31 私、告白しようと思います。
日が出ているとはいえ外の空気は冷たいのだが、テーブルの下には寒さを凌ぐために置かれた火桶から火の妖精がちらほらと踊り、寒さはまったく感じられない。
そこへティーセットを乗せたトレイを手に、リィタさんが戻ってくる。
お茶を注ぐ鮮麗な仕草にしばし見惚れ、それぞれの前に湯気の立つカップが置かれるとリィタさんは一歩下がり、ニレスさんが途切れた話を再開した。
「使者の到着が明日を控えた今、過ぎたことを言っても仕方ありません。使者が帰国したのちに、改めて陛下との謁見の時間を設けたいと思っております。――ところで、タテシナ殿は近々帰国される予定があるのでしょうか」
できる事なら。可能であれば。予定を立てられるのであれば立てたいです。室内とはいえ下着干しっ放しですし、掃除も週末にと思っていたので酷い有様ですから、それはもう早急に、火急に。
日本へ帰れる方法、とまでは言わなくとも、その糸口があるかもしれない。期待のあまりついつい見つめていると、なぜか軽く咳払いをして、瞼を伏せてしまった。睫長いですね。萌えます。
「最初にお会いしたときの服装や荷物から、旅装とは見受けられませんでしたし、大陸での常識もよくお分かりではない様子。食料も持ち合わせておられなかった。毒竜を六頭も従えていては、町にも入れない。どのように大陸の東まで行かれるつもりだったのでしょう。毒竜の羽がいくら早くとも、宿も取らず、携帯食もなく飛び続けるには些か無理がある距離です」
そうでした。ニレスさんたちと遭遇したときはスーツでしたものね。持ち物だって、通勤用の鞄だから持ち物などたかが知れている。しかし、よく見ているなぁと感心してしまう。その反面、どう説明したらよいのか。俯いてしまった私にニレスさんが気遣うような声で先を続ける。
「あぁ、詮索をしようという訳ではないのです。先程もお伝えしましたが、陛下より褒賞を与えたいとのお言葉もあり、タテシナ殿の都合にあわせた品物をと考えているのです。帰国を予定されているのであれば、旅路で役立つ物がよろしいかと思いまして」
色々とお世話になっているというのに、この上更に気を遣ってもらって、情けが身に沁みるというか、目も染みてきてしまう。
今はじっくりと話している時間はないが、大事な話があるということだけは覚えていてもらわなければ。魔法――正しくは精霊だけど、科学の発達よりも不思議な力が発達している世界で、どこまで自分が異質と思われるか。ワイバーンを六頭も懐かせているだけでも十分異質のようだし、ニレスさんたちが好意的に接してくれているから、その手を翻されるのが怖かったから、結局は自分が何者であるかを明かさないまま今日まできてしまった。ニレスさんの立場とか踏まえ、やはりちゃんと全てを話すべきだと思う。うん。そのためには、まとまった時間を取って貰わなければ。
「あ、ありがとうございます。その……正直に言いますと、帰るためにどこへ向かえば良いのかも分かりませんし、先立つ物もありません。グララド国のことはもちろん、大陸のことも何一つとして知りません。右も左も分からない状態なのです」
ニレスさんだって忙しい。なにせ、侵攻しようとした国の使者が明日にはやってくる。異世界から来ましたなんて、正直に話せば荒唐無稽と思われるのが関の山だけど、どう転ぼうとニレスさんに頼らなければ、進む道とて分からないのだ。息を吸い込み腹を括ると、顔をあげてニレスさんを見る。
「褒賞を頂けるというご配慮、とても身に余る光栄です。ありがとうございます。……そのご厚意に甘え、ニレスさん……いえ、ニレスクル殿下にお願いしたいことがあります。私が国へ帰るための知恵をお借りしたいのです。可能であればその手段を頼りたいのです」
緊張のあまり声が震えてしまうが致し方ない。端的に異物を排除しようとすることは、社会集団では当然の反応である。
何が怖いって異端審問だ。ニレスさんたちは信頼している。
だけど、私を知らない第三者は? ワイバーン六頭を連れ回している異世界人。それだけでも何か怖い。
その結果が魔女裁判でしたなんて、それこそ冗談ではない。
そうだ。送出陣の事故で、異世界人なんてゴロゴロいますから、なんて都合の良い話があるかもしれないし! 魔女裁判は避けられても、物理的な面倒を見てもらえるとしても、精神的にボッチとかやはり無理ですし! ここはやはり腹を割って誠意をみせ、なんとしてでもニレスさんの理解と協力を得なければ!
