11 私、餌付けされるのは嫌いじゃないんです。
着替えが済んで馬車を出ると、ワイバーン達がその場でステイを続けながら必死に尻尾を左右に振っていた。鬱陶しいと思うときもあるが、こうも懐かれればやはり可愛いと思えてしまう。半ば絆され大人しくステイができたことを誉めるために飛燕の傍へ戻った。ついでに、鼻を寄せてきた秋火と屠竜を撫でてやる。なぜかリラバさんも一緒についてくる。
リラバさんがくれた堅いジャーキーは保存食でいざというときはそのまま齧るらしい。いざじゃないときは鍋などに入れて調味料として、また具材の一つとして使うのだそうだ。
ちょっと舐めたらかなりしょっぱく、顔をしかめた私を見てリラバさんが笑っていた。いきなり剣を抜いたどこかの誰かとは大違いで好い人である。
一応ワイバーン達を警戒しているようだが、私の傍でのんびりと話しかけてくる。用意が揃うまで仲間と雑談に興じているような雰囲気だ。現に、私と離れたニレスさんとヘルート、クエリさんも程好く肩の力が抜けた感じで話し合っているようだ。
リラバさんは目がクリッとしてて連中の中では童顔に見えるが、甘いマスクに絶やさぬ笑顔が好印象を抱かせる男性である。モテんだろうなぁ。上背もあるし重ね着している服からは分からないが、護衛をするくらいなのだからしっかりとした筋肉がついてそうだし。
じっと見上げていたらジャーキーとは別に、腰にぶら下げた袋から丸いプチパンみたいな物を一つ取り出して渡してくれた。
別にギブミーチョコのつもりはなかったのだが、『不衛生』という言葉が一瞬浮かぶもその辺は気持ちに蓋をしてありがたく頂戴する。
そして、相変わらず人間の男には特技が発揮されない事実にも蓋をしておく。コンチクショウめっ!
貰ったはいいがこれまたフランスパンより硬そうだ。聞けば形は異なるが主食となるパンらしい。このまま食べるもよし、スライスしてサンドするもよし、硬いから水分に浸して食べるもよし。
まずは二つに割ろうと苦労している私を見かねて、リラバさんが「どこのお嬢様かい」と苦笑しながら二つに割ってくれた。
すみませんね。お嬢様ってわけではないんですが、ここの生活からしたらお姫様と言われても通りそうだ。
中も既に水分が飛んでパサついているので、口に含んで柔らかくなったところからかじって咀嚼をする。
物を食べながらと行儀は悪いが、合間もぽつぽつとリラバさんとお話をした。
家族構成、育った環境、なぜここにいるのか、どうやって来たのかなどなど。答えられる内容についてはよどみなく答えたが、なぜここにいるとか、どうやって来たとか、自分でも分からないことについて言いよどむと、なにやら勝手に誤解して同情の眼差しを向けてくれる。再度じっとその目を見つめ返してみるが何も変化はないね!
ワイバーン達みたいにコロッといってくれれば楽かと思ったんだが。
…………別に悔し紛れの言い訳なんかじゃないから!
