オゼ迷宮#44
今回、ムトウがなぜついてきたのかに関して、サクはてっきり興味があるためだと考えていた。確かに、代表者が現場に立ち会うのも重要なことではある。だが、先の会話の内容から、てっきり代表者という側面に加えて興味本位でここまできているのだと思っていた。
だからこそ、ムトウが先陣に立ちいつ用意したのかわからない錫杖を携えているのを見て、心底驚いた。また、それだけではなく、カロナとナイラも同様に準備を進めていたが、明らかにムトウの指示のもと動いていた。
【まさか、ムトウさん本人が、術を使うんですか?】
【ええ】
当然のことのように、準備を進めながらムトウはそう答えていた。『森の民』の時はそうでも無かったのに。そう思っていると、アカラが皆に聞こえるように、しかし準備の邪魔をしないようなほどほどの声量でつぶやいた。
「今の『山の民』のなかで、最も精霊との対話が上手なのがムトウです。カロナやナイラも決して下手なわけではありませんが、ムトウと比べると足元にも及んでないです」
そういうアカラの目は、目の前の儀式を真剣に眺めていた。
そこでふとサクは気になった。アカラは手伝わなくてもいいのだろうか、と。
「アカラは手伝わなくていいのか?」
「……わたしはどうしても、『海の民』のやり方に身体が慣れてるから。ここでそれをやっちゃうとどうなるか分からないしね。……それに、この『対話』はサクたちにとっても、大事なもの。儀式の中でも、最も複雑で失敗はできない。仮にわたしが手を貸しても、失敗する可能性が増えるだけ」
『海の民』の領域でやるんだったら、わたしも手伝えたけど。
そう静かに語るアカラの声は僅かに震えている様に聞こえた。
【それでは、やっていきましょう】
ムトウから声がかけられ、サクは正面に向き直った。そこには、『森の民』の神官ーーネマが作ってたものとは異なるように感じられた。
ネマが作ったものは、地面にいくつも陣を描き、さらに要所要所に柱を打ち込むように棒を立て、その棒と棒の間に縄を張り巡らしたようなものだったはずだ。
それに対して、ムトウが作り上げたものはまるっきり異なっていた。確かに、陣を描き、棒を立てて縄を張り巡らし、周囲と隔絶させているのに違いはない。だが、その構造は『森の民』の神域で見たものと比べると、遥かに簡素なものだった。
道幅いっぱいに描かれた大きな陣。その陣に繋がる様に、四つの小さな陣が組み込まれていた。それも、均等に描かれているのではなく、3つはサクたちの方、即ち、通路の手前側に来るように描かれ、残りの一つは3分の1程が霧の中へ消えていた。どうやって描いたのか気になったが、目を凝らすとどうやら霧の中に描いているものは、あらかじめ布か何かに描いたものを広げて、霧の中へ入れたものらしい。また、陣の構造もかなりシンプルなものになっていた。
そして、一際大きい陣の外周を囲うように立てられた4本の棒。それにより、見るからに隔絶された空間であることを示していた。
【では、『マレビト』の方々。だれか1人、中心の陣の中へとお願いします】
その声に促されるように、モチが率先して中へと入っていった。
「立ってなきゃダメとか、平伏しなきゃダメとかあるか?」
【自然にしていただければ。ですが、儀式が始まると無闇に動くことのないような姿勢でお願いします】
ムトウの言った内容を告げると、モチは陣を砂などで消さない様に気をつけながらどかっと座り込んだ。
それで準備できたと見做されたのだろう。モチが座り込んで程なくして、洞窟いっぱいに朗々と響きわたる声でムトウが謳い始めた。そして、それに連なるようにカロナとナイラも輪唱するかのように謳い始めた。
「凄いな……」
気がつけば、サクはそう零していた。
耳を強く打つ程に響く声。抑揚を伴い、歌う様な響きを持ちながらも、奉られる祝詞。それらは『森の民』のところで見た儀式と全く異なるものだった。
だが、それは決して『森の民』のそれを貶すわけではない。『森の民』の儀式は、ネマが静かに言葉を紡ぐ静ものだった。そこから醸し出される儀式の場の雰囲気は、静謐さを伴った森の奥のような、静かでありながら決して侵すことの許されない厳正なものだった。
一方の『山の民』の儀礼は、神官の言葉が朗々と響くものの、ムトウのーームトウたちの言葉以外は物音一つないものだった。決して静かではない。だが、それは騒がしいものではなく、ピンと張り詰めた、冬の空気のような雰囲気を生んでいた。
しかし、そのどちらも目指すものは同じだ。気がつけば、場の空気は一変していた。どこか懐かしい様な空気が一際強くなった。そう思った。
目を瞑れば、故郷の景色が脳裏に浮かぶ。
耳を打つ音は、いつの間にかムトウの呪文から潮騒へとかわり、鼻の奥には潮の香りがはっきりと感じられる様になっていた。
その時だった。
耳を打つムトウの声が止んだ。それがどこか遠くのように感じながら潮騒に耳を傾けていると、耳の奥で響いていた潮騒も徐々に遠のいていった。先ほどまでははっきりと感じ取れていた故郷の風も徐々に消え、潮の香りも薄れていく。両足が踏み締める地面は、砂浜から洞窟の硬い岩へと変わった。
「……あれ?」
先ほどまでの夢現の状態から抜け出し、目を開けると、そこは変わらず洞窟の中だった。だが、先ほどまで感じ取っていたものは決して幻覚や幻聴の類ではない。そうサクは思った。そして、そう思っているのはサクだけではなかった。
辺りを見れば、先ほどまで見えていた景色、感覚の残滓を探すように、周囲を見渡している人の姿が見られた。特に周囲を忙しなく見ていたのは、意外なことに陣の中心に居たモチだった。
(モチさんにはどんな景色が見えていたんだろう)
ふと、そんなことを思ってしまった。そういえば、確かに先ほどまでの景色の中では、故郷の風景は見えていたが、同時にここにいるはずの人の姿は見えなかった。それどころか、故郷の風景は見えても、故郷にいるはずの人の姿も見えなかった。そのことについてもいろいろ考えていたかったが、その前にムトウたちに動きがあった。
〔……なるほど〕
〔では、やはり……〕
〔ああ。だが、それだけではない気がする〕
何を話し合っていたのかは分からないが、会話を切ると、ムトウはサクをはっきりと見た。
【……どうかしましたか?】
【そう言えば、サクさんは『森の民』の神域で奇妙なものを見たとか】
【ええ、はい】
【では、ここで今一度確かめてくれませんか? 確かにこの霧は、あなた方『マレビト』の世に通じている様ですが、それだけではないと思われます】
【はぁ……】
どこか気の抜けた返事をしてしまった。そのことに気がつき、慌てて姿勢を正そうとするものの、彼らは特に気にした様子もなく、改めて準備を進めていた。
そして、サクがモチと入れ替わりに陣に入り、改めて儀式が始まった。
(何か変わるというのだろうか)
そう思いながら、サクは目を閉じた。
先ほどと同様に、遠のく祝詞。それと変わるように近づく潮騒。足元の感覚は岩から砂へと変わり、洞窟内の冷たい乾いた風から、故郷の冷たくも湿った風へと変わっていく。鼻の奥には徐々に潮の香りが溢れーー。
そこで気がついた。
(ーー違う)
否。確かに、この霧は、サクたちの故郷に通じているのだろう。そして、サクたちはもともといた場所に帰ろうとしているから、その道をはっきり感じられるのかも知ればい。
だが、この霧はそれだけではない。
(これは……)
あえてハズレーー正しくない帰り道を覗き込む。
その瞬間、潮騒も、潮の香りも、風も何もかもが消えた。
代わって見えてきた景色は、不思議な光景だった。
見たことのない、ツルツルとした光沢のある物質で作られた床。おそらく同じ材料だろう壁と天井。あかりはどこにも見えないのに、遠くまで見渡せるほど明るかった。
どうやら、サクがいるのは建物の中でも吹き抜けに位置する部分に近いようで、そこから周囲を見れば、似たような階が上下に連なっていた。
その時だった。
「アナタハ、ナニモノデスカ?」
そう女性の声が響いた。彼女が仮に『連邦語』を操っているのだとすれば、彼女は確実にこちらを認識している。
恐る恐る振り返ると、そこには確かに1人の女性がいた。『彼女』は、サクをしっかりと見ていた。だが、『彼女』もサクがいることについて半信半疑なのだろう。目を何度か瞬かせていた。
(それにしても……)
綺麗な人だ。ーーまるで作り物のように。
そう思った。できれば、ここでいろいろ情報を集めたい。だが、これ以上ここに止まっては、戻れなくなる気がする。
その直感に身を委ね、サクは遥か遠くに感じる潮騒に身を委ねた。
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サクが姿を消した直後、残された『彼女』はぽつりと呟いた。
「システムエラー。視覚情報認識機能に障害発生の恐れあり。……昨日見つけた『生身の人間』との関連性についての調査も必要か」
そう言って、『彼女』は踵を返そうとし、床のある一点に着目した。先ほどまで、サクが立っていたあたりに。
「これは、『砂』? なぜこの様なところに」
『彼女』はその砂粒を拾い上げると、手のひらで包み込む様に握りしめた。そして、その場から今度こそ立ち去っていった。




