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29の夏  作者: 半月
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記憶

翌日も数週間見かけなかったはずの実方さんを見つけ、俺は内心首を傾げていた。

それは会わなかった人に会う不思議でもあるが、実方さんが何故か泣いているように見える不思議からの疑問だった。

あの時、彼女は俺を救ってくれた・・・・・・んだろう。彼女は今、蜃気楼さえ見えそうな屋上のベンチで、日差しを避けようともせずに座り続けている。

あの時俺は死にたいと願った。

今、彼女は熱中症で死んでしまいそうだと思う。

これも何かの縁か、と俺は彼女に声をかけた。

「実方、さんだよね?」

彼女はきょとんとして俺を見上げ、どなたですか?と首をかしげる。あぁ、どうせ俺なんかそんな程度の存在ですよ、と思いながらも一応笑顔で手のひらを見せ、以前治療してもらった千把です、と再び名乗った。

すると彼女はまた驚いたように目を見開くと微笑んだ。

あぁ、あなたが千把さんですか、などと彼女は言う。

まるで他人から聞いた話を元に俺のことを知っているかのように。

俺のことなんて覚えてないかな?などと苦笑すると、彼女はほんの少し苦笑して「すみません」と謝った。

謝る必要はないよと笑い、何をしてるのかと問いかければ彼女は考え事を、と言って遠くを眺める。

譲ってくれた隣に座れば、彼女は物思いに耽ったまま、「ねぇ、千把さんはある日自分が気づかないうちにかなりの時を経ていたらどうしますか?そう、まるで童話の浦島太郎みたいに」と言った。

俺は苦笑して驚くだろうね、と言った。

実方さんは驚くなんてそんな生易しいものだろうか、と再び問う。

彼女が何を求めているのかわからない。

なんにせよ、童話は童話でしかなく、現実には起こり得ないと言うことをそれとなく言ったら彼女は一瞬怒ったような顔をしてからまた少し泣きそうな顔になり、そうですよね、と呟いて顔を伏せた。

実方さんの身に浦島太郎現象が起こってるの?と尋ねれば、彼女はいいえ、と答えてまた泣きそうな顔で笑う。

何故今日の彼女はこんなにも弱気なのだろうか、俺は段々実方さんに何があったのか気になってきたが、他者が首を突っ込んでいきものなのかと、ぐっとこらえていた。

実方さんは「千把さんは自分が何者だろうと思うときはありますか」とまた尋ねてきた。

俺は正直によく思う、と答えて頷いた。彼女は少し笑った。

そうこうしている間に、俺の休み時間が消化されてきたので、俺は「ごめん、また」と告げるとその場を後にした。

また、と発した自分に驚いた。

また、会うのだろうか?彼女と。

また、話すのだろうか、俺は。

彼女とまた会う気がどうやら俺にはあるらしかった。

また、いつ会えるかもわからないのに、また会えるのかもわかりはしないのに。

すると、翌日も彼女を見つけた。

「実方さん、最近よくここにいるね、学校は?」

話しかけると彼女は、「千把さん、ですか?」と俺に訪ねる。

俺以外に俺と似た顔のやつがいるのだろうか?とりあえず、俺は頷くと、彼女は「あぁ、よかった。もし違っていたらどうしようかと思いました」と言って胸にてを添えると笑った。

それから俺の質問を思いだし、学校はもう行っていないのだ、と俺に告げた。

深く立ち入っていい事情なのかわからずにいると、彼女は少し悲しそうに笑って、もう行けないのだ、と付け加える。

夏休みを前に何かあったのだろうか、一人で悶々と思考を巡らせながら黙っていると、彼女は静かに笑って「暑いですね」と言った。

俺は室内に行くことを勧め、実方さんに缶ジュースの一本を奢った。

彼女は「ありがとうございます」と言って受け取った。

しばらくジュースを飲もうとしないので、「飲まないとジュース生ぬるくなってまずくなるよ?」と言うと、彼女はただ、「昨日もこれくらい暑かったんでしょうか。明日も今日のように暑いんでしょうか」と言って虚無な瞳で俺を見上げた。

答えは求められていないのかもしれないが、俺は暑かったね、明日も予報じゃ暑いらしい。熱中症にならないように。と言うと彼女は自分の手元に視線を落とし、「そうですね、気を付けなくては」と暗いトーンの声で呟いてプルタブに手をかけると勢いよくジュースを飲んだ。

まるでやけ酒でも浴びているかのような光景で俺は思わず、「どうしたの?」と聞かずにはいられなかった。

実方さんは、「いえ、自分が弱いばかりに耐えきれないだけです」と答えて俺を見ようとしなかった。

「よかったら、聞かせてくれないか?」と言えば彼女は、「千把さん、あなたはいい人です。傷つきたくなければ、私から離れてください」と訳のわからないことを言って、「ジュース、ごちそうさまでした」と微笑む。

窓辺からの逆行できちんとした彼女の表情は読み取れない。

だが俺は食い下がった。「俺が傷つくってどうゆうこと?」と聞けば彼女は、「私は障害者です、明日にはあなたのことを忘れるし、このジュースの味も忘れるでしょう、今こうしているという事実も忘れ、きっと今日の焼けつくような暑さも全て、全部全部、忘れるでしょう。それが新しく仲良くなる人を傷つけ、学ぶことを妨げる。私はあなたを傷つけたくないです。よくしてもらって、あなたをいい人だと思うからこそ、あなたは私に近づいてはいけません。私の言うことが、わかりますか?千把さん」と彼女は俺を見た。

俺の頭は混乱状態だった。実方さんが障害者?いや、明日には俺を忘れる?なんだ?なにがどうなってるんだ?

