13 私、一度口に入れた物は出したくないんです。
左右の並びだと距離があり過ぎると思ったのか、秋火が右下、左上に屠竜と羽がぶつかりあわない程度に近寄ってくる。
まずはニレスさんが言ってたプランを秋火に理解させなければならないのだが……普通に語りかけても分かってくれる気がしない。
「秋火。あの後ろの連中を蹴散らして欲しいんだけど……分かる?」
ゆったりと羽ばたきながら秋火が微かに小首を傾げる。興味がなさそうな、やる気のなさそうな雰囲気だ。
「秋火の凄いところ見たいなー」
気怠げに見えた瞼をパッと開き、爛々とやる気が溢れだした眼差しを向けてくる。
ワイバーン、いや秋火も煽てればたやすく木に登ってくれるらしい。
「ほら、あの後ろにいるの。翼魚だっけ? 喧嘩吹っかけにきてるみたいじゃない? 怖いなー。秋火がパパッと蹴散らしてくれたら嬉しいなー。アッという間に片付けちゃったりしたら、秋火って凄いなーって思うんだけど?」
『マジ? 見たい? 見たい? 俺の凄いところ、見たいの?』
秋火が大きく羽ばたきながら鳴くので、見たい見たいと頷いて返す。武者震いなのか、ザワザワッと尾に生えている棘が一気に立ち上がった。ついでに尾もグルングルン回っている。飛びながらそんなに激しく尾を振り回して、バランスを崩さないのだろうかと心配になる。
息を吸い込む胸が大きく膨らみ、何事かと思えば秋火が雄叫びを上げた。
いきなりのことで焦りながらも近場での雄叫びは耳に響く。とっさに両耳を塞ぐと、秋火がまだ吠えているのに音が弱まった。
「大丈夫ですか? 風の加護を強めたのですが……聞こえますか?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
どうやらニレスさんが風の祝術とかで音量調節してくれたらしい。便利だ。
気を取り直し、でね……と話を続けようと秋火を見れば、驚愕といった表情で目を見開いている。同時に、左側からマーセンさんの微かな悲鳴が聞こえた。
まだ距離があると思っていたが襲われたのか! と慌てて左側を見ると、左上にいたはずの屠竜が高度を下げて旋回し、翼魚に向かい羽ばたいていくところだった。
『凄いところ見せるのー』
のんびりと一鳴きする屠竜、それを聞きつけて騒ぎ出す秋火がバサバサと慌しく羽ばたく。
『ばか、バカ、馬鹿ーっ! 凄いとこ見せるの、俺なのーっ!』
「待っ!」
待てと制する間もなく身体を僅かに傾けて離れた秋火が、急旋回して屠竜に負けじと速度を上げて追いかけていった。
飛燕に乗る私とニレスさんとヘルートが声もなく二頭を見送る。開いた口が塞がらないというか……お前等揃って馬鹿だーっ! 人の話を聞けーーっ!
そんな胸中を察したのか、慰めるようにニレスさんが控えめに声を掛けてくれた。
「結果良ければと言いますし……その、タテシナ殿は騎調士ではありませんし……ね?」
いっそのこと、何も無かったように振舞って欲しい。激しく肩身が狭い。
私のせいではないが、私のせいとしか言い様がないこの気まずさ!
しかし、そう自分のことに感けている場合ではなかった。
「散ります」
ヘルートの低い声に背後を振り返る。
真正面から突っ込む屠竜に翼魚の編隊がばらけた。件の祝術士たちが繰り出す祝術に、闇の中を赤い炎が屠竜へ向かって走るのが見える。
透かさずローフさんの祝術である雷が轟き炎を散らすが、風の祝術が繰り出されたのか秋火の身体が大きく反り返った。傍から見れば、あら綺麗な花火とも思えただろうが、そんな悠長に見学している気分ではない。
体勢を崩す秋火に一瞬ヒヤリとしたが、怒った様子で咆哮を上げているのが聞こえホッと胸を撫で下ろす。
屠竜や秋火に比べ小柄な翼魚は小回りが利くのか、腹立たしく感じるほど二頭を翻弄してくれる。
――と、グゥと低く喉を鳴らした飛燕の背が大きく波打つ。いや、大きく息を吸い込んだ。
飛燕が口を開けた瞬間、身体の奥底まで響くような、ビリビリと空気を震わせた咆哮を一つ上げて飛燕は力強く羽ばたき高度を上げる。
ニレスさんのお蔭で耳を塞ぐには至らなかったがいきなりなので驚く。ニレスさんも驚いたらしく戸惑いの混じった声で問い掛けてきた。
「タテシナ殿、いったい……何を?」
「いえ、私は何もしてませんっ」
お前もか、ブルータス! と思ったが、飛燕は高度を上げて方向を転じただけで翼魚へ突っ込んでいく様子はない。
あたかも指揮官のように、直ぐには襲われない距離を維持しながら状況を眺めているという感じだ。
お陰で振り返ったままという辛い姿勢は楽になった。
こうして少し高いところから見下ろすと、鳥と思えた翼魚は尾羽の代わりに金魚の尾を横にしたようなヒラヒラとした物がついている。だから翼魚と呼ばれるのだろうか。
茶色の屠竜に比べ、明るい銅色の秋火は月明かりを受けてよく見えた。また、翼魚も金色と見紛う明るい琥珀なので右へ左へと旋回する様子が分かる。
