30 私、ますます王子様に夢を見そうです。
突如発生した小さな竜巻は、室内の広さから鑑みると、正しく呼ぶなら旋風といった規模だ。しかし、吹き付けてくる風はとても強く、飛燕の脚にしがみつきながらも押されがちである。思わず腕を上げて目を庇い、顔を背けながらも、リィタさんとイアナさんを伺えば、風力に乗じて庭へと下がってきている。
そして、なんと! 吹きすさぶ風の中央にはレオが! もとい。ライオンを二回りも三回りも大きくしたような、白いエクトプラズムがいるではないか!
後ろ姿からでも感じられる威風堂々とした姿。男たちを睥睨しながらも渦巻く風に合わせ、鬣が揺れている様子に思わず魅入ってしまう。濃霧を凝縮したような白い百獣の王が太い右前脚を浮かせ、怒りを示すかのように力強く床へ踏み下ろすと、威力を増した旋風は四散し、残党一味を吹き飛ばしてしまった。
そんな荘厳たるライオンの頭の上には、どこかへと吹き飛んでいったはずの阿武隈が、さも自分の手柄かのように胸を張ってお座りをしている。その阿武隈の頭の上には、紫色のちんまりとした島柄長状なシュレイが乗り、羽をバサッと広げるたびに天井から雷を光らせている。
ていうか阿武隈さん。君、そこで何しているのよ。というか、そのライオンさん誰よ。エクトプラズムなのだから精霊だよね。ライオンを中心に室内で吹き荒れる風とくれば言わずもがな風の精霊だろう。それにあの濃霧を凝縮したような色合いには覚えがある。シュレイもいるってことは、そうだ! グーロ君! グーロ君だ! グーロ君、マジ格好いいです! 格好良すぎて惚れちゃいますっ!
と、私が極々個人的な感情で気を取られている間に、じりじりと下がってきたリィタさんとイアナさんがいつの間にか私を挟んで立っていた。一方、吹き飛ばされた男たちも体勢を立て直し、構えた剣先をグーロ君へ向けている。
リィタさんとイアナさんも傍らにいるのであれば遠慮は無用。ここは一択逃げるに如かずだ。グーロ君が壁になっている間にと、二人へ逃げようと囁こうとした時である。
厨房側の扉が勢いよく開き、ローフさんとワロールさんが飛び込んできた。更には大広間側の扉も開き、リラバさんとクエリさんが抜き身の剣を手に現われる。そして――――。
「タテシナ殿!」
頭上から覇気ある声に名を呼ばれ、咄嗟に見上げるとニレスさんが二階のテラスから飛び下り、男たちから庇うように私たちの目の前へと立ち塞がったのである。やる事なす事、ニレスさんマジ王子様です!! ついでに続いてテラスから飛び下りたへルートも、ニレスさんの隣に立って剣を男たちに向けた。ニレスさんとへルートが構えると、すかさずリィタさんとイアナさんが私を隠すかのように一歩前へと出る。
これで五人対八人プラス精霊二匹だ。一気に形勢逆転し、男たちも流石に大人しくなるかと思われたが、彼らのやる気は萎えるどころか昂ぶる一方だった。
グーロ君の巻き起こす風は確かに強風ではあるが、前のめりになりつつも辛うじて立っていられる強さだ。シュレイの雷も、以前に見た威力からすれば小さいように思える。男たちの近くに雷を走らせるだけで、直接には当てようとしない。あくまでも牽制、補助的な加減に見えた。
それでも男たちは屈する様子もなく、ニレスさんが現れたことで一層殺気立ってこちらへ向かってこようとしているのだ。一体何がこれほどまでに彼らを駆り立てているのだろうか。
先ほど怒声をあげた、男の血走った目が恐ろしい。目標が私からニレスさんへ移ったようだが、生気を欠いた、濁ったような目はこちらを見ているというのに私たちを素通りしているような、どことなく薄気味悪い眼差しだ。その癖、怒気を帯びた表情はニレスさんへの拭いがたい怨恨がありありと伺える。
「うおおぉぉぉぉ!!」
剣を振り上げながら声を張り上げたリーダー格と思しき男がニレスさんへ向かっていく。
だが、そうはさせじと前へと踊り出たへルートによって、振り下ろされた力は受け止める剣で遮られ、勢いに乗じて横へと薙ぎ払われた。
重心を流され泳ぐ体を渾身の力で堪えるが、剣を持つ手が浮き上がり空いた脇へとへルートの拳が飛び込む。
しかし男も然る者ながら、半身を引くようにしながら空かさず前に回した左手で拳を払い軌道を変えてしまう。
「チッ!」
忌々しげなへルートの舌打ちが聞こえる。
