アムスタス迷宮#38 /イグム-2
アティーは採取から戻ってきたのち、錬金術師たちに解析を依頼していた。その結果を待ちながら、アティーたち薬師は薬効の有無などの調査に当たっていた。
しかしながら、見慣れたものに近くても、いざ齧ってみると味が全く異なっていたり、ひどい時にはおそらく毒だったりとなかなか芳しい成果はあげられなかった。
「やはり、錬金術師たちに解析してもらう方が今はいいのでは?」
「だったら、外見や生育場所などをまとめておきましょう。そうすれば次からは何を取りに行けばいいかわかります」
結局、薬師たちや植物学者たちで採取してきた植物の外見上の特徴や生育場所を記すにとどまった。
一方で、錬金術師たちの方はというと、こちらも作業は難航していた。
「陣の構築間違えるなよ、量は少ないんだぞ」
「ちくしょう、私は基本的に鉱石専門の術師だぞ。薬の陣なんてーー」
「だったら他の人を手伝いなさい!」
採取できた量はそれほど多いとはいえず、そのため本来ならば一つずつ薬効を確認、抽出するための陣を複数重ね合わせ、一回で複数の薬効成分の確認を行おうとしていた。しかし、そのために構築しなければならない陣は複雑極まり、発動する前に複数人で確認を行なっていた。なぜ一つずつ確認しないかというと、一回解析にかけた段階で植物の組織を破壊してしまうためだ。それにより、本来だったら含まれていた成分の喪失や劣化の可能性は否定しきれない。素材が潤沢にあり、危険もない状況ならともかく、素材も少なく採取するにあたり危険も多い状況では『失敗したから取りに行って来て』とはいいがたい。そのため、術師たちは複雑極まりない人を確認しながら構築していた。
「ギムトハが居ればなぁ」
「言うな」
確かに不満を漏らした錬金術師の言うことも一理あった。錬成するものの得手不得手はともかく、理論の確認作業ならばギムトハが最も得意だった。その彼は現在彫像の様に動かない。魔術師たち曰く『まだ死んではいない』との事なので皆で連れてきているが、正直さっさと起きて欲しいとは思っている。
次点でそう言う作業に優れているのはコウカだが、今の彼女にそれを求めるのは酷だろう。兄弟子が安否不明、女性の怪我人に対するケア、周囲への警戒、素材の採取や回収。それらの精神的な負荷に加えて、先程は顔見知りの人物が目の前で無惨に殺されると言う光景を見たばかりだ。本人は平静を装っていたが、術が書けない時点で今日はもう休ませるべきだろう。そういった思惑で、錬金術師たちはコウカを無理やり丘の上に回収に行った隊の焚き火へ押しやった。
向こうでは兵士や騎士たちもこちらの思惑を察してくれたのか、こちらに注意が向かない様にしつつ、落ち着かせている様だった。
そんなこんなで苦労しながら一部の薬効成分を特定したり、包帯などの作成を行なっていたりした時だった。
遠くの方から笛の様な音が聞こえた。
それと同時に、遠くを見張っていた兵士たちがザワザワとし始めた。
「なんだ、ありゃ」
「分からん。取り敢えず、非戦闘員は退がれ」
「敵襲の恐れあり。あと、ここで探索した中で、半透明の人について何か知っている奴がいないか探せ」
そういった声がアティーの耳にも聞こえてきた。
半透明の敵?
その内容が気になったものの、戦う力を持たないためアティーたちは素直に引き下がることにした。
***********************
「半透明の敵だと?」
イグムの脳裏に一昨日丘の上で遭遇した物の姿が思い浮かんだ。
こうしちゃいられねぇ。そう呟くと、イグムは立ち上がった。
「隊長、仮に自分の思っている通りの奴なら、剣は効きません」
「それは、あれか。お前が丘の上であったとか言うやつか」
「はい。奴には剣戟は効きませんでした。逃げるのが1番ですがーー」
「この規模だ。逃げられっこねぇ。とりあえず全員出るぞ」
ノイスの指示で、全員が立ち上がった。
イグムを先頭に集団の外縁まで急ぐと、すでに惨劇は始まっていた。
「なんだコイツら。剣が効かねーー」
「や、やめ、やめろ。俺の中に入ってーー」
「あういflgんbvbytwrvq」
数は10にも満たない敵にも関わらず、既に20人以上が倒れたり異常に陥ったりしていた。
その光景を見ると、流石に全員の顔に恐怖の色が浮かんだ。しかし、気持ちを切り替えると、慎重に接敵を開始した。
「まさか、ここまで生きてきて御伽話と思っていた亡霊に遭うだけでなく、戦う羽目になるとはな」
「誰か塩持ってきてねぇか? 実際に効くのか試してみようぜ」
そう言って無理矢理士気を上げているものの、一先ず『触れられない』様にしながら、『集団に近づけさせない』と言うのはいかに精鋭揃いでも難儀するものだった。まだ特別任務部隊に被害者は出ていないもの、非戦闘員が退避している場所まで残り5ラツ程度であり、もういつ誰が被害に遭ってもおかしく無い状況だった。
「くそ、あっち行けよ」
そう言って牽制するようにイグムが剣を振るった時だった。イグムの剣は『亡霊』を捉え、斬り裂いた。
「HYAAAAAAAAA」
「へっ?」
実際に悲鳴も上げていることから効いてはいるのだろう。それを見て、他の兵士や騎士達も斬りかかったが、彼らの剣はすり抜けるだけで逆に彼らは犠牲者となった。
(この剣とアイツらの剣、異なる点といえばこの剣は『蜥蜴人』が持っていたという点。そういえば、この剣について魔術師が何か言っていたような……)
そう思った時だった。
「ふぅん? つまり、『マナによる攻撃』ならば『亡霊』に効く可能性がある、と言うことかな」
そう言いながらシロシルが戦場に近づいてきた。
「おい、アンタ。何やってんだ、さっさと戻れ!」
「それはこちらの台詞だ。それに、可能性があるならば検証した方がいいだろう?」
そう言うと、シロシルが何かしらの術を発動させた。イグムの眼には何も起きなかった様に見えたが、『亡霊』たちは何かに吹き飛ばされていた。
「ふむ、純粋な魔力だけでは飛ばすので精一杯、か」
そう呟くと、シロシルはローブを脱ぎ捨てた。ローブの下から現れた姿にイグムは一瞬驚いた。魔術師という連中は男女問わず大抵髪を長く伸ばしている。そのため、てっきりシロシルもその類と考えていたが、彼女の緋色の髪はうなじのあたりで端正に整えられていた。
「ならば、直接殴ってみるか。護身術がどの程度効くかは未知数だが」
そう言いながらシロシルが構えていた。本人は『護身術』などと嘯いていたが、明らかに拳闘士としてやって行ける構えをしていた。
「いい構えだな。うちに欲しいくらいだ」
その構えを見ていたノイスがそう零していた。
そのままシロシルは一気に『亡霊』に近づくと、一体を掴み上げ、猛烈な攻撃を加え始めた。驚くべき事に、彼女の拳はその1発1発が『亡霊』にめり込んでおり、確かな傷を与えていた。
「一先ず、彼女を援護するぞ」
そう言うと、ノイスはシロシルの死角から接近してきていた『亡霊』に斬りかかった。もちろん、何の傷にもならなかったが『亡霊』の注意をそらすことには成功した。
「とりあえず、一体ずつイグムの方に誘導しろ。イグムはそいつらを斬殺。いいか!」
「「「了解」」」
方針が立ったことで、少しは動きやすくなった。それを見ていた兵士たちも、対抗手段があるとわかると積極手に攻勢に転じた。
しかし、『亡霊』はただ斬っただけでは消えず、イグムは何度も斬りつけることになった。首を落としても消えずに元通りになり、袈裟斬りに切ってもその傷痕は生々しく残るものの消えなかった。
「くそ、どうなっているんだ」
あたりには普通の人なら既に死んでいるであろう傷跡を付けられた『亡霊』が浮かんでいた。さらに悪いことに、そういった『亡霊』が兵士などの身体に入ると、完全に復活した状態で出てきた。
「……キリがない」
アルカがうめく様に呟いていたが、それは皆の本心でもあった。膠着状態が続く中、不意にシロシルの声が響いた。
「弱点は恐らく心臓の完全破壊だ」
彼女の方を見てみると、シロシルは肩で息をしていたものの、彼女の前にいたはずの『亡霊』は消え失せていた。
「心臓を完全に潰すーーと言うか、拳で打ち抜いたら消えた。その時何か硬い感触がしたがーー。一先ず、心臓を串刺しにして消える様ならそれで正解だろう」
そう言うと、シロシルはその場でひっくり返った。慌てて見ていた魔術師たちが彼女の回収に走ったが、『亡霊』はその魔術師たちに標的を切り替えていた。
「危ねぇ! 避けろ!」
そう叫びながらイグムは一体の『亡霊』を背後から心臓を貫くように串刺しにした。確かにシロシルが言った通り何か硬い手応えがした。そして、『亡霊』は空に溶けるように消えていった。
その光景を眺めていたが、まだ敵がいることを思い返し眼を向けると、魔術師たちは『亡霊』から逃げ惑っていた。そのうち1人が追いつかれ、身体を掴まれた。
ーー身体を掴まれた?
その亡霊は、魔術師の体に入り込もうとしていたが、入り込めない様だった。しかし、魔術師の方も完璧に防いでいるとは言い難く、徐々に入り込まれていた。
「う、お、おおぉぉぉ!」
それについて一瞬疑問が湧いたものの、それを一旦置いてイグムは斬りかかった。そして、魔術師たちの中にも魔術で抵抗したり、拳で抵抗したりしている者が現れていた。それらの抵抗はお世辞にも上手とは言えなかったが、ある程度妨害したり、追い散らしたりしている分兵士よりは有用だった。
シロシルの助言を受けてから3ウニミ後、『亡霊』の殲滅は完了した。それは、未知のものに対してただ逃げ惑うだけでは無く、抵抗する手段があることの証明となり、ある種の希望が生まれた瞬間でもあった。