身体の大きさからジャンボ機とセスナ機の乱戦といった具合で、秋火も屠竜も奮闘してくれているが素人目には状況が厳しく思えた。
月光を反射しているのは水の祝術だろうか。牙を剥き出した屠竜が翼魚へ向かうと、数多の滴が鼻先に飛んでくる。遠くからだと散弾銃のようにも見える水の粒は、屠竜の咆哮がシールドになったのか、砕けた飛沫が月光を受けて薬莢のようにキラキラと地に散っていくのが見えた。
一方、秋火は広げた羽に風の祝術を受けて別の翼魚へ近寄ろうとすると身体が大きく傾く。果敢に攻める秋火をまずは落とそうと、連射される砲弾のようにいくつもの火の玉が追いかける。ローフさんも苦戦しているのだろう。雷が何本も走り追尾する火の玉を落としているが、落としきれない幾つかが秋火へ当たっているように思えた。秋火へのダメージは大きくなさそうだが、鬱陶しさは感じているらしく、時折旋回しながら宙返りで火の玉を避けている。騎乗している人たちが落ちないかハラハラし通しだ。思わず掌に爪を食い込ませてきつく拳を握り締める。
屠竜が翼魚の間をすり抜け背後に回る動きを見せたと思ったが、急旋回により撓った尾が翼魚の顔を強かに打ち付けた。バランスを崩した翼魚が体勢を立て直そうと羽ばたく姿は藻掻くようにも見える。が、次第に羽ばたきは弱まり、そのまま錐揉み状態で落下してしまった。毒竜と言われる由縁がこれかと納得する。かなり早く毒が回るようだ。
墜落する翼魚に騎乗していた人間は早々に見切りを付けたのか翼魚から離れ、パラシュートもないのにゆっくりと落下していく。ニレスさんが風の加護を受けていると言っていたことを今更だが理解する。しかし、まだ一羽だけだ。いや、二羽になった。
秋火が翼魚の一羽に喰らいついた。後ろから身体半分を咬みつかれた翼魚の上げた悲痛な鳴き声が聞こえてくる。ワイバーンの牙で思い切り咬まれたら一溜まりもないだろう。翼魚に騎乗していた人間が離れてゆっくりと落下していくのが見えた。おそらく炎の祝術を使っていた人間だ。これで秋火も少しは動きやすくなるかと期待が持てる。
早く騎調士がいなくなれば、そう強く願うもなかなか翼魚は逃げ出す気配がない。
ちょこまかと動き回り秋火を苛立たせていた翼魚へ高度を下げていた屠竜が急上昇の勢いで派手に真下から喰らいつき、翼魚が甲高い鳴き声を上げて羽を散らし藻掻いている。
「……凄い。毒竜がこれほど統率の取れた動きができるとは……」
ヘルートの感嘆する呟きが聞こえた。実際、屠竜と秋火は絶妙な連携で翼魚を追い払い、或いは追いかけ遅々とではあるが着実に数を減らしてくれている。咆哮を上げて怯む翼魚を尾で叩きつけて一羽を落とす。これで四羽が落ちた。
すれ違い、旋回し、入り乱れ、互いがそれぞれに相手を落とそうとする中、二羽が群を離れてこちらへ向かってきた。
飛燕が一声あげて威嚇をするが、翼魚は構わずに近づいてくる。
「タテシナ殿、伏せていてください!」
ニレスさんの声に、飛燕の背へ勢いよく伏せる。
今の私ができることはニレスさんたちの邪魔をしないことである。とはいえ、顔まで伏せて状況が把握できないのも怖い。身体は伏せたままわずかに顔を上げて近寄ってくる翼魚を見る。
他の翼魚に比べ少し大きいのか、騎乗している人間が二人ずつだった。一羽の前に乗る人間は短い弓を構えていたがニレスさんが先手を打つ。吹き付ける強風に煽られ翼魚の身体が傾くも直ぐに体勢を立て直した。こんな空の上で矢を放って届くのかと思わなくもないが、風の祝術とかで風の抵抗をなくしているのかもしれない。何せパラシュートなくても墜落死しないのだから、それぐらいは余裕そうだ。
もう一羽に乗った後ろの人間が腕を開く。杖を持っているからきっと祝術士だ。案の定というか、彼の前に拳大の石がポツポツと現れる。一つや二つどころではなく、数十個と宙に浮かぶ石。それをどうするかなど聞かずとも分かるだけに顔が引き攣る。
翼魚に乗った祝術士が腕を払うと勢いよく石がこちら目掛けて飛んできた。バッティングセンターで最速設定された球以上のスピードじゃなかろうかっ。ニレスさんもとっさに大きく腕を払うことで風を起こして飛んでくる石を逸らすが、その隙を狙ったのか弓士の番えた矢が放たれる。しかしそれをヘルートが剣で叩き落す。織り込み済みなのか、次から次へと矢を番えては放たれるのでキリがない。一度はニレスさんが逸らした石も、向こうの祝術士によって再び浮き上がり剛速球で飛んでくる。
飛燕が透かさず身体を傾けて旋回したことで石を避けることはできたが、私の頭の上を矢が飛んでいく。しかも、飛燕が滑降したり急上昇したりするものだから、臓腑に掛かる力が上へ下への大騒ぎな上に目が回りそうである。パンが。リラバさんのくれたパンがぁっ!!
覚悟を決める前に気を失いそうです!
他力本願で申し訳ないが誰か早く何とかして下さい!!