オゼ迷宮#41
目の前を行く人々は、サクたちを気に止めることもなく歩いていた。だが、今まで『山の民』をほとんど見てこなかったサク達にしてみれば、その人数の多さにまずは圧倒された。
この場にいると言うことは、全員が神官かそれに準ずる人なのだろう。全員が似たような衣服を身に纏っていた。傍目からは中にどのような服を着ているのかはわからないが、それでも、一目見てわかる特徴があった。随分と生地が厚い。毛皮で織られたのであろうローブは、見るからにどっしりとした印象を与えていた。
確かに、いくらある程度は保温され、外気よりは遥かにマシだとはいえ、ここの気温は寒いものがある。どれほど寒いのかというと、吐いた息の中にキラキラと光る氷の粒ができることからも、それは明らかだろう。
(……そう言えば、ここで吐く息はあまり白くならないんだな)
その煌めきを眺めながら、サクはふとそう思った。肌感覚で感じられるここの寒さでは、故郷ならばそれこそ息は濛々と湯気のように立ち上るのが見えるだろう。だが、ここはそれと比べると、あまり息も白くならなければ煌めくのも氷の粒であることからも、故郷とは何かが違うと思わせるには十分だった。
なるほど。確かに、このような寒さならばこれほど厚手の生地で織られた衣服を屋内で身に纏うのも頷ける。洞窟の中が屋内かどうかは判断が分かれるところではあるが、周囲の状況を鑑みるに屋内としても問題はないだろう。
サク達が到着したのは、拝殿に通じる道の中でも特に中心部に位置する場所のようだった。現に、時折人が後ろからサク達を追い越して行ったり、逆にサク達が通ってきた道へと入ってく人影もあった。左右を見渡してみれば、遠くの方にはこの場の荘厳さを損なわないようにしつつも、確かに趣の異なる区画があった。おそらく、あれがカロナが言っていた『食堂や施療院など、巡礼者向けの設備』が整った一角なのだろう。
【どうぞ、こちらです】
そう言ってカロナが歩き出して、サク達は慌てて追いかけた。
【それにしても、すごい人数だな。今日は祭日か何かなのか?】
【いえ、ほとんどがここに仕える神官です。ここは『山の大精霊』を祀る場所でもありますが、同時に『地の精霊』『火の精霊』『氷の精霊』など多様な精霊を祀る場でも有りますので】
【というと、みんな同じ服装に見えるがそれぞれ違いはあるのか?】
【そうですね。使われている毛皮と編み込まれている模様、色などで区別がつきます。ですが、そこまで厳格なものでも有りませんよ? 我々は『精霊を祀る者』なので】
【サク達にわかりやすく言うなら、例えば昨日は『宝玉の精霊』を祀ってた神官が、今日は『水の精霊』を祀って、明日は『火の精霊』を祀ったところで何も問題はない、って感じかなぁ。あ、もちろん祀り方を間違えたらメチャクチャに怒られるけど】
カロナの説明に付け加えるようにアカラがそう付け加えた。
(そういえば、アカラも俺たちを案内するためにわざわざ修道女になったって言ってたよな)
では、彼女は一体どの精霊を祀っているのだろうか。まさか『海の精霊』がここに祀られているはずもないだろう。ならば、海とつながる川だろうか。だが、この寒さでは川も凍ってしまうだろう。
(素直に聞いた方が早い、か)
考えてみれば、サクはここで彼ら彼女らが信仰する『精霊』について、どのような精霊がいるのか全くわからない。ならば、あれこれ推測を立てるくらいならば素直に聞いた方がいい。そう思って声をかけようとした時だった。
「アカラ……」
【この先の道に、件の霧があります。皆さんの要件があるのはこちらでしょうが、先ずは長と会ってください】
声をかけようとしたタイミングで、同時にカロナがそう説明した。
その声に、つい気を取られてしまった。
尋ねるタイミングを逃した。そう思ったが、それ以上に話の内容に気を引かれた。
カロナが示したのは、複数枝分かれしている道のうちの一つだった。ここからではカロナ達の言う『霧』についてはわからない。だが、他の道には人が出入りしているのに対して、その道だけ全く人の出入りがないのが逆に異質だった。
