アムスタス迷宮#3 クリム-2
皇都に着き、クリムはいつものように通行許可証を取り出し、検問の列に並んだ。普段ならば明日から開かれる大市のために商人が列を成し活発な交流が行われている。その際には門の衛兵に通行許可証を提示し、場合によっては商品を改めさせるなどあるが何もなければそのまま通行して大広場に向かう。しかし、今回に関しては兵の数が普段よりも多いためか粛々と列が進み、商人に関しては積み荷が何であれ異なる方向へ誘導されるなどいつもと様子が異なっていた。
「・・・・・・次! お前は商人か」
「ええ、まあ。この通り、クリムというしがない商人です」
やっと順番が巡ってきたが、そこで任務についていたのは顔馴染みの兵ではなく、更に言えば階級が幾分か高い者であった。そのため、クリムはいよいよ面倒な事に巻き込まれそうだと思いながら衛兵に通行許可証を提示した。
「現在、皇都に入ってくる商人は全て別の場所に案内する事になっている。商品は……」
「この馬車だけでさぁ。兵隊さん」
「そうか。なら案内を用意するからそいつに着いて行け」
そう言うと、衛兵は近くにいた兵士を呼び寄せ、クリムを誘導する様に指示した。
その様子を見て、クリムはなんとなく察しがついた。ーーああ、これは微発されるのか。この兵たちが何を求めているかは分からないが、商人に区別なく誘導していることから様々なものを求めているのだろうとは察しがついた。そして、この様に皇国が大量の物資を用意しようとしていると言うことは、前の街で耳にした噂があながち外れていない事にも当たりがついた。
誘導する兵の後ろを案内されるままに進むと、そのうちクリムの眼に異様な光景が見えてきた。皇都の大広場と言えば、大きな喰水があり、周囲に朝市の露天商や行商人がひしめいていたはずだ。しかし、今ここからクリムが見える広場の様子は一変していた。噴水があった場所には噂に聞いた通り、見たこともないほど議細な彫刻が施された柱で支えられた四阿のようなものが建っていた。更に、不思議なことに四阿の向ころ側は見通すことが出来なかった。また、広場の周囲には守備兵だけでなく皇都警邏隊や皇帝直属の近衞騎士団、更には珍しいことに基本的に外には出てこない宮廷魔術師団や錬金術師集団の姿があり、広場へ至る道は警邏隊によって閉鎖されていた。
これはいよいよ厄介な事になりそうだ。そう思いながら馬車を進めていると、クリムを案内している兵は広場に通じる道の一つに建てられた天幕の一つに案内した。そこで一度馬車を降りて中に入るように指示され、中に入ると普段は皇都の商人ギルドで看板娘となっている知り合いの受付嬢がいた。
「一体これはなんの騒ぎなんだ? 皇帝はどこかに戦争でも仕掛ける気なのか?」
「聞いてないのですか? 今、皇帝はあの四阿の中を解明する事に熱心になっているのですよ。何でも、『余の治める土地に不可解な物をいつまでも置いているのは臣民に対する裏切るである』とか」
「ただの噂話かと思ってたさ。この目であの四阿を見るまではな。確かにありゃおかしい。けどこれとどう繋がる」
そう尋ねると、受付嬢は少し顔を暗くしていった。
「噂では、どの様に聞きましたか?」
「ん? あぁ。何でも一晩でできたとか調査に入った連中が50人以上いて誰1人戻ってきてないとか。でもそれっておかしくないか? あの四阿は見た限り30人入ればいいぐらいの大きさだろ? どこに50人も隠れられるって言うんだ」
「全て本当のことです。それに、第二次調査隊が消える瞬間は私も見ていました」
そこから受付嬢が語った内容をまとめると次の様になる。第一次調査隊が帰ってこないのを受け、派遣してから一ヶ月が過ぎたある日のこと、第二次調査隊は編成された。その時は皇帝の名代として宰相まで来たらしい。そして、一人目が四阿に足を踏み入れ、二人目が続こうとした瞬間、四阿から光が洩れ気がついた時には調査隊5名及び近くにいた市民5人が消えていたという。そこには男女の性差、年齢の区別などなく大人も子供も老人も巻き込まれていた。それを見て調査隊は速やかに市民救助の為に四阿に入り、そして今に至るという。
