アムスタス迷宮#86 ウズナ-25/アルカ-6
(っこれは・・・・・・)
突如、エムの方から不思議な魔力の流れを感じた。それが気に掛かったが、今集中を途切れさせるわけにはいかない。そう思い直してウズナは慎重に理論を構築していた。
魔法は平たく言えば『思い通りの事象を顕現させる』ことができるが、『どう言った流れで顕現させるか』を考えた方が精度や効果も増大する。しかし、時を戻すと言っても『具体的に』『どうすれば』その結果を導き出せるのかウズナには見当もつかなかった。
故に、できることといえば単純な方法しかなかった。ーーすなわち、ウズナの『国を複数滅ぼしてなおあまりある』と評されるほどの魔力を使った力押しによる魔法の顕現である。しかし、この方法では繊細な作業が要求されるこの場においてはそぐわないものだった。そのため、ウズナは今全集中を持って魔法を制御していた。そうしなければ、アルカがどうなるか分からない。その難易度は、槍の穂先に調理用の包丁をくくりつけ、その状態で槍を振い、包丁の鋒のみを使って料理のための肉や魚など異なる各材料を料亭で出せるほどの基準での下拵えをするようなものだった。
そのため、ウズナは今他のことに気を配る余裕が一切なかった。
しかし、そうも言っていられなくなった。
「何、このマナの流れは・・・・・・」
アルカに対して流れ込んでいるウズナのマナとは別の流れがアルカに注ぎ込まれていた。そのマナの大元にはエムが繋がっていた。しかし、魔力の流れを見ても一切その結果が読めない。今までそんなことはなかった。魔術なら見れば何となくどう言ったものかわかるウズナにとって、そう言った経験はほとんどないものだった。しかし、だからこそ逆に何なのかが見当がついた。
(エムも魔法を使っている!)
その瞬間、ウズナは一瞬どうすべきか考えてしまった。
魔術ならば同時に干渉した場合に、どうなるかのおおよその見当はつく。しかし、魔法同士ではその見当は付かなかった。下手をすれば、互いの魔法が干渉して手に負えなくなる可能性もある。だからと言って、今ここでウズナが構築している魔法を停止させてもどうなるか分からない。
また、エムの構築している魔法がどう言ったものかわからない以上、エムに魔法を止めさせる方が危険性は少ないだろう。その考えはエムの顔を見た瞬間に雲散霧消した。
(これは・・・・・・)
いつの間にか、エムの身体の表面には紋様が浮かんでいた。その紋様が淡い紫色に明滅し、そこからマナがアルカの方へと流れていっていた。一方で、エムは目を瞑り、静かに一心にただアルカへ祈りを捧げていた。表情からは気負いのようなものは見られず、ただひたすらに敬虔な信徒が祈りを捧げているような姿勢だった。その様子から、ウズナは確信した。エムは無意識のうちにこれを行なっているのだ、と。
声をかけるべきかウズナは逡巡した。おそらくエムのことだから悪意や邪気はないだろう。しかし、この世には悪意なき悪意、善意から引き起こされる災害もある。
ーーーー止めさせよう。
下した決断は『魔術』に通じるものとして当たり前の結論だった。そうして声をかけようとした時だった。
手のひらに熱を感じた。
(えっ)
アルカの方に視線を戻すと、いまだに彼女の首から上は闇に覆われていた。しかし、心臓のあたりから明らかに彼女本来のマナが小さく、しかし確実に全身へと巡り始めているのがみえた。
(これは・・・・・・)
見守るうちに、みるみるうちにその脈動は強くなっていった。しかし、そのマナは全身を巡ろうとしているものの、全身の至る所から漏れ出していた。
「とりあえず、塞ぐしかないですね」
そうひとりごちてウズナはアルカの全身にマナを巡らせて全身を再生させていった。
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ーーひどく長い夢を見ていたような気がする。わたしの根幹を否定される夢を。
目を覚ました時、アルカが最初に感じたものはそれだった。ゆっくりと目を覚ますと、周囲は真っ白な空間の中だった。
「・・・・・・ここは」
周囲を見渡すも、手掛かりになりそうなものは見当たらなかった。しかし、何もないと言うわけでもなく、真っ白な空間はよく見るとあちこちひび割れだらけだった。
卵の中に閉じ込められているみたい。
そうアルカは感じた。
とりあえず壊して外の様子を伺うか。そう思って壁に近づこうとした。しかし、その歩みはすぐに止まった。
「貴女はここがどこか知ってる? エム」
「えっと。はっきり断言はできませんが、おおよそは」
いつの間にか隣にエムがいた。先ほどまで一歳気配を感じなかったのに、気がつけば隣に居た。そのことに一瞬恐怖を感じたものの、それを噯気にも出さずアルカは続けた。
「それで、ここは?」
「ここは、アルカさんの心の中です」
「このひび割れた真っ白な場所が?」
「・・・・・・えっと、はい」
その一瞬の間から、エムはここがアルカのようには見えていないことを察した。それでもひとまずここから出ようとした時だった。
「あの、アルカさん」
「何」
「もう、大丈夫なんですか?」
「何が」
「アルカさんの心は」
そう尋ねられた時、アルカの胸を何かが貫いた。思い出してはいけないものがそこにはある。そうアルカは感じた。
何があった?
何を見た?
何を感じた?
そう自問自答していくういちに夢だと思っていた内容が詳細に頭の中に思い浮かんだ。
イグムに否定された瞬間。
アルカより上位者の存在。
自身の技量が通用しない状況。
その他いろいろ。
思い出した瞬間、アルカはその場に崩れ落ちそうになった。そうしなかったのは単にエムがいたからに他ならない。
「それでも、わたしは、わた、し、は・・・・・・」
出ていってもいいのだろうか。
実はもうすでに『アルカ』は必要とされていないのでは。
今更皆と接したところで除け者扱いされるのではないか。
そう言った疑念が胸を満たしていた。それでも、もし、万が一、奇跡のような確率でまだ『わたしの力』を必要としている人がいるならばーー。
そう思った時だった。
身体を何か暖かなもので包まれるような感覚がした。初めてのはずなのに、どこか懐かしいような感覚。
「ウズナ、さん・・・・・・?」
エムの眼にはわたしを背後から抱き抱えるようにしているウズナの様子が見えるらしかった。しかし、アルカには何も見えない。それでも、なぜか心が満たされていくのを感じた。
(なに、この感覚ーー?)
気がつけばアルカの頬を温かいものが流れていた。
(あれ、何で。なん、でーーーー)
なんで、それがこんなにも嬉しく感じるのだろう。
そう思いながら、アルカはただ静かにその場で涙を流し続けた。




