アムスタス迷宮#90 イグム-5
出口まで戻ると、皆が待機している方角から感じられる異様さに呑まれた。
「総員待て」
何が起きている。
皆は無事なのか。
心配が心の中を駆け巡る。しかし、ここで待っていても埒が開かない。覚悟を決めて誰かが確認しに行く必要があった。
確実な判断を下すならばイグム本人が行くべきだろう。イグムも自身が指揮官という立場でなければそうしていた。しかし、今この調査隊を率いているのはイグムであり、指揮官不在となる可能性は極力避けるべきであった。
「イオリフソ、行けるか」
「了解」
イオリフソに問いかけると、彼は素早く退路を確保しながら偵察に向かっていった。他の班員の様子を伺うと、皆その気配に気がついていた。険しい表情を浮かべたり、不安そうな表情を浮かべたりしながら出口の方を見守っていた。
「イガリフ。どう見る」
「今までのものに類似している気配はウズナや『飛蜥蜴』を視認した時でしょうか。つまり、それに類する何かが近くにいる可能性があるかと」
イガリフにも尋ねたところ、返された答えはイグムの予想と大差ないものだった。他にも特別任務部隊の隊員と視線で確認を取ったが、皆似たような意見だった。すなわち、全員が出口乃至野営地の方角に何かしらの脅威があると判断していた。
「その場合はあの地底湖まで退避するしかないな・・・・・・。錬金術師・・・・・・、コウカ」
錬金術師だけだと判別がつかないことに気がつき、イグムは名前を呼んで取り繕った。そのことは十分見透かされたようで、周囲から少し冷ややかな視線が注がれた。
「何でしょうか」
「ウズナから逃げるときに使ったアレ、何度くらい発動できるのか?」
「そうですね・・・・・・。丸きり同じものは1枚しかありません。その他妨害に使えそうなものに範囲を拡大すれば、丸きり同じ1回と合わせて合計7枚程でしょうか」
「距離と道のりを考えると微妙だな・・・・・・。コウカ以外には持っていないのか?」
一縷の望みをかけて他2人に尋ねるも、二人は首を横に振った。
「コウカから話は聞いたが、前回コウカが使ったものは錬金術師でも作成が難しいものだ。さらにそれを扱える術者となると作る以上に難しい。正直、前回使い捨てになるとはいえコウカがそれまで使ったというのが驚きだ」
「さらに付け加えるならば、それは基本的に『作った本人にしか使えなモノ』です。さらに言うならば、1枚で中堅錬金術師一年分の年収に匹敵しますし、複数の種類を作って扱えるとなると、掛け値なしに最高峰の術者です。皇国広しといえども、それができる術者は両手の数で足りるのではと言うぐらいです」
「付け加えると、探索隊の中でその芸当ができるのはギムトハとコウカくらいだ。もしかしたらシロシルもできるかもしれないが・・・・・・」
「確実にできるのは今はコウカだけ、か」
イグムのまとめに二人は頷いた。
「では、それを準備するのにどれくらいかかるんだ? 量産できないのか?」
「丈夫な皮が有れば一応は出来ますが・・・・・・。ですがここに耐火用の手袋なんてどこにあるんですか?」
「紙とかでは無理なのか?」
「術は刻めます。しかし、発動させると術の反動で陣が破壊されます。紙では完成する前に陣が破壊されてしまい、術が暴走・消滅してしまうんです。かと言って、壊れないように金属を使うと重すぎて持ち運べません」
そう言われてしまい、イグムも黙らざるを得なかった。
しばし、沈黙が辺りを支配した。その静寂を破ったのは、ネルだった。
「じゃあさ、あらかじめ地面に書いておいて、来たら発動なんて芸当はできないのかい?」
「できなくはないですが・・・・・・」
そうすると、必然的に殿をコウカが務めることになる。そして、最悪の場合死んでしまう可能性が高くなる。そうなると、錬金術師だけでなく探索隊にとっても大きな痛手だ。
コウカは錬金術師の中で最も若輩であるが、その錬金術に関する知識や技能に最も優れている。そのため、重要な業務に関して交渉の場には出てこないが、実務的な面は彼女が最も強いと言っても過言ではない。
そのため、探索隊にとって錬金術師の中で重要度が1番高い人物はコウカだった。
コウカが言葉を濁したのは、おそらく単に術に関することだろう。しかし、組織の力学で言えば先ほどの説明にもあった『作成者しか使えない陣』と『地面設置型』のそれは容認できるモノではなかった。
「その件については分かった。となるとコウカのそれに頼るのは最終手段だな」
「確かに。手袋で準備されているとはいえ発動させる瞬間は彼女が最も危険にさらされますね」
効果に頼るのは最終手段。そう認識を新たにしたとき、入口の方からイオリフソが戻ってくるのが見えた。しかし、どうにも様子がおかしい。何かとても恐ろしいものを見たかのように顔を青ざめさせ、静音性も後方警戒も何もない走りで、必死の形相でこちらに駆け戻ってきていた。
「どうした!」
息を切らせながら駆け寄ってきたイオリフソにそう問いかけると、彼は息を切らせながら答えた。
「アルカが」
「アルカが?」
「化け物だった」
「あいつの技量が化け物じみているのは今に始まった話じゃないだろ」
想像される未来から目を背けたくてそんな冗談が飛んだ。しかし、彼の表情を見るとそうも言っていられない事態だと察した。
「そうじゃない。ここに出てくる化け物みたいな雰囲気を纏っていた」
その知らせは最悪なものだった。
ウズナのように人格が残っていても、咄嗟の行動は化け物による可能性がある。そして、ウズナの攻撃は既存の手段では防ぐことができなかった。
ウズナと似たようなことがアルカの身にも起きている場合、アルカの技量がそのままこちらに牙を剥くこととなる。そうなった場合、1ウニミで16発射撃し、半径300ラツは即死させてくる化け物だ。逃れる術はない。
「それで、アルカの様子はどうだった」
「今のところは異様な雰囲気を纏っているだけだが、自律的な行動を起こしている。今は見た限りではアラコムやシロシル、ウズナが主体となって対処していたが・・・・・・」
最悪の可能性も視野に入れなければならない。しかし、現状の先行きもわからない。かくなるうえは覚悟を決めるべきだった。
「各員、音を立てないようについてこい。イオリフソ、案内してくれ」
「了解」
これが何ら気にする必要のないものの可能性もある。そうで有れば皆を下げる必要はない。しかし、最悪の場合は集団で撤退となる。慎重な行動が求められた。
果たして鬼が出るか蛇が出るか。
緊張しながらイグムは先導するイオリフソに追随して歩き始めた。




