32 私、嘘でも良いからロマンスは欲しいのです。
使者が滞在してから四日が過ぎた。
ダウェル国との話し合いがどこまで進んでいるのか、こちらにまで、というか私にまで伝わってはこないため、どんな案配であるのかさっぱり分からないのだが、日を追うごとに見かける人たちがピリピリしているように感じられる。
思うに、グララド国側にとっては、余り芳しくない状況なのだろう。
一方、ワイバーンたちは事前にお願いしたとおり、辺りが暗くなってから三頭二組に分かれて狩りに出かけている。私が寝ようかという頃には、三頭が留守番で残っているのが常だ。
一日目の夜、庭に面した窓を閉めてみようかと試みたところ、前半の留守番組である秋水が、尻尾を挟んできたため半分だけとなってしまった。その翌晩は以前に戻り、順番に顔を突っ込んでくるので、全開といった有様である。
しかも、昼はそうでもないのだが、夜になるとどうにもそわそわと落ち着きがないように見える。
どうしたのかと聞いても、ジッと見つめてくるだけ――いや、ジッと見つめていると思ったら顔を寄せてきて舐めようとする。舐めなくていいからというやり取りの繰り返しに、意向を汲み取ろうとするのは諦めた。
今日も今日とて、私の一日は普段と変わらずに終わり、鍾馗、屠竜、秋水の留守番組を眺めつつベッドへ横たわった。今夜の首突っ込み隊員は秋水である。鼻の穴がベッド脇にあるため、生暖かい息が定期的に吹き掛かってくるのも慣れたものだ。
寝付いてからどれほど時間が過ぎたのだろうか。
間近から聞こえた小さく喉を鳴らす音に目が覚める。ワイバーンたちが身じろぐ気配に薄く目を開けると、秋水が外へと顔を向けているところだった。
屠竜は丸くなり瞼を閉じて眠っている。鍾馗も丸くなってはいるものの、薄く瞼をあけ、生け垣のある方を見つめている。秋水が顔を向けた先も、鍾馗と同じ生け垣の方だ。
「秋水」
秋水と鍾馗の、耳をそば立てるような、気配を伺うような様子に自然と声を顰めて呼びかけるが、こちらを向こうとしない。
先日の騒ぎで、反逆者たちを一掃できたと聞いたが、まだ残りがいたのだろうか。それならそうと教えてくれるはずである。
それとも、誰かワイバーンを見にやって来たか。昼に三階のテラスから、ワイバーンを見に来ていた人たちもいるし、あながち無いとも言い切れない。
三階であれば不用意に近づくことはないので気に留めていないが、庭から近寄られると人嫌いである鍾馗の機嫌が悪くなってしまう。
ベッドから下り、上着を羽織ると庭へ出て様子を伺ったが、人影は見当たらなかった。はて? と首を傾げつつ、屠竜の傍へと寄る。野生はどこへいったとばかりにスヨスヨと寝ている様子を眺め、軽く二メートルを超える生垣へと目を向けた。
この先は、賓客を歓迎するときなどに使用される庭だ。二層構造の生け垣は綺麗に剪定され、使用人が出入りする様子を直接見せない配慮と、こちら側を目隠しする役割を担っている。
人が来るとするならば、アーチ状に刈り取られた場所からだろう。
息を潜め、ジッと見つめていたが誰かが来る気配は感じられなかった。
気のせいかとベッドへ戻ろうとした時、カサリと草を踏む音が聞こえ、再度振り返ると、そこには立派な体躯の男が立っていた。
暗がりに浮かぶシルエットだけでも、筋骨隆々と伺い知れる体つきだ。上背もあり、肩幅も広く厚い。男が一歩踏み出したため、月明かりに晒された容貌が見えた。こちらを見据える鋭い眼差しに、思わず一歩下がってしまう。
短く刈られた髪は黒、月光を受けた肌は白い。夜目でも分かる目はアクアマリンのような透明度の高い水色だ。パッと見た印象は三十台半ば辺りかも知れないが、実際にはもう少し若いかもしれない。
男が更に大きく一歩踏み出したため、更に一歩下がると屠竜にぶつかった。男との距離は僅か五メートルばかりだ。
眦の上がった目が細められ、 炯々たる眼差しに獰猛さが加わる。大型の野生動物と対面すれば、こんな薄ら寒い気持ちになるのかもしれない。いや、私の特技があれば、野生動物の方がまだ安心と言える。
「お前が毒竜の騎調士か」
男性的な重みのある低い声から、嘲りが含まれているように感じられた。屠竜の体に張り付きながら、部屋へ逃げ込もうとするが、そうはさせじと一気に距離を詰めた男に手を取られてしまう。
「いっ!」
掴まれた手が痛いし怖い! 初対面時のへルートより数倍怖い。萎縮する私を引き寄せた男は、大きな手で顎を掴み覗き込んでくる。その目は青い氷山を彷彿とさせるせいか、冷たく酷薄な印象が否めない。隙を作るとか、交渉の余地を見いだすとか、その場しのぎが通じるような相手ではないと本能で分かる。まず、臑や股間を蹴っても怪我するのは私だと断言しよう。
「毒竜の騎調士が居ると聞き、どれほどの猛者かと思えば……ただの小娘ではないか。まぁ、いい」
掴んだ顎を右へ左へと向け、存分に見定めた男は独り言ちて鼻で笑った。鼻で! 遺憾の意さえ言えない自分が恨めしい!
