アムスタス迷宮#44 イグム-3
その洞窟に最初に辿り着いたのは、それからさらに5日後の出来事だった。
「ここから北西方向に大凡20エリム(約37km)進んだところに洞窟だと?」
「ああ、何でも期間開始時間ギリギリまで進出を続けた一団が遠くの方で見つけたらしい」
イグムはその話をイガリフから聞いていた。
「となると、明日は全隊をそっちに向かわせる感じか?」
「どうだろうな。いかんせん遠目で確認した程度だ。少なくとも中の安全性がある程度確保されるまでは全部の隊を使って探索、なんてしないと思うが」
「確かに、この有様じゃあな」
イグムは周囲の様子を眺めながら同意した。現状、エムが持ち帰った僅かな希望に賭けて皆探索を頑張っている。それでも未知の領域、未知の敵を四六時中相手にしなければならないと言うのは、否応なく彼らの精神や肉体を蝕んでいた。
現に、10日前と比較すると探索隊は2割5分が未帰還となり、身体のどこかしらに不調を抱えていない人間というのは僅か5分にも満たない状態だった。こうして話している2人も、イグムは3日前に蛇に襲われて足を噛まれ、危うく解毒が間に合わないために脚を切り落とさなければならない目に遭い、イガリフは2日前に隊を守るために咄嗟に突進してきた猪との間に割って入り、肋を折る大怪我を負ったばかりだった。どちらも最低限の治療はされたものの、物資が不足している今、自然治癒に任せられそうな範囲まで治療されると治癒班から追い出されてしまった。
「それで、そっちの足の状態はどうだ?」
「まだ締め付けられたところが少し痛むな。走れなくはないが全力疾走はまだ無理だ。そっちは?」
「あくまでも、『一応骨は引っ付けた』程度だからな。運動禁止、戦闘なんてもってのほかだと言われた」
「そんなこと言ってる余裕なんてないのにな」
辺りには夥しい数の負傷者の姿があった。特に兵士が多いが、探索に同伴した学者や錬金術師、魔術師たちの姿もあった。現在無傷なのは、ほとんどを野営地で過ごしているような者か、単に幸運続きだった者か、圧倒的な実力を持って生還し続けたものしか居なかった。
「おそらく、探索に行くとしても無傷の者たちによる野営込みでの探索になるだろう。何せ、道のりならば片道25エリムを越えている」
「となると、オレたちは無理か」
「どうだろうな。少なくともイグム、お前は戦闘は許可されてるだろう? それに、歩くだけなら出来るときている」
「まあ、特別任務部隊も投入できる戦力は残り僅かだからなぁ。今何人ぐらい怪我無しだったか?」
「隊長含めて3〜4人ってところだろうな。隊長はここの業務もあるから出られないとして、そうなると2〜3ってところか」
特別任務部隊といえど、彼らも人の子である。既に2人が未帰還となり、1人が野営地まで帰還したものの状況報告中に治療の甲斐なく死亡、他の面々も大なり小なり怪我を負っていた。
そんな中で常に無傷で隊を守り、食料調達までやってのけるアルカの存在は、特別任務部隊はともかく他の面々の中からは徐々に気味悪がられていた。無理もないだろう。まるで動物の位置が予めわかっているかのような指示、戦闘時においては初撃で撃破、食料もどこからともなく調達して来る。挙げ句の果てに無傷とあっては、この様な怪我人だらけの中においては明らかに浮いていた。
他の無傷の面々は野営地に戻って非番になるなり食事や睡眠といった人間らしい姿を見せていた分恐れられていないのかもしれない。ぼんやりと焚き火を眺めながらイグムはふと思った。
アルカが奇異の眼差しを向けられる遠因として、彼女がそう言った人間らしい動作を見せているところを誰も見たことがないのもあるのでは無いだろうか。彼女はここに来てから一度も人前で不平不満を口にしていない。動揺の気配を覗かせたことはあったが、それもここ数日は見かけていない。つまり、普通の人なら大なり小なり抱くような感情が見えてこない。イグムたちは彼女がそう言う者だと知っているからこそ特に何も思わないが、よく知らない兵士やその他の人からすると、自分たちと本当に同一の存在なのか不安になり、恐ろしいことこの上ないのだろう。
「ああ、お前らここにいたのか」
そう声をかけられたことでイグムは現実に引き戻された。顔を向けると、ノイスが近くに来ていた。
「そのままでいい。俺も座ろう」
慌てて立ちあがろうとしたところを止められ、隣にノイスが座った。とりあえず白湯を渡すと、ノイスは感謝を述べて受け取った。
「さて、ここに来た理由はイグム、お前に用があってきた」
「やはり、洞窟の件ですか?」
「耳が早いな。そうだ。その探索隊の指揮を執ってはくれないか」
「引き受ける前に聞かせてください。何故私なのですか?」
そう尋ねると、ノイスは白湯を一口飲んでからから言った。
「今回、探索にあたっては少数精鋭かつ機動力に富んだ者で行うことになった。期間は2泊3日を目安とするが、帰還期限は出発から5日後まで。その条件で組むことになった場合、特別任務部隊から現状の戦力で出せるのはお前とアルカ、イオリフソだけだ。その中で指揮官として最も優れているのはーー」
「確かに、その面々で考えたら私になりますね」
アルカは人付き合いが上手い方ではない。イオリフソはと言うと、人付き合いは良いが押しに弱い。いざという時の判断を誤る可能性がある。
「けれど、無傷なのはアルカだけですよね。機動力には……」
「イオリフソの方は怪我をしたのは腕ーーと言うか肩だな。昨日脱臼したが治療をした。何より、今ある程度まともに戦力になって走れるのはお前らしかいないんだ」
オレももう少し若ければな……。
どこか寂しげに隊長が呟いていた。
「それで、探索隊には他にどのような面々が?」
「錬金術師からコウカ、魔術師からシロシル、学者からはワーサとシーク。それとーー荷物の運搬要員としてエムの計8人だな」
「学者は走れるんですよね?」
「どちらもフィールドワークを主体としていた学者だ。そして長距離をある程度走れるのは実際に見た」
「わかりました。では他の面々はーー」
「他の隊の護衛かここの護衛だ。俺も明日は別方向に向かう隊の護衛につく。なにせ、人手不足だ」
そう言うと、ノイスは立ち上がった。その背を見送った後、イグムは小さく息を吐いた。
「ため息か?」
「つきたくもなる。今のところ手掛かりなし。俺たちは本当に帰れるのか?」
その小さな嘆きは夜空に吸い込まれるように消えていった。