そして、後ろへ飛び退くように距離を取った男は改めて剣を構え直し、へルートと睨み合った。
へルートが斬り交わす一方で、垣間見たリラバさんとクエリさん、ワロールさんが激しい肉弾戦を繰り広げていた。男たちの持っていた剣はどうしたのかと辺りを見ると、床に放電し続けている剣が落ちている。おそらくシュレイの仕業だろう。丁度、ローフさんが放つ雷に感電した男の一人が床に倒れ込んだところだった。
埒が明かないと思ったのか、哮り立つ獅子さながらにグーロ君が声なき咆哮をあげた途端、一陣の烈風が吹き荒れ男たちが堪えきれずに煽られ、そして転がり尻餅をついた。
それからは早かった。グーロ君の繰り出す旋風に立つこともままならない男たちをワロールさんが組み伏せ、リラバさんが昏倒させ、クエリさんが容赦なく拳を振るう。それでもめげずに立ち上がるリーダー格の男へはシュレイが電を落とし、へルートが顎を蹴り上げていた。ニレスさんへ辿り着くこともできずに、残党一味は雪崩れ込んできた近衛兵たちによって御用と相なり連れ出されていったのである。
しかし、一行が捕らわれるまでは確かに早かったが、男たちの鬼気迫る様子は薄ら寒くあった。膝をついてなお、立ち上がろうとする姿は気骨を感じるというものではなく、あの生気を失ったような目は狂気に似たものさえ感じた。大逆とはいえ、彼らなりの正義を貫いての行動なのだろうが、気迫というかそういうものとは真逆のような。
なんとも説明しがたい、どことなく腑に落ちない気分で首を傾げる私の横では、人間たちの騒ぎなど気にする様子もなくワイバーンたちが寛いでいる。先程まで不機嫌も露わにしていた癖に、私が傍に張り付いたことでもうどうでもいいのか、『行ってきまーす』と一鳴きした屠竜と秋水は共にご飯探しへと旅立ってしまった。
「…………」
いや、何よりも大切なご飯ですものね。えぇ、大好きなご飯ですもの。引き留めたりはしませんよ。えぇ。でもね。もうちょっと、こう……もうちょっと、こう……なんか、あるじゃない? と胸の内にもやもやとしたものが渦巻きもするが、ワイバーン相手に心情を察しろという方が無理なのか。そうなのか。格好いいワイバーン見てみたい。いや、六頭の全力とか見たら、きっとお世話になってる部屋とか庭が酷いことになりそうだから、うん。このまんまでいいかなとか。
ちょっと足の先を見下ろす私の視界に、阿武隈が尾を振り振りやってくる。
『褒めて!』
「いやいや、君はただ膨らんだ瞬間に飛んで行っただけじゃないの。何を、どこを褒めろと」
思わず突っ込むと、阿武隈はグーロ君を振り返り、再び私を見上げ尾を激しく振る。
『喚んできた!』
「……へ……へぇ……え? 喚ぶ?」
あれで? いや、あれが? あんな派手なことをしておいて、ただ呼びに行っただけ? この場合は喚ぶなのか? いや、そうではなくて。え? どこに褒めるところが?! 開いた口が塞がらないのですが。
だが、阿武隈は無垢な目で褒めてと無心に見つめてくる。見つめてくる。激しく見つめてくる。逸らしたくても逸らせないほど、熱烈に見つめてくる。
「……あー……うん。ありがとう? 凄く助かったよ……うな?」
助かったのは事実だし、素直とは言い難い気分ながらも礼を告げれば一層ご機嫌に尾を振り立てている。
「うん。ご苦労。ありがとう。また何かあったときには頼りにしているからよろしくね?」
おざなりな手つきで阿武隈を撫でれば、気を良くしたのか再びグーロ君の元へと駆け戻り、太い足にじゃれついては踏みつけられ、叩かれるように転がされている。実に楽しそうなので、そのままグーロ君へ子守を託すことにした。
それよりも、である。
「リィタさん、イアナさん。ありがとうございました。お怪我は大丈夫ですか?」
とくにイアナさんは男から手荒に扱われていたのだ。その顔に怪我はないかと思わず見つめる私に、乱れた髪を撫でつけながらイアナさんは柔らかい笑みを返してくる。
「これしき、問題はございません。どうかお気になさらないでください」
「万が一にもあってはならないことですが、客人へ危害が及ぶことがあってはなりません。他国の賓客であれば尚更のこと。お世話を任される我々は、いざというときにはお逃げ頂く隙を作るため、血路を見いだす最低限の訓練は受けております。この程度の騒動で狼狽えていては、世話係は勤まりません」
あくまで隙を作るだけで、倒すほどの腕ではありませんが。と、イアナさんに続いてリィタさんまでもが、頼りがいのある笑みを浮かべて頷いてみせる。姐さんです。姐さん方が目の前におられます。
「ですので、タテシナ様もどうか。二度とこのような事が起こらないよう我々も努めますが、有事の際には何を置いてもお逃げ頂くようご協力くださいませ」
さっさと逃げてくださいと言われても、素直には頷きづらいところではある。何せ、たかだか数日の付き合いとはいえ、良くして貰っている二人を遠慮無く犠牲にするなど抵抗があるではないか。なのだが、足手まといであることは重々承知しているので渋々と、本当に渋々と頷かざるを得ない。
「えーと……えーと、いざという時にはお二方の仰る通りにしたいと思いますが、その……なるべく一緒に逃げて頂ければ心強く……」
もそもそと服の裾を弄りながら蚊の鳴くような声で告げれば、二人は「あらあら、まぁまぁ」と微笑ましいとばかりに笑った。
「タテシナ殿」
そこへ、諸々の指示を与えに一旦離れていたニレスさんが歩み寄ってきた。リィタさんとイアナさんが私の背後へと控え姿勢を正す。ニレスさんの後ろに続くのは、ローフさんとへルートだ。
「無事でしたか」
「はい、傷一つありません。リィタさんとイアナさんのお陰です。ありがとうございました」
目の前に立つニレスさんへお礼を告げると、ニレスさんはリィタさんとイアナさんに軽く頷くことで労ってみせる。
「これでなんとか不安要素は払拭されましたが、明日からはまた別口で頭の痛い連中がやってきます。ゆっくりと落ち着いて話すどころか、タテシナ殿には不便ばかりをかけて申し訳ない」
些か疲れた様子で息をつくニレスさんに、思わず同情を寄せてしまう。私の心配事と言えば、冷蔵庫の中味と家賃と勤務状況くらいである。無断欠勤が続いているから、そろそろ実家に連絡がいって捜索願を出されているかもしれない。そう思うと非常に胃の痛い思いでして。そんな私の悩みと、ニレスさんの悩みを比べようというのも烏滸がましい話ではあるが。
「いえ、公務は大事ですし。ダウェル国の使者が帰られたらで結構ですので、その、今後のこともありますし、お時間を頂ければ助かります」
「そのことですが……リィタ、庭にお茶の準備を頼む」
「かしこまりました」
乱入してきた男たちにより些か荒れた室内は、使用人たちが片付けてくれている。ニレスさんの言葉に、リィタさんはお茶の支度へと、イアナさん打ち身の手当のためにとその場から離れ、ローフさんに声を掛けられた使用人の数人が、ワイバーンの寛ぐ庭へおそるおそるテーブルと数客の椅子を運んでくる。
「本来ならもう少し早く顔を出しておくべきだったのですが……どうですか? 足りないものなどはありませんか?」
用意が整うまでの立ち話なのか、ニレスさんが気遣いの言葉を掛けてきた。
「問題はありませんし、リィタさんもイアナさんも良くして頂いております」
「そうですか……実は、ダウェル国の使者が来る前に、陛下との謁見の時間をと考えていたのですが……」
テーブルのセッティングが済んだ椅子へと促されつつ、ニレスさんがとんでもない事を口にした。
「え? はっ?!」
はいっ?!
おののく私に、ニレスさんが逆に驚く。
「タテシナ殿のお陰で、我々はいち早く国に戻れました。何より、ダウェル軍の侵攻も防いだ、その功績はとても大きいです。陛下が褒賞を与えたいと仰るのも当然でしょう」
当然ですか? 当然ですよね。そうですよね。えぇ、ですよねー! なんて一般市民である私が言えるはずもない。ないが、当然ではありませんとも言えない。うぐぐ、と言葉に詰まっている私へ怪訝な眼差しを向けつつも、ニレスさんの話はなお続く。
「ダウェル国の使者が来る前に、陛下との謁見の時間を設ける予定だったのですが、思いのほか後処理や残党たちに時間を取られてしまいました」
ままならない事情ゆえか、ニレスさんが言葉を切り、溜息混じりに深く息を吐き出す。心なしか眉間が曇っているようだ。そんな憂いた表情でさえ麗しいのがニレスさんである。状況は脇に置いて眼福でございます。なんて思ってたらへルートに睨まれた。格好良いものは格好良いのだからしょうがないじゃないか。しょうがないんだよ!