 凄くいい! 興奮する! 犬の従順さも、可愛さも何てことない仕種も宵なら似合う! むしろ、可愛い! 萌え過ぎて吐血できる! 否! 萌え死ねる! よし! なら、宵の望み通り――
じゃねぇええええ! 何やってんだ、俺は! バカか、俺は! いや、バカだ!
宵の家とはいえ、他人の家の門扉にガァン、と勢いよく頭を叩きつけた。
「え? ち、ちょっと、環斗くん! な、何やってるんですか! 死んじゃいますよ!」
「いいんだ、宵! 俺は目から火が出るってことわざを体言したい年頃だから!」
「か、環斗くん! 冷静になって下さい! ――って無理ですね! ごめんなさい!」
次の瞬間、環斗は自身の発した言葉通り目から火が出た。
宵が拳を環斗の脳天に叩き込んだのだ。
環斗は一瞬、倒れそうになり、宵は見事に着地。環斗は尻から倒れた。
「……ご、ごめんなさい。で、でも、落ち着けましたよね?」
おずおずと、手を差し延べながら宵は尋ねる。
「……ああ。ありがとう、宵。宵にやってもらうのが一番痛かったよ」
環斗は両目から罪悪感より、出てくる涙を流す。
心が、心が痛ぇよ、母ちゃ――ダメだ。あの母親なら喜んで酒の肴にしそうだ。いや、むしろ絶対する。
「ええ! す、すみません、環斗くん。急なことだったので手加減が下手で」
あたふたしながら話し続ける宵。環斗は立ち上がり、宵の頭を撫でた。
「いや、むしろ感謝してるよ。ありがとう、宵。じゃ、行こうか」
宵は頬を赤く染めながら下を見る。だが、そのまま少し経つと上目遣いで環斗を見た。
宵の瞳から放たれる視線は冬の寒気を忘れそうな程、熱く、乾燥を忘れる程、宵のオニキスの様な瞳は濡れていた。
「……か、環斗くん。い、いつまでこうしているんですか……?」
「あっ……ご、ごめん。なんというか、つい……」
宵に言われると環斗は慌てて手を引っ込める。
宵は物足りなさそうな表情をしたが、すぐに家のロックと向かい会った。
「えぇっと……解除番号は確か……一〇二〇八っと」
「えっ? おいおい! パスワードを他人の前で言ったらダメだろ!」
そう言うと、宵は環斗へと向き直り、ニコリと言った。
「別に問題はありませんよ。だって環斗くんのこと、信用してますから」
それを言われると、環斗は「うっ……」と言い、何も言えなくなった。
は、恥ずかしい……。けど、嬉しい。こ、これが噂に聞く「嬉し恥ずかし」かっ?
なんてことを思っていると、宵が続けて言葉を紡いだ。
「ところで環斗くん。この番号を聞いて、何か思い出しませんか?」
ん? 一〇二〇八だろ。……何かあったか?
そんな風に首を傾げると、宵は頬を膨らませ、不満そうな表情になる。
「忘れたんですか? 私と環斗くんが初めて会った日ですよ」
だが、そう言われても環斗にはピンと来なかった。
何故なら、二人が初めて出会ったのは春だったハズなのだ。
環斗が学校をサボって宵にプリントを届ける係に任ぜられた。
これはつまり、学年が変わったからだ。しかも、学年が変わってすぐでなければ、そんな係は作られない。そして、学年が変わるのは春。だが、十月は秋だ。時間軸がおかしい。
「……なぁ。俺と宵が初めて会ったのって、中学の時だよな?」
一応、念のために宵に確認をとる。すると、宵の答えは――
「何言ってるんですか? 私と環斗くんが初めて会ったのは小学校に入る前ですよ」
あり得ない、決して間違うハズのない記憶。
単純に忘れているのなら、話は簡単だ。しかし、環斗は昔、宵と会った記憶はない。そもそも、これ程、印象に残る家を環斗がそうそう忘れるハズはない。
「環斗くん。不思議に思いませんか? 普通、基礎訓練は大切だから時間をかけるものです。でも、環斗くんは恐らく、一日分しか受けてない。覚えていませんか? 昔、環斗くんは私よりも強かったんですよ?」
宵は恐らく、と言ったが、その言葉は確信したようなものだ。
そして、宵に会っただけでなく、宵より強かったと聞き、環斗は驚く。
「いやいや。俺が宵より強かった? なんの冗談だよ」
「事実です。私がまだ小学校に入ってすぐの時、環斗くんに一度お会いして、手合わせをしました。確か、お父様と一緒にいらっしゃったハズです。凄かったんですよ、環斗くんは。全部の攻撃を簡単に避けんですから」
やや興奮気味の宵。だが、環斗はそれを流した。
まぁ、宵が嘘吐く訳ないし、単純に俺が忘れてるだけだな。
自己の脳内でこの問題を解決する。そして、頭を振って雑念を捨て、集中させる。
「よし。じゃあ宵。修業の方、よろしく頼む」
