17 私、担がれているような気がするんです。
「そろそろ立ちますが準備はよろしいですか?」
ニレスさんが歩み寄り声をかけてきた。緩んだままの表情で頷くローフさんを見て、ニレスさんが珍しそうに小首を傾げる。
「どうしました? 随分と機嫌が良いようですね」
「失礼しました。今、タテシナ殿に私の精霊を紹介していたところなんですよ」
「あぁ、なるほど」
ローフさんの言葉に合点がいった様子のニレスさんは笑みを浮かべて一つ頷く。
「ローフは自分の精霊を誉められるとすぐ顔に出ますからね」
「そうは仰いますがニレス様、自分の精霊を誉められて嫌な顔をする祝術士などおりませんよ。タテシナ殿? ニレス様の精霊は気品もあって秀麗なんですよ」
ローフさんから水を向けられれば当然ながら興味が湧くわけで、期待しながらニレスさんを見ると苦笑を浮かべつつも満更ではない様子で掌を差し出してきた。
ゆらりと煙が立ち上がるように、白い濃霧に似たエクトプラズムが現れる。
掌サイズながらローフさんの精霊よりも男性的でやや背が高い。やはり瞳も瞼もない目に、軽そうな毛に覆われていた。身体を覆う毛は、雷の精霊はダウンジャケットに詰められている柔らかな羽毛のような感じに対し、風の精霊はやはり柔らかそうだが動物の毛という感じである。また、雷の精霊は放電しているが、ニレスさんの精霊は風を纏っているらしく、身体を覆う毛が絶えずそよいでいた。
風の精霊は堂に入った様子で凛々しい雰囲気だ。精霊にも個性があるらしい。
私を見上げていた風の精霊が右手を左胸に当ててお辞儀をしてくる。おお。引き結んだ唇と少しつり上がった目、厳つく思える顎のラインやがっちりとした体躯が王者の風格を思い起こさせる。太い眉をつけたらジャングルの大帝だよ。息子の方ではなく雰囲気がパパだ。
「珍しいですね」
ポソリと零すニレスさんに、ローフさんが深く頷きながら同意してくる。
「はい。私の精霊もタテシナ殿を気に入ったようで。契約をしていなければタテシナ殿についていきそうなほどです」
「毒竜に慕われ、契約をしている精霊にも好まれるとは……タテシナ殿、祝術を学ばれてみてはいかがですか?」
感嘆しながら告げるニレスさんに、ローフさんが思わずとばかりに笑みを漏らす。
「先ほど、タテシナ殿へは騎調士の訓練を受けてみてはと勧めたところです。タテシナ殿ほどの逸材はそうは居りませんし、祝術士の件も含めてぜひ検討していただきたいものです」
「そうですね……落ち着いたら改めてお話させて頂きたいですね」
物腰の柔らかい二人からやんわりとした笑みを向けられ、世辞というわけではないのだろうがそこはかとない熱意を感じる。
強引さはないのだが婉曲に有無を言わせないというか、拒否を許さないというか、もちろん断わりませんよね的な雰囲気を感じるのだが、気のせいとすっとぼけて構わないだろうか。
騎調士なり祝術士なり、常識の範疇外のことなので即答しかねるのだ。いつ日本に戻れるのか、その当てがあるのか、それまでの拠点なども考えないといけないわけで、資質があると見込まれるのは嬉しいが、一度じっくり現状とか周りを見据えて決めたいのである。何せ、ただいまの私は家無き子なのだ。子というのもおこがましい歳ではあるが。
誤魔化し笑いを浮かべつつ、当たり障り無い返答を考えている視野の端に変な物が入り込んできた。
両手ですくい上げて固めた雪玉のような大きさの白い物体である。思わず何かとそちらを見たが、すぐさま視線を逸らした。
「おや」
