キールかロワイヤルか
6杯め
ルベライト、もしくはレッドトルマリンと呼ばれるその石は、やや青みがかった鮮やかな赤い色彩を放っている。まるでその宝石をまとった海のように光を反射しながら小ぶりのワイングラスの中でゆらゆらと揺れている。
ワイングラスはその部位によりそれぞれ呼称がある。上からグラスの縁の部分は”リム”、液体を受け止める全体を”ボウル”、そのボウルを支える細長い部位を”ステム”、置いたときに倒れないよう円状になった下部を”プレート”という。
女はキールのグラスのステムを3本指で持ち上げると、くちびるをぬらした。
「ヒマリはほんと好きだよな、そのカクテル」隣席の男が、自身の白ワインに口をつけながらいった。
「赤ワインにしようか迷ったんだけどね。今日のグラスワインは飲んだことあるやつばっかりだったから」
二人がよく訪れるこのスペインバルに似たパブは、日替わりで白赤それぞれ3種類のグラスワインを提供していた。
「で、次のオーディションは」
「うん、来週だね次は。・・・あー、まったく自信ないー」おどけながらピンチョスをぽいっと口に放り込み、串を小皿においた。
生ハムとトマト、アボカドとチーズ、チキンときゅうりなど、7種類のピンチョスがそれぞれ串に刺さったワンプレートが彩り美しい。
女の母親の姉の息子が彼だ。同い歳でどちらも一人っ子である上に、どちらの父親もかたや死別でもう片方はおとなの事情で離婚と、そういった境遇もあり、姉妹は互いに日常で支え合おうとなったのだろう、車で10分ほどの距離にそれぞれ居をかまえている。
男は高校卒業後は社会人となり母親の元を離れたが、女は専門学校に通いながらいまだ母親と暮らしている。
ふたりはそういう事情があったので、幼いころからよく一緒に遊び、中学・高校生ともなると、互いに恋愛相談や先々のことを心ゆるせる無二の存在としてどんなことも裏なく話してきた。
「ダンスとか歌?レッスンに行ってんだろ」赤ぶどう品種のガルナッチャのグラスワインを店主に頼みつつ男は訊いた。
「まぁね。でもさぁ、授業料がちょい高いっていうか、ウチにはしんどいわけ。学費もあるし」
「バイトは」
「夜してるよ、空いてる日は毎日。でもねぇ・・・、8割の客はオエロさんだよね。こっちが気づいてないと思ってんだろうけど、視線がさ、上か下かどっちかしか見てない。あしらい?っていうのかな、加減がむずい。・・・でも割がよくてある程度融通がきく仕事って、それっきゃないもんね。あーあ、役者の夢も25までに芽がでなかったらきっぱりあきらめるー・・・かなぁ」
女の話の途中で男はくすくす笑っていた。
「あはは。ヒマリはがんばってるよ、ほんと」男はワイングラスのプレートを反時計回りにくるくるとスワリングしながら、「だけどホステス以上のことは絶対するなよ。ほんとに困ったら蓄えってほどはないけど応援するから」一転まじめな顔になった。
「ありがと、兄」
そこへ店主がカウンターを挟んでふたりの前にきた。
「よっ、仲良しのおふたりさん。あっちの団体客が残してったカヴァ(スパークリングワイン)、よかったら飲んでよ」
女は手を打って喜んだ。「わーい。いただいちゃいまーす」
男はその様子を見て、グラスを取りに戻ろうとした店主を呼び止めた。
「マスター、すみません。あの、ひとつのグラスにだけカシスを少し入れてくれませんか。カシス代は付けてください」
店主は一瞬の間をおいてにやりとした。「なるほど」
キールはフランス・ブルゴーニュ地方、ディジョン市長が考案したとされていて、カシスに白ワインを合わせたカクテル。それから時がしばらく経ったウィーンの町。華やかなワルツの発祥で有名だが、カシスにスパークリングワインを合わせたキールロワイヤル、こちらはオーストリア生まれのカクテルだ。
そうしてカヴァで満たされたふたつのフルートグラスは一方は黄金色、もう一方はまさにルベライト。ちょっとした角度でブルー・オレンジ・イエロー・グリーン・パープルの色彩が見え隠れする。それらを内包したその鮮やかなレッドの中央の底から、次から次へ際限なくちいさな泡が立ち昇っている。
女がキールロワイヤルを見つめるその横顔を男が目にしたとき、舞台上で輝く彼女が脳裏に浮かび、また日ごろのパブでキールを楽しみながらたわいない会話をする彼女がいた。
「ガラスの靴ねぇ・・・」
「兄、なんかいった?」
いや、と返しつつ男はぼんやりと、シンデレラは結局どちらの自分がしあわせだったんだろう。そう思った。