09 私、早口は得意なんです。
「今、手持ちが一万マウロしかありません。グララドへ着けば更に五千マウロを上乗せ……いえ、タテシナ殿の言い分でお支払い致しましょう! どうか我々をグララドまで連れて行って頂きたい! お願いします!」
切羽詰まった声で訴えてくるマーセンにこっちが戸惑ってしまう。別に金額が見合わないわけではないのだが、というか相場を知らないので返事のしようもないわけなのだが、取りあえず落ち着いて欲しい。
「ちょ、ちょっと、待ってく……」
ださい、とマーセンの勢いをいったん止めようと両手を上げて掌を向けた途端、マーセンは黙ってくれたが護衛組が一斉に剣へ手をかけた。
またもやフリーズ警報か! どの動きで彼らのスイッチが入るのかリストを要求する!
「落ち着きなさい」
動くに動けないまま固まる私と護衛組に割って入ったのはニレスさんだった。
麗しい見目に寄らず、女性にしては低めの声がやけに寒々しい響きをしている。冷視する先は護衛組だ。
「ニレス……っ」
一歩進み出るニレスさんにマーセンが小声で諫めるが、ニレスさんは流し目で黙らせる。
「共通語も知らない娘相手に何を憤る必要がありますか」
「しかし!」
「我らに害を成そうとするならば、わざわざ祝術を駆使するまでもなく背後の毒竜に命じれば済むこと。祝詞を詠うよりも舞うよりも早く我らを始末できましょう。貴殿らは些細なことでいちいち殺気立つほど鍛錬が足りないのですか?」
ニレスさんの穏やかながらも痛烈な言葉に護衛組が押し黙る。
「言葉はもちろん、衣服からして見たことのない装い。精霊も知らぬというほどです。大陸の習慣を知らないというのであれば彼女の突然な行動も道理が立ちましょう」
「ですが、我らの油断を誘うという手もございます!」
「我らの油断を誘い、それから祝術を舞うと? 詠うよりも早く、使役する毒竜に一言命じれば我らが足掻く暇も、彼女に一矢報いる暇もないでしょう」
冷静な状況分析ありがとうございます。憶測含めて状況を今ひとつ把握しきれない私にはありがたい情報ではあるが、物騒な憶測を当人の目の前で口にするのは避けて頂きたいところだ。
渋々ながら護衛組はニレスさんの言い分にひとまずは納得したようである。
「重ね重ねの無礼をお許し頂きたい。マーセンに何か仰りたいようでしたが?」
ニレスさんが何もなかったかのように私へ問いかけてくるが空気が重い。
「えっと……その、まずは……毒竜? の意向を確認させてください」
「タテシナ殿は騎調士ではないのですか?」
ニレスさんが不思議そうに問いかけてくる。
「いえ……騎調士ではないです。騎調士というのも知りませんし」
息を飲んだり微かに声を漏らしたりと、連中がかすかにどよめく。
いち早く気を取り直したのはニレスさんであった。美人は驚く顔も美しい。
「では、どのように毒竜を手懐けたのですか? 毒竜は竜種の中でも特に気性が荒く攻撃的でそう容易く懐くことはありません。しかも三頭も引き連れておられる。騎調士としてよほどの腕前と思ったのですが……騎調士自体も知らないとは……」
本当は六頭を侍らかしていたりします。というか、どう説明すれば良いのか。私の特技を説明してすんなりと納得してもらえるのだろうか。
「……勝手に? その、動物に好かれやすい体質でして……」
しどろもどろに答えてみたら、案の定護衛組が胡散臭い目付きになった。自分でも胡散臭いと思うがなっ!