環斗は宵の話の最後の部分を聞いていなかった。それを察した宵は不満そうに頬を膨らませる。
「むぅ……話が急に変わった……環斗くんがイジめます……」
宵の家は広い。
それは部屋数があり、一つ一つが広いのも挙げられるが、最大の理由が道場があるからだ
環斗は道場に着く前に宵と別れ、環斗一人で向かう。
道場への道は一本道だったお陰で迷わずに済んだ。
道場は木造。床も木造で、ニスが塗られているのだろう。床は木造の格子窓から零れる日光に照らされ、反射光を放っている。
環斗がそこに着くと、暖房がないのだろう。外気の低さが道場を支配していた。
むしろ靴がなく、足の防寒具が靴下だけになっている今の方が冷え込む。
無論、風を防げるだけ、マシではあるが。
そこでしばらくいると、木造の扉が流れるように開き、そこから絹の擦れる音と同時に、とてつもない美少女が現れた。
彼女は黒色の艶やかな長髪を靡かせ、絹で織られた桃色の和服を薄紅色の帯でとめ、白色の足袋を履いている。
桃色の和服には意匠を凝らし、桜の花弁が舞っている。
彼女が吐く白く、か細く、繊細な息は彼女の優美さを一層引き立てている。
「………………あんた、誰……………………?」
環斗は現れた宵に対し、賛美の言葉でも修業の催促でもなく、そんな言葉を吐いた。
すると、宵は頬を膨らませ、抗議した。
「環斗くん。私、この姿を親族の人に見せましたが、初めてその反応を聞きましたよ。せめて、感想くらいは聞きたかったです」
はぁ、と残念そうに嘆声を漏らす宵。だが、次の瞬間には表情を引き締めていた。
「では、環斗くん。打ち合いを始めましょうか。どうぞ」
そう言うと、宵は道場の奥に鎮座していた二本の刀の内、一本を渡した。
「はぁっ? 本物の刀をいきなりっ?」
困惑した表情で、数歩後退る環斗。
だが、宵は無理矢理、環斗にそれを握らせた。
「というかさ、宵。前から思ってたんだけど別に刀にこだわる必要はあるのか? どっかからスナイパーライフルでも調達して狙撃すりゃ、いいんじゃないのか?」
そんな環斗の疑問を宵は是非もなく言った。
「確かにそれも手です。ですが、彼の魔法は風です。狙撃しても質量的に心許ない弾丸では突風に飛ばされるのが関の山です。だからと言って軍用の弓矢もダメです。確かに弾丸より質量はありますが、古来より矢は風の勢いで優劣が決する兵器です。だから最終的に残った近接戦闘が可能な武器として、刀じゃなきゃいけないんです」
その宵の説を聞いて環斗は納得する。
「ともかく環斗くん、いいですか? 環斗くんが今、可及的速やかにすべきことは、私より強くなることです。昔、それができたんです。今も可能なハズです」
選択肢はないってことか。ま、元からそうだし、やるか。
ふぅ、と寒気ごと環斗は肺に空気を満たすと、それを吐いた。
「大丈夫だ、宵。俺はいつでも準備万端だ」
宵から渡された刀を鞘から解き放ちつつ、宵から距離をとる。
宵もそれに応じ、静かに、だが、素早く刀を抜いた。同時に二人は互いを射抜くかのように鋭く睨みながら正眼に構える。
――駆ける。
宵は刃先を右に構え、薙ぎ払い、環斗は姿勢を低くしながら刃に斜をつけて受け流す。
結果、環斗は上段のような構えになる。
環斗は気にせず、振り下ろす――が、その一刀は宵が素早く刀を引き戻し、峰で弾く。
環斗は一度、体勢を立て直すために下がる。
だが、そこを宵に打たれ、環斗は天井を仰いで、そのまま床に叩きつけられた。
「上段からの一撃は確かに強いですが、隙が大きいです。あと――」
環斗は宵が差し延べた華奢な手を掴み、起き上がる。
宵は環斗の今の打ち合いの欠点をざっと挙げ、改善方法を言う。
宵の手を環斗が改めて見る。その手は今、刀を振った。だが、刀を振るうどころか、握ることすら叶わないと思わせる程、華奢な手だ。
すると、環斗の視線に気付いた宵がジト目で環斗を見る。
「環斗くん。どこを見てるんですか? ちゃんと私の話、聞いてます?」
宵に名前を呼ばれ、環斗は宵の顔に視点を合わせた。
「あぁ、ごめん。ちょっと見惚れちゃってさ」
すると、宵は涼しそうな顔から一転。真っ赤になる。
「え? そ、そんな……た、確かにさっき、服の感想を要求しましたけど、こんな不意打ちは卑怯です。いや、もちろん嬉しいですよ。でも――」
宵は小さな声でブツブツと呟き始める。御多分に漏れず、環斗はまた聞こえない。
……なんか今日、こんなやりとりが多いな。で、顔を近付ければ例によって宵が倒れるんだろうなぁ。
――つまり! 俺って嫌われてるっ?
