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一泊二日、しあわせ旅行。【純文】

 あーあ。やっぱり来るんじゃなかった。

 高速道路は行楽地帰りの車で渋滞し、遅々として進まない。あめ玉を舐めながら、私は嫌な沈黙に耐えている。

 舌先で転がすと、甘酸っぱい味が口に広がり、私を少しだけ救った。目の前を塞ぐリアウインドウはぬいぐるみに埋もれ、その向こうに五歳くらいの男の子と、そのお姉ちゃんの姿が見える。助手席に座る年若の母親は、楽しそうに振り向いては子供たちに話しかけていた。

 あと三年もしたら、あんな風に楽しい車内になるんだろうか。後部座席をちらりと見て、香奈と隼人が素直に眠っていることを確認する。不意に音を立てて漏れそうだったため息を私は飲み込んだ。

 一泊二日の家族旅行を計画して、何とか実現させたものの、散々だった。

 頑張って企画実行委員を務めたのに、どうして上手くいかないんだろう。車の中の重ーい沈黙に晒されていると、これまでの私の努力とか忍耐とか笑顔とかが、むなしく空回りしたあげく、宙に溶けて消えてしまったように思えてしまう。

 そもそも、と私は気持ちを落ち着けるために、事の発端をできるだけ鮮明に思い出そうとする。そうすれば最初のモチベーションが戻ってきて、私にこの沈黙を打開する力を授けてくれるんじゃなかろうかと、ちょっとした期待も込めて。

 まず、家族の親睦を深めることが大事だと思ったんだった。娘が初めての夏休みに入ったというのに、夫は土日もないほど仕事に忙殺されていた。それを娘は「パパは家庭より仕事の男なんだね」とか言い放ち、私の心を打ち抜いた。まったく、小学校でいらないことばっかり覚えてくるんだから。

 しかしその言葉に我が身を振り返ってみれば、一歳を過ぎたばかりの隼人に時間をとられ、私も娘と夫の相手に手を抜いていたのだった。

 ここは一つ、何か大きなイベントを拵えて家族の絆を再確認せねば。それに、夏休みの楽しい思い出がなければ、新学期の教室で娘が寂しい思いをするかもしれない。

 そうだ、そーいうきっかけだった。それで、無理言って夫の承諾をとり、何とか夏休み最後の週末を利用した一泊二日の旅程を組み立てたんだった。

 高速道路は相変わらずのろのろと進んでいた。夫はむっつりと前を向いたまま、窓ガラスにひじを乗せぷらぷらと指先を遊ばせている。考え事をしているときの、昔からの癖だ。きっと明日の仕事について考えているんだろう。結局夫は仕事に区切りをつけられず、旅館宛にファックスは届くし、携帯は鳴るし、夜中も遅くまでパソコンに向かっている有様だった。恨めしい気分は募ったが、無理をきいてもらった手前、なじるわけにもいかない。それに昨日ちゃんと「ごめん」って謝ってくれたし。仕事だもの、しょうがない。

 でも、イライラしっぱなしなのには困った。もう少し子供の気持ちを考えて、明るく振舞ってくれればいいのに。口を開けば「うるさい」だとか「いい子にしなさい」だとか、注意ばっかり。おかげで香奈はすっかりパパの前では大人しくなった。でも、思春期になったら嫌われるのが父親の運命なのに、今から距離を置いてしまって大丈夫なんだろうか。私だったら、子供に嫌われるなんて絶対にイヤだ。隠し事されたり、ババアなんて言われたくない。そんな些細なことも、夫と私は決定的に違っているんだろうか。

 あ、なんか悲しくなっちゃった。だめじゃない。

 些細な思惑のズレ。思いついた言葉はこの二日間、何度も私の前に立ちふさがったものだった。遊園地でも、レストランでも、旅館でも。何度となく私は家族が自分の思惑から外れていくのを感じた。娘は初めての体験にはしゃぎまくり、隼人は泣きわめき、夫は苛立ち、私はばらばらに飛び交うそれぞれの感情を、まあるい家族の輪に戻すために奔走するのだ。

 さっきだって、酷かった。

 渋滞だー、と思ったら娘が突然泣き出し、おもらししたって言う。さっき聞いたじゃない、何で言わないの。そう責めてみてもどうしようもなくて、たしなめられていっそう香奈は泣き喚き、つられて隼人も泣き始める始末。なんとか香奈を着替えさせたと思ったら、今度は隼人がうんちして匂うし、香奈は泣き止まないし。

 ハンドルを握った夫は疲れと渋滞で一触即発だった。二人の泣声は夫を直撃し、ついに夫は窓を開け、普段子供の前じゃ吸わない煙草に火をつけた。その間、狭い後部座席で身をよじって子供二人の後始末をつける私との会話はゼロ。

 私は可愛い可愛い子供たちをちょっと憎んだ。何より夫の態度は私を傷つける。でも、あやし言葉を連発してなんとか気分を保つんだ。ここで切れちゃ、だめだ。

 あーよしよし、気持ち悪かったねー。はい、きれいきれいしましょーねー。ほらー、もう大丈夫でしょー、泣かないのー。

 まるで呪文だ。

 買ったばかりのぬいぐるみやお気に入りのおもちゃを総動員して娘の機嫌をとり、隼人にはおしゃぶりを与えて、私は二人を寝かしつけることに成功する。さて、次の案件だ。

 私は助手席に座りなおし、体制を整えた。すでに煙草を消し、前をじっと見据えている夫は、言葉が通じる分だけ強敵。穏便に、慎重に、どうしたら爆発させずにガス抜きができるか考えるんだ。もー、また難題じゃない。

 えーっと、えーっと。

「飴、たべない?」

「いらない」

 残念、不正解だった。しかたなく私は一人であめ玉を食べはじめ、いやーな沈黙が車内に満ちた。一泊二日の間に、いったい何度味わったことだろう。

 やっぱり来るんじゃなかった。と私は心の中で呟く。けれど絶対に顔には出さない。ものすごく辛いし、言いたいことはたくさんあるけど、絶対に言わない。

 一泊二日の家族旅行を、せっかく実現させたのだ。思惑通りに家族の絆を深めたりはできなかったけれど、せめて自分はニコニコ笑って、楽しかったねって言ってやらないと、馬鹿みたいじゃないか。

 すっと前方がひらけ、にわかに車列は速度を上げた。加速する車体に身をゆだね、私は遠ざかるぬいぐるみ達を見送る。

 今泣いたら、気持ちがいいだろうな。そのまま夫をなじったら、気分がすっとするだろうな。必死に涙をこらえている自分を、私は認める。

「寝てたら?」ぼそりと夫が呟いた。

「うん、ありがと」

 即答した後、逡巡した。これって優しさ? 邪魔だってこと? いや疑うな。優しさに決まってんじゃん。

 感情をぐっと押し込めて、私はガラスの向こうを睨みつける。絶対、良い旅行だったねって言ってやるんだ。大成功はしてないかもしれない。だけど、強がりでも何でもなくて、それは私たち家族が幸せであるための呪文。

 くよくよなんか、してられないんだ。

 あめ玉をがりがりっと砕いて、私は気合いを入れる。空回りしたっていい、報われなくっても構わない。ただ私は、絶対にこのしあわせを諦めたりしない。

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