「タテシナ殿はまだ幼く見えるのに、随分としっかりして見えるな。幾つなんだい?」
こちらの一年が何日あって、一日何時間なのかは知らないが日本時間でなら二十四である。そう告げたとき、リラバさんは目を見開き驚きの表情を浮かべた。
以前、アメリカへ旅行した際、バーでアルコールを注文したときにパスポートを見せろと言ったバーテンと近くに座っていた外国人の表情を思い出す。英語が達者なら幾つに見えてたのか聞いてみたかったと、返す返す惜しいと思っていたがその機会に恵まれたようだ。
「いくつに見えますか?」
「十五~六かと思ってたんだが……驚いたな」
さすがにそれは、と思わなくはないが予想よりも幼く見られた。しかし若く見えるのは肌のせいか、呑気そうな雰囲気のせいか、素直に喜べるかどうかはそこで大きく違ってくるものだ。
若く見られるのは嬉しくあるが、子供過ぎるのも微妙なところではある。が、やはり頬が緩む程度には嬉しかったりもする。女心は常に移ろいやすく複雑なものなのだ。
「私達は全体的に幼く見えるみたいですね。リラバさんも若く見えますけど、幾つなんですか?」
「二十八だ」
おや、優良物件。
「クエリさんは?」
「クエリ? クエリは二十六だったかな?」
二人とも予想していた歳とそう離れてはいないようだ。
同じ黄色人種風でもクエリさんは歳相応に見えて、私が幼く見えるのは育った環境のせいかもしれない。
何せ彼らは命をかけた仕事をしていて、私は平和ボケと言われる日本で育っているわけだし。老け込み方も違うだろう。
ついでに他の人の年齢も聞いてみた。
マーセンさんは四十三歳、ワロールさんは三十七歳でそろそろ現役引退を考えているとか。この手の職種の現役寿命は思っていたより短く四十歳辺りで退くのだそうだ。四十歳なんてまだまだ働き盛りと思うのだが、いくら鍛えていてもやはり若手の俊敏さに適わない瞬間が出てくるとかで、少しずつ現場の仕事を減らしながら若手の教育に回るのが通常らしい。
もちろん、若手の俊敏さも大事だがやり手の老獪さも大事なので、仕事に応じて現場に出たりもするのだそうだ。
ヘルートは二十九歳、ローフさんは二十四歳、そしてニレスさんはなんと十九歳だと! どうりで水を弾きそうな瑞々しい肌をしているわけだ! 若さめっ!
そんな風に思いながら、ニレスさんと張り合うつもりはないがどことなく勝負にもならなかった気分でリラバさんからそっと視線を逸らすと、荷物の仕分けが済んだマーセンさんとワロールさんが麻袋を手に馬車から出てきた。
私も貸してもらったリュックサックサイズの麻袋を、マーセンさんとワロールさんがそれぞれ一つずつ持っている。
案外、荷物が少なく思えたけど、さっきニレスさんが重ばらないとも言っていたしこんなもんかと納得したのはよいが、今度は誰がワイバーンに乗るかで少し揉めてしまった。
三頭のワイバーンに乗る人間は八人だ。
二頭は三人、一頭は二人となるのだが、命令を聞くか聞かないかは別として私が一番前に乗るのは確定らしい。となると、背中を誰かに預けることとなるのだが正直ヘルートは嫌である。
ご飯をくれたリラバさんなら良いかもと思わなくないが、初対面の肉体派男性と至近距離というのは居心地が悪い。日常にいる男性陣が空気というわけではないのだが、彼らが醸し出すなんとも表現しようがない雰囲気は、平穏な日常とは馴染みがないので近すぎると戸惑うのである。
まぁ、私が口出すことではないので、彼らの相談が終わるのを遠くから見ているわけだ。
結果として、ニレスさんが押し切る流れで纏まったようである。
騎調士ではないが素質のあるマーセンさんが大人しめな屠竜を扱い、ワロールさんが一緒に乗るらしい。
そして、同じく騎調士の素質があるリラバさんが秋火を扱い、ローフさんとクエリさんが一緒に乗ると。
飛燕には私、ニレスさん、ヘルートとなった。ちぇ。
ワイバーンに乗ればどうしても風圧を受けることになるのだが、なんとニレスさんは風の祝術士なのだとか。
それぞれに風の加護を与える祝術を詠ってくれたのだが、その祝術が少し期待はずれだった、というのも失礼であるが。
聞いている方が恥ずかしい派手な呪文でも唱えるのかと思ったら、ほとんど黙読に近く唇を微かに動かしてブツブツと呟いて終わってしまった。
ニレスさんが伏せがちだった目を上げると、一瞬暖かな風が柔らかく吹き上がる。これで風の加護を受けたことになるらしい。
