21 私、そろそろ落ち着きたいんです。
この世界での名称は不明だが、太陽と同じような恒星が地平線から昇りきった。
世界全体が日の光に満ちあふれている。平時であれば人々がそろそろ起床しだし、それぞれの仕事をこなしていくのであろうが、クーデターが発生した今、町の人たちはどうするのか、どうなるのか。町を見下ろしても今はまだ混乱している様子は見受けられない。
城壁、いやこの場合は町を囲っているから市壁というべきか? ネットで調べる以前に携帯を落としてしまったので時間さえもが分からない。城の周りにも壁があったし外周の壁は市壁と区別することにしよう。
来るときに気がついた主街道と思わしき道は市壁の門に繋がっていた。通り過ぎたときは閉じられていたように思えたのだが、今は開いている。そして、門の近くで小競り合いがあるようだ。しかし、それらも飛燕の速度では一瞬見えた出来事で確かではない。小さな火種が町の随所で発生しているようだ。グララド国が滅亡してしまう大火にならなければいいのだが。
「…………ニレスさんたちは大丈夫でしょうか」
つい、胸中に広がる不安から呟いてしまった。私よりもクエリさんの方がもっと心中穏やかではないだろうに。
「ニレスクル殿下は……殿下はまだお若いこともありますが、いずれは我が国軍の指揮官となられるお方です。祝術士としての力もさることながら、剣の腕前も抜きんでておりますので雑兵どもに遅れをとるなど……まずあり得ません。それに陛下がこのような事態を看過されるわけがありません。必ず反逆者たちを鎮圧されます」
揺るぎない、途中呆れた風とも取れるクエリさんの言葉を聞いて肩越しに振り返る。虚勢ではなくクエリさんの言葉は当然の結果であり、ニレスさんのそばにいなくとも問題はない。見なくても分かる。といった信念に満ちた眼差しが返された。無表情だったけど。なんとなく、そんな雰囲気を思わせる目力を持ったクエリさんであった。
私が焦ったり憂慮したりすることで、事態が好転するわけでもない。クエリさんの言葉通り、ここはニレスさんたちを信じて再び会える機会を待つこととしよう。
気持ちを切り替えて前へと向き直る。城へ向かう最中、正面から日が昇ってきた。地球と同じであれば、城の背後にある山は南、下りようとしている平原は西になる。東西に延びる主街道を南北の区切りと見れば、北西の位置に当たるだろう。市壁と森に挟まれた平原はかなりの広さがあり。仮に誰かが気づいてワイバーンを追ってきたとしても、市壁から時間を要する距離であり、ワイバーンたちが本気で追いかけっこしても森をなぎ倒すほど近くはない。それほどの広さを有した平原である。
そしていざ、広さのある平原に下り立とうとした頃だ。背後から差す光を受けたのか、何かが森の中からキラリと反射したように見えた。
正直、確かに文明レベルは高そうではあるが、車や電車もないことから科学的な物はないと思っていた。森の中に何か、光を反射する建造物でもあるのだろうか。ガラスや鏡といった反射の強い光ではなく、もっと鈍い光を反射する物。
一度切りだったので気のせいかもと思ったが、好奇心から半ば身を乗り出すようにして目を眇めて見るが二度目の反射は見られない。やはり気のせいだったのだろうか。
「どうかされたか」
そんな私の様子を不思議に思ったクエリさんが問いかけてきたので、不思議に思ったことを尋ねたのである。森の中で何に光が反射したがそのような物があるのかと。
「いや。あの森は町の者が木の伐採や狩りに出向くくらいで特別……」
クエリさんは途中言葉を切って黙り込んでしまった。が、すぐに厳しい表情で告げてくる。いや、無表情だけど、反論は許さないといった目力が厳しかった。
「悪いが、その光った辺りを低く飛べるだろうか」
テラスへ低空飛行した飛燕ならば問題ないと思うので頷く。
「飛燕、ちょっと森を見たいから低くゆっくり飛んでくれる? あ! 君たちはそこに下りて待っていてー!」