「騎調士とは野生の動物を捕らえ、人が扱えるようにまたは騎乗できるように調教し飼い慣らす者を言います。軍であれば必ず一人や二人は従事しているのですが、ご存知ないのですか」
知りません。
ニレスさんが呆れ混じりに説明してくれたが、知るわけもない。
返事をするたびにどよめくので、さりげなく癇に障る。
「と、とにかく、毒竜達に聞いてみないことには返答のしようがないので、ちょっと待ってもらえますか?」
その場の微妙な空気も変えたいというのもあり、そろそろと挙げていた両手を下ろしながら当初の予定を伺ってみる。
連中は互いの顔を見合わせた結果、ニレスさんが代表で頷いてくれたので黒のそばに近寄る。もちろん、連中に背を向けるなんて怖いことはできないので横向きだ。
「グララドって知っている?」
別に声を潜める必要はないのだが、なぜかひそひそと語りかけてしまう。
そういえば、このヤモリ精霊はワイバーンの言葉は翻訳してくれないのだろうか。ふと疑問に思いヤモリのいる手首を見下ろすと、私の仕草から疑問に気づいたのかローフさんが声をかけてきた。
「それは言葉を話せる人間のみに有効なのです。感情を訴える動物相手には効果がないのですよ」
ローフさんに視線を向けると、いささか申し訳ないような表情を浮かべていた。
なるほど、と納得して小さく頷きで答える。
一方、私の問いに黒が得意気に胸を張っていた。グララドという場所を知っているらしい。
「知ってるんだ? じゃぁ、そこまで『散歩』行こうか」
『行く!』と長い尻尾を左右に振る黒。
「彼らも乗せて欲しいんだけど?」
『嫌!』と不満気に黒は尻尾を地面に叩きつける。
「…………」
『…………』
上等だ。巣から出るとき、君は屈辱を味わったことを忘れているようだ。あのときの悔しさをもう一度経験したいというのだな?
宜しい。ならばその挑戦受けて立とうではないか。
旗揚げゲームでは負け知らずなのだよ。いざ!
『ご飯?』
「違う!」
『黙れ!!』
暇を持て余したらしい銅が顔を割り込ませて一声鳴いたが、私と黒の一喝ですごすごと伸ばした首を引っ込めた。茶色は何をしているのかと見れば、少し離れた場所で太い樹に牙を擦り付けて歯磨きだか牙砥ぎに精を出していた。
銅は馬鹿で、黒は俺様で、茶色は少しぼんやり気味のマイペース君らしい。大人しくしているようだし茶色はそっとしておこう。では、改めていざ!
「グララドまでお散歩行く?」
『行く!』
「彼らも一緒に」
『嫌!』
「散歩」
『行く!』
「グララドまで」
『行く!』
「彼らも」
『嫌!』
「嫌ならここでさようなら」
『嫌ぁっ!!』
赤揚げて白揚げないで赤下げない。淡々と「散歩」「彼らも」と繰り返しながら徐々にテンポを上げていく。
ちょっとした自慢だが、私は外郎売りの文句もパーフェクトである。この程度の早口など造作もないのだ。
地面に棘のついた尻尾を叩きつけては左右に振るので、良い塩梅に地面が掘り起こされている。関係ないが開墾するときにいいかもしれない。農家のバイトに使えないだろうか、などと思いつつ更にテンポを上げる。
ギャ、ギュ、ギャッ! キュ、ギュッ! との返事に尻尾が追い付かなくなってきた。左右上下の振りが間に合わずにグルングルンと円を描いている。
よし、そろそろ勝負をかけてやろう。
「散歩」
『行く!』
「グララドまで」
『行く!』
「彼らも」
『行く! い、嫌! 嫌っ!』
「遅い。もう行くって言ったし」
犬が伏せをして媚びるようにグォングォン鳴いて訴えてくるが、言質は多分取れたので聞く耳は持たない。
「じゃぁ、ここでさよならする?」
鋭利な爪で必死に地面を掻いている。気のせいか、目も潤んでいるように見えるが見なかったことにしよう。
彼らからの無条件な好意に胡座をかいているという後ろめたさは無きにしも非ずだが、私には先立つ物が必要なのである。
明日の晩ご飯を買う金も無ければ買える場所さえも見当がつかない現状、私は鬼にもなろう! いや、鬼になってみせる!