俺は一呼吸おいてから、「えーっと、つまり、君は、若年認知症か何か?」と知っているかぎりの思い当たる名をあげると、彼女は、「認知症であった方が、よかったのかもしれません。人に迷惑はかけますが、苦悩はきっと、こんなにしなかったでしょう。」と告げて苦笑した。

認知症ではなく、記憶がなくなる?そんなことあるのだろうか。今まで健康体で生きてきたため、病気や障害には詳しくない俺にはいきなり東大クラスの難題を叩きつけられているようにすら思えた。

そうこうしているうちに、実方さんは「さようなら、千把さん」と告げて俺に背を向けて去っていってしまった。

翌日、彼女はそこにいた。

俺は声をかけた。彼女は警戒し、身をこわばらせながら俺に「千把さん、ですか?」と問う。

俺は心に風穴が空いたかのように、その場に立ち尽くしてから、すぐに笑い、「千把って?君の彼氏?」と惚けた。

とたんに彼女は警戒心を解き、「違います、お節介で、なに考えているのかいつもよくわからなくて、大人なのに、私に構ってくれて、気にかけてくれる優しい人です・・・・・・でも、傷つけちゃいましたから、そうですよね、話しかけてくれるはずなんて、ないんですけど・・・・・・」と泣きそうに笑った。

彼女は、記憶が消えるのではなかったのか?何故俺の名を覚えていて、そんな感情をぶつけてくるのだ?

「まるでそいつのことが好きみたいな言い方だね」とからかってみせると、実方さんは真っ赤になって「違いますよ、いい人だとは思いますけど、そんな、好きだなんて・・・・・・!」とむきになった。

彼女の反応は俺のイタズラ心に火をつけたらしく、意識しないまま、いい人じゃなくて下心あっただけかもしれないよね、そいつ、とからかうと、実方さんは期待通りの反応を見せた。

「千把さんはそんな人じゃありません!」と怒ったのだ。だが、最後の一言は俺には正直、衝撃的だった「なにも知らないあなたに千把さんの何がわかるというの」と言ってそのまま立ち去ってしまったのである。何をそんなにむきになっているのだ?俺は実方さんにとってどんな存在なのだ?何故、俺のことでむきになる?そして、実方さんもまた、俺の何をそんなに知るというのだ。

俺は実方さんのことをよく知らない。同様に彼女だって俺のことを知らないはずなのに。

その日一日は彼女と目があってもそっぽを向かれる始末だった。

翌朝、彼女は屋上でうずくまっていた。

ついに熱中症で気持ち悪くなったのかと声をかけようとしたら、実方さんは何かを呟いていた。

よく耳をすませば、「千把さん・・・・・・」と俺を呼んでいるではないか。

「俺の名前は忘れるんじゃなかったの。俺の存在は忘れるんじゃなかったわけ?」思わず皮肉のように吐き出せば、彼女は顔をあげて「千把さんですか?」と俺に問う。

実方さんが俺を呼んだんでしょ、と言えば彼女は、「ごめんなさい、顔まで覚えていないので」と言って涙ぐむ。

何故泣くのかと問えば、あなたが実在したからだ、と彼女は答える。どういう意味かと問えば彼女は話してくれた。

今までの事を。

実方魅織、同時16歳、夏前に事故に会い、そこから先の記憶を脳内にとどめることができなくなったのだという。一日しか記憶の持たない少女・・・・・・そんなもの実在するのかと調べれば実際にそんな事例もあるらしい。

そのために彼女は事故にあってからの記憶をノートに書き込んで、すべての感情までも精細に記してあるのだという。

そのノートを読み返すときはいつもゼロ状態から始まるため、まるで小説を読んでいるようなのだと言う。小説も読んでいると主人公の気持ちがこちらに憑依してくるでしょう?そのようにして他の人にも抱いた感情を持ち合わせながら覚えていなくても愛しさだけを抱えているのです、などとよくわからない説明をうけた。

でも、顔を覚えていられない俺の存在は、本当は自分が作り出した虚無の存在であるかもしれない・・・・・・そう考え出したら、怖かったのだそうだ。本当はこの話は全部作り物で、自分だけが神経がおかしくなっているのではないか、と心配し、暗闇に落ちていた。

そこに俺が現れて今こんな状況に陥っているらしい。

そんなに顔が覚えていられないことが不安なら、俺の写真でもとってノートに貼り付けておけばいいよ、と俺は軽い調子で実方さんに告げた。

実方さんはちょっと笑って、でもそれは、貴方と関係をより強くするということですよ?などと言う。今さら何を言うかと返せば「そうですよね、ごめんなさい」と言って、しばらく黙ってから付け加えた。

「もう、千把さんなしにはいられないようです。こんな私と仲良くしてくれますか?」と付け加える。告白みたいだと言えば、彼女は顔を真っ赤にして違いますよ!と否定した。

それから彼女と俺の時は動き始めた。順々にゆっくりと、だが急速に。

時が経つにつれ、俺は彼女を、彼女は俺を欲するようになった。

だが俺はまだ純粋で一回りも年齢が違う彼女と男女の中になり、彼女を汚してしまっていいものなのかがわからなかった。事実をありのまま、受け入れることができずにいた。

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