「・・・・・・そして、あれからひと月が経ちました。今回はさらに人数を増やして調査隊を送り込むそうです」
「・・・・・・そうかよ。こりゃ皇帝も後に引けなくなってるってところなのかねぇ」
「今の言葉は聞かなかった事にしておきます」
「そりゃありがたい」
そう言いながらクリムは聞いた内容を反芻していた。聞いた話だけでは皇帝はやぶれかぶれになっている様にも聞こえる。何せ、先代から始まった開拓事業は思う様に言っておらず、さらに今上皇帝になってから西の隣国とのいざこざが絶えない。国庫は決して潤沢とは言えないだろう。それに加えてこの騒動は今の国の情勢から考えて決していいとは言えない。しかし、国の文官でもないクリムには詳しい財政などわかるはずもなく、ただ漠然とまずいのではないかと言う印象しか浮かばなかった。
「・・・・・・それで、今回俺は何を卸せばいいんだ」
「貴方にはこちらから尋ねないといけないでしょう。調達屋のクリムさん」
あなたはいつも取り扱う商品が変わるのですから。言外にそう言われているような気がして、クリムは素直に話す事にした。
「今積んでいるのは錬金術師に頼まれた鉱物や薬草、それ意外だと木材に小麦と芋が合わせて3袋、道すがら仕留めた野生動物に・・・・・・、経済奴隷が5人」
「野生動物以外は全て一度検品する対象になってますね」
そう言うと、受付嬢は手元の紙にサラサラとクリムが言った内容を書き出し、その紙を近くにいた職員に手渡すとクリムに向き直り受付台の下から取り出した木札を渡してきた。
「隣の天幕で待っていてください。検品が終了したのち引き取らせて欲しいモノに関しては目録を作成して渡すため、そのあとはまた指示に従ってください」
「そうかい、わかったよ」
クリムはそう答えて天幕を移動した。そして待つことしばし、商業ギルドの職員がやってきてクリムに目録を手渡してきた。それと同時に広場のどこに何の受付場所があるかを示された簡易的な地図に番号が書き込まれた物を差し出してきた。
「なんだい、これ?」
「この作業をスムーズに済ませるためにこの順番通りに回って取引を済ませてくれ」
「……あぁ、わかったよ」
そう答えてクリムは天幕を出た。言われた通りの道を辿りながら、クリムの心中は穏やかではなかった。商人としては不安定な収入では無く一括の卸先を得られたことは歓迎すべき事だろう。しかし、今回この取引に応じることでいくら皇国の命が優先されるとはいえ、クリムに依頼してきた依頼元は一時的に損を被る。それは巡り巡ってクリムの首を絞めることに繋がるかもしれない。さらに、そういった商人の理としてではなく一個人としても経済奴隷たちには少しでも安全なところへ送りたかった。これはクリム自身も元は経済奴隷として売られたことから、いち早く身を立て直すためにはそういった先を斡旋してやる必要があるとの考えによるものだった。
大広場に近づくと、どうやらクリム以外の商人たちもここに集められているが、扱う内容によって区画や天幕が分けられているようだった。クリムの持っている木札を確認した兵士は「こちらです」と案内したが、案内された先の集会場にいたのはほとんどが奴隷商として名を挙げた商人たちだった。
(ああ、そう言うこと……)
その面々を見て、クリムはこの分け方の意味を察した。商人が今回取り扱っている商品の中で一番高額になりそうなもののところに割り振られているらしい。ただしそれらの中にも基準があるらしく、後ろ暗い噂のある商人はいないようだった。誰も彼も他の商人を前にして不安そうな顔はおくびにも出していないが、やはり不安や不満、疑念といった感情が抑えきれないようであった。
どうやらクリムの次に入ってきた商人が最後だったようで、その商人に続く様に衛兵が2人入ってきて、そのまま扉を閉めた。大集会場の中には近衛騎士団長が建っており、その後ろに文官が控えていた。商人たちが全員着席したことを確認すると、近衛騎士団長が口を開いた。
「急にこのような形で連れてきて申し訳ない。また、今から諸君に告げることは諸君らの協定や暗黙の了解を害するものであるかもしれない。しかし、皇国の一大事であるが故、ぜひとも協力してもらいたい」