悪い方へと傾く思考から、思わず気張ってしまう私に驚いたのか、ニレスさんが二度三度と繰り返し瞬き、小首を傾げている。
「もちろん。我々でお手伝いできるのであれば、遠慮なく仰ってください」
「ありがとうございます。ダウェル国の使者が去ってからで構いません。改めてお時間を頂けますでしょうか」
「……分かりました。必ず、使者が去りましたら時間を設けて話を伺いましょう」
そう約束してくれたニレスさんへ、万感の思いから深く、深く頭を下げてお願いをする。本当に善い人と出会えた。
『ブッフー』
「…………」
いきなり割り込んできた妙な音にぎこちなく後ろを振り向けば、鍾馗が真後ろから鼻を鳴らして熱い息を吐き出している。
『ンッフー』
続いて飛燕もだ。更に、秋火、呑龍と加わり鼻輪唱である。何、この台無し感。
「……すみません。少々、失礼します」
「あ、あぁ……」
断りを入れてから席を立つと、鈍獣の牙が積まれた庭の片隅へと向かいワイバーンと阿武隈を呼んだ。グーロ君に前脚で叩かれ、シュレイに蹴られ、転がされて遊んでいた阿武隈が喜び勇んでやってくる。ありがとう、グーロ君、シュレイ。お礼の気持ちを込めて片手を挙げてみせると、グーロ君とシュレイが頷きで応えてくれた。
「さて、阿武隈君。この牙の中からどれか一つ持って、あの山の真ん中辺りを一周して帰ってこれるかな?」
『できるよ!』
「そっかぁ。阿武隈は凄いねぇ。ちょっとやってみようか。これなんかどうかな」
小さめを一つ指してみせると、阿武隈は賢く頷き牙を浮かせて見せる。
『よ ゆ う!』
「凄い凄い! じゃあ、早速行ってみよっか。あ、みんなに牙を取られたら阿武隈の負けね。明日一日動くの禁止」
『えっ?』
瞼のない目を見開き、ハッとこちらを向いたが、パン! と、手を叩くと条件反射よろしく阿武隈はすっ飛んで山の方へと駆けていく。さすが韋駄天である。
「はいみんなー。阿武隈の持っている牙を奪い取って帰ってこれたら、ご褒美に夜のお散歩をしてあげまーす」
『なん……だと?』
四頭が目を見開いて一斉にこちらを見るが、構わずにテーブルへと戻る。近くにいたら危ないからね。はい、ヨーイドン! と椅子に座り手を叩いた途端、ワイバーンどもは慌ただしく羽ばたき飛び去っていった。
そのまま暫くは帰ってこなくてよろしい。
結局、ワイバーンたちを追い払ったものの、改めて時間を取るとの約束を交わした後、ニレスさんは時間の都合で去って行った。そして、阿武隈たちは帰ってきた。早いよ。考える暇もないよ。
「よーし! もう一周行ってみようか」
『はう~ん』
妙に気色悪い嬉しそうな鳴き声をあげて駆けていく阿武隈と、慌ただしく転回して追いかけていくワイバーンたちを眺めながら、深い息を吐き出した。これで少しは時間を稼げるはず。
どうニレスさんに説明したら良いのだろうか。まずは異世界人であることのカミングアウトだ。信じてもらえなかったら鞄の中味をみせてみよう。お持たせの菓子折りに使われている包装紙や、包装用フィルム、乾燥剤はこちらの世界にはないはずだ。携帯をあちらで落としてしまったのは悔やまれるが、致し方ない。後は筆記用具、ペットボトル、飴に財布くらいか? 場合に寄っては鞄その物や、着ていた服と靴も使えるだろう。
信じてもらえたのなら、その先はどう説明する? いきなり穴に落ちたと思ったら、この世界の空でした? こんな話、私とて他人からいきなり言われたら、呆れるを通り越して精神を患っているのかと哀れんでしまう。しかし、事実なのだから訴えるしかない。過去に、私のような事例があるか否か、あるならその人はどうしたのか。元の世界に帰れたのかどうか。帰れなかったら……ここで生活できる基盤について助言を求めよう。うん。大体の流れはこんな感じだ。よし、これで行こう。後は野となれ山となれである。なんとか帰れる手段がありますように! 阿武隈たちがもう少し遅く戻ってきますように! もっと遅く戻ってきていいのよ!