ローフさんはできないのだろうかと視線を向けると、雷が主流で攻撃特化型なのだそうだ。草食系男子に見えるのに意外だ。
みんな問題なく風の加護も受けたので、私は屠竜と秋火それぞれへ騎乗している人間を落とさないようにと念を押しておく。
「グララドまで一緒に行くことになったから。マーセンさんの言うことをちゃんと聞くんだよ? マーセンさんがこの人。分かるよね? 落とさないように気を付けてね?」
『あーい』
と間延びした調子で返事をする屠竜の鼻面を撫でてやり、次いで秋火にも言い聞かせる。
『俺の凄いところ、見せ』
「見せなくていいから。リラバさんの言うことをちゃんと聞いてね? 落とさないように気を付ける。分かる?」
『凄いとこ』
「グララド着いたあとにね。分かった?」
『凄い』
「…………」
『分かったの!』
ちょっと睨んだら素直に返事をしたので良しとする。突拍子もないことをしでかす秋火なだけに、若干不安は残るが扱うのは護衛組だし何とかしてくれると期待しよう。
『今回だけなんだからな! 仕方なくなんだからな! 俺は誇り高きワイバー』
「秋火」
『乗ってもいいわよ?』
リラバさんを始め、ローフさん、クリエさんが乗るときに秋火が凄んでいたので窘めると途端に鳴き声の調子が変わった。先が思いやられそうで不安である。
「グララドまでよろしくね」
最後に飛燕の鼻面を撫でてお願いする。不満はあるのだろうが、大人しく言うことは聞いてくれるようだ。ゆっくりと瞼を伏せて応えてくれた飛燕をもう一度撫でてお尻へ向かう。
「タテシナ殿、どちらへ?」
一人あらぬ方へ向かった私を不思議に思ったニレスさんが問いかけてきた。
皆は格好良くヒョイヒョイとワイバーンの太腿を足掛かりにし、ロッククライミングの要領で乗っていったが私にはそんな芸当はできない。服はズボンに着替えられたが、靴は相変わらずパンプスのままなので滑るのだ。
高さのある鼻から乗るより尻尾からの方が乗りやすいと思い、飛燕の尻尾を踏みつけへっぴり腰で乗り上がる私にヘルートが顔をひきつらせている。飛燕の体の大きさを思えば、私が尻尾に乗ったところでたいして重みを感じないと思うのだが。
「こっちから乗る方が楽なので……何か問題ありますか?」
「いえ……その……毒竜と呼ばれる由縁がその尾でして。尾の部分は色が異なっておりますよね」
そうですね。飛燕は黒いボディに尻尾の部分が赤いマーブルになってますね。秋火は黒いマーブルで、屠竜は紫のマーブルですね。
「獲物や敵を襲うとき、棘のある部分までその色に染まり、尖らせた棘で攻撃するのです。毒竜は竜種の中でも一番の猛毒を持っているんです」
ニレスさんが説明してくれたが、もう踏んでしまったあとなんだけど。取り合えずまだピンピンしてますが……。
『乗らないの?』と飛燕が不思議そうに見つめてくる。
「と、取り合えず、タテシナ殿に害を成そうという気はないようですが、尾の部分の棘が立って色が変わったときは毒があると、覚えておかれれば良いと思いますよ?」
「はぁ……」
もっと早く教えて欲しかった。だからみんなワイバーンの足を使って乗っていたのか。
釈然としないながらも飛燕の背に乗り、ついでニレスさんとヘルートも乗り上がってきた。
私の後ろはニレスさんである。ヘルートと相乗りはちょっと嫌であるが、間に美人が入っているので我慢してあげよう。
みんなの準備も整ったようだし、グララドへ向けて出発だ。
方向なんて私が知るはずもないので飛燕にお任せである。
まずは飛燕から大きな翼を広げ、ゆっくりと羽ばたく。体を沈め、折った太い足で地を蹴った。
一瞬の浮遊感、そして更に力強く羽ばたきを繰り返し徐々に高度を上げていく。
木々を越えて翼はいっそう力強さを増して羽ばたく。
下を見下ろせば続いて秋火も地を蹴り、屠竜がゆっくりと羽ばたいていた。
視線を前に向ければ暗がりが広がっている。
二つの月が照らす大地はなお暗く陰の形も曖昧で、不夜城と言われる東京の夜とは大違いだ。
繁華街から外れていても昨日まではどこかしらに灯りがある夜だった。マンションの廊下を照らす灯り、道路に設けられた外灯、車のヘッドライト、信号の灯り、コンビニの灯り、そんな物が一つもない世界。
一抹の寂しさと不安を感じながら、私たちは一路グララドへと向かったのである。