私の挙動不審な仕草に気づいたローフさんが一言漏らす。
「あぁ、先ほどからよく風が吹いてるとは思いましたが……これはこれは」
ニレスさんまでもが微笑ましそうに呟いた。
真っ白な物体は、勢いよく視線を逸らした先に回り込んで私を覗き込んでくる。
私の目の高さにいるソレ、宙に浮かんだ掌サイズの秋田犬が激しく尻尾を振っていた。ぎこちなく視線を視線を逸らすが更にその先へと回り込んでくる。
秋田犬といっても長毛種ではなく短毛種の方で、エクトプラズムな身体はニレスさんの精霊同様に真っ白である。やはりこれまた瞼がない。精霊というのは皆、リトル・グレイのような目がデフォルトなのだろうか。柴犬のようなピンと立った三角の耳に、くるりとした巻き尾、ミニチュアサイズだが大きくなるだろうと思わせる脚の太さだ。
「今、生まれたばかりのようですね。風の精霊です。……やはり祝術を学んでみませんか? こうも精霊に懐かれるのですから、祝術士としての資質は十二分にあると思いますよ?」
「え。いや……」
必死に目を合わすまいとする私と、視線を合わせようと右へ左へ飛び跳ねる秋田犬ならぬ風の精霊に、ニレスさんが笑い混じりに言ってくれる。人事だから簡単に言ってくれるが、ワイバーン六頭だけでも手一杯なのだ。
「そうですよ、タテシナ殿。祝術士として精霊と契約する際、必ずしも喚んで来てくれるというわけでもありませんし、仮に来てくれたとしても契約に至らない場合もあるんですよ? 生まれたてとはいえ、精霊自ら傍に来るのは稀なのですよ。力のある精霊ではありますがまだ生まれたばかりのようですし、名前を付けて仮の契約としてみてはいかがです? この精霊がある程度、人との繋がりや力の使い方を学んでから契約を結ぶということも可能でしょう。祝術士でなくとも傍にいるだけで加護が得られるのですから、傍にいて得なことはあっても損なことはありませんよ?」
ローフさんの言葉にいささか迷いが生まれる。確かに無条件で懐いてはくれるが、唯我独尊なワイバーンたちを見ているとどうしても素直に喜べないのだが。
チラリと秋田犬を見ると目が合う。尻尾の振りが千切れんばかりと半端ない。どんな音も漏らすまいと耳はピンと立ち、円らな目が期待に満ち溢れている。
『名前か! 名前付けるのか! 良いぜ! 付けろよ! 名前を付けてみろよ! ほら! ほらっ!!』
頭を左右に振って挑発してみせるボクシングのように、肩を落とし腰を突き出している秋田犬が激しく反復横跳びをしている。
やはり止めとくべきな気がするのだが。
『な! ま! えっ!』
声が聞こえるわけではないのだが、そんな風に吼えているようにしか見えない。挙げ句の果てに私の周りを勢いよく駆け始め、風の精霊ゆえか風の渦が起こり小さな竜巻が今にも発生しそうで怖い。
「わ、分かった。名前付けるから落ちついて」
ツルリとした目では感情が伺いにくいというのに、期待感をとてつもなく感じる。向けられている。一週間くらい続いていた雨がようやく止んだその日に、うっかりリードを持ってしまった瞬間を犬に見つかってしまったような。言葉は分からずとも凄く期待に満ちている様子というか。そんな感じがビシビシと伝わってくる。
ここで追い払ったら私は鬼と罵られるに間違いはない。そんな状況から、なし崩しな流れで仕方なく掌を向けてみせると、目の前でお座りの体勢をとる秋田犬。尻尾を激しく振りながら、まだ? まだ? と爛々とした眼差しが痛い。
「えっと、えーっと……ア」
『アッー!』
違うっ!!