生理的嫌悪が強過ぎて俺が近付いたら吐きそうになって、結果、気絶。あり得る。いや、むしろそれ以外、考えられない。
「……宵。前に言ったよな。言いたいことがあったら言えって。いや、待て。何も言わなくてもいい。大丈夫、分かってる。宵は優しいから言えなかったんだよな」
現在の状況を整理すると、一人、悶々(もんもん)と考える宵。そして、絶賛自虐中で宵に余計な気遣いを与えまいと悪戦苦闘する環斗。
端から見れば、とても奇異な光景である。
「だから俺、決めたよ。宵から半径一メートル以内には近付かない」
その瞬間、季節は冬だが、それ以上に場が凍りついた。
「――……え……?」
目を丸くしながら、宵はそんな言葉しか言えなかった。
その瞬間、誤解した環斗は首を横に振って話を続けた。
「ごめん、分かった。なら、宵の視界に入らないように努力する」
しかし、二人の誤解は深まるばかりで、宵は首を大きく横に振った。
「なっ……! これ以上となると、かくなる上は死ぬしか――」
だが、ここで環斗は一つの壁にぶち当たり、砕けた。
「俺、まだまだ死ねねぇえええええええええ!」
ループ能力のせいで環斗は簡単には死ねないのだった。
ど、どどどどうする! このままじゃ、宵に迷惑がかかる! かと言って、今死んだら世界が救えない!
全人類と宵の生理的嫌悪に板挟み状態な環斗。宵の手前、全人類を環斗はとれない。
そんな風に考えに窮していると、宵が環斗の服の袖を引っ張った。
彼女は曲げた人差し指と親指で環斗の袖を挟む。宵と環斗は身長差故に宵が見上げる形となる。
宵の瞳は熱を帯びつつも、濡れている。そんな瞳を環斗に向ける。
「……ダメです」
宵が言葉を放った。環斗は何のことか分からず、「ん?」と言う。
「遠くに行っちゃ、ダメです。近くにいて下さい。むしろ、ずっと近くにいて下さい。ううん。いなきゃ、許しません。死んじゃうなんて、論外です」
宵は真剣な瞳で環斗を射抜く。環斗は、ふっと表情を緩めた。
「大丈夫だ。俺は死なない。魔法もあるし、死ぬ気もない。約束するよ。死なないって」
それは、環斗の本心であり、何があっても曲げる気のないものだ。
宵はその言葉を聞くと、不安げに、口を開いた。
「……本当ですか? いなく、なりませんか? 死にませんか?」
確かな、覚悟を持って環斗はそれに頷いた。
すると宵は、その答えを聞くと、おずおずと自身の小指を環斗に差し出す。
その、宵の行動を理解できぬ程、環斗は鈍感ではない。
環斗も自身の小指を出し、宵の出している小指に絡めた。
環斗の指は太くはない。だが、宵と比べればやや太い。
この二本の細く、宵に至っては壊れてしまいそうな程、細い契りは、その細さに不相応な程、重く、硬いものだった。
宵から小指を環斗が抜くと、宵は名残惜しそうに小指を見る。
「宵。大丈夫だ。絶対、俺は負けない。死なないよ。そのために今、こうしてるんだからさ。負けられねぇよ」
最後の言葉を向けた先は宵ではなく、環斗自身へ、であった。
環斗は落ちていた刀を拾い上げ、その切っ先を宵へと向ける。
「さぁ、宵。時間が勿体ない。早く始めようぜ」
そう言うと環斗は今度、下段に、宵は上段に構える。
宵が先に仕掛ける。彼女は上段から刀の自重と振り下ろす速度を勢いに乗せ、閃くような一刀を繰り出す。が、環斗も下段からこれを迎撃する。
刀と刀が触れ合った瞬間、環斗に言い知れぬ衝撃が腕に伝わり、痺れる。
――でも、これで受け止めきれ――ないっ?
痺れが頂点に達した環斗は宵の一刀の前に思わず刀を落としてしまう。
宵自身は涼しい顔で環斗の首筋にピタリと刃を当てている。
「……環斗くん。訓練の最初の頃に私、言わなかったですか? 武器は落とすなって」
残念だが、宵にはそれを言われたことはなかった。
即ち、落とすなど戦いの中では論外、という意味である。
「……悪い。今度は落とさない。いや、宵に一矢報いてやるさ」
痺れていない方の腕で刀を持つ。
通常の修業では腕が痺れれば中断し、痺れをとるが、環斗はループ能力のお陰で死ねば治る。だから、修業を続けられるのだ。
こうして、二人は夜の帳が周囲を埋め尽くすまで修業を続けた。
というわけで二章でした。えぇ、はい。仰ることは至極もっとも。もう作品とか関係なしに作者へ向けて罵詈雑言を浴びせて下さい。いえ。雑言ではありませんね。お言葉←語彙が少ない。を! とまぁとにかく。お詫びにもなっておりませんが三章も続けて投稿致します。重ね重ね申し訳ありませんが、四章構成になりそうです。えぇ、はい。どうぞどうぞ。罵って下さい! では、続きは三章の後書きで。