【夏のホラー2025】ぬいぐるみに溺れて
僕たち家族は出かけたら必ずといっていいほど、ぬいぐるみを買う。
集めているかといえばそうではなく、子どもの頃からの習慣だ。
旅先で買ったクマ、ウサギ、水族館で買ったイルカ、どれも年季が入っている。
だけど、最近、見覚えないぬいぐるみが増えた。
黄色いカエル、毒々しい色のアザラシ。
正直、趣味が悪いと思った。
どうせ、姉ちゃんが水族館の特別展にでも行って買ってきたんだろうと思っていたのに。
姉ちゃんは僕に視線を送ると、「あんた、またイタズラしたでしょ?そういうのサムいからやめたほうがいいって。」
呆れた顔をしていた。
とんだ言いがかりだ。
母ちゃんに聞いてみても、「たくさん集めてるから、忘れちゃったんじゃないの?それより、早く片付けなさいよ。」と、小言を言われた。
こんな奇抜なぬいぐるみ、知らない。本当に知らないのに。
ある日、身体に何かが張り付く不快感で目が覚めた。
おもちゃ箱に仕舞っていたはずのシロクマのぬいぐるみが、びしょ濡れになって枕元に座っていた。
僕の枕もシーツも、びっちょり濡れていた。
寝汗かと思ったけど、人ひとりが一晩で、かくような汗の量ではない。
故意にホースでまんべんなく濡らしたような…洗濯物を干していて通り雨に降られてしまったような…
とにかく異様だった。
それから度々、奇妙な出来事が起きるようになった。
数日後、僕は自分の叫び声に驚いて、夜中に目を覚ました。
「うわぁーー!……ぬいぐるみが喋った!!」
姉ちゃんも僕の声に驚いて起きてしまったみたいだ。
「今、何時だと思ってるのよ?寝ぼけてないで早く寝なさいよ。もう、寝不足は美容の大敵なのよ!」
深夜3時に起こされたからか、いつもよりドスがきいている声で怒られた。
でも僕は寝ぼけてない。たしかに「たすけて…」と、聞こえたんだ。
暗くて冷たい水底で一生懸命に布の手を伸ばして、僕に助けを求めていた。
翌朝、また増えていた。今度は人魚のぬいぐるみ。
髪は黒くて長く、水に濡れて光っていた。顔は……どこか、見覚えがあった。
そこにいるのが当たり前みたいな顔をして、おもちゃ箱のぬいぐるみに重なり、その上に座っている。
怖くなって母ちゃんに見せると、少し黙ったあと、訥々と話し始めた。
「本当に覚えていないの?あんたが小学生のとき、ほら、遠足で、その、事故に遭ったでしょう。それで、大事そうに抱えながら帰ってきたんじゃない。」
あの湖のことは覚えてる。
小学生の頃。僕と友達は、ボートに乗って、オールを漕いでいたら、急に強い風が吹いて視界がひっくり返って、気づいたときには、二人とも水の中にいた。
それで、ぬいぐるみを失くしたんだったよな……
あれ?どんな、ぬいぐるみだっけ……
記憶を辿ろうとして、頭が割れるような酷い痛みに襲われた。
……違う、あの時、失ったのは、ぬいぐるみじゃない。失くしたのは友達だ。
しばらくして頭痛は引いていった。
代わりに冷や汗が噴き出し、呼吸が乱れ、鼓動も激しくなった。
あの時、必死の形相で手を伸ばしていたのに、溺れるのが怖くて、僕は、その手を掴めなかったんだ。
また声が聞こえた。
「あのとき、なんで、手をとってくれなかったの?」
「ずっと、つめたい水のそこにいたんだよ。」
それから毎晩、ぬいぐるみが僕の枕元に集まってくるようになった。
あれは記念なんかじゃない。
心の底に押し込めた後ろめたい記憶が、ぬいぐるみに宿って、蘇る儀式だ。
明け方、人型のぬいぐるみが現れた。
それは、あの子に似ていた。
ぼんやりしていた名前も、顔も、声も、輪郭が鮮明になった。
ボタンの目から、水が涙のように滴っていた。
「やっと、きみにあえた!おもいだしてくれて、うれしいよ。」
そして、部屋中のぬいぐるみたちが、一斉に口を開いた。
「なにをそんなにおびえているの?さあ、いっしょに、かえろう!」
次の瞬間、ベッドが重力に逆らって縦になり、僕は磔になった。
いくら力を入れてもピクリとも動かない。
「ちょっと待ってよ、あの時、君を助けられなかったことは後悔してるんだ、謝るよ、ごめん。でも、僕も必死だったんだ。分かってよ。それに帰るって、いったいどこに……」
薄れゆく意識の中、こぽこぽという音だけが聞こえていた。