オゼ迷宮#40
洞窟の天井は一見すると全くひび割れなどないように見える。だが、実際はいくつか空へと穴が空いているのだろう。天井から降り注ぐように細い光の柱が差し込んでいた。また、一方で岩壁には日光を効率的に洞窟内に行き渡らせるためだろうガラスのようなものがいくつか据え付けられており、それらによって洞窟内がキラキラと輝いていた。眼前に広がる湖は、その光を受けて水面が静かに揺らめいているのが見えた。
湖といえど、それほど大きくはなさそうだ。辺りを見ると、ここへ通じるための道であろう穴がいくつか見えた。一方で反対側の岸へ目を移すと、一際大きな洞窟が口を開いており、その周囲にだけ篝火が焚かれていた。
おそらくは、あそこが神殿へと通じる道なのだろう。
だが、それにしては不可解だった。
サクは疑問を解消すべく周囲を見渡したが、その手がかりは得られなかった。皆も気がついたのだろう。サクと同様に不思議そうな顔で周囲を見渡していた。
こう言う時は素直に聞くのが一番手っ取り早くて確実だろう。そう思うのと同時に、背後から「サク」と呼びかけるモチの声が聞こえた。おそらく、言わんとしている内容は、サクが尋ねようとしている内容と同じものだろう。
【なぁ、カロナさん】
【どうかされましたか?】
【向こう側へは、どうやって渡るんだ?】
そう尋ねるのも不思議な話ではなかった。こちらの岸壁にも、向こう側にも、どこにも船など有りはしなかった。
これではどうやってこの大きな湖を渡れば良いと言うのか。もしや、ここで泳げとでも言うつもりなのか。
そう不安になるのも無理はなかった。
一方でカロナは最初何を問われているのかわからない様子だった。だが、サク達が気にかけている内容に気がついたのだろう。納得するようにポン、と軽く手を打った。
【それなら、水面をよく見てください】
【水面を?】
言われてよく見てみる。薄暗く、よくわからない。覗き込んでみれば、どこまで水深があるのかもわからない。触ってみると思っていたよりも水は冷たくなかったため、意を決して水面に