アムスタス迷宮#77 カザハ-4
背後からも狙われる。そのことに周りの人々は恐怖していたが、カザハにとってはどうでも良かった。今までと何も変わらない。それどころか、食事や衣服、寝る場所が与えられるというだけでもカザハにとってはありがたいものだった。
もちろん、環境としては劣悪なものには違いないだろう。野菜くずが少し浮いただけの薄い塩味しかついていないスープに、カビが生えているかカチカチに干からびたパン。食事は日に一度しか出なかった。一応兵士扱いのため統制された衣服は着せられるがサイズはひとつしかなく、さらに使いまわされているのか穴だらけで血に塗れたブカブカの服。地面にごろ寝することしかできない環境。そういった環境のため、当然部隊内でも略奪や暴力が横行した。
それでも、カザハにとってはいつもと変わらないどころかマシとすら思っていた。毎日、わずかとはいえ食事にありつける。衣服も今まで着ていたようなボロ布よりは上等だ。寝る場所もある。ここは私にとって極楽なのではないかとすら思えるほどだった。
そんなことを考えていたからだろう。こんな環境の中で落ち込んだり衰弱したり自暴自棄になったりせずに平然と過ごしている人物がいれば話題にならないはずがなかった。
そのうちカザハは兵士たちから呼び出され、余興を行うように求められた。そこで初めて味わった苦痛もあったが、カザハにとってはどうでも良かった。たとえストレスの捌け口として暴行を加えられようが獣欲を満たす存在として扱われようが、それらは等しくカザハにとって『場所を提供してもらっている対価』としか考えられなかった。
カザハは兵士が求めるがままに振る舞った。ひとえに殴られるといえども、兵士によって対応を変えた。怯えて赦しを乞うように振る舞うほうが喜ぶ兵士もいれば、ただ無反応を貫いた方がいいという兵士もいた。それは夜伽をさせられた時も変わらなかった。カザハはそれらの要望を素早く汲み取り、そのように振る舞った。
そうしたことを続けていたせいか、カザハは部隊の中では『兵士に媚を売る売女』として軽蔑された。かと言って兵士が積極的に守ってくれるかというとそういうこともなく、カザハは都合のいい存在として扱われ続けた。
そして捕えられてから二月ほどが経過したある日のことだった。戦が始まった。
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その時、アムスタス皇国はここを決戦の場に据えたのか大兵力を動員し、強固な野戦陣地を構築していた。それに対しウスツム国は今まで通り国境紛争の延長と考え、普段の戦力を1.5倍ほど増強していただけにすぎなかった。その戦力差は明らかであり、ウスツム国が動員していた傭兵を含めても負け戦となることは確実であった。これほど戦力差があるにも関わらず、ウスツム国は引く構えを見せなかった。
当時は詳しい経緯など何ひとつ知らなかった。国家の思惑なぞ、何ひとつ。庶民にとってはそういう考えだろう。だが、この時国家としては互いに互いの国家の威信をかけており、互いに国境線の変更ーーすなわち国土の喪失は互いに認めることが出来なかったのだ。たとえ寸土であっても敵に譲ることがあれば、それは後々国家の悲劇を招きかねない。ならば、それをさせぬために寸土たりとも譲る余地は互いになかった。
そんな思惑なんぞ露知らず、カザハたち懲罰大隊は正面の最も硬いところへ投入されることとなった。もちろん、そんなことは言われることもなく、何も知らない状態のまま突撃していくこととなった。
カザハたちは手に何も持たず、ただ後ろから追い立てられるように敵陣へと走った。しかし、そのような動きでどうにかなるわけもなく、四方八方から集中砲火を浴びせられた。
辺り一体は地獄と化した。敵弾に倒れるもの。背後からの矢に倒れるもの。前へ進むことも後ろに下がることもできずに両軍の中間地点あたりをうろうろ彷徨うものが多かった。しかし、動いていると集中的に狙われ、立っているものから次々と打ち取られていった。そして、動くものがいなくなると油壺と火矢が撃ち込まれ、辺りは火の海と化した。そのため、地面に倒れて生き延びようとしていた者も慌てて立ち上がって逃げようとしたため、そこを次々と狙い撃ちにされていった。
カザハはというと、早々に後ろから飛んできた礫にやられて昏倒していたことが功を奏したのか、炎に巻かれることはなかった。気がつくと目の前は火の海となっており、どうすることもできなかった。そうしているうちに夕暮れが近づき、カザハは引き返すことにした。
陣のところまで下がると、そこには当初の10分の1くらいの人数しか残っていなかった。そして戻ってきた人員に対しては労いや休息などもなく、淡々と使い潰されることが決められていた。
いつも通り貧相な食事をとっていると、兵士がやってきて告げた。
『夜襲の斬り込みを行うため支度せよ』と。
そしてカザハたちはそのまま夜襲へ繰り出された。しかし、それらの行動は容易に読まれており、厳重な迎撃体制のもとあっけなく部隊は壊滅した。そしてカザハはこの時参加していたある傭兵に命を救われた。
彼は単に金を稼ぎにきただけであり、本気で戦う気などさらさらなかったと言っていた。そのため、適当なところで逃げるか寝返るかするつもりだった、とも。何はともあれ、彼のおかげでカザハは彼と共に『傭兵』としてアムスタス皇国に投降することとなった。




