22 私、型に嵌らないを体験しているようです。
ワイバーンたちがいきなり飛び立ったのは地震を予知したから? というか、私は置いてけぼりか? あんなに私好き好き大好きといってたのに? え? ちょっと酷くない? あれ? 愛されてると思ってたのは激しい勘違いの独り善がりとかいうオチ?
アンギャーアンギャーと私たちの頭上で旋回を続けるワイバーンたちに、落胆の気持ちが募ってくる。いや、勝手にそう思っていて落胆というのも甚だ自分勝手だとは思うが、いや! でも! 貢ぎ物やら遠慮会釈もないスキンシップとか! 勘違いしちゃうでしょうが! 失意のどん底から段々腹立たしい気分になってくる。その間も地面は揺れ続けているのだが、体感としては震度二か三という慌てふためくほどではない揺れである。隣りに立つマーセンさん、クエリさんもすでに揺れは感じているようで辺りを伺っていた。
しかししかし、である。地震って、どんなに長くてもせいぜい三〇秒くらいだと思っていたのだが? だいたい、十秒くらいで一回は治まるものじゃなかったか? 治るどころか揺れ続けているのはなぜ? しかも揺れの度合いが徐々に震度二から四くらいに大きくなっているような、いや大きくなっているんですが? 私の知る地震とこちらの世界の地震はメカニズムからして違うとか? いや、地震というより地下鉄だ。比較的浅い場所を走っている地下鉄が通るとき、地上に設けられた鉄格子の換気口から伝わる振動に近い。グラグラではなくドドドドドとかゴゴゴゴゴといった振動だ。振動の感じからして、遠くから地下を地下鉄並みに大きな物が通過している? 大変失礼ではあるが、この世界に地下鉄なんてあるのか? 路面電車もないのに? ちょっと立っているのが覚束ない、といいますか。自身の力だけで立っているには無理なほどの揺れに、思わず地面へ膝をつきそうになったところをクエリさんが肘を取って支えてくれた。
「あ。すみま……せん?」
ではなく、腰を掴まれて抱き寄せられた。いや、それは、マーセンさんがそばにおりますし、まだ日が昇ったばかりですし、そういうことは人目を気にしない場所といいますか、歳はそこそこですがまだ色々とおぼこいもので、なんて茶化す暇もなく肩に担ぎ上げられた。
あれ?
クエリさんは立派な体格に見合った力もお持ちなようで、地面の揺れは未だ激しいままだというのに私を米俵かのように担いだまま仁王立ちをしていらっしゃる。その上、私同様に足下が覚束ないマーセンさんの肘を取って支えていた。いえ、私も支えてもらう程度で十分なんだが。
「クエリ様、これは」
「腐土竜だ」
「このような場所に……ですか?」
「防御陣を怠ったのならば腐土竜が来てもおかしくはない。グララドに腐土竜が姿を現すことはまずないが、それでも稀に領地内を移動しているらしいと最近になって報告があがってきた。普段であれば被害も被らん。触れて回っていたわけでもなし、おそらく腐土竜が通るとも思わず、防御陣の手間を惜しんでの急ぎ仕事だろう」
千早のおかげかパッと頭に浮かんだ文字は土の竜。土竜といえばモグラだ。モグラ? この振動の原因はモグラなのか? どんだけでかいわけ?