その予想を遥かに超える発言に周囲が一瞬ざわついたものの、予想していた商人が多かったためかすぐに落ち着いた。 再び集会場が静粛に包まれるなか、説明が続けられた。
「知っての事とは思うが、約三ヶ月前の深夜に皇都にて地揺れが発生した。その後、この大広場を確認したところ、諸君らも目にしたと思うが謎の建築物が現れてた。そこで皇都警邏隊の一部を派遣したが詳細は判明しなかった。続いて騎士団および魔術師団の一部を内部に派遣したが、現状帰ってきた者はいない。そのため、今度はより多くの部隊を編成し、中に偵案に赴かせることとなった。諸君らには、その荷物を運ぶための人足を出してもらいたい」
「無論、無理を言っているのは承知しています。しかし、わけのわからないものをそのままにしておくことは臣民に対する裏切りであると皇帝はお考えです。どうか協力してはいただけないでしょうか」
騎士に次ぐようにして後ろに控えていた文官もそう語った。その内容は先程受付嬢から聞いた内容と一致しているが、クリムからしてみれば受付嬢の感情がこもっている分今の説明よりも受付嬢の語り口の方が深刻さが伝わる様に感じた。
「質問、よろしいですか」
クリムの隣にいた商人が立ち上がりそう言った。
「事情は分かりました。しかし、我々としても商売でこの稼業を行っております。もちろん供出せよとおっしゃられるならその通りにいたしますが、これは強制なのでしょうか。また我々に対する補填はどのようにお考えで?」
そう問われると、騎士は後ろの文官たちに説明するよう目配せをした。文官たちはいくつか書類を取り出し、すぐに前に出てきて答え始めた。
「それについては我々から答えさせていただきます。もちろん、どうしてもという事情がおありであればその限りではございません。我々としても、これが非常識な依頼であることは重々承知しています。また、補填に関しては、今回の依頼が依頼ですので、一人金貨20枚で何とか手を打っていただけないでしょうか」
そう言われたが、ここで拒否する商人はいないだろう。なにせ、拒否したところで直近に於いて少しの利益を得る代わりに、皇国に目を付けられて今後もこのような機会があった時に声をかけられなくなる。いくら皇国の財政が泥舟に思えるからといってまだ切るべきタイミングではない。そのうえ、一人当たり金貨15枚と言うのは普通の経済奴隷の売値から考えれば明らかに破格の価格となる。相場としては子供であれば金貨3枚も値が付けばいい方で、肉体労働系の男であっても8枚以上ともなれば破格の値段となる。単純労働ではなく、職人の補佐や貴族の邸宅の下働きなどの用途で売られれば、エムの様に容姿や技能などで値が上がるがそれにしてもおいそれと付けられる値段ではない。
つまり、それだけの金を払ってでも多くの人手を集めたいということか。しかも早急に。クリムがそこまで考えたところであたりの様子を伺うと、商機に目を光らせているものや、不承不承といった表情ではあるものの反論する様子のないものなど、反応は様々であった。しかし、一つだけ確かだったのはだれも反対する者はいないということだった。
誰も退席しないのを見て、すぐに引き渡しの手続きが開始された。クリムも流されるように列に並び、文官の示した書類に記名し、金を受け取った。その後、他の建物や天幕でそのほかの商品に対し同様の手続きを行い、兵隊に商品を引き渡して俺の今回の仕事は完了した。
空になった馬車を引き、広場から離れる途中、クリムの気分は暗れやかなものとは程遠かった。今回の仕事に関しては、皇国の命令によるものだったとはいえ、自分の信念を曲げてしまったからだと感じた。『俺は俺が信頼した人にしか商品を売らない』。クリムは今回初対面の相手に商品を卸している。それはいくら皇国の騎士団が、役人が相手であってもクリムにとっては信頼するに足る相手ではなかった。
(せめて、無事に帰ってきて欲しいものだ)
そう思って、なんともまあ自分で考えても白々しい話だと思いながら、クリムは新たな商談に出発した。