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迷宮探索黎明期  作者: 南風月 庚
アムスタス迷宮編

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アムスタス迷宮#49 ウズナ-8

 後ろを振り返らず、ウズナは走った。自分が犯した罪から目を背けるように。

 あの残骸を見てから、ウズナは徐々に自分が何をしていたかを思い出していた。あの蜘蛛にトドメを刺したのち、ウズナは躊躇いなく蜘蛛に噛みつき、咀嚼し、飲み下していた。

 なぜ、わたしは何も感じなかったのだろう。

 今考えてみれば異常な行動だったと確信を持って言うことができる。しかし、その時ウズナの意識としては特に何も感じていなかった。ただ、夢を見ているかのように現実感がなく、目の前でどんどん自分が食い荒らしていく蜘蛛の屍骸を見ていた。

「う、うええぇぇぇぇぇぇ……」

 気分が悪くなり、立ち止まってその場に吐いた。身体は全く疲れておらず、この吐き気は純粋に自分の行動に自分が耐えきれなくなった気分の悪さによるものだった。

 その場に何度もえづき、胃の中のものを吐き戻そうとした。しかし出てくるものは何もなく、ただ逆流してくる胃液と唾により余計に不快感が増しただけだった。

「……はぁ、はぁ。ははっ」

 知らず知らずのうちに乾いた笑いが口から漏れた。あの様を他の人が見ていたら、わたしは間違いなく化け物扱いだろう。人の丈を超えるような大蜘蛛を討伐できる存在は皇国にも居るだろう。ウズナはあまり話した事はないが、アルカならば一撃で蜘蛛の頭を撃ち抜き殺すことなど容易いだろうことは想像がつく。

 しかし、その死骸を貪り喰らう存在は居ないだろう。そもそも、皇国においては虫食文化は無い。遥か遠くの国にはそのような文化が存在すると文献にはあったが、少なくとも皇国において虫を食べるのは飢饉で飢えに瀕した時か、重度の犯罪奴隷に対する懲罰目的ぐらいだ。

 そう考えると、ウズナが取った行動は皇国では異端の眼で見られる。たとえ誰かが見ていなかったとしても、その行動をとってしまったと言う意識はおそらく生涯残り続ける。

「もう、わたし、まともじゃなくなっちゃった」

【糧ヲ食ラッテ何ヲ後悔スル必要ガ有ル】

「こんな姿に変わり果てて」

【此ノヨウナ矮小ナ身体二龍ノ血ヲ宿シテ】

「死んでも逃れる事はできなくて」

【我ヲ殺スヨウナ存在ハ我ガ太祖クライダロウ】

「もう、どこにもいけない」

【我ノ力デ居場所ヲ作レバ良イ】

 独白に呼応するように身体の鱗には妖しげな輝きを増し、不可思議な紋様すら浮かび始めていた。それらは先程に比べ、確かに自身の何か質的なものが変わってしまったような印象を受けた。

 気が狂うこともできず、死ぬこともできず、家族や仲間に会うこともできず、騎士としての誇りすら失い、何が安全で何が危険かもわかりはしないこの世界で永遠にひとりぼっちーー。そんな想像が容易くついた。

「は、はは、ははは、あははははーーーー」

 壊れたように口から流れ出る嗤いは、誰も聞く者は無く草原に消えていった。


********************


「……これからどうしよう」

 気がつくと夜空に星が瞬いていた。あたり一面はそれらの光とマナにより、幻想的に浮かび上がっていた。しかし、今はその光景を見ても何も感じなかった。

 辺りを見渡しても何もいない。

 身体は空腹を訴えてきているが、何も食べる気になれない。

 しかし、餓死して『亡霊』や『亡者』の仲間入りを果たす気もない。

 結果、ウズナはただぼんやりと草原に横になり、夜空を眺めながら静かに涙を流していた。

(もう、どうでもいい)

 外道に落ちてしまった自分は、そのうち『人』であることも忘れてしまうのだろう。そして、何故死にたく無いのかも忘れて獣のように生き、寿命が尽きるまで生きるのだ。

 そんな考えが心に浮かんだ。

【ドウデモイイノナラバ我二身体ヲ委ネヨ。我ガ此ノ肉体ヲ生カス】

 頭の中で何か声が響いているような気もするが、どうでもよかった。そのうち、月や星に雲がかかり始め、雨が降り始めた。

 ひどい雨だった。雨で腕を伸ばしたら肘から先が見えなくなりそうなほど降り注いでいた。

 ーー身体が濡れるのもどうでもいい。

 勢いも凄まじく、地面にはまるで銃弾が撃ち込まれたかのような跡が次々と生じていた。そんな雨足が容赦なくウズナの身体を襲った。

 ーー痛くない。

 おそらく、ここで普通に息をしていたら、陸上で溺死という光景が生まれただろう。

 ーー息も苦しくない。

 風も強く、根元まで掘り返された草や土が中を舞っていた。

 ーーこのままわたしも飛んでしまえ。

 その祈りが通じるかのように、ウズナの身体は風に飛ばされ始め、宙を舞った。空中では四方八方から雨粒や巻き上げられた石、砂、草などが飛び交い、ウズナの身体を削りに来た。

 ーー傷一つ付きやしない。

 突然風が止み、ウズナは頭から地面に叩きつけられた。かなり巻き上げられていたようで、地面に叩きつけられた時にはかなりの勢いだった。さらに、地面と言えども岩盤の上だった。流石にこの時ばかりはウズナの眼の前に星が舞った。普通ならば即死だろう。

 ーーなぜ地面にヒビが入るのだろう。わたしにはなんの怪我もないのに。

 頭に手を当ててみるも、裂傷どころかたんこぶができた様子すらなかった。

 そのまま苛立ち紛れに周囲を見渡すと、洞窟がすぐそばにあった。しかし、それ以上にウズナの気を引いたのは、その洞窟から溢れ出ているマナについてだった。

「このマナのかたち、何処かで……」

 そう思い、考え直して気がついた。

 ーーあの四阿と似ている。

 ならば、調べてみよう。少しは気晴らしになるかもしれない。そう考えてウズナは洞窟に足を踏み入れた。

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