こうしてオリヴィアは再会した(番外編)
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主人に尻を蹴られ早馬でアウステラ侯爵家に向かった侍従は、侯爵家の門の前で彼らを呼び止めた。
侍従の目が見開かれる。
彼らの服は、黒ではなかった。
「お母様、うさぎの人形、全て馬車に乗せましたわ!」
「よろしい! 私もマシュマロ入りココア(を作るシェフ)を乗せたわ!」
「お父様、俺の髪の毛変ではありませんか!?」
「長くて変だ、息子よ。あれだけ身だしなみには気をつけろと言ったのに……」
「では今切ります!」
ザクッと金髪が剣でざんばらに切られる姿を呆然と見ていた侍従は、はっと我に返った。
「あ、あの!」
「――あら、お早い到着でしたわね。では早速、オリヴィアの下に案内してくださいますか?」
何故、まるでオリヴィアが見つかったことを知っているような。
そう言いかけた侍従の心を見透かしたように、アウステラ侯爵家当主は笑った。
「これは僕たちの特技なのだがね? 分かるのだよ、オリヴィアが泣いていることが」
だから、行かなくちゃ。あの子は甘えたで寂しがり屋だから。
馬車に乗り込む彼らを見て、ひっそりと侍従は頬を緩めた。
◇◇◇
駆けつけた先にいたオリヴィアは、丁度子供を寝かしつけした後だった。
本を持ち、ルーファスに支えられながら目の前に立つ自分の家族を見つめる。
「……あ」
なにか言葉を発しようとしたが、それは一音で終わった。
ウィンプルを掴み、自分の顔を隠すように背を丸めた。
ルーファスが眉を下げ、彼女の背を撫でる。
「オリヴィア……」
オリヴィアは思い出した。昔の自分の声を。
姉と一緒に音を奏でた声を。父と母と兄が「綺麗」とよく褒めてくれた声を。
今の自分の声は、酷く醜い。しわがれて、まるで老婆のよう。こんな声では、愛してもらえない。もう『オリヴィア』だと言ってもらえない。
思い出した幸せな日々は、オリヴィアを繋ぎ止める重い鎖となってしまった。
パタパタとオリヴィアの頬を伝った涙がブーツを叩く。
「……オリヴィア」
母の優しい声がオリヴィアを呼ぶ。
顔を上げられなくて俯いていれば、そっと腕を引かれた。
気づいたらオリヴィアは、母の腕の中にいた。姉と兄もやって来て、左右からオリヴィアを抱きしめる。最後に家族皆を父が腕で包んだ。
「生きていてくれて、ありがとう。また会えて、本当に良かったわ」
「ああ、オリヴィア、僕たちの大事な娘。良かった、良かった……」
「あのねオリヴィア。貴女とお揃いのドレス、沢山クローゼットの中にあるのよ。着れる日を、ずっと待っていたのよ」
「背が少し伸びたなオリヴィア。お兄ちゃんも十センチ伸びたぞ」
温かい腕の中で、オリヴィアはゆっくり瞬いた。涙が後から後から溢れ出てくる。
目を閉じれば、一層涙が零れ落ちた。
ごめんなさいとありがとうを、心の中で吐露した。
「わ、私も……会いたかった。会いたかった、の」
それからはなにも言葉にならなかった。皆もグスグスと鼻を鳴らしながらオリヴィアをぎゅうぎゅう抱きしめた。
――たとえなにがあっても、オリヴィアは大切な家族なことに変わりはないと言うように。
◇◇◇
家族水入らずの時間を邪魔するのは無粋だと判断したルーファスは、遠くからオリヴィアたちを見守っていた。
側にこの教会の院長がやって来る。侍従に呼びに行くよう頼んだ為だ。今日一の功労者である侍従は、旨い旨いと涙を流しながらルーファスの近くの席でシチューを食べている。
顔に無数のシワがある院長は、目を細めながら「なにかございましたでしょうか?」とルーファスに問いかけた。
「楽にして良い。別に、貴女をどうこうする気はない。――だが何故、この二年の間オリヴィアをずっと秘匿し続けたんだ」
いきなり核心に迫った言葉に、院長は言葉を一瞬詰まらせた。
「……彼女が貴族の者だとは思わなかったのです」