「彼らも乗せてくれる?」
『…………乗せる』
スンッと鼻を啜り諦めの一鳴きをして黒は折れた。
よし、これで一万五千マウロをゲットだ。
晴々しい気分で待っていた連中を見ると、微妙な生暖かい眼差しを向けられていた。
「……えっと、グララドまで行ってくれるそうです」
「こんな……威厳も何もない、詐欺まがいな騎調士は初めて見た……」
ヘルートがそっと視線を反らして小さくぼやいている。貴様、置いてくぞ。
「タテシナ殿。その……騎調士ではないとのことですが……毒竜に名を与えてはいないのですか?」
戸惑いがちローフさんが問いかけてきた。
名を与える? とは? と首を傾げる私にニレスさんがローフさんの言葉を継いで説明してくれる。
「簡単に言えば、飼い慣らした動物に名を与えると絆ができます。賢い動物になるほど絆は深く、毒竜ほどあれば声は届かずとも名を呼ばれると必ず飼い主の元へやってきましょう。馬でも時間は掛かりますが飼い主の傍へ戻ってこようとします。ほか、飼い主の命令も聞きやすくなるのですが……タテシナ殿は騎調士ではなくともその素質はお持ちのようですし、試しに名を与えてみたらどうでしょうか」
なるほど。しかし、名前をつけたら飼い主としての責任もついてくるのではないだろうか。だが、ワイバーンを連れて街中を歩くわけにもいかないし、絶対についてきそうだし、待てを覚えてくれるなら名を付けた方が便利か? 基本放し飼いで、腕白でも良い逞しく育て、であれば散歩もしなくて済む気がする。
「……名前、欲しい?」
ふてくされ気味に伏せたままの黒へ囁くと、甘えるように鼻面を擦り付けてきた。欲しいらしい。とはいえ、私の名付けセンスはお世辞にもよろしいとは言い難いものである。どうしようかと悩んでいたら、傍らで拗ねていた銅と歯磨きが終わった茶にも聞こえたらしく首を伸ばして鼻面を寄せてくる。
「わ、分かったから。えっと、じゃぁ……」
黒に飛燕、茶には屠竜と名付け、期待に満ちた眼差しを向けている銅を見て悩む。
サンポールをかけた十円玉のような鱗は夜の闇の中では綺麗にも思えるが、いくらお馬鹿とはいえサンポールではさすがに可哀想だろう。
「……お前は、秋火」
極一部の卓越した趣味の方達にはロマン溢れる名をそれぞれに付けてやる。
ゆるゆると尻尾を左右に振り、喉を鳴らしている様子からして喜んでいるようだ。
さて、取り敢えずワイバーンの件は片づいたので次は私である。
「グララドまで乗せるにあたり、先に一つお願いがあるのです」
改めて切り出す私に、なぜか緊張を漲らせるご一行。ふっかけられると警戒しているのだろうか、失礼な。
「……動きやすい服があれば分けて頂けませんでしょうか? 後、できたら食べ物も……」
虚を突かれたように一瞬呆気に取られた表情を浮かべていた連中だったが、さすがは商人。いち早く我に返ったマーセンが答えてくれた。
「も、もちろん! それだけで構わないのですか?」
「はい、この服装だと……毒竜に乗るのは厳しいので、できたら皆さんと同じような物を譲って頂けると助かります」
マーセンさんから貰ったお金で新しく買った服を返すもよし、マーセンさんから貰ったお金で新たに服を買い、借りた服を洗濯して返すもよし。どういう形で返すにしろ、マーセンさんからお金をもらってからになるがな! まさか、服と食べ物と報酬がすり替わっていた、なんてことはないと思いたい。
「確かに……その服では毒竜を駆るにはご不便でしょう。分かりました。ニレスの服をお譲り致しましょう。しかし……この辺りでは子供とはいえ女性は足を見せない風習ですが、タテシナ殿はどちらからいらしたのですか?」
思案気に逡巡したマーセンさんは私に答える傍らニレスさんへ頷いてみせ、ニレスさんが馬車へ向かったのを見届けてから視線を私に戻し問いかける。
直ぐ傍の馬車へ向かうニレスさんにヘルートがついていった。お嬢様も大変だな。
しかし、どこからか……か。別に好き好んで来たわけではないのだが。
さて、どう言って説明しようか?