08 私、ネチっこいんです。
「え? あれ? 何で、いきなり日本語……」
咄嗟に浮かんだ疑問が口に出てしまったが、切っ掛けはやはりこの手首をご機嫌に周回しているヤモリだろうか。
「アナタが話されている言葉はニホン語なのですね?」
ええ、アナタが"今"話されているのも日本語ですが?
ぎこちなく頷く私に、ヨーロピアンは柔和な笑みを浮かべて語りかけてくる。
「私が話しているのはソルベリア語というこの辺りでは一般的な、実質的な共通語です。ソルベリアはご存じですか?」
知りません。
頭を振って返す私に、ヨーロピアンは「そうですか……」と呟く。その後ろでは他の連中がヒソヒソと私を伺いながら言葉を交わしていた。
確かによくよくヨーロピアンの唇を見ると、言葉の音と動きがあっていない。しかも、唇を動かしてから音が聞こえるのに若干だが差を感じる。
ソルベリア語とやらを話しているというヨーロピアン。しかし、私は日本語を話し、彼の言葉も日本語に聞こえる。切っ掛けはヤモリだと見当付くのだがいったいどういった仕組みでいきなり会話ができるようになったのだろう。
少なくとも白亜紀へのタイムスリップ説は潰えた。
「では、精霊石も……ご存知……ではない。精霊……も、ご存知ないようですね」
問い掛けてはみたものの、精霊石ってなんぞや。精霊ってなんぞや。といった私の表情でヨーロピアンは察したらしく自己完結していく。
まぁ、イギリスのフェアリーとか付喪神的な精霊という意味なら知っているのだが。
そして、後ろの連中がまたもやヒソヒソと言葉を交わしている。
「アナタにお渡しした腕輪にあった赤い石が精霊石です。赤い石には言語の加護を与える精霊が宿っていたのですが……どうやら、アナタを気に入ったようで。仮宿である精霊石からアナタへ手順も踏まずに住まいを変えてしまいました」
何だろう、ヨーロピアンのトホホ的な笑みは。以前にも似たような笑顔を見たことがある。
私と離れるのを嫌がるペットの飼い主と同じ笑顔だ。
しかし、このヤモリが精霊なのか。二頭身並に小さくて可愛い金髪な少女で、キラキラとした羽が生えているのとはかなり姿が異なっているようだ。共通なのは羽だけであるが、コウモリのような羽とトンボみたいに透き通った羽とは雲泥の差ではなかろうか。
――いや、可愛い。うむ、君の羽も十分可愛いから。
胸中の思いを察したのか、手首からニョッキリと上半身を起こし、白目のない円らな瞳からは感情が伺えにくいわりに、そこはかとなく物悲しそうな気持ちを訴えてきている。気がする。
というか、下半身は手首に彫られた刺青のようなままなのに、起こした上半身はエクトプラズムのように半物質化しているのはなんでだろうか。
心の内で可愛いと連呼していたら満足したのか、再び刺青という二次元へ戻ってしまった。
「……あの、この精霊が私に住まいを移したということですが……その、何か問題がありますか?」
私に。身体的に。精神的に。
エクトプラズム状態で触れていてもまるっきり皮膚には感触がないので、気にしなければ存在を忘れてしまいそうなほどなのだが。
「ええ……いえ、問題はありません。精霊は乞われて気に入れば人間に協力してくれますが、契約を破棄してまで別の人間へ自ら協力するのは珍しいもので……元は言葉の通じない地域で商談を交わす際などに用いる道具でしたので、アナタが気になさる必要はありません。今は少し会話に間が生じていると思いますが、精霊が馴染めば間も無くなりますよ」
衛生中継のように微妙なレスポンスもその内なくなるのか。なるほど。何と便利なアイテムだ。求めていた答えとは幾分違う内容ではあったが、一般的なアイテムらしい。
しかし、言葉は理解できるのだが、精霊と契約がどうとか意味が解せない。解せないが、問い掛ける間もなく困惑しながらヨーロピアンは気を取り直して話しかけてくる。
「ところで、お名前を伺ってもよろしいでしょうか? 私は、祝術士のローフと申します」
祝術士――またもや聞きなれない言葉である。だが、意味を問う暇もなく、ローフと名乗ったヨーロピアンは、右手を左胸に添えて軽く頭を下げてきた。
「……立科と申します」
同じ仕草を返そうかとも思ったが正直作法が分からない。
軽く会釈程度で頭を下げるに留める。
「タテシナ殿、ですね。こちらは、ヘルート」
そう言ってローフさんが掌を返した先にいるのは、例の中近東風の男だ。
「突然のこととはいえ、助けて頂いたアナタへ無礼な振る舞いを取ってしまい申し訳ありませんでした」
「…………申し訳なかった」
相変らず苦虫を噛み潰したような渋い表情で、ヘルートやらが深く頭を下げてくる。
殺されそうになったことはまだ許す気になれんから、君は敬称無しだヘルートよ。
しかし、ローフさんには上手い具合に先手を取られてしまった。
そこはかとなく私にとって嫌な流れになりそうである。
人の好さそうな顔をしていて、ローフさんはなかなかに曲者っぽそうだ。
先に謝られてしまえば許さざるを得ないというか、その辺を承知でヘルートに謝罪させたような気がする。
何せ、顔を上げた当のヘルートはやはり『こんな小娘に』みたいな表情を浮かべているし、私が何か仕出かすのではないかといった疑いの眼差しを向けているのだ。後ろにいる連中も似たような目付きをしているが。
とは言え、ここで断わるといえば器量を疑われそうだし、右も左も分からない現状の上、食べ物と衣服が欲しいという下心が私にはある。
