33 私、この歳で学習三昧です。
アーデントさんは何しに来たのか? とか、あなた達はなぜ隠密行動していたのか? とか、問い質したいことは多々あれど、時間も時間なのでと、結局クエリさんとへルートからは詳しい話を聞かせてもらえなかった。
とはいえ、有耶無耶にされても困るので、後日必ず説明してもらえるようクエリさんにお願いをする。クエリさんに。クエリさんだけに。それはもう執拗なほど念を押しておいた。
あまりにしつこかったからか、宥めすかされベッドへと追いやられてしまったのだが、去り際、ヘルートから妙な質問を受ける。
「お前、毒竜の邪魔がなかったら、あいつについて行くと答えてたか?」
「はい?」
あんな危険極まりない人物について行くほど、私は馬鹿に見えますか? とは、口には出さなかったものの、私の表情は雄弁だったようだ。へルートが一瞬怯む。
「殿下には大変お世話になっている身ですし、進んで不義理な事はしたくありません。それらを差し置いても、命がいくつあっても足りないような、波瀾万丈な人生など望んでません」
「王妃の座が手に入ると約束されていてもか?」
表情を取り繕う気にもなれず、思わず半目でへルートを見る。
「いや、悪かった。ゆっくり休んでくれ」
全くだ。
しかも「ふぅん」とか零しつつ去って行きやがりましたよ。本当に悪いと思っているのか。腹立たしさにゆっくりと休む気にもならないじゃないか。
右へ左へと寝返りをうち、まんじりともせず夜を明かしてしまった。
寝不足気味な翌日。
いつものようにリィタさんとイアナさんを交えた休憩時間、ダウェル国について尋ねてみた。もしかしたら、昨夜の件については聞いているのかもしれないが、今のところ私からは話してはいない。イアナさんの憤る様子が想像できるだけに、私から話すと面倒そうだなぁというのが第一の理由だったりするわけだが。
「タテシナ様は大陸のことは何もご存知ないとの事でしたが、グララド国以外の国についてはどれほどご存知なのでしょうか?」
「さっぱりです。名前だけでしたら、使者が来ているというダウェル国と、ニレスクル殿下が遊学されていたルンセ国、大陸での共通語にもなっている大国ソルベリアと、王妃の国元であるスルエル国くらいでしょうか」
指を折りつつ上げた各国は、グララド国へ来る途中にニレスさんから聞いた国名だ。
「そうですねぇ……こちら、お借りしますね」
リィタさんが書き取りに使用していた紙を一枚引き寄せ、大きな横長の楕円を一つ描いた。
「大雑把ではありますが、大陸と思って下さい。まず、ソルベリア国は最西端にある大国です」
楕円の左側、約1/3を占める場所に縦線が引かれ、その右隣、楕円の下側に沿うよう円が描かれる。
「今回、ニレスクル殿下が遊学されていたルンセ国がこちら。そして、我がグララドはここです」
ルンセ国に比べ、一回り小さな円が右上に描かれた。大きな楕円を十字に切り、左下枠の中央に近い場所がグララド国となる。
「そして、グララド国の真北にはマザリアという小国があり、その北にダウェル国があります。ちなみに、王妃のお国元であるスルエル国はこの辺りですね」
大きさといい、位置といい、ちょうど漢数字の『三』のように、中小大とグララド国、マザリア国、ダウェル国が団子状態になっている。ユーラシア大陸で例えるなら、グララド国はなんとかスタンが密集している辺りに位置しているようだ。ちなみにと付け加えられたスルエル国は右下枠、バングラデシュの辺りが近いように思う。
しかし、なぜダウェル国はマザリア国を飛ばしてグララド国へ侵攻してきたのだろうか。普通なら、国境が接している隣国のマザリア国を押えるべきなのでは? 紙に書かれた小さな円、マザリア国を指しながらリィタさんに聞いてみる。
「それは分かりません。マザリア国は資源が乏しい事からあまり魅力ある場所ではありませんし、秘密裏にダウェル国と通じていた可能性も否定できません。逆に我々を油断させる計画という可能性もあります」
「それよりも今問題なのは、我々から見ればダウェル国の侵略行為と思っておりますが、ダウェル国側からすれば、グララドこそが領土を侵してきたと言っているそうです」