周囲とは隔絶された場所。しかし、それは決して荘厳さや畏れによるものではなく、言い表しようのない恐怖によって引き起こされているように感じられた。
だが、ここでこの道の先を眺めていても、何も進展しない。カロナによれば、彼ら『山の民』の長と話をしたのち、ここに戻ってくるらしい。ならば、先ずは彼らの長の不興を買わないようにするだけだ。
サクは頭を切り替えると、【この道です】と言いながら一つの道へと入って行ったカロナ達の後を追い始めた。
先がわからない以上、どれほど歩くのか不安になった。ここが目的地だと頭では理解している。一方で、ここに着いてからも、様々な施設や拝殿があるらしく、どこまで歩くのかがわからない。
道は広く、壁には灯りが整備されており、洞窟という陰鬱な雰囲気を一掃していた。また、道ゆく神官ともすれ違うことから、決して人がいないわけではないのだろう。
だが、目的地が見えない。それだけで少しずつ疲労などはより深く積もっていく。
あと、どれくらいだろうか。
そう思った時だった。カロナが足を止めた。
【……どうしたんだ?】
【いえ。ここです】
そう言ってサクの腰ほどまでの高さしかない穴をさし示した。
【ここが?】
【はい。この向こうに長がいます】
そう言うカロナの顔は決してふざけているものではなかった。思った以上に早くついた。そう思いながらも、まだ半信半疑だった。
今までの洞窟は、全て普通に人が通れる程度には高さと幅があった。だが、今目の前に見える穴は、大人1人が中腰、もしくは四つん這いにならなければまともに潜ることすらできないだろう。いささか信じ難くもあり、サクはまごついてしまった。そんな様子を他所に、カロナがすでに中へ声をかけていた。
こうなれば、進むしかあるまい。先頭にいたため、必然的に入るのはサクが最初となる。腹を括って中腰になると、サクは穴を潜った。それにしても、こんな不便な場所に本当にいるのだろうか。そう疑念を抱きつつではあったが。
穴は大して奥行きがあるわけでもなく、すぐにサクは立ち上がることができた。確かに、穴を潜った向こう側はそこそこの広さがあった。おおよそ村の集会場の広間くらいだろうか。小さくはないが、大人が20人も入れば狭く感じる程度の大きさでは、決して大きいとは言えないだろう。
それにしても、とても明るい。さらには、とても暖かい。おそらく、高原程度の気温には保たれているだろう。何もなければ涼しいか、少し肌寒い程度。だが、今までの気温に慣れきった身からしてみれば、中に暖炉でもあるのではないかと疑ってしまうほどの快適な空間だった。
これらは一体いかなる理由か。そう不思議に思いながら周囲を見上げていると、不意に正面から声をかけられた。
【あなた達が『マレビト』かな。話は色々聞いてるよ】
そう言いながら姿を見せた人物は、突如現れたようにサクには感じられた。
部屋の中は暖かいためだろう。外で見かけた神官達よりも遥かに薄着の様相でーーといっても、神官らしく立派な拵えをしていたがーーその人物は目の前にいた。背丈はサクと同じくらいだろう。髪は他のものと同じく白く、瞳の色は薄い金色に輝いているように見えた。
だが、それ以上に驚く容貌をしていた。
おそらく歳のころはサクと変わらないだろう。もしかしたら、若作りしているだけかもしれないが、それにしても見た目は若い。どう見積もっても30には届いているかいないかと言うような見た目だ。そしてそれ以上に不思議だったのは、その顔と体格だった。男性か女性か定かではない。線が細く、整った顔立ちは男女のどちらと言われても納得できるものだった。
【あ、えっと、貴方が『山の民』の長ですか?】
【ええ。『山の民』の長を務めるムトウです。色々あなた方の世界のことについて聞かせてください。『マレビト』の方々】
そう言って、ムトウは小さく微笑んだ。