「あ、あのっ。腐土竜って……い、い、いったい」
下手に喋ると舌を噛みそうになるのだが、二人だけで通じ合わずに私も仲間へ入れていただかなくてもいい。説明をお願いしたい。腐土竜と私が担がれている関連性などを特に。
「……ああ! 失礼しました。タテシナ様は大陸のことはそれほどご存じないのでしたな。腐土竜とは地中深くに生息しておりまして、この揺れからもお分かりのように体が大きいと予想されたことと、それだけの大きさが地中を移動するため、土を腐らせて移動しているのではという憶測から、土を腐らせる竜、腐土竜と言われるようになったのでございます。グララド国、特にここ王都において見ることはまずありませんし、このように地上近くまでくることもありません。確か、もっとも腐土竜を見たとされる場所は毒竜なども生息している地域なのですが、時折このように移動しているようです。といいましても、普段は地中奥深くを移動しているため、気づく者はそうおりません」
「な、なるほど。そそ、それでっ。なぜっ……その、ふっ……腐土竜が」
振動により気持ち体が揺れつつも、答えてくれたマーセンさんは淀みない。一方、担がれている私といえば噛み噛みである。
更なる問いに次いで答えてくれたのは、マーセンさんではなくクエリさんだった。
「腐土竜とて生き物。餌を必要とするのだが、その餌が精霊と言われている。祝術士の話では毒竜の棲む地は精霊が溢れてるとか。腐土竜が餌場に向かって移動しているのは予想できるが、地中を徘徊する頻度は思っている以上に多いとのことだ。軍を移動させるほどの送出陣にはかなりの大きさを求められる。当然、集める精霊も多く必要だ。おそらく、腐土竜が惹きつけられるには十分な数の精霊なのだろう」
ということは?
「軍が一隊だけであればいいのだがな」
それで、その腐土竜と担がれている私の関連性について、一言説明が欲しいわけなんだが、二人が固唾を飲んで森を見つめているため聞くに聞けない。寧ろ、視線は森に向けながら、油断なく辺りの気配を伺っているような感じか?
「っ!」
とつじょ、背後からもの凄い衝撃を受けて仰け反った。戻ってきた阿武隈が猪突猛進のまま私の体の中に突っ込んできたのである。驚いた。痛みはないが衝撃は強かった。思わず叱りつけようとしたのだが、どうも体の中心で体を丸めて震えているような感じがする。ついでにもう一つの気配もあるような。ふと手首を見ればうろちょろと周回していた千早の姿もない。どうやら阿武隈と共に千早も寄り添って丸くなっているようだ。
このなんとも不思議な感覚。例えば食事を済ませて気分が悪くなったとき、胸焼けなのか胃もたれなのか、自分の体に意識を向けて自己判断をするような感覚に近いかもしれない。自分の身の内を意識すると、確かに阿武隈と千早がいると感じられるのだ。
クエリさんが腐土竜は精霊を食べると言っていたから脅えているのかもしれない。私の体はシェルターか。いや、天敵がそばにいるのだから今はいたしかたない。二匹に関してはそのままにしておくことにする。
震動はなお続いている。しかし、ピークは通り過ぎたのか、少しずつ震動が遠ざかっているようだ。今では震度二辺りかという弱い揺れだろうか。いかんせん担がれているので曖昧な感覚ではある。城から北西の場所に今いるわけだが、北から西へと腐土竜が移動していったようだ。腐土竜が向かった先、森にと目を向けると、上空には六頭のワイバーンが旋回していた。
…………旋回?
クエリさんたちとの会話に気を取られていたため、気がつくと頭上で鳴いていたワイバーンたちの声が聞こえなくなっているではないか。慌てて上空を見上げるが当然いない。森の上にいるのだからいるわけないよね! 慌てて視線を森に戻す。そこで何してるの? 何する気なのっ?! 止めて! 帰ってきてっ!