こちらに勢いよく向かってくる一群を睨み付けながら、それはもう切実に願った。
そして翌日――ダウェル国の使者がやってきた。と、昼食を運んできてくれたリィタさんが教えてくれた。行儀悪くも昼食を頂きながらではあったが。
昼前に到着したという二十人弱からなる一団は、五名が文官、残りが武官、要は護衛だろうとのこと。正直、ダウェル国との話し合いは、私には関係ない話なのだが、お昼を食べ終えたらしっかりとワイバーンたちに釘を刺しておかなければなるまい。
なにせ、翼魚でやってきているのだ。食べに行かれでもしたら困ってしまう。
そのワイバーンたちであるが、昨日は阿武隈が圧倒的に勝ってみせ、ワイバーンたちとの散歩はお預けとなった。使者が帰ったら、思う存分、心ゆくまで、私の身が持つまで空の散歩に付き合ってあげようとは思っている。帰るまで大人しくしていてくれたら、ではあるが。
まぁ、それは良いとして。昨夜は不思議なことに、寝ているときに鼻を突っ込んでくるのがいなかった。今も、視界にいる範囲に私がいれば問題ない様子でのんびりとしている。昨日までの、あのベッタリ感はなんだったのだろうか。試しに今夜、様子を見て窓を閉めてみようか。慣れてきたとはいえ、心理的にも夜は窓を閉めていたい。
そんなことをつらつらと考えながら、昼食を済ませ、書き取りの練習の合間に阿武隈と遊ぶ。今日は布を丸めて縛ったボールでヘッドストールをさせておく。書き取り一枚終わったら、頭に乗せた布ボールを返してもらい、再び投げて頭の上へ乗せている間に書き取りをする。
転がり落ちそうになるボールを器用にバランス取りながら、部屋をトタトタ一周したり、時には浮かせて弾ませたり、お尻でレフティングもどきをしている。
「…………」
レフティングといえば、阿武隈がもう少し賢くなって色々と安全面に問題なくなったら、空中ラフティングできないだろうか。ホバーボード、無理かな。ワイバーンにロープくっつけてウェイクボードとか。フライボード、は水がないから厳しいか。サーフィンもスノボもスケボもしたことはないけど。お金に困ったらそんなレジャー経営やってみるのもいいかもしれない。
現実逃避な将来設計を描きつつ、書き取りの練習を終えたあとはワイバーンたちを構い、夕食を済ませてからお風呂を頂くまでの短い時間、リィタさんとイアナさんとお茶を飲みなが軽く雑談である。件の使者についてだ。
「本日は挨拶を交わしただけで、明日から本格的な話し合いが行われるようですよ」
「使者というのは、どんな方たちなのですか?」
素朴な疑問を口にすると、顔を見合わせたリィタさんとイアナさんだが、答えてくれたのはリィタさんである。
「我々は携わっていないので分かりかねますが、現ダウェル王は僭王とも呼ばれている方で、周りにいる者も血の気が多いと言えましょう。恐らくですが、今回来られた使者も文官はともかく、武官は先鋭な者たちではないかと思っております」
「話し合いで、心理的な圧力をかけるつもりなのでしょうか」
「それもあると思われます」
リィタさんが微かに眉を顰めたのに対し、イアナさんが拳を握り毅然と言い切った。
「ご心配には及びませんわ! 陛下がダウェル国の使者ごときに引けをとるような方ではございませんもの!」
ごとき――ですか。イアナさん、ほんわかとした雰囲気で笑顔の可愛い女性なのに、そのたわわで柔らかそうなマシュマロの奥に、秘めきれない、というか秘める気が更々ない熱情をお持ちなのですね。