雁首揃えてわざわざ見に行くことでもない。飛燕にお願いしたあと、身振り手振りで後に続くワイバーンたちに平原で待つよう告げた。屠竜は大人しく、寧ろさっさと、我先にと平原に向かい、三馬鹿なる秋火、秋水、呑竜は不満そうに、そして互いに、いや二対一で文句を言い合いながら下りていった。鍾馗はなぜか追従してくる。ちょっと森を見るだけだというのに、片時も離れたくないほど私が好きなのか。そうかそうか、そんなに私が好きなのか。モテモテで困ってしまうよ、ハハハ……。
私が実に虚しい気持ちで打ち拉がれていようとも、飛燕は森へと近づいていく。私がお願いしたので当然であるが。木も多く、上から見る限りでは幹も太そうである。そして未だグーロの加護が効いているのか寒さは感じないが、ニレスさんたちと遭遇したときは晩秋を思わせる寒さだった。それなりの寒さではないかと思うのだが、寒さのわりにはまだ葉が多く茂っているので地面まではよく見えない。眼下を眺めようと少し身を乗り出したとき、クエリさんにいきなり腰を掴まれ引き戻された。同時に小さな鈍い光が森の中からいくつも飛んでくるのが視界に映る。一斉に放たれた矢であった。しかし、飛燕が力強く羽ばたいて上昇し、すかさず鍾馗が飛燕の下を素早くすり抜けていく。飛燕の翼による風圧と、鍾馗が盾となってくれたおかげで私たちにまでは届かなかった。
「ヒエン! 戻れ!」
腰を抱かれたまま驚きで呆然とする私に構わず、クエリさんが飛燕に叫ぶ。しかし、クエリさんを振り返った飛燕の顔たるや凄まじいものであった。長い鼻梁にこれでもかというほど皺を寄せて太い牙を晒し唸ってくる。
『あー? なんだとぉ? ゴルァ! この飛燕様に注文つけるとは何様のつもりじゃあ! ぁあ? 喰うぞゴルァ!』
とでも言っているかのような挑発的に顎を揺らしてしゃくり上げる様子が、さながら巻き舌で因縁をつけるゴロツキのようである。いやいや、その形相は凄く怖いから。クエリさんよりも前に私が座っているから近いし。首が長いといっても近すぎるし。というか、前向いて飛んで欲しいのですがっ!!
「飛燕、戻って戻って!」
我に返った私が慌てて飛燕に戻るよう告げると、それまでのご立腹が嘘のように瞬き一つで様変わりし、『ハァイ』とばかりに可愛くもない低音でグゥと一鳴きしてみせる。素直に緩く旋回しながら平原を向かってくれたのはいいが、クエリさんとの差が酷すぎであった。
もう一頭いたはずなのだが、鍾馗は? と振り返ってみると、一撃離脱戦法を楽しんでいた。高空へと急上昇しゆったりと放物線を描くようにして反転、そして木に触れそうなほどまで勢いをつけて急降下をし、再び急上昇と繰り返している。まさかこの異世界にてダイブ・アンド・ズームを生で見られるとわっ。
高空から下りてくるときには『イーーーーッ ャホウウウウゥゥゥゥゥ!』と、森すれすれから急上昇するときは『ドッセーーーーーーィッ!』と叫んでいるかのような咆哮が実に楽しそうである。
鍾馗が満足するまで見届けるべきか。石礫や水の飛沫、球状の雷が下降する鍾馗に向けて放たれているが、全てが勢いづいた風圧で散り飛ばされている。祝術士もいるようだ。先ほど飛んできた矢の量からして、弓隊といえる人数がいるのかもしれない。しかし、鍾馗の起こす風で矢を番えている余裕はないのだろう。矢が放たれている様子は見えない。祝術士の方も鍾馗にぶつける術は弱いことから、大がかりな術は無理なようである。
うむ。無傷なうちにさっさと離れよう。
「鍾馗ー! 戻ってらっしゃーい!」
ちょうど呼びかけたタイミングがまずかった。何度も前を見ろと注意しているにもかかわらず、またもや下降しながら『ぅんー?』と鍾馗が顔を向けてきた。その勢いのままでこちらにやってくるのは良しとしよう。しかし、上昇予定地より更に下がった場所からであったため、尻尾が木に当たったらしく鍾馗の背後で何本かの木が吹っ飛んでいた。
「…………」
飛び散ったのが木だけだとよいのだが。多分きっと木だけ、人は飛んでないはず。