「え?」
は? いや、だって、王都の直ぐ傍にある林へ軍を送り込んだのはダウェル国じゃありませんか。
「確かに、そうなのですが……。ダウェル軍がとつじょ領地に現われたことは、我々から見れば侵略行為に当たります。ですが、送出陣はグララドの計略により繋がれた。よって、グララドによる侵略行為を防ぐために軍を派遣した。というのがダウェル国側の言い分だそうです」
うん? 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるリィタさんに、思わず首を傾げる。
「以前にも簡単にお話しましたが、送出陣というのはそれは厳しく管理され、他国へ渡る際に軍や騎獣の移動は認められておりません」
そういえば先日そんな説明を受けましたね。
「送出陣を造ること自体は国でいたしますが、国内間においては別としまして、他国間に関しましては事前に教会へと申告し、できあがった送出陣は教会が管理いたします。正しくは、送出陣を利用する者の管理ですね。送出陣を利用した侵略行為を防ぐなどといった理由が主なところです。ちなみに、国内であれば軍も騎獣も移動は可能です。また災害が発生し、他国へ救援として派遣する場合も、この限りではありません。この場合は、教会を通して要請があります」
基本、送出陣の使用に関しては有料であるが、有事の際には当然ながら無料なのだとか。まぁ、災害という一刻を争うというときに、お金の話を持ち出されたりしたら教会への悪感情しか残らないもんね。
「送出陣を軍事利用することは禁じられていますので、違反した場合は制裁措置として教会が神軍を送ってきます。これが下手な戦争よりも厄介でして、まずは数が多いこと。教会は神兵に幾ばくかの手当を支給しますので、召集すれば信徒は必ず集まります。現在まで、幸いにも神兵の招集がなされたことはありませんが、大陸一の大国といえど、神軍を相手に勝つのは些か厳しいかと思われます」
それだけ人が集まるのか。何だかスケールが大きすぎて、想像しづらい。しかし、鶴の一声ではないが、教会の呼びかけで一国が持つ軍隊以上の人が集まってしまうとか、一体どれだけ規模の大きい宗教なんだろ。リィタさんが喉を潤している隙に、そっと控えめに挙手をしてみる。
「あの、お話の途中ですみません。その教会というのはどのようなものなんですか? その、規模とか? 以前にも少しだけお話を伺いましたけど、殆ど知らないも同然で……」
すると、それまで黙って会話を聞いていたイアナさんが、一瞬視線を交わしてリィタさんの代わりに口を開いた。
「教会というのは、世界を創り出した女神――ソルネルエを崇めておりまして、大陸においては国教となっている国が殆どです。地域によっては他の神を崇めている場所もありますが、少数派ですので割愛するといたしまして、ソルネルエ教の信徒は大陸の八割強と言われております。その内、教会が呼びかければ神兵として志願する者は半数に及ぶだろうとのことです。とはいえ、それだけの人数が実際に集まるかは分かりませんが」
「でも、大陸の半分に近い人数が一気に集まってきたら、確かに大変ですよねぇ」
イアナさんがしみじみと頷き、リィタさんがその後を引き継いで説明を続けてくれた。
「教会には最も権限を持つ者として九人の主教がおります。教会においての最高位ですね。神兵を集い、神軍を送るかどうかは主教たちの議決に左右されます。大陸の半分とは言い過ぎでしょうが、多勢に無勢であることには変わりありません。戦況は厳しく、恐らく負けることになるでしょう。そうなりますと、神兵への手当はもちろんのこと、遠征にかかった諸経費も合わせて請求されます」
つまり、戦争賠償みたいなものかな? 兵士への日当だけでも気が遠くなりそうだ。
「費用は莫大となる、と……国家予算軽く吹飛んじゃいますね。でも、お話を聞く限りでは、教会というのはかなり力を持っているように思えるのですけど、大丈夫なのですか?」
パワーバランス的な意味で。