「飛燕! 戻ってきなさーい!」
声を張り上げたところで届く距離ではないのだが、かといって呼ばずにはいられずに呼んでみたところ、飛燕が『今忙しいから無理ー』と鳴いているようである。旋回するだけの何が忙しいんだ。何が無理なんだ。
ワイバーンたちを追い払おうとしてか、森の中から矢とか祝術による何かが放たれていたのが不意に止む。ダウェル国の兵士たちにも腐土竜が近づいてくる微動を感じたのだろう。先ほど私たちが感じたように、彼らもまた徐々に激しくなる振動に戸惑っているのかもしれない。腐土竜という正体が分からないまでも、立っていられないほどの振動をもたらす存在なのだから、ワイバーンたちにかまけている場合ではなくなったのだろう。
それにしてもワイバーンたちはダウェル国兵士を襲うわけでもなく、ひたすら森の上で旋回を続けているのだがなぜだろうか。
三人で、行けるはずもないが森へ向かうでもなく、かといってワイバーンたちを置いて移動するわけにもいかず、ただ森を見ていたわけだが、北に相当する背後の方からボコッ、ボコッと音が聞こえたような気がした。同時にクエリさんが叫びながら駆けだす。
「マーセン! 街道に向かって走れ!」
いきなりにも関わらず、マーセンさんは心得たとばかりに走り出した。その脚力たるや、一介の商人にしておくには惜しいと思うほどの早さである。そして私はといえば、すわ何事ぞなどと思っている余裕はなかった。
クエリさんに担がれた私の肋を、何か硬い物を着込んでいるクエリさんの肩が、走るたびに上下し容赦なく当たるからである。乙女にあるまじき、フンガッ、フンゴッ、という声が漏れてしまうのもやむを得ない状況であろう。ということにしておきたい。
涙目になりながら音が聞こえた方へ目を向けると、地面が陥没しているのが見えた。一カ所二カ所が陥没しているという規模ではなく、陥没が続いて道となっているのだ。いや、この場合は溝と言うべきだろうか。
液状化現象か? なぜっ? と浮かんだ疑問は口にするまでもなく直ぐに答えへと至った。腐土竜だ。腐土竜が通ったあと、空洞と化した地面が陥没しているのだ。それにしても、でかい。ざっと目測すると陥没している幅は一般的な道路の三~四車線分はありそうだ。観光バスが四台くらい並走している幅なのだから相当な大きさだろう。しかも周りの土も傾れているのでその幅は更に広い。腐土竜が近くを移動していたとき、振動は確かに大きかったが、近づいて遠ざかる速度はそう早くもなかった。しかし、陥没していく速度は予想以上に早く、河川堤防が作られていく過程を早送りで見ているかのようだ。崩れかけているところも含めればバス六台分を超えるか?
最初に陥没した音が聞こえたと思わしき場所から、私たちが立っていた場所までそれなりの距離はあったというのに、走り出してから数分という間で脆くも崩れ落ちていた。あのまま呑気に突っ立っていたら、そう思うと鳥肌が立ってくる。
クエリさんが私を担いでいたわけがようやく理解できた。共に走るより担いでもらっていた方が確かに早い。凄く肋が痛いが。凄く、とっても凄く痛いが。
「これが……土を腐らせると言われる……由縁です……」
ここまで来ればまず大丈夫だろうというところまで駆け抜け、ようやくクエリさんの肩から下ろしてもらう。安全に且つ迅速に運んでもらった手前、クエリさんに文句を言えるはずもなく、涙目で脇腹を撫でていた私にマーセンさんが息切れしながら教えてくれた。
じっくりと見れたわけではなかったが、乾いた土がただ陥没したというよりも、少しぬかるんで泥が混じっているように見えた。確かにいきなりぬかるんで陥没していたら土が腐ったと思うかもしれない。
「詳しい生態はまだ分かっておらんが、精霊を餌にしていることから精霊の力を取り入れ、その力を使って硬い地中を泥状にして進んでいる。というのが祝術士たちの見解だ」
マーセンさんの言葉を補足してくれたクエリさんを見上げると、私を担いで全力疾走したとは思えないほど息の乱れ一つなく平然としている。むしろ無表情が極まって涼しげにすら見える。さすが、王子様の近衛兵を勤めるお人だ。
「しかし、内乱にかこつけてダウェルの兵士までもが現われるとは……一時はどうなるかと思いましたが、このまま腐土竜が連中を蹴散らしてくれれば助かりますな」
「うむ。問題はどれくらいの規模なのか……軍を送り出す送出陣をそう幾つも造れるとは思えないが、他の場所に造られている可能性がないとは言えないな。貴殿のところでいくらか情報を集められるか? 殿下とお会いした際、併せて報告できるようにしておきたいのだが」
「難しいですが、やれるだけのことはやっておきましょう」
いささか腹黒い話を交わす二人からそっと目を背けて森を眺める。
敵であろうと人は人。多くの人間が死ぬことを善しとするか悪とするか。そんな大きな問題、私が答えられるはずもない。薄情と誹られようとも、一番可愛いのは自分だ。
侵略されているクエリさんたちに、危険が迫るダウェル軍へ逃げるよう伝えるべきなどと説くことができるか? 仮にクエリさんたちを説得してダウェル軍へ向かわせたとして、自分はどうする? この安全な場所で高見の見物? ないない。
労力と金を出さないなら口は出すな、が私の信条だ。例え寝覚めが悪い結果になろうとも、この場はクエリさんの指示に従うまでである。よって、二人の話は聞かなかったことにしよう。それが一番。どちらにせよ、物理的どうこうできる距離ではないのだから、ただ成り行きを見守るしかないという現状ではあるが。
ところで腐土竜が近づいている森の上空を旋回しているワイバーンたちはどうしているのだろうか。近づいて遠ざかっていった振動とその大きさから、そろそろ矢が飛んできた辺りに到着するころだとは思うのだが。いかんせん遠すぎてダウェル軍の姿などまりっきり見えない。ワイバーン目がけて飛んでいた祝術による攻撃とて、何かが飛んでいる、目を眇めて始めて、石が飛んでるかもしれないといった程度の認識だ。
クエリさんとマーセンさんではないが、ダウェル軍よりもウチのお馬鹿どもが気にかかる。相手はモグラだから上空にいれば安全なのだろうけれど。
相も変わらずダウェル軍の上空にいるワイバーンを眺めていると、不意に森の一部がズズッと沈んだように見えた。
すり鉢状に斜面が崩れていくような、沈みつつある木がとある一点を中心に向かって倒れていく。あわせて、木の倒れる音、土砂の崩れるような音、それらに混じって潮騒のような微かな音も聞こえてくる。おそらくダウェル軍が逃げ惑っているのだろう。不思議と、映画などで観るような鳥などの小動物が一斉に逃げ出すというのは見受けられなかった。ワイバーンがいるから既に避難しているのかもしれない。
「腐土竜だ……」
クエリさんからの指示による情報収集のためか、携帯用送出陣にて忙しなくメモでやり取りしていたマーセンさんが森を見て低く呟く。
いよいよ巨大モグラのお出ましである。ワイバーンに精霊、魔法だなんだと日本ではあり得ない物ばかりとの邂逅にてびっくり実績を積んできたのだ。今更、巨大なモグラごときで度肝を抜かしたりなどはしない。
木が沈み、森の一部にぽっかりと穴が開く。最初に見えたのは地中から突き出した前脚である。あのモグラ独特の、土を掻くために鋭くなった爪――がない? 実物のモグラを見たことはないが、もう少し人の手に近い膨らみと指を持っていなかっただろうか。手の甲を頬に当てたような形で爪が鋭い。そんな姿だと思っていたのだが、突き出された前脚の先には確かに突起がついている。土を掘り返すときに使用される鍬、フォーク型の鍬のような? それよりも、何で腿節と脛節がある? その垣間見えるヒクヒクと動いている触角は何? いつからモグラに触角が?
突き出された前脚が勢いよく宙を掻き、その勢いを使って地中から身を乗り出してきた。いや、どっこいしょとかそんな腰が重いものではない。その勢いたるや、緊急浮上にて海中より突き出た潜水艦のごとくである。そして、腐土竜の全容が明らかになった。その姿たるや、三十メートル級のシロナガスクジラが盛大にブリーチングをしているかのようでもある。飛燕の軽く三倍はあろうかと思われる螻蛄が、地中から勢いよくジャンプで飛び出した。螻蛄――そう、五分の魂だってお友達。な歌でお馴染みのオケラだ。
そして、事もあろうにである。ワイバーンたちが一斉に咆哮した。
『いっただきまーす』
そんなもの食べるんじゃありませーーーーんっ!!