「いえ、こちらこそ驚かせてしまい申し訳ありませんでした」
即効で謝罪返しをしておく。もちろん下心のためにだが、そんな私の内心を知ってか知らずか、ローフさんは変わらず柔和な笑顔を浮かべている。
「タテシナ殿は騎調士なのでしょうか。毒竜を従えられる方を見るのは初めてです。しかも、同時に三頭も。失礼ですが、まだ歳若く見える女性なのに素晴らしい腕前ですね」
うむ。さっぱり分からんっ。
ヤモリのお蔭でソルベリア語とやらを勝手に日本語へ翻訳してくれるのだが、言葉は分かっても意味が理解できない。
毒竜とか物騒なのだが話の前後からして、毒竜というのはワイバーンのことだと察する。
騎調士とはなんだ。士と言うから何かしらの専門職とは思うが、ジョッキーみたいなことか? 祝術士とかいうのも、ローフさんが先ほどタクトみたいな杖を使って雷を放っていたので魔法使いみたいな意味だろうと推測する。
「いえ……その……ありがとうございます……?」
取り敢えず、意味は分からないが、日本的にお茶を濁しておこう。
そうだ、魔法使い。白亜紀説は消えたが、科学の粋を集めた未来へのタイムスリップ説はどうだろうか。
あのタクトの中にはマイクロチップとか科学的に小さい物詰まっていて、何らかの仕組みで雷を放出とか……移動に馬車とか金属の剣を使っているあたりこの説も無理だな。未来だったらきっとライトセーバーを使っているはずだ。
肩を落とす私にお構いなく、ローフさんが話を続けている。
「実は、我々はソルベリアからグララドへ向かう途中で山賊に襲われ、あわやというところをタテシナ殿が現れてくださり助かりました。ですが……」
とローフさんが振り返った先には、二頭の肥えた馬と言えばいいのか、スリムにして首と足を長くしたカバと言えばいいのか、初めて見るタイプの動物が馬車に繋がれ地面に倒れたままピクリとも動かないでいる。
恐らく件の山賊とやらに襲われて絶命したのだろう。山賊か……さっきのは山賊だったのか。恐ろしいところだ、どうしよう。
「ご覧の有様です。訳あって先を急ぐ旅なのですが、馬が潰されてしまい次の街まで優に二日は掛かります。……ヘルートの振る舞いに我々を警戒するのはご尤もとは思いますがタテシナ殿。どうか、我々をグララドまで、いえ! 次の街までも構いません! 送って頂けないでしょうか?」
…………ん? どういうことだろうか? 意味が分からず小首を傾げた私へローフさんが更に言い募る。
「毒竜の翼であれば、次の街までは数刻で到着します。グララドの王都まででしたら、一日……いえ、二日あれば十分です。先を急ぐあまりに街道から外れて進んでまいりましたが、街道へ戻る時間も今は正直惜しいのです。勝手な申し出に思うこともございましょうが、ここで巡り合えたのも何かのご縁。アナタの力をお借りしたいのです。お願いします!」
熱くお願いをされてしまった。
つまり、私をワイバーンの飼い主と思っての頼みごとらしい。
訴えられた内容は理解したが、ワイバーン達の飼い主というわけでもなく、彼らが言うことを聞くかと言われたら実に微妙なところなのだがどうしたらよいのだろうか。
「続きは私からお願いしよう」
返答に困っているところへアメリカンな美中年が話に割り込んできた。
「タテシナ殿、先ほどは危ういところを助けて頂きありがとうございました。また、ヘルートの無礼をお詫び致します」
と、ローフさん同様アメリカンが左胸に手を当てて頭を下げてくる。
「私はグララドで商いを行っているマーセンと申します。こちらは娘のニレス。ローフとヘルート、そしてこちらにいるワーロル、リラバ、クエリは私が雇った護衛達です」
美中年ことマーセンさんが隣に立つ美人さんのニレス嬢から、黒人風のワーロルさん、東南アジア風のリラバさん、特亜風のクエリさんと紹介してくれた。
ワーロルさんはこの中では黒人並に一番肌が黒くて髪は赤毛だ。リラバさんはヘルートほどではないが、少し褐色かかった肌がマレーシアとか東南アジア辺りの人に似ていて髪は濃い茶色である。
クエリさんは肌の色が他の連中に比べて日本人っぽい。気持ち目が細い中国人風で、髪は脱色したような明るいオレンジをしている。
ワーロルさん、リラバさん、クエリさんと紹介されるままに視線が移り、再びマーセンさんへ戻すと話を続けだす。
「グララド王へ献上する品を運んでいたのですが、ローフが話した通り、急ぐあまり山賊に襲われこの始末。納期に間に合わなければ私の首が飛んでしまいます。どうか、アナタの力を貸して頂けないでしょうか。もちろん、タダとは申しません。次の街、フマールまで送って頂けるのでしたら千マウロ、グララド王都までなら五千マウロをお支払い致しましょう」
いきなり交渉きた! が、マウロってお金だよね? 価値が分からんっ! 円か! ドルか! ユーロか! まさか、ジンバブエドルって落ちだったらどうしてくれよう。
ここらの夕食の相場は幾らなのだろうか。
日本円しか持っていないため金の話をされると心が激しく揺れまくるのだが、先にワイバーン共へ聞いてみないことには私の一存で決められない。
頷きそうになるのを堪えリーダー格である黒いのに確認しようとしたら、マーセンさんが慌てた様子で声を張り上げてきた。
「一万! 一万マウロで、どうかお願いしたい!!」
倍に跳ね上がった!!