23 私、人には言えない夢があったんです。
いつか。そう、いつかの話である。もし恋人ができたなら、言ってみたい台詞が一つある。最近では恋人そのものが儚い夢なのではと思っていたりもするが、一度くらい「私と仕事とどっちが大事なのよ!」と、恋人とふざけ合ってみたかった。
よもやその夢が、この日この異世界にて図らずも叶うことになろうとは。
「私とオケラとどっちが大事なのよーっ!」
『ゴハーン』
オケラに負けた。真剣にダメージが計り知れない。万が一、いつか恋人ができたとき、そのときは冗談でも言わないと心に誓った。今誓った。
しかし、打ち拉がれる私をよそに、彼等はモーニングの支度で熱中夢中である。
なんだか意気消沈するのも馬鹿らしくなってきた。
ふてくされながらも彼等の様子を伺っていると、ダウェル軍がいる辺りは森の外れ近くのようである。今、私たちの立つ位置はちょうど市壁と森の中間地点であり、市壁から森までの距離は有名所な遊園地が五~六個は入りそうな広大さだ。これだけ開けた場所へ訪れたことはないので、実際に遊園地がいくつ入るかは分からないが、観光客誘致ポスターなどで見るラベンダー畑や牧場などを彷彿させるパノラマさである。
ワイバーンたちは空を飛び、オケラが殊更大きいということもあってよく見えると言えば見えるのだが木が生い茂っている部分までは見えにくい。しかし、オケラの出没した位置と森の切れ目から目測すると、そう森の奥深くに潜んでいたわけではないようだ。
オケラ――もとい、腐土竜が地中から飛び出したせいで送出陣が壊れたのか、キラキラと光る粒子が空中へと舞い上がっていく。おそらく寄せ集められた精霊なのだろう。腐土竜が全長に比べて短く見える前脚を振り回すことで、突起のあたりに粒子が引き寄せられているようだ。その吸引力たるや、サイクロン式掃除機がごとくである。くるくると渦を巻いて引き寄せられた精霊が、腐土竜の前脚でワタアメ状態になっていく。そして前脚を口元に寄せると、スッと粒子が消えてしまうのだ。確かに、紛れもなく餌だった。そんな腐土竜にワイバーンたちが突撃しているのである。
っていうか、ちょっと待てーいっ! さながら今の私はムンクだ。腐土竜の出現はダウェル軍の自業自得と言えるだろう。送出陣がなければ腐土竜は現われなかったのだから。一次被害は止むを得ない。しかし、ワイバーンたちの朝食大作戦に伴う被害拡大がダウェル軍の責任かと問われると明言し難く、ワイバーンの朝食がよもや後にグララド国とダウェル国の禍根となるのでは。そんな不安な思いからクエリさんを横目に見ると、彼は拳をグッと握っていた。映画やドラマでイエスッ!と言っている外国人の姿とそっくりである。禍根とか諸事情に関しては、気づかなかったことにしよう。
ワイバーンたちに視線を戻すと、飛燕だけが空中に留まっていた。司令塔になるのだろうか。そういえば翼魚に襲われたときも、一頭離れていたなと思い出す。
飛燕に次いで体の大きい秋火と秋水が腐土竜の正面へと急降下し、それぞれが勢いの乗った尾で顔を叩こうとするが、腐土竜は図体に見合わず機敏に避けている。避けているとは語弊があるかもしれない。秋火と秋水は急上昇時にしなる尾で目を狙っているようだが、腐土竜は前脚でタイミング良く振り払っているのだ。しかし、地中を移動する腐土竜の視力を潰してどこまで効果があるのか甚だ疑問ではある。秋火と秋水による攻撃の合間に呑竜が触覚を引き抜こうと下降していくが、これまた腐土竜に頭を振られて上手く掴めないようだ。
