家臣
津軽為信「しかし石田様は家臣に恵まれている。皆が皆石田様のために命を懸けられた。しかもそのほとんどが中途で雇われた方々で、内部で諍いを起こすことも無い。羨ましい限りであります。」
石田三成「ほとんどの方々は……。」
津軽為信「はい。関ヶ原と佐和山で自害ないし討ち死にされています。津田(清幽)様や(蒲生)郷舎様が生きる事を選択されたのは、石田様の御子息の命を救うためであり、石田様を逃すため。自分が生きるために行ったものではありません。故に彼らは……。」
全国の諸大名から引く手あまた。
石田三成「死んだ身でありますし、所領もありません。良い話があれば。」
津軽為信「『重成様から。』
として信建に伝えさせます。」
石田三成「お願いします。ところで津田殿や郷舎殿の去就は……。」
津軽為信「石田様にとって、あまり良い話では無いかもしれませんが。宜しいでしょうか?」
石田三成「教えて下さい。」
津軽為信「まず津田清幽様についてであります。津田様は今後。」
徳川家康に仕える事になります。
石田三成「それは何より。」
津軽為信「不倶戴天の敵ではありませんか?」
石田三成「私は既にこの世に居ませんので。」
津軽為信「家康様に仕えていた時期があった事。その家康様の紹介で石田様との縁が出来た事。そして今回、家康様の騙し討ちに対する抗議が決め手となりました。」
石田三成「1年足らずの短い期間でありましたが、兄を支えていただきありがとうございました。」
津軽為信「重成様から見て正澄様は叔父になられますので、この辺りは上手に調整し伝えます。」
石田三成「お願いします。」
津田清幽はその後、徳川家康の9男義直の家臣として尾張に異動。そこに家康が立ち寄った際、尾張徳川家の藩政を取り仕切っていた平岩親義に対し
「津田に二心は無い。いくさがあった時は全て津田に任せ疑うな。」
と厳命。津田はここで90歳の天寿を全うしたのでありました。
津軽為信「一方の郷舎様でありますが、こちらは……。」
古巣に戻る事になりました。
石田三成「(蒲生)秀行の所か?」
津軽為信「はい。蒲生家は今回、かつて治めていました会津に復帰される運びとなりました。旧領の全てではありませんが、それでも60万石に及ぶ大封。現在の家臣だけでは統治が難しい事もあり、郷舎様にもお声が掛かった次第であります。」
石田三成「それを郷舎は認めた?」
津軽為信「はい。何か気になる点でも御座いますか?」
石田三成「蒲生家には郷舎の父と兄が仕えている故受け皿には問題無い。秀行の奥方は家康の娘であるため改易の恐れも無い。適地と言えば適地であるが……。」