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枕をひとつ 【純文】

 長年使い続けてきた枕がとうとう破れてしまった。擦り切れてぼろぼろになった生地から溢れ出す中綿は想像以上に汚れていた。

 仕方がない、枕なんぞ買ったことのない俺はひとまず一番近くの大型スーパーに向かった。たしか三階の下着やらを売っているあたりに寝具のコーナーもあったはずだ。


 蛍光灯の明かりに寒々と空間の広がりばかりが強調されたフロアの一角に、枕は売られていた。高々スーパーの売り場とはいえ、いろいろな種類がある。

 一体どれを買ったらいいものやらとしばらくの間剥き出しにされた枕たちを撫でたり押したりしていたが、一向に決断を下せるような判断材料は見つからなかった。

「枕、おさがしですか」

 と、紺色の制服に身を包んだ年配の女性が声をかけてきた。

 内心、ため息をつきながら小さく「ええ」とだけ言葉を返す。おばさんほど苦手な物はないのだ。やたらに親切を装ってずかずかと人のテリトリーを犯してくる態度にはなす術もない。海千山千の話術に言いくるめられて高いものを買わされるのがいつもの落ちだ。

「どんなものをお使いだったんですか」

 強い口調で断ることもできない中途半端な態度に店員は台詞をつないでしまった。こうなってはもう終わりだ。

「あの、このくらいの……」

 といって愛用してきた枕の大きさを手でかたどる。

「まあ、ずいぶん小さいのをお使いでしたのねえ。お兄さん体大きいんだから、もっと大きいのを使わなくちゃ」

「いや、ずっと使ってたものだったんで……」

 実際、物心ついたころから枕といえばそれ一つだったのだ。確かに子供用のものだったのかもしれない。

「あらあら。男の子はすぐに大きくなっちゃうのにねえ。そうねえ、このくらいのサイズがちょうどいいんじゃないかしら」

 といって店員は今までのものの倍ほどもある枕を示した。言われてみれば確かに世間で言う枕の大きさかもしれない。

「はあ」

「中身は何を使っていらしたの」

 気のない返事に語気を落とすこともなく店員は次のステップへと進んでいく。

「あの、ソバガラって言うんでしょうか。こう、小さい茶色いやつです」

「ソバガラねえ。次もそうします?」

 すこし考えるように小首をかしげて店員は聞いてくる。ソバガラじゃあいけないんだろうか。

 判断のつかない問いに「はあ」と判別のつかない間の抜けた声をだした。

「今の主流はクッション製のものなんですけどね、こう、ふわっとした感じの。でもソバガラ使っていらしたんなら固めのものが良いわよね」

「はあ」

 指し示されたまま棚に並べられた低反発だのビーズだのを触るが、別段感動はなかった。ただちょっと頼りないような、そんな感じがしただけだった。

「これどうかしら」

 コーナーの一番奥から店員が抱えてきたのは少し古めかしいデザインのカバーに包まれた小ぶりの枕だった。

「ソバガラと新素材を混ぜてあるのよ。ちょっとカバーがあれだけど、それはいくらでも変えがききますから」

 しっかりしていてかつ通気性がいいのが特徴だと彼女は続けて説明した。

「はあ」

 触ってみた感じは今まで使っていたものに一番近い気がした。それはそれでなんだか味気ない気もしたが、使い慣れたものがやはり一番なのかもしれない。

「ちょっと寝てみなさいよ、ほら」

 決断の降りない返事に店員は寝具コーナーの脇に設置された家具コーナーのベッドを指し示した。正直ためらいはあったが、人気のないスーパーである。熱心に勧める彼女のこともあって、しぶしぶ枕を手にベッドに横たわった。

 首の後ろにぴったりと枕を当てると、いつものずっしりとした安定感が感じられた。

「どう?寝心地は」

「ああ、いつもどおりです」

 言葉が口をついてしまってから、何と感動もない台詞を言ってしまったのかと、少し後悔した。

 しかし店員は気分を害することもなく笑顔で「じゃあそれにしなさいな」と太鼓判を押した。

「はあ」

 あいかわらず気の抜けた答えしか返すことができないが、店員は上機嫌に台詞を続けた。

「カバーはそれじゃあまずいでしょ。こっちの、これなんかどうかしら」

 てきぱきと動くと山積みの布の中から青、緑、灰色の三種類が取り出された。

「じゃあ、これで」

 布団の色が青っぽいということで青を選んだ。別段、デザインなどはどうでもよかった。

「もっと選ばなくて大丈夫?」

 布地を引っ張り出したワゴンを示しつつ店員は確認した。

「いいです。それで」

「じゃあお会計いいかしら」

 枕とカバーを抱えて店員はレジへと移動した。

 すると店員は「カバー新しいのに替えちゃえますね」と一言断って商品の包装をびりびりと破き、カバーを新しいものに取り替え始めた。

「いいんですか」

 そこまでしてくれなくても、と思いつつきいた。

「いいのよお。お兄さん学生さんでしょ、ちょうどウチの息子とおんなじ感じなのよー。あら、こんなこと言ってごめんなさいね」

 すこし照れ隠しの笑い顔で店員はカバーを替え終えるとくるりとそれを包装紙で包み「はい、どうぞ」と手渡した。

「お会計3470円です」

 思ったより安かった会計を終えると、彼女は「ありがとうございました」と晴れやかな笑顔を見せた。

 見送られて売り場を後にしながら、なんだか今日はよく眠れそうだとおもった。


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