06 私、実際には肝が据わっていなかったようです。
およそ四~五階くらいの高さから頻繁に閃く光の元を見下ろす。
微かに覗いていた日も既に落ち、小さな月が二つ上がりだしている。って、二つ? え? 恒星? 衛星?
いや、今気にするところではない。薄暗がりで顔の認識まではできないが、六人の人影と二十数名の人影が対峙して争っているようである。
一人が片腕を前に突き出すと持った杖の先から炎が走り、対抗側の一人が同じように片腕を突き出し杖の先から放った雷を炎にぶつけて散らしている。何だこのマジックショーは。
少人数側も健闘しているが、やはり人数多い方に利があるのかジワジワと押されてきている。
何がどうしてどうなっているのか。助けに入るべきなのだろうか。といっても私が行ったところで何の役にも立たないだろう。
何せ、他の連中は剣を討ち交わしているのだから。
竹刀ではなく、剣である。日本刀みたいに細長い剣ではなくて、もう少し……腕の太さくらいの幅がある剣を振るっているようである。
月の光に反射した刀身が見えた。
ここはやはり見ぬ振りをしてよそを当たるのが良いかもしれない。
そう思ったときである。
それまで下で争っている連中から気付かれない程度にゆっくりと羽ばたいていた銅がいきなり鳴きだすから思わずびびった。
ビクッと竦んだ反動で危うく落ちそうになる。
『滾るぜー! 喧嘩と花火は江戸の華よっ! 俺もヤるぜ! ヤってやるぜー!!』
咄嗟に見た銅は宙で上体を反らせ、目は興奮してなのか爛々とし、勇んだ様子で猫キック、ではなくワイバーンキックをその場で激しくして見せ、事もあろうに争っている連中目掛けて急降下していきやがる。
こいつ馬鹿だ!!
「ちょ、ちょーっ! 待て! 待って! 戻る! 戻れーっ!!」
人間より遥かにでかいワイバーンに圧し掛かれたら人間なんぞ軽くプチッといってしまう。冗談ではない。もしかしたら、衣服とご飯を提供してくれるかもしれないというのにっ!
いや、今さっき見捨てようとしたが消極的なのと積極的なのとでは罪悪感は雲泥の差である。
かなぎり声をあげて呼び戻そうとする私に、銅は『え~?』と不満そうに首を巡らせつつ、私の声に応じて仕方なさそうに急上昇する。
局地的暴風により木々が今にも倒れそうなほど撓っている。根っこがミシミシと悲鳴を上げているが辛うじて倒れるまでには至らず緊張が緩む。
下ではワイバーンの急襲に驚き、全員が上空を見上げていた。
どうしよう。いきなり団結してこちらを襲ってきたりしないだろうか。あの雷とか炎とかに当たると激しく焦げそうなのだが。
一旦は上空に戻った銅だが名残惜しいのか、連中の上でぐるぐると旋回している。
威嚇しているようにも見えるのでそばへ呼び戻そうとしたのだが、私が声を掛けるよりも早く大人数組みが慌しく逃げ去ってしまった。
助けた……ことになるのだろうか。謝ったほうがいいのだろうか。困った。
目線を合わせられる距離ではないが、残った少人数組みも何やら戸惑っている様子。
近寄ってもし彼らが物騒な行動を取るとしたならば、ワイバーンが三頭もいるのだから無闇に襲ってはこないかもしれない。それに、助けてもらってありがとう。お礼に食べ物と衣服を譲りましょう! なんて都合のよい展開になるかもしれない。彼らにしたら追剥的かもだが。
取り敢えず、これが初めての現地人なのだから当たって砕けろである。
黒へお願いし、地上へ下りてもらった私は滑り台の要領でワイバーンの羽から下りる。
窮屈ながらも三頭が下りられるスペースへ器用に銅と茶も下りてきて羽を畳む。
少人数組みは片腕を上げて巻き上がる風に飛び散る砂利を避けつつ遠巻きに様子を伺っていた。
上空にいたときには気付かなかったが、数名が地面に倒れている。
死んでいるのだろうか。いや、起きないのだからほぼ死んでいるのだろうけど、やはりこんな物騒な場所におりるべきではなかったかもしれない。
とはいえ、既に下りてしまった手前、ではさようならで済むはずもなく、逡巡している私に一人の剣を持つ男がゆっくりと様子を伺いつつ静かに声を掛けて近づいてきた。
イケメンよ、アナタの言葉が分からんっ!
しまった。言葉が通じないとは失念だった。どどどどどうしようっ!
