明日、消えるもの 【青春】
可能性という言葉にすべてを賭けて、人生を棒に振るのはアリかナシか。最近一番の疑問をもてあましたまま、私は今日も大人しく教室で授業を受けている。
アリかナシか。二択なのに、答えが出ない。心の中でマークシート用紙の選択欄を黒く塗りつぶし、消しゴムをかけて反対を塗り、また消す。マークシートは消しとれない黒鉛で灰色に滲んでいる。このまま判定機にかけたらどっちになるんだろう。曖昧な回答シートを前に、私はまた今日も問いを読み上げなおす。可能性に賭けるのはアリかナシか?
あー。反吐が出る。いや、でない。反吐を撒き散らしてこの粛々とした授業風景を打ち破るのは、何の価値もない。言葉の反芻を打ち切って、私は授業風景の一部にもどるために、書き進められた黒板をノートにコピーしはじめた。
「ごめん、ちょっとみせて」
小声でも甘い声で隣に座る高岡羽美が教科書の問十三を示した。どうせまた予習してこなかったんだろう。自分の出席番号の日くらい覚えとけばいいのに、また人に頼りやがって。と、悪態がぞろぞろ脳裏をかすめ、いつも通り「やってない」と断りかける。が、昨日の今日なので、今日くらいは優しくしてやろうと思い直した。
ノートを押しやって問十三の答えを見せてやると「ありがとぉ」とにっこり笑って見せる。声は良く作れてるけど、ぜんぜんトキメケナイ。校則を逸脱しまくって作り込んだ顔は頑張りすぎて正直キワドイ。誰か教えてやれよ、と誰もが思いながら放置している典型的なもの。でも作り込みに賭けて、生き甲斐とかアイデンティティとかを全部ぶちこんでいるヤツに何を助言するべきなのか? 模範解答は提示されていない。
ともかく、今日は優しくしてやろう。昨日のメールによると、ウミリン(自称)は野球部期待のルーキー、林田紀之に果敢にコクり、玉砕したらしい。しかもハヤノリの理由が最高で、「おれ、野球したいから」のみ。
付き合う前から部活(ルビ:しごと)に負けるお前はどうよ。ウミリン。
一連の情報はメールでクラス中(持山と神奈川と原島を除く)に送信され、無数の返信を呼び、睡眠時間を削り、登校に喜びを与えた。素晴らしい。若干ひどいが、クラス中(持山と神奈川と原島を除く)が円満に学校生活を送るために、それくらいの、影で嘲笑われるくらいの犠牲はしかたがないじゃないか。それに、表面上はウミリンにみんな優しく、当たり障り無く接しているのだし。
ウミリンはすばやく私の解答を写し取るとにっこり笑って「ありがとぉ」とノートを私に返した。その笑顔をキープする根性は見事だ。どうしてその根性を他の、自分が当たると分っている問十三だけでも解いておく、ようなことに回せないのだろうか。不思議でならない。いやまて。ひょっとしたら、さすがにウミリンだって昨日の夜は枕を抱えて泣きじゃくっていたのかもしれない。まぶたも眼も腫れてはいないが、それはウミリンが必死で隠し通しているだけで、今だって心の中は大型台風なみに荒れ狂っているのかもしれない。ただ彼女が必死にそれを押し隠し、自分が築きあげた『ウミリン』というキャラにふさわしい愛くるしい笑顔と、すっとぼけた明るさを演じ続けているだけで。
まー、そんなこたーないだろうけど。
ウミリンは男子の間ではコクリのタカウミと異名をとるほどで、その惚れっぽさ、飽きの早さには定評がある。ハヤノリに玉砕してもすぐに「次の」恋を見つけるだろうし、ひょっとしたら断られた直後から「この人は私の運命じゃなかったんだ」とか見切りをつけてる可能性だってある。ウミリンの思い込みの強さと切り替えの早さは才能すら感じさせた。
だからこそ、ハヤノリも即効で断ったのかもしれない。でも割とモテててるのにずっと彼女がいなかったのは結構ナゾだったけれど、ひょっとしてハヤノリは本当に「野球がしたいから」彼女作らないんだろうか。そんな馬鹿な。
問十三をあてられたウミリンが明るい声で「はーい」と立ち上がり、黒板の前へと進み出ていく。多分答えはあってるだろう。ちゃんと昨日復習までしたし。私はのろのろと動くチョークから眼を離して窓の外を見た。
可能性に賭けて人生を棒に振るのはアリか、ナシか。問いかけは簡単だ。だけど、私には賭けるべき可能性がどれなのかさえ解ってない。可能性を追いかけてる奴らを私は笑う。けれど本当は、笑っている自分が一番出遅れているのだと、どこかで悟っている。
可能性にかけるのはアリか、ナシか。言葉はぐるぐる回る。まだマークシートは判定機に飲み込まれていない。それでも、終了時間は迫ってくる。確実に。
明日まだ迷っていられるだろうか。頬杖をついた手のひらが湿り気を帯びて、頬に張り付く。私の人生には、まだ選択の余地がある。はず。まだ、今のうちは。ふてくされた子供のように唇をかむと、新しいリップから、安い化学物質の味が微かにした。