腐土竜の巨体からして短い腕とはいえ、元々はシロナガスクジラクラスが前脚を振り回しているのだから、その威力たるや凄まじいものがある。秋火が突撃すると右前脚で振り払うので辺りの木は吹っ飛び、秋水が突撃すると左前脚が払いのけるので辺りの木がなぎ倒されていく。ついでに呑竜が触手を取ろうとすると尻を振るので辺りの木が横倒しになるといった有様だ。ダウェル軍は――確実に無事じゃないだろう。
彼等が暴れてくれるお陰というべきなのか、障害物がことごとくなくなっていく。木も軍もことごとくなくなっていくので、こちらからはよく見える状態になりつつある。完全に見物人と化している我々だ。寧ろ徹している。ハラヘッタ怪獣大戦争に飛び込む意志など微塵たりとてない。
一方、屠竜と鍾馗は腐土竜の脚、六本あるうちの後脚と後翅を狙っているようだ。それに対し、腐土竜は前翅をこすり合わせて鳴き声を響かせているのだが、これがかなりの大音量である。威嚇なのかジーッというようなビーッというような音が聞こえてくる。グーロから風の加護を受けていたはずなのだが、思わず眉を顰める大きさだ。
ん? 飛燕が咆哮をあげたとき、ニレスさんがグーロの加護を強めてくれたから大きな音は調整されているはずなのだが。ふと気づけば日は当たっているのに肌寒さを感じる。もしかしてニレスさんと離れたことにより、グーロの加護が弱まっているのか切れているのかもしれない。城にいる皆が無事だとよいのだが。
しかし、相当な距離があって尚大きな鳴き声なのだから、近くにいればもっと鼓膜に影響が出そうである。ワイバーンたちの聴覚は無事だろうか。ご飯に夢中だから気にならないのだろうか。いや、きっと多分、ご飯説が濃厚だろう。
と、いきなり腐土竜が跳んだ。
跳んだよっ?! コオロギやバッタのように後脚が発達しているわけではない上、およそ三十メートルという巨体が跳びやがりましたっ! 確かにオケラも外灯目がけて飛翔するはずだが、体が大きい腐土竜は跳躍や飛翔の機能は退化していると勝手に思っていた。
全長三十メートルの塊が垂直に跳ぶとどうなるか。近くへ寄ればそれなりに高さのある木を超えて宙に浮かんだ塊が、一定の滞空時間を過ぎて重力に従い落ちてくるわけである。思わず隣に立つクエリさんにしがみついてしまった。クエリさんのものとは思えない腕もあるので、おそらくマーセンさんも縋り付いているのだろう。みっちりと詰まってそうな紡錘形の腹部は見るからに重そうである。それが落ちた。
三人が一塊となってしがみつき支え合っていて尚、倒れ込んだ衝撃である。屠竜と鍾馗が下敷きに、と内心ヒヤリとしたが飛燕の一声と共に屠竜と鍾馗はすぐさま離脱していたので無事であった。木は更に吹き飛ばされて見晴らしはいっそうクリアな状態だ。ダウェル軍は壊滅状態だろう。言い訳に「だってワイバーンたちがお腹空いていたから」は有効になるのだろうか。
後脚と後翅をそれぞれ攻めていた屠竜と鍾馗は後脚に狙いを定め、秋火と秋水、それに呑竜が前脚へと集中しだす。後脚で蹴りつけられそうになれば離れ、前脚で叩かれそうになれば離れ、跳躍する兆しがあれば飛燕が鳴いて全頭離脱し、私たちは突っ伏して落下衝撃をやり過ごし、再び攻め入るを何度か繰り返したのちに漸く左後脚が引きちぎられた。