「あ、あのっ!」
咄嗟に日本語が口に出てしまったが、歩み寄った男も聞きなれない言葉に驚いた様子で更にゆっくりと話しかけてくる。うむ、分かりません。
「すみません。何を仰っているのか分からないのですが……」
申し訳なく首を振ってジェスチャーで試みる。
男は背後に佇む仲間を一度振り返り、顎をしゃくって見せると更に男が一人ゆっくりと近づいてきた。
互いに互いの様子を伺いながらのゆっくりとした動きである。
最初に歩み寄ってきた男もイケメンであったが、後から近づいてきたのもイケメン、更に後ろにいる連中もイケメンとイケメン尽くし。
何と言うか、イケメン万博? 六人だけだが。肌の色合いというか顔の造詣といえばいいのか、白人風なのが二人、黒人風、中近東風、東南アジア風、東アジア風が各一人だ。
一番初めに私へ近づいたのが褐色の肌に黒い髪と黒い目をした中近東風の男である。良く言えば己の信念を持った、悪く言えば頑固一徹そうな面立ちに緊張からなのか厳しい表情を浮かべている。パッと見たところ、この人がリーダーっぽい。最初の一歩を踏み出してくるあたりが、であるが。
ついで、顎をしゃくられ進み出てきたのは白人タイプの白い肌にプラチナよりもう少し白味掛かった金髪と、暗い場所なのではっきりしないがダークブルー? いや、紫掛かった目をしているようだ。そこはかとなく育ちの良さが顔に出ているような柔和な顔立ちに、私を驚かさないようにと気遣っているのか、私の卑屈がそう思わせるのか、脅える子供に向けるような笑顔を浮かべている。
もう一人白人風の男もいるのだが、ヨーロッパ風に比べて鼻につかない程度の野心と自信を漲らせている美中年を勝手にアメリカン風味と決め付けてみる。同じ金髪でもヨーロピアンより濃いゴージャスな金髪で、距離があるために目の色までは分からない。
六人の中では年長らしいアメリカンは中年層の割には体に弛みも見えず、他の面子も肉体派らしいが負けず劣らずな体躯をしているように見える。雰囲気からアメリカン社長さんって感じだ。やり手だな? と思わせるというか。
他の連中を伺う前にヨーロピアンが静かに声を掛けてきたのだが、やはり何を言っているのか分からない。
これでは食事を分けて欲しくても訴えることができない。と、そこで私は閃いた。
「あっ!」
筆談ならぬ、絵談ならばいけるのではないかと、慌しく背負っていた鞄を肩から外そうと一瞬彼らから視線を外してしまった。
その瞬間、あたかもホームで新幹線の通過を見送ったかのように風が目の前を吹き抜けていった。 横からではなく上から下にであったが。
何事かと顔を上げると、三メートルほど離れていた中近東風の男が一メートルも満たない至近距離にいた。
そんな私達の間を遮っているのはワイバーンの太い茶色の尻尾。逆向きに寝ていた棘が今は威嚇するかのように立っている。
マーブルに渦巻いていた紫の模様が尻尾の後半を真紫に染めていた。
なるほど、今の風はこの尻尾が振り下ろされたからか。とぼんやり納得する。
しかし、達磨さんが転んだのつもりか? いきなり、ナンなのだ? と彼の表情を伺うためにゆっくりと視線を上げてみれば、彼は片手を振り上げたまま固まっている。
その振り上げた手に持っているのは月光を受けて輝く剣であり、先ほどの争いでついたのか刀身には赤い雫と脂の汚れが薄くこびりついているのが見えた。
ソレ、振り下ろしたら私の脳天に直撃しまいか?
ズンッと銅が一歩前に踏み出た振動で我に返った私は慌てふためき黒の元へと駆け出す。
何か背後で言っているが言葉分からないしそれどこではない。殺されようとしたのだ。
聞く耳なんぞ持つ場合ではない。が、いかんせん戦争も知らない平和な現代っ子、スラムなんて荒廃地域も無い日本人に殺傷事件なんて交通事故に合うであろうという認識よりも低いのだ。
はっきり言えば、てんぱっていたの一言である。極限の恐慌状態で黒の背に戻ろうとした。
今の私に取っては唯一の安全地帯なのだ。
だが、つるつるの鱗に指を掛けても虚しく滑るばかりで、下手に爪を掛ければ確実に剥がれそうである。手は震え、歯の根が合わない。ヒールが低いとは言えパンプスは鱗で滑るし、足を開こうにもタイトなスカートでは限りがある。傍から見ていればさぞかし滑稽な姿を披露したことだろう。
ズンッ、ズンッと響く銅のと思われる足音と怒声、金属のかち合う音も聞こえるが私は自分のことだけで精一杯である。
そんな中、一際鋭い怒声が響いた。場を鎮めるための一喝といえるだろうか。思わず肩越しに背後を振り返るほどの覇気だ。
人の合間を我が物顔で練り歩く銅相手に剣で追い払おうとする連中、そして私に剣を向けた男の後頭部を掴んで土下座を強いらせ、自分も地面に膝をついているヨーロピアンな男が見えた。
ヨーロピアンが必死な形相で何か訴えていた。
余りにも必死なその表情に、迷いが生じて絆されそうになる。
怖いのだが、一応話を聞くべきだろうか。
それとも剣で追い払おうと必死な人間相手へ、妙にやる気を見せている銅を留めるべきであろうか。
取り敢えず足音がうるさいので、銅の四股まがいな足踏みは止めさせることにした。