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迷宮探索黎明期  作者: 南風月 庚
アムスタス迷宮編

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63/314

アムスタス迷宮#62 ウズナ-13

(振り切れない・・・・・・ッ!)

 後ろを見ずとも気配でわかる。今はまだ急激な旋回や加減速の幻惑により『蜥蜴』からギリギリのところで逃れられているが、それも長くは続きそうになかった。時折吐き出される火焔を紙一重でかわし、一瞬の隙を作り出して氷柱を飛ばす。その氷柱は当たることなく彼方へ消えていくが、反撃の姿勢すら見せられなくては注意を引くことなどできないだろう。

 今のままではどう足掻いたところで勝てる見込みなどない。それに、実はわたしの方が追い詰められているのではないか。その疑念が頭を過った。

 チラリと地上を見ると、かなりの速度でだいぶ長く飛んでいるのにも関わらずいまだに洞窟の入り口のほぼ上空にいた。探索隊から引き離そうと言う思惑すら見破られているかのような『蜥蜴』の軌道により、想像以上に自由に動けずにいる。そのことを認識させられるだけで焦ってはいけないと思いつつも焦燥が募った。

[余所見トハ、未ダ余裕ガアルノカ]

 再び『蜥蜴』がなにかを発した。それに聞く耳を持たずに上昇して高さを取り直そうとした時だった。背後を大きな黒い影が飛び去った。

(まさか)

 そう思ったのも束の間、上昇するウズナの視線の先に『蜥蜴』が待ち構えていた。そのままのしかかるように降下してくる『蜥蜴』を前に、ウズナは咄嗟に避けようとした。しかし、その行動は遅きに失していた。辛うじて進路を変えることはできたものの、だからと言って安心できる要素などなくウズナは己の腹に『蜥蜴』の爪が突き刺さろうとしている光景をなすすべなく見つめていた。

 その時、顔の横を頬を掠めるようにして何かが飛んだ。

 その礫はそのまま『蜥蜴』の顔目掛けて飛んでいった。

(眼に当たる。けれど・・・・・・)

 その弾は確かに直撃する軌道を取っていた。そして狙いを外さず『蜥蜴』の眼に当たるーー直前で魔力で作られた障壁に弾かれた。しかし、その一瞬、注意が逸れたことでウズナは『蜥蜴』の腕の直撃を辛うじて免れた。しかし、脇腹はざっくりと切り裂かれ、血と臓物の欠片を撒き散らしながらウズナは落下し始めた。

[横槍ヲ入レテクルトハ。・・・・・・アレか]

 『蜥蜴』が腹立たしげに何事かつぶやいた。その眼は地上の誰かを捉えると、ウズナが地面に落下するより早く急降下し、その人目がけて焔とは異なる何かを吐き出そうとしていた。

(させる、訳には・・・・・・)

 そう思うものの身体は思うように動かなかった。

(また、あの時のように・・・・・・)

 そこから先引き起こされるだろう光景は丘のうえの光景と同じだろう。

(また、目の前で人が死ぬ・・・・・・)

 もしかしたらそれ以上の惨劇が引き起こされるかもしれない。

(今度は姉様が巻き込まれる)

 『蜥蜴』のあの様子では手加減などなく鏖殺するだろう。

(そうはさせない!)

 覚悟を決め、痛みに悲鳴をあげる身体からの声を無視してウズナは吐息が放たれる直前、辛うじて間に割り込んだ。氷の壁を作る余裕もない。こちらも対抗して『吐息』を吐く余裕もない。だが、それは我が身を含めての話だ。

 割り込んだ時、ウズナは『蜥蜴』の方ではなく探索隊の方を向いた。そして彼らを覆うように氷壁を作る想像を固め、マナを打ち出した時だった。

 覚悟はしていた。

 痛みに身を焼かれることは想定していた。

 それでも、この異形の身体ならばほんの僅かな時間なら耐えられると考えていた。

 その予想は甘かった。

 『身を焼かれるような』と言う比喩が比喩ではないような、ともすればその表現すら生ぬるい程の激痛がウズナを襲った。

 身を切られるような痛み。鋭利な刃物で身体を微塵切りにされているような感覚。

 突き刺さるような痛み。無数の針で全身を余すところなく突き刺されているかのような感覚。

 全身を焼かれるような痛み。息が出来る業火の中に閉じ込められているような感覚。

 錆びた刃物で切り裂かれるような鈍い激痛。鈍器で殴打されているような鈍痛。息ができなくなる苦しみ。細い糸で全身を雁字搦めにされているような肌を裂く感覚と締め付けられるような圧迫感。頭の中をかき混ぜられているような痛み。雷に撃たれているかのような痺れた感覚。

 ありとあらゆる痛みがウズナの全身を貫いた。

(いたい、けれど)

 今この場で皆を護れるのはわたししかいない。その一心でウズナは意識を保ち続けた。それがたとえ自らの作り出した壁に押し付けられ、全身を潰されそうになろうとも。


***********************


 その光景をアラコムは氷の壁越しに見つめていた。

 全く動くことができなかった。

 見ている間にも事態は瞬時に変容し、ただその中で呆然と妹を見ることしかできなかった。そしてやっと認識が追いついた時には、ウズナは死にかけている状態だった。

 氷の壁と『蜥蜴』の吐息に挟まれ、身動きが取れていなかった。彼女の体表の鱗はどんどん削れて吹き飛んでいき、怪我を負った脇腹から身体はどんどん抉られていっていた。

「無茶しないで!」

 届くはずもないのに、気がつくとウズナに向けてそう叫んでいた。その時、何かに集中するように険しい顔をして目を瞑っていた彼女の目が開き、アラコムと視線が交差した。その時、彼女がフッと微笑むのが見えた。

「あ・・・・・・」

 そう思った直後『蜥蜴』の吐息が止み、彼女は地面に滑り落ちていった。


************************


(今度は、まもれました)

 薄れる意識の中でウズナはぼんやりとそう考えた。身体は重く、指一本ほども動かせそうにはなかった。もう間も無く自分は死んでしまうのだろう。漠然とそう感じた。自分の身体のことは自分がよくわかるーーなんて言うけれど、実際のところ身体がもう持ちそうにないのはなんとなく想像がついた。

[羽虫を傀儡にしてみるのもまた一興か]

 視界が急に暗くなった。

 何が起きているのかわからない。

 ドス、と何か鈍い音が響いた。

 お腹の中に何か熱いものが流れ込んでくる。

 熱を帯びたそれはどんどん身体の中に広がっていった。

 メキメキと身体の中から何かが響く。

 何か大切なものを塗りつぶされているような感覚。

 熱くて、寒い。

 相反する感覚を抱きながらウズナの意識は闇へと消えていった。


*********************


 あれは一体何をしているの?

 アラコムの見ている目の前で『蜥蜴』はウズナに近づき、身体に爪を立てた。そしてなす術なく見ている前で『蜥蜴』はウズナに何事か施すとそのままこちらを見向きもせずに飛び去っていった。

 あとには地面に倒れ伏しているウズナだけが残された。彼女の腹部からは血が流れていたはずだが、今はもう傷跡は見えない。

 今すぐ駆け寄りたい。

 その感情を氷の板が阻んでいた。厚さはないのに、その僅かな距離を積めることはできなかった。

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