「娘。俺の国へ、毒竜と共に来い」
しかもいきなり命令系。検討の余地すら与えられませんよ。あれですよね。答えはイエスしか認めないというヤツですね? というか、俺の国? は? え? ということは、この男――――。
「……あなた……ダウェル国の」
ダウェル国から来たという使者か。思わず漏れた呟きに、男が双眸を細める。
「金、領土、ドレス、宝石。望みの物を与えてやろう。どうだ」
いや、どうだと言われてもっ。
身を屈め顔を寄せてくる男から顔を背けたいのだが、背後には屠竜がいるため、横へ傾いでいくという情けない格好である。
「……こ、断ったら……?」
それでも小気な声で返せば、顎にあった手が首へと移り、気道を軽く押された。明確な回答、ありがとうございます。地味に苦しいです。
「名誉を望むか。それとも地位か、男か。あぁ、そうだな。王妃の座が空いている。俺の妃として迎え入れようか」
思わず目を見開いた。俺の妃ですと? って、この人、使者とかではなく、まさかのダウェル国王本人ですか! 王様自らやってきているなんて聞いていませんけどっ! いや、教えてもらえる筋合いはないかもですが!
「ダ、ダウェル国王?」
「いや、違う」
ですよねー。あぁ、びっくりした。王様自ら乗り込んでくるわけないですよねー。しかし、男は王妃云々で釣れたと思ったのか、口端を歪めた笑みで見下ろす。
「その息子だ」
あぁ、息子。……王子の方か! どっちにしたって、気軽にやってきて良い身分じゃないではないか!
「いずれ子ができれば先は国母だ。女の身で得られる地位としては、これ以上のものはあるまい?」
いえ、国母とか興味ありませんけど……やだ、どうしよう。異世界の人だけど、同じホモサピエンスと思わしき男性からいきなりプロポーズ。告白とか交際吹っ飛ばして、プロポーズされたぁ……なんて、喜べるかぁ! 将を射んと欲すればまず馬を射よですね! 私、馬ですね! 役に立たなかったら、やはり首がどうにかなるのですよね。いくら私でも分かります。お馬鹿な勘違いしたくても、する隙がこれっぽちも! 微塵たりともありません!
寝ているところをグイグイと押されたせいか、背後の屠竜が微かに身じろぐ。うるさく思ったのかも知れない。
しかし、すまない。君を気にしている余裕はないのだ。というか、助けろ。いや、助けてください。してはいけない時に邪魔をするくらいなら、今こそ邪魔をすべきだ。
なまじ男に気圧され、ワイバーンたちへ助けも求められない。寧ろ、助けを呼ぼうとすれば、首に掛かった手が躊躇いなく力を込めるだろうと確信できる。
さりとて、その場しのぎでイエスと答えようものなら、このままダウェル国へ出奔となりそうだ。
どうしたら男の手から逃げられる? ほんのちょっと、ちょっとだけ離れる隙ができればワイバーンたちに助けを求められるのに。
私だけが一方的に緊迫している雰囲気の中、ゆっくりと私たちの上に影が差す。と、なぜか首にかかっていた手が離れていった。
「騎調士の命令がなくとも、主人の機微を悟るか。ますます欲しい」
何をいきなり言い出すのか。怪訝に眉を顰めると、頭上から大きな水滴がツー……ッと男の腕に落ちてくる。糸を引いて落ちてくる水滴を目で追えば、屠竜の顎の下が見えた。途端、男が後ろへと跳び、同時に男が今まで居た場所へ屠竜が勢いよく口を閉じやがりました!
「ひっ」
目の前で、ガチンッと牙が咬み合う音に思わず背筋が寒くなる。男が素早く避けたからよいものの、あのままいたらスプラッタを目撃するところだった。生ぬるい赤いシャワー浴びるところだったよ!