「もちろん、脅威ではありますが、これで案外均衡が取れておりまして、国の政には口を挟まないという不文律もあります。かつて、大陸で戦争はありましたが、教会自体が介入したことはありません。といいますのも、人は国に帰属しているからです。国の有事が最優先であり、教会の招集は二の次となります。また、教会が介入できる事項は明文化されておりますし、教会側が過ちを犯せば逆に各国が制圧することになるでしょう。平時に送出陣を使って軍が他国へ移動することは禁止されている。今はそれだけ念頭に置いてくだされば結構です」
了解です。また分からないことがあったら、その時に聞けば良いか。
「そういった事情を踏まえまして、このたびダウェル国が送出陣を使い軍を送ってきました。これについて我々グララド国は抗議する権利があります。しかし、ダウェル国の言い分である『我が国がダウェル国へ繋がる送出陣を造った』となりますと、非はこちらとなります。教会への申請もなく、他国へ渡る送出陣が秘密裏に造られたこと。これは侵略行為と思われても致し方ありません」
ふむふむ。
「そうなりますと、ダウェル国の与り知らぬ送出陣があり、防衛のために軍を送った。という言い分は正当な行為とみなされてしまうのですね」
うぅむ。なるほど。
「今回、ダウェル国が使者を送ってきたというのも、送出陣への抗議についてだそうで。我々の出方次第では教会へ訴える可能性もあり、そうなりますと我々グララド国は痛くも無い腹を教会に探られ、果てはダウェル国への賠償とともに教会へ調停料を支払わなければならなくなります」
可愛い顔をしたイアナさんが、キリキリと眉をつり上げている。相当、ご立腹の様子だ。
「本当に教会はがめつくて……」
「しかし、寄進によって飢饉の際には教会の穀物庫が無償で開放されるのだから、貯金とでも思っていなさい」
すかさずぼやくイアナさんへ、リィタさんがいつものごとく窘める。
「でも、その送出陣を造ったのがグララド側という証拠はあるんですか?」
確か、送出陣は二つでワンセットだから、片方がグララドにあっても、もう片方となるダウェル国で、そう容易に造れるとも思えないのだが。
そう尋ねると、リィタさんとイアナさんは互いの顔を見合わせ、渋い表情を浮かべた。
「証拠はあるそうです。祝術士へ依頼した送出陣を造るための書類には、前宰相、王太后の署名が記されているのだとか。また、ダウェル国で送出陣を造るための協力者も既に捕らえたという話も聞き及んでおります」
あれ? でも、クーデターだったよね? その前宰相が集めた私兵って、ダウェル国ではなくこのグララド城へ押しかけていたではないか。そういう部分はスルーされてしまうのだろうか。
「前宰相がどのような考えであったのかは、教会側にとって重視すべき問題ではないのです。教会側が知り得ない送出陣がある、ということが問題なのです」
実に頭が痛い、とばかりにリィタさんがこめかみを押える。
何だか、ダウェル国にとって随分と良いカードが出揃っている印象だ。ニレスさんから掻い摘んで聞いた話では、少々後手に回っただけのように思えたのだけど、実際はダウェル国にかなり先手を取られていたのだろうか。向こうの方が数枚上手?
そんな事を思っていると、厨房の方から何やらざわめきというか、どよめきが漏れ聞こえた。扉を閉めてて尚聞き取れるのだから、現場はかなり騒然としているのではなかろうか。
またもや、剣を携えた狼藉者が押しかけてきたとか?
不安が顔に出たのか、リィタさんが苦笑を浮かべつつ腰を上げる。
「……少々、様子を見てまいりますね」
「何の騒ぎでしょう。残党は全て捕らえたと聞いておりますので、先日のような騒ぎはもう無いはずなのですが……」
出て行くリィタさんの背を二人で見送り、些か落ち着かない気持ちになりつつも、お茶のおかわりを頂く。
この世界に来て十日弱。ワイバーンに始まり、私の環境は一向に落ち着く気配がない。クーデターとか何だとか王子とか王子とか。日本ではまず縁のなかった騒動のあれこれを振り返り、早く日本に帰りたい。そう深く、強く、思いながらお茶を啜る私であった。