アムスタス迷宮#75 カザハ-2
世界とは何か。
カザハにとって世界とは生まれた時から厳しい存在だった。
カザハは自分の親を知らない。正確に言えば、親だという人とは顔を合わせたことがある。しかし、その人たちは近くにいるにも関わらず、カザハを相手にしてはくれなかった。そして、後に家族を知る機会があった際、両親は子供たちを庇護し、教導していた。そこには兄姉弟妹関係なく、分け隔てなく愛情を注ぎ、絆を育んでいた。ーーカザハを除いて。だから、カザハは概念としての『親』や『家族』、『仲間』は知っていても、それが記憶の彼らとは結びつくことはなかった。
カザハは物心ついた時から1人、檻の中で過ごしていた。その檻は物心がついた頃のカザハですら立つと頭を上にぶつけてしまうほどで、眠るにしても体を縮こませなければ檻のどこかに身体をぶつけてしまうほど小さかった。
食事は日に一度、何だか良く分からないものを与えられていた。周りを見渡しても、みんなカザハに対してはそうするのが当たり前のように振る舞っていた。
似たような年頃の子供たちは近くでのびのびど走り回っているのに、カザハにはそのような自由などなかった。
何度か、近くで遊んでいる子供に声をかけたことがある。しかし、カザハはまともに話したことも話し方を学んだこともなかった。声をかけようとしても、口から出るのは良くて辿々しい単語、悪ければ唸り声と区別がつかにものでしかなかった。そのため、子供たちは声をかけられても最初は気が付かず、そしてカザハが声をかけている事に気がつくと一目散に逃げていってしまった。
そして、その日の晩は檻の外から子供、そしてその親たちから石を投げつけられた。彼らはそれを『禊』と呼んでいた。そういうことを何度か繰り返すうちにカザハは身をもって思い知らされた。ーーどうやら、私は誰かに声をかけることも許されないらしい、と。
人との関わりを求めてはいけないのだと学んだ日。それはカザフにとって最初の心が壊れた時だった。
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カザハが檻の外に初めて出されたのは5歳になった時だった。その時は周りの大人が檻を壊し、カザハは外に引き摺り出された。
最初は恐怖でしかなかった。周りの人々は手に道具を持っており、それで今までカザハの身を少しは守ってくれていたものを呆気なく破壊した。それが己が身に降りかかる光景を幻視し、震えることしかできなかった。
しかし、その行動は逆効果でしかなかった。カザハのその態度が鼻についたのか、カザハを引きずっていた男が突然手にした棍棒で打ち据えてきた。その時、カザハはただ震えてその暴力が過ぎるのを待つことしかできなかった。
何度殴られたか。記憶どころか意識も定かでなくなった頃、カザハは引きずられて集落のはずれへ連れて行かれた。
気がつくと、カザハは首に縄が巻かれ、その縄は地面に立てられた棒に結び付けられていた。
周りには誰もいない。
集落の方を見ると、カザハは集落との間に空堀が築かれている事に気がついた。しかし、反対の方に目をやると、簡易的な柵が見えることから、一応は集落の中ではあるらしい。そこから洞察されることは、『カザハを村の一族とは認めたくないが集落には必要』という考えだった。
さらに、カザハはそれから毎日のように殴られ、蹴られ、存在を否定され、数多の罵詈雑言を浴びせられた。それらの経験は、常人ならば5日もしないうちに壊れただろう。
ただし、壊れてしまった方が幸せだったと断言できる。カザハはそれまでの生活で慣らされてしまっていた。そのため、壊れてしまう閾値をそもそも壊されてしまっていた。故に、カザハは壊れることもできずただひたすらに悪意に晒され続けた。
結果として、カザハが狂ってしまったのも仕方のないことかも知れない。人との繋がりを諦めていたとはいえ、やはり人と繋がっていたかった。だからこそ、浴びせられる罵詈雑言を相手に対話を図ろうとし、降りかかる暴力を愛情表現と認識した。
殴られても蹴られてもニコニコし始めたカザハはより一層暴行を受けるようになった。その内、村人もカザハに関わらない方がより精神を削ることができると判断するようになった。そのため、カザハは誰にも相手をされず、餓死寸前まで関わりをたたれたこともある。
その後も何度も暴行を受けたり無視されたりを経験するうちに、カザフは学んだ。ーー彼らは私に関わろうとしているのではない。だから、私から関わりを求めるとそれを拒絶するのだ、と。
なら、人との関わりなんていらない。私が痛くならない分無視される方がよっぽどいい。そう考えるようになったのは、7歳のころだった。
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カザハの一族は遊牧と狩猟を生業としていたことから、定期的に住居を変える。その際、カザハの役目は斥候だった。行先に危険がないか、獲物がいないか。そう言ったことを確認するようこき使われた。ある程度意思疎通ができると判断されたら、カザハは夜間の見張りをするように求められた。
夜間襲ってくるのは野生動物だけではない。同じ狩猟を生業とする民や野盗などが襲ってくる。それらをいち早く見つけ、報告することが求められた。
失敗すれば折檻が待っており、上手く先読みしても褒められることはなかった。日中は今まで通り凄惨な生活を送り、夜間は使い潰される。そんな日々を送っていると疲弊するのも当然だった。しかし、疲れを見せることは許されなかった。
その頃になるとカザハの体格が貧弱であることはカザハ自身もよくわかっていた。
手足は骨と腱が浮かび、その上に皮膚が張り付いているような状態。骨も脆く、大腿骨でさえ大人が掴めば枯れ枝のように折れるだろうことが容易に想像がつくほどだった。背も同年代の中では最も低い。顔には常に隈が浮かび、手入れされていない髪はボロボロだった。全身に青あざや火傷の痕が浮かび、無事な部分は一つもなかった。
そんななりの子供が夜間見張りをするとどうなるか。
その答えは日を見るよりも明らかだった。
野生動物は連日のようにカザハを襲い、その身体に傷を残した。野盗もわざわざカザハを迂回するようなことはせず、乱暴狼藉を働こうとした。
そんな生活がこのままずっと続くのだと思っていたある日のことだった。
カザハの運命を大きく変える出来事が起きた。その出来事があったのは、カザハが14の時ーー生贄として捧げられるまで、あと半年といった時期だった。