そのまま、戦いている私を屠竜が長い首で巻き込み、内側へと囲ってしまう。ちょ! 見えない! というか、六頭の中では一番のんびりで穏やかな屠竜が、鼻面に皺を寄せ、牙を剥き出して威嚇しているではないか。
ああ、屠竜さん!
と、感激している場合ではなく、慌てて太い首に這い上り男を伺うと、鍾馗が振るった尾を避けていた。身のこなしが軽い。そんな男へ秋水が歩み寄ると、引き際と判断したらしい。
「今日のところは諦めよう。我が名はアーデント。その気になったらいつでもダウェルへ来い。歓迎してやる」
また会おう。楽しげに、いや皮肉か? そう告げると、男――アーデントさんは素早く去って行った。
取り敢ず、危機は去った……か?
「秋水、鍾馗。もういいよ、ありがとう。屠竜もありがとう」
生け垣を倒して追いかけていきそうな二頭を呼び止め、ヘナヘナと腰の抜けかけた体を屠竜の首に預ける。
あの人、一体何しに来たのだろう。確か、ダウェル国御一行は、正反対の場所にいると聞いたが、夜の散歩――はこの広い城で、迷ってここまで辿り着くとかはあり得ない。距離がありすぎる。目的を持ってここへ来たはずだ。
そして、目的といえばワイバーンなのだろうけれど、ただ見に来ただけとかは流石にないだろうし、持ち帰れる大きさでもない。
アーデントさんの言葉通り、本当に私ごと連れて行くつもりだったのか? いや、小娘とか言って驚いていたな。
ダウェル国としては、ちょっかいをかけたいグララド国にワイバーンがいれば邪魔だろうし、手っ取り早く騎調士を片付けた方が楽だもんね。寧ろ、騎調士が消えて、統制の取れなくなったワイバーンが暴れれば儲けものか? となると、やはり殺りに来たと考えるのが妥当だろう。
「…………」
至った考えにゾッと背筋が冷え、思わず屠竜の首にしがみつき、今更ながらに湧いてくる恐怖をやり過ごす。
『何ー? 眠いのー。眠いのー』
しがみつくというよりも、グイグイ体を押しつけていたためか、屠竜が抗議じみた様子で喉を唸らせた。気を紛らわせるのもあったが、助けてくれた感謝の気持ちも込めてですね……いや、いいです。邪魔してすみません。というか、さっきの威嚇は眠いのを邪魔されたからとか……いや、止めておこう。
外は寒いが部屋へ戻る気にもなれず、溜息を零して屠竜に凭れていると、未だ気が立っている鍾馗が尻尾の先でバシバシと地面を叩いている。鍾馗の向いている先は生け垣のアーチだ。
「鍾馗、どうしたの。夜だから静かにしてようね」
ハッ! まさか、アーデントさんがまだ近くにいるってことはないよね。慌てて警戒の眼差しを向けると、へルートとクエリさんが静かにアーチを潜ってきた。あぁ、だから鍾馗の気が立っていたのかと納得する。アーデントさんに続いて、人の気配を感じて苛ついたのだろう。
しかし、現れた見知った二人にホッと肩の力が抜ける。へルートはさておき、クエリさんの姿は緊張を解きほぐしてくれた。なにせ、クエリさんとは腐土竜の件で担ぎ担がれた仲ですし。一方的ながら、絶大な信頼を寄せている。
再び寝入った屠竜の囲いから出ると、二人の傍へと歩み寄る。
「こんな夜更けに、お二方揃ってどうしたのですか」
問いかけてみると、二人は一度顔を見合わせ、クエリさんが答えてくれた。
「ダウェルの者が夜更けに動き回っておりましたので、動向を探る為に跡を付けていたのです」
へぇ、そうなのか。そっちはそっちで相変わらず大変そう……って、ちょっと待て。と言う事は、私が首を絞められていたのも見ていたのか。
「……いや、危なくなったらもちろん」
「もちろん? え? もちろん、なんですか? え?」
「す……すまない。怖い思いをさせた……」
恨めしげに睨め付けていると、クエリさんは気まずそうに目を逸らした。ついでに、勢いに飲まれたのか、罪悪感のためか、敬語も崩れた。バディーな仲ですから構いませんけどね。
でもでも、クエリさん酷いよ! 危なくなる前に出てこようよ! ロマンの欠片もないプロポーズも聞いていたのかよ! 一応、私が妙齢な女性だってことを認識していようよ!
色々と訴えたいところへ、へルートのなおざりな声が割って入る。
「まぁ、あいつが一介の使者ではなかったと確信が持てたわけだし、お手柄か?」
そんなこと知りませんよ! へルートは空気を読め! あ! 鍾馗は空気読んじゃ駄目っ。へルートを咬んじゃ駄目ーっ!