全てを言う前に秋田犬は全力疾走で駆けていった。
「…………」
姿が見えなくなるほど遠くへ駆けていった秋田犬だが、小さな竜巻が上げそこなった凧のように横に傾きながら草原を疾走している。
どうしよう、三馬鹿を上回る馬鹿だ。
本当に得なのか? アレが傍にいて得なことがあるのか? 苦労の間違いではないのか? 俄かには信じられず、疑いの眼差しを二人に向けるとニレスさんはとぼけているのか柔和な笑顔のまま、ローフさんは少し困ったような笑みを浮かべていた。
「えー……何せ、まだ生まれたばかりの精霊ですから。追々あの子も成長していくでしょう。タテシナ殿はご存知ないでしょうが、祝術士と契約した精霊は互いに切磋琢磨しあう関係なのですよ? 互いに補い成長しあっていくのです」
疑わしい思いで自然と目を眇める私に、「本当ですから!」と慌てた様子で言い募るローフさんへニレスさんが掩護で加わる。
「互いに力を高め磨きあうのは本当ですよ? 祝術士の力が増してくれば契約した精霊の力も増していくんです。ところで、精霊の名はアレでよろしいんですか?」
「いえ、名前を言う前に走っていってしまったので」
一瞬、私たちの間に沈黙が流れる。フォローのしようがない、同情の混じるようなそんな沈黙だ。
いっそのこと、このまますっ呆けて立ち去るわけにはいかないだろうか、と思っていたところへ残念なことに風の精霊が戻ってきてしまった。
はしゃぎ過ぎて咳込んでいるようだ。いや、咳込み過ぎて嘔吐いているように見える。
『俺の名前、アッー! かっ!』
ようやく落ち着いた秋田犬が見上げてくる。ハッハッと息遣い荒く、口を開けている姿は無邪気に笑っているようにも見える。つまり、馬鹿面だ。
「いや、違う」
瞬間、愕然と目を見開き顎を落とす秋田犬。どうしよ、本気で置いていっては駄目だろうか。駄目なようだ。
「……阿武隈でどうかな」
『あ ぶ く ま!』
興奮した秋田犬、もとい阿武隈は再び小さな竜巻をお尻にくっつけて走り去って行ってしまった。阿武隈の姿は見えずとも、竜巻は見えるのでおおよその位置は分かる。
もうどうでもいい、どうにでもなぁれって気分だ。
名前を付けたし、あの調子なら呼ばずとも勝手に戻ってくるだろう。むしろ呼んでちゃんと戻ってくるのかも怪しい。と言うより、戻ってこなくていいと思う。
秋田犬は賢いはずなのだが。正しくは秋田犬ではないから無理な話だろうか。
しかし、阿武隈は秋田犬の姿をしていて、ニレスさんとローフさんの精霊は人の形を取っているのだがこの違いは何であろうか?
「成長の違いですよ。私の精霊は、私が五人目の契約者となります」
私の問いに答えたニレスさんが続きを促すようにローフさんを見やる。
「私の精霊は、私で三人目となります。精霊は人間よりも長命なので、新たな祝術士と契約を結び力をつけていくんです」
「だから、切磋琢磨ですか?」
「はい」
笑みを深めて頷くローフさんにふむと納得はしながらも、いやしかしと不安が残るのは否めない。相変らず遠くには横に倒れた小さな竜巻が疾走している。アレと切磋琢磨か……素直に納得しかねるのだが。
「そういえば、ニレスさんもローフさんも精霊に名前をつけているのですか?」
「もちろんです。私の精霊はシュレイと言います」
と、笑顔で教えてくれるローフさんに続き、ニレスさんも教えてくれる。
「私の精霊はグーロと言います。タテシナ殿の名付けは響きが少々変わっておりますね。タテシナ殿のお名前も変わった響きですし」
ええ、日本語ですから聞き慣れないでしょうね。とは言えない。
二人の精霊に向ける愛情を思えば、適当につけましたとも言えない。言えない尽くしだ。
「では、そろそろ行くとしましょうか」
後ろめたいような微妙な気分でいた私にニレスさんが声をかけてくる。もちろん、異論はないので頷きで答えた。ワイバーンは増えたが乗る面子に変更はない。
屠竜と秋火にもう一度ヨロシクとお願いをして飛燕に向かったところ、ワロールさんとマーセンさんが慌てた様子でニレスさんへ駆け寄ってきた。
何事だろうか。
二人の険しい表情に秋火へ向かおうとしていたローフさんは立ち止まり、他の連中も視線をこちらに向けて動向を伺っている。
「ニレス様。動きがありました」
ワロールさんの緊張を帯びた低く掠れ気味の声が辺りに響くと、それまでの穏やかな空気が一変して張り詰めた。