それにしても、私は確認できなかったが、森の中に隠れていた連中は何者だろうか。クーデターの一味とか? かなりな人数が潜んでいたようだが。凶暴と言われるワイバーンが近づいてきたら、腕に覚えある者ならばつい手が出てしまうのかもしれない。私ならば息を潜めてやり過ごす方を選ぶが。
「クエリさん、今のはいったい……?」
「ダウェル国です」
問いを遮るように即答したクエリさんの顔が無表情ではない。強張っている。
「はい? え? ダウェル国って……あの翼魚のですか? え?」
「ダウェル国の兵士に間違いありません。殿下にお伝えせねば……いや、まずはマーセンと合流して……とにかくいったん下りましょう」
「はいっ」
クエリさんは風圧もなんのその、飛燕が着地するか否かのタイミングで飛び降り、すでに屠竜から降りていたマーセンさんの元へ駆けていく。私はもちろん、飛燕が着地を終えて羽を畳んだところでうんとこさのどっこいしょである。見かねたのか、同じく着地した鍾馗が鼻先を寄せてくれたので、遠慮なく掴まって下ろしてもらった。ありがとう鍾馗。掴まっていた鼻先にハグをし、飛燕の鼻先も撫でてからクエリさんとマーセンさんの元へと向かう。
「……まさかっ!」
「そのまさかだ。一瞬ではあったがダウェル国の合標をはっきりと見た」
「しかしクエリ様。ダウェル国が軍を動かしたなど、そのような話は、噂とて聞いたことはございません」
「貴殿が聞いた聞いていないなど、今はどうでもよいのだ! この王都に! すぐそこに敵軍が迫っているのだっ! なんとしても殿下、いや陛下にお伝えしなければならない。何とか伝えられないか」
切羽詰まったクエリさんと、緊張を帯びながらも困惑気味なマーセンさんが言い争っていた。
「クエリ様とてお分かりでしょう! 無理でございます。送出陣にて書を送ったとしても受け取れる状況ではございません。仮に店の者に書を預け、城へ届けたところで殿下とお会いできるどころか! …………城の中へ入れるかどうか」
無理です。と力なく頭を振るマーセンさんに詰め寄るクエリさんだが、言葉にしようと口を開くも結局は何も言えないまま唸り声を漏らした。
送出陣というテレポーター的な物はあっても、声を届ける携帯のようなシステムはないようである。何か手立てはないかと言い合う二人からそっと数歩下がり、二人の邪魔にならないよう声を潜めて呼びかけた。
「屠竜」
ングゥと小さく鳴き返す屠竜に目を据える。
「どこ行くの」
ワイバーンに脚と呼べるのは後ろの二本脚だけで前脚二本はない。よって、歩くときはモンロー・ウォークとなる。お尻を振って尻尾をくねらせる巨体が否応なしに視界の隅へと入り込むのだが向かう先が大問題だ。
『お散歩?』
フングと小首を傾げても駄目である。
「そっちは駄目」
『美味しそうなのが……』
「だーめ」
屠竜は名残惜しそうに森を見たが、体の向きを変えたので諦めたようである。ホッと一安心して再びクエリさんたちのそばに戻った。しかし、これといった名案は浮かばず、苦々しい表情を浮かべている。
「騎調士の素質がない俺では毒竜を使役できん。先ほどもたった一つの命令でさえ無理だった。さりとてタテシナ殿の力をお借りして再び城へ戻れば殿下のご命令に背くこととなる」
「私も、タテシナ様が近くにいらっしゃるからこそ、大人しく乗せてもらえたようなものです。例えタテシナ様に毒竜をお借りし城へ戻れたとしても、一介の商人である私が城の中を自由に歩き回れるとは思えません」
ニレスさんと懇意にしている商人とはいえ、マーセンさんは一般市民である。マーセンさんが言うように、平時でも城の中を一人歩きできるとも思えないし、混乱の最中であるの城など言わずもがなであろう。城へ戻れるのはクエリさんだけだ。しかし、ニレスさんの命令がある。別に戻ってもらっても私は構わないのだが、徒歩で城に向かうなどはいたずらに時間を浪費するだけだ。私がワイバーンでクエリさんを送って戻ってくるとか? 最悪、ワイバーンたちで蹴散らすという手もあるが、その決断をできる人がこの場所にいない。八方塞がりである。のだが!
屠竜がゆっくりと摺り足で蟹のように横歩きをしていた。
カッと目を見開いて睨み付けると、少々項垂れながらも憐憫を誘っているつもりなのか上目遣いで頻りに瞬いている。
『あのね! おやつがね!』
「駄目」
『ちょっと味見』
声には出さず口パクと気合いで叱るが、人ならぬワイバーン一倍食い意地が張っている屠竜は往生際が悪かった。翼魚まるまる一頭を自分だけで食べたでしょうが! もう腹が減ったのか! どんだけ燃費が悪いのだ。
「駄目っ」
『舐めるだけ』
「駄目っ!」
駄目ったら駄目! カーッ! と目と口をかっ開いて叱りつける。四股を踏むような地団駄を数回踏みつけていたが、今度こそ本当に諦めた様子でいじいじと足下の草を噛んでは千切りだした。後でご飯食べに行っていいから、今は大人しくしていて欲しい。
ふてくされた屠竜を横目に、しかしと疑問が過ぎる。ここは王都だ。グララド国の大きさや、王都の位置などは知らないが、普通に考えて国の中心、もしくは中心に近い場所にあるのではないのだろうか。
「あの、ちょっと不思議なのですが。マーセンさんも知らないとのことですけど……敵の軍隊が誰にも気づかれずに国の中心までこられるのでしょうか」
ただの好奇心で申し訳なくも、だんまりとなった二人にそっと挙手をしながら問いかけてみた。すると、二人が今はそれどころかと言いたげな眼差しを向けてきたのだが、直ぐにハッと息を飲み互いに顔を見合わせた。
「いや! まさかそんな!」
「しかし、他に方法はなかろう」
「ですが、それはいくらなんでも……」
「亡国の王を担ぎ上げてできた難民の寄せ集まった国とはいえ、現ダウェル国王は僭主ぞ。義を通すような連中だとでも思うかっ!」
何がどうしてどう通じ合ったのか。再び二人で言い合いを始めるも、困惑気味な私に気づいたマーセンさんが表情を強張らせながら教えてくれた。
「ダウェル国はあの森に大規模な送出陣を造ったのです。軍を送れるほどの送出陣を」
それの何が問題なのか、とは当然言える雰囲気ではない。敵に懐深く入り込まれて焦るのは分かる。卑怯であろうと勝つために利用できる物は利用するのが定説なのではないか。
これが不覚を取っての焦りならば分かるのだが、二人してあり得ないとばかりな様子に疑問が生じる。しかし戦争ともなれば、あり得ないことなどはあり得ないような。でも、クエリさんは義がどうこう言っていたし、ハーグ陸戦条約みたいなものがあるのかもしれない。この世界は思っていた以上に紳士的なのか? 小首を傾げる背後でバッサと音がした。
「って! どこ行くの屠竜ーっ!」
それまでいじけて草を食んでいた屠竜がいきなり羽ばたきを繰り返し、地面から飛び上がってしまった。慌てて追いかけるが、屠竜だけではなくみんなも地を離れてしまっている。
「え……ちょっ……何事?」
飛燕がギャーギャーと鳴き、それに応えて他の五頭も鳴き返す。何か互いにやり取りをしているようだが、今回はなんとなくでさえも意味が汲み取れない。森へ飛んでいくわけでもなく、私たちの頭上を旋回し続けている。マーセンさんが驚きに呟いた。
「……どうしたのでしょうか」
「分かりません」
三人でなす術もなくワイバーンを見上げていると、日本人であれば脊髄反射でテレビをつけるであろうアレが来た。
地震である。