アムスタス迷宮#70 ウズナ-16/エム-14
「確かに、喉のこのあたりだけマナの流れが不自然です」
そう言いながらウズナは改めて自身の喉元を指差した。
「それで、それぞれどんな効果があるか検証していかなければならないわけなのですが・・・・・・・」
誰が押すか。最悪の場合至近距離でウズナの暴走を受け止める可能性がある。それは死ぬこととほぼ同じだろう。そう考えると全員が尻込みしてもおかしくなかった。
「・・・・・・・」
しかし、そこでスッとアルカが手を挙げた。
「アルカか・・・・・・・。普段ならともかく今は・・・・・・・」
「隊長。ですが、今なお反応速度は保っていますし彼女が1番安全に対応できるのでは?」
「反応速度を保っているとはいえ、今のアイツは自分の命を勘定に入れていないだろう」
そんな奴に任せるのは・・・・・・・。
言外にそう言ったとき、エムがおずおずと手をあげた。
「あの、わたしがやってもいいですか? わたしなら、その、自分で言うのも恥ずかしいですがアルカさんほどではないけど勘もいいですし。・・・・・・・いなくなったところで皆さんのように欠けたら影響が大きいと言うことはありませんし・・・・・・・」
付け加える様にしてぽつりと言った言葉はある意味彼女の死生観を表している様だった。彼女にしてみれば、身分も実力も上の人がいるのならば、その人が生き残る可能性を高めるために自分の身を犠牲にすべきだと考えているのではないか。それが周囲の環境によってそう考える様になってしまったのかはたまたそう教育されてきたのかはわからなかったが、それは余りにも危ういものにウズナは感じた。
結局、紆余曲折あったもののエムが触れることになった。
「よ、よろしくお願いします」
緊張した面持ちで彼女はそう告げ、ゆっくりと左腕を伸ばしてきた。その手を目で追っていると、どうしても意識してしまう。かと言ってこの至近距離でエムの顔を見続けるのもなかなかに気恥ずかしく、ウズナは動揺を誤魔化すように静かに眼を閉じた。
眼を閉じているとはいえ、鋭敏化した感覚は余すことなくエムの動作を知覚していた。腕を伸ばすときの衣擦れの音、彼女の手から発せられている熱、そして何よりも瞼越しに見える彼女のマナ。特にマナは彼女の体表に描かれた紋様に沿うように強く流れていたことから、ウズナは後々機会があれば見せて欲しいと感じたほどだった。ほかにも様々な要素から彼女の動きを把握できた。
あまり眼を閉じた意味はなかったかもしれませんね。
そう思っていたのもエムが鱗に触るまでの間だった。
彼女は決して乱雑に触ってこなかった。
慎重に、ゆっくりと触ってきた。
しかし、彼女がウズナの鱗に触った瞬間だった。
(ーー、あ)
気がつくと、ウズナはその場にへたり込んでいた。何が起きたのかわからなかった。ただ、感覚的に述べるのであれば、彼女に触れられた瞬間に全身の力がそのまま抜けてしまった様に感じた。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
エムが慌てたように声をかけてきた。それに応答しようとして、ウズナは身体に全く力が入らないことに気がついた。聞こえてはいるのに、身体をぴくりとも動かすことができない。
反応すらできない様子から、遠巻きに見ていた皆も慌てて近づいてきた。介抱されていくうちに少しずつ、ウズナは身体に力が戻っていくのを感じた。やっと首が動かせる様になったとき、ウズナはまず自身の身体の状態を観察した。
そこには驚くべき光景が広がっていた。
(マナが、ほとんど表面に出てきていない。ーーいえ、身体の中心部で固まってしまっている)
この身体ならば普段は意識せずとも見えるマナの流れが見えず、眼を凝らした結果見えてきたものは衝撃の結果だった。通常ならば全身に澱みなく巡るはずのマナが、身体の中心部に寄って固まってしまっていた。これならば体が動かなくなるのも無理はない。何せ、身体を動かすために必要な『生命力』が身体を巡っていなかったのだから。
それに、息苦しさや全身の感覚が鈍化したような気配にも説明がついた。言うなればウズナの身体の今の状態は冬眠、もしくは仮死状態に近いものだった。
(赤の鱗が『暴走』、緑が『脱力』。ならば最後の鱗は一体ーー?)
そう思いながら少しずつ身体の感覚を戻していった。
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目の前で、ウズナが突然糸が切れた人形の様になり、エムは訳がわからず混乱した。さらにそれから全く動かなくなったため、もしや何か大変なことをしでかしてしまったのではないかと心配した。
幸いなことにウズナはすぐに反応を返す様になったが、そこから体が動く様になるまでは少し時間を要した。
「大丈夫、ですか・・・・・・・?」
「ええ、心配をおかけしました」
「本当に大丈夫?」
「はい。だからそこまで心配しなくても大丈夫ですよ。姉様」
アラコムも心配そうにウズナの顔を覗き込んでいた。ウズナの顔は至って平気そうにしていたが、それが本当にそうなのか痩せ我慢しているのかは窺い知ることができなかった。
「さあ、最後の一枚を早く確かめましょう」
彼女にそう促され、そのまま検証は継続されることになった。
再びウズナの前に立ち、エムは彼女の喉に手を伸ばした。その手に対し、ウズナもぴくりと反応した。しかし、エムがそれで手を伸ばすことを躊躇った時に『大丈夫です。続けてください』と促し、エムはゆっくりと手を伸ばした。
そして彼女の最後の一枚に手が触れた時だった。
ズッ、と何かがエムの身体からウズナへ流れて行こうとする様に感じた。そしてそれは放っておけば何か危険を招きかねないとエムの勘は告げていた。
咄嗟に指をウズナの喉から外そうとしたが、エムの意に反し指は吸いついたように離れなかった。
(お願い、外れて)
そう念じて腕を渾身の力で引っ張った。気がつけば全身の紋様が青白く光だし、その光が徐々にウズナのほうへ流れていくのが見えた。
これはダメなものだ。このまま放っておいてはいけないものだ。
そう思って、エムは腕が千切れるのではないかと思うほど強く引いた。
なんとか指が外れた時、エムの全身は冷や汗でびっしょりと濡れていた。時間にしてみればほんの少しの出来事だったが、エムにとっては悠久の出来事に感じた。転じてウズナの方に眼を向けると、彼女は眼を瞑ったままそこに立っていた。しかし、先ほどと異なる点が一つあった。ウズナの全身が、先ほどのエムの紋様の光と同じ色に薄く輝いていた。
少しずつ後ろに下がりながら彼女の様子を見ていた時だった。ウズナがスッと眼を開いた。しかし、その眼には怪しい光が灯っていた。優しく笑みを浮かべると、何も言わずウズナはエムに近づいてきた。
「ウ、ズナ、さん・・・・・・・?」
その問いかけに答えることなく、手を伸ばせば届く様な距離にウズナが近づいた。
笑顔がこんなに怖いなんて。
エムはウズナを呆然と見上げながらふとそんなことを思った。そして、ウズナは止まるとエムを見下ろした。
それをただ見ていると、ウズナが素早く行動を起こした。そのあまりの速さにエムはビクッと震えたが、彼女は気にするそぶりも見せなかった。
「・・・・・・・え?」
目の前で、ウズナはまるでエムが支えるべき存在であるかのように片膝をつき、首を垂れていた。その様子を、エムは真っ白になった頭で見ることしかできなかった。