「身なりの良い彼女を見て? それに、僕がオリヴィアを探しているという話は有名だった筈だ。それでも、気づかなかったというのか?」
院長はルーファスを見上げた。
「そうですね。私は気づいていました」
「……っ、だったら何故」
「恐ろしかったのですよ」
ルーファスからオリヴィアに視線を戻した院長は、年に似合わず強い眼差しをしていた。
「私も昔、貴族令嬢でした」
「……え」
「顔を、火傷して。もう価値はないからと勘当されたのです。行く当てのない私を当時の院長が保護してくださり、今に至ります。寒い、冬のことでした」
彼女の右頬は変色していた。きっと、当時はもっと色濃いものだったのだろう。
「だから、浜辺で見つけた彼女が目を覚ました時、ここで一生を過ごさせる決意をしたのです」
オリヴィアの声はしわがれていたから。
自分と同じ末路を辿らせたくなかった。親しい人から拒絶される痛みを負わせたくなかった。
「……でも、それは私の思い上がりでしたね」
オリヴィアの声がしわがれていることなんて気づいていないように、彼らは楽しそうに話をしていた。マシュマロ入りのココアを飲んで頬を緩めるオリヴィアを、皆が温かく見守っている。
「私はただ、迷惑をかけただけでしたね。すみませんでした。二年もの間、引き離してしまって」
羨ましいな、と少し思いながら院長はルーファスに頭を下げた。
「頭を上げてくれ」
と言われ顔を上げると、優しい顔をしたルーファスがいた。
「こちらこそ、ありがとう。貴女がいなければ、オリヴィアは死んでいたかもしれない。死んでいなくても、なにか酷い目に遭っていたかもしれない。貴女がいてくれて、良かった」
「……まあ、随分と人たらしですこと」
ふふ、と笑みが零れた。
きっとオリヴィアは大丈夫。彼女の家族と婚約者が、彼女をどんな悪意からも守ってくれるから。そして彼女自身が、とても強い人だから。
良かった。
『君がいてくれて、良かった』
不意にその言葉がフラッシュバックする。
はっと院長は空を見上げた。紺色の空に、月が静かに佇んでいる。
もう何十年も昔のことを思い出した。院長にも婚約者がいた。彼は騎士で、笑顔が素敵な人だった。
そんな彼は、どうやら勘当された彼女を探していたらしい。教会に住んでから五年後に、彼が現れた。近くに住む村の人が連れてきたのだ。当時は病院としての機能もしていた教会に、崖から落ちて瀕死だという彼を。
意識も朧気なようで、時々なにかを呟きながら、彼は静かに死の淵に立っていた。目も開かず、身体も動くことはない。
彼女はそんな彼に、そっと寄り添った。
そして彼が来てから七日目の朝、汗を拭き取ろうと布を持ち手を伸ばした彼女の手が掴まれた。
彼の目がうっすら開いていた。
息をするのも忘れ、彼を見つめる。
「――あ、あ……ここに、いたんだね、ソフィア」
じっと彼を見つめた。陽に照らされ、茶髪の彼の髪が光っている。
「守れなく、て、ごめん」
「いいえ、いいえ。沢山守って貰いましたわ」
布を放り投げ、彼の手を両手で包んだ。
幼い時から一緒に過ごした。そして最後まで、彼女を勘当させないよう掛け合ってくれた。
まあ、そんな彼に見つからないようにと夜中に馬車で遠くへと行かされ捨てられたのだが。
「君がいてくれて、良かった」
「私も、私もです。貴方に出会えて、良かった」
そうして彼は息を引き取った。
院長は、そっと胸元から細いチェーンを取り出した。そこには小さな指輪が繋がっている。
幼い頃彼がくれた、玩具の指輪だ。価値あるものは全て取られてしまったけど、玩具でしかない指輪は残された。
きゅっと握りしめる。
「……今日は、とても良い日です」
「ああ」
ルーファスに背を向け、院長は歩き出す。
このくらいの時間、必ず一人はトイレに行きたいと言う子が現れるのだ。
寝る前に行きなさいといつも言っているのに、とため息をつきながらもその口元は確かに緩んでいた。