一瞬、緊張に強張っていた肩の力が抜けるも、彼等の胃袋が脚一本で納得するわけがない。これで諦めるようなハラヘッタ怪獣たちではないのだ。尚も果敢に攻め込んでいく。屠竜と鍾馗は新たに右後脚へと攻め始めた。
脚を一本失った腐土竜は更に大きな鳴き声を上げてもがいている。両前脚をでたらめに振り回し、残る後脚にて前進を始める。そのため、激しく尻が振られるので屠竜と鍾馗は苦戦を強いられているようだ。
前脚を攻める三頭といえば、やはり土を掘るために発達した前脚は太く頑丈ということもあり、こちらも苦戦を強いられ続けている。食欲よりも保身に転向した腐土竜が、躍起になって土を掘ろうとするのを逃すものかと邪魔をする。しかし、呑竜が降下するのと同時に前脚が振り払われ、呑竜が勢いよく弾き飛ばされてしまった。
「呑竜!」
よほどの衝突力だったのか、木々を巻き込んで飛ばされた呑竜が鳴き声をあげたのが微かに聞こえた。ワイバーンの痛そうな鳴き声を聞くのは初めてだ。翼魚のときでさえ怒る咆哮はあれど、悲鳴などは聞かなかったから骨や翼が折れてないか安否が気にかかる。
だが、呑竜が弾き飛ばされた瞬間、飛燕が咆哮をあげて腐土竜の前脚に急降下を始めた。あわや激突かと思われたが、すぐに急上昇をする飛燕。飛燕を振り払おうと腐土竜の右前脚が左から右へと流れ、更に腐土竜の左手より急降下した秋火が突起のある右手を、次いで秋水が右腕に喰らいつき急上昇する。
右前脚を持ち上げられる格好となった腐土竜に、空へ戻った飛燕が再び鳴き声をあげて降下すると、後脚を攻めていた屠竜と鍾馗が後翅の付け根へと回り、その鋭い爪を背部に食い込ませて押さえつけ始めた。そして飛燕はといえば、爪で腐土竜の顔面を鷲掴み、腐土竜の右手方向へ飛ぶ秋火と秋水とは逆に、力強く空中へと飛びながら左手方向へと向かう。背後に掛かる二頭の重みと腐土竜自身の加重により――――右前脚が折れた。
ワイバーンたちのそれからの仕事は早かった。腐土竜は既に前脚と後脚が各一本失われ、前にも後ろにも逃げの一手が打ちづらい状況である。飛燕は尚も顔面を鷲掴んだまま、秋火と秋水は残る左前脚をねじ切り、鍾馗は後翅を食いちぎり、屠竜は右後脚へと囓りついていた。吹き飛ばされた呑竜も怒り狂った様子で舞い戻り、前翅の辺りでワイバーンキックを連発している。腐土竜が響かせていた音がたちまち弱まっていった。呑竜の激しく羽ばたくその様子から、骨も羽も無事なのだろうと一安心である。
それにしても、彼等は人の事情など本当にお構いなしだ。と、事ここに至ってなぜかふととある言葉、国有林という言葉が脳裏に浮かんだ。国が所有する林と書いて国有林。そういえばクエリさんは言ってなかっただろうか。あの森で狩猟をしたり伐採したりと。
目が泳ぐ。
伐採とはつまり、木が金になるということだ。ということは、誰かの所有物と思って間違いはないだろう。個人もしくは国が所有している森が、一次被害時およそ直径三十メートルプラス! 二次被害の腐土竜が飛び跳ねて暴れた分プラス! 腐土竜が脚をもがれて暴れた三次被害時分プラス! 四次被害となるワイバーンが暴れた分プラス! おまけの被害で呑竜が吹っ飛んだ分! イコール被害総額いくらですかっ?!
「やめてーっ!! これ以上被害額を釣り上げないでーっ!」
とっさに立ち上がり森へ駆けてだす私をクエリさんが押し倒し引き留める。胸が地面へ勢いよく押し潰されて凄く痛かったがそれどころではない。
「タテシナ殿! いきなりどうされた!」
「損害賠償が……」
「はっ?」
無表情なクエリさんが素っ頓狂な声を出したことで少し我に返った。そうだよね。今更慌てたって、倒れた木は元に戻らないじゃないか。マーセンさんからの報酬、一万五千マウロで間に合うかしら。間に合うとは思えない。ふふふ。人生終わった。いや、ワイバーンで逃げちゃおっかな。ご飯が済んだら。
などと半ば惘然とやさぐれた気分で自失していれば、ワイバーンたちの勝ち鬨めいた鳴き声が聞こえてくる。視線を向けた先には、大きく胸部と腹部に解体された腐土竜と、胸部から引っこ抜かれた頭部を足に掴んで飛んでくる飛燕の姿が見えた。
「………………」
おい、こら、ちょっと待て。その頭をどこに持って行く気だ。私はお腹が空いたなどと一言も言ってない。言ってないったら言ってない。クエリさんの手を借りて立ち上がりつつ、小刻みに顔を振っている私に飛燕は『獲ったー! 獲ったよー! 大物よー!』と自慢しているようだ。いやいや、いらないから。
足に掴んだままでは差し支えると思ったのか、ワッサワッサと低空飛行で羽ばたいていた飛燕は、あろう事か頭部を私たちの目の前に落としたのである。もちろん、押し潰されるような場所ではなく、一定の距離をおいた場所にではあるが、落ちた瞬間、引きちぎられた頭部の断面から体液が跳ねて飛んでくる。ガムシロのような粘度のある体液は、幸いにもクエリさんが盾となってくれたため回避はできた。寧ろ、視界の半分以上を占める腐土竜の頭部など見たいと思うはずもなく、そのままクエリさんの背で縮こまっていると、飛燕が『ココ、一番美味しいの。ココ、ココ』とわざわざ頭部を転がして寄せてくる。ココというのは目玉らしい。マグロかいっ!
しきりに目玉を囓り取ろうと奥の牙を立てている飛燕をよそに、残る五頭はといえば、呑竜は前脚を口と足に持ち、鍾馗は残り四本の後脚を、胸部は屠竜が、一番大きい腹部は秋火と秋水が掴んでこちらへと飛んでくる。お前たち、それをどこへ運ぶ気だ。止めなさい。速やかに止めなさい!
私の心の叫びは当然彼等に聞こえるはずもなく、実際に聞こえていたとしても聞く耳を持ってはいないと思われるが、それぞれが私の近くに獲物を置くわけである。うち、四頭は早く食べたいけど、こっちのも食べたかったら食べていいのよ? と、そっと差し出してくるのでいらないと丁重に断った。どんどん食べて一秒でも早く私の視界から消していただきたい。屠竜は私に差し出す気すらないようで、既に胸部に鼻を突っ込み貪り食べている。うん、君はフリーダムの権化だしな。しかし、ここで予想外な声があげられた。
「タテシナ殿!」
「はい!」
興奮した様子のマーセンさんに呼びかけられ、思わず勢いよく返事をしてしまった。
「タテシナ殿は、腐土竜が不要なのでしょうか」
え。私が食べるとでも思っていたのですか? え? 虫ですよ? いやいや、いくらなんでも異世界に来てまだ一日足らずですし、そんな生ものをいきなり食べるとか。いえ、慣れたところで進んで食べたいとも思わないのですが。言外には出なかったが表情には全て出ていたのか、マーセンさんが慌てて言葉を重ねてきた。
「あ、いえ。違います。失礼しました。毒竜たちが食べ終えた腐土竜の残骸をですね、売って頂きたいのです」
「売りましょう」
打てば響くがごとくの素晴らしい返事だったと思う。しかし、なぜに?
「もちろん、高く売れる素材だからですよ。今、店の者を呼び集めたので私どもにお任せいただけますか?」
異論などございませんということで、マーセンさんに全てを任せることにする。それで森の植林に必要な資金があれば賄っていただきたい。いや、払わなくていいならすっとぼけたいところではあるが。
「それとクエリ様、朗報でございます。反乱軍は鎮圧され、陛下を始め殿下方はご無事とのこと」
思わずクエリさんと顔を見合わせた。先にそっちを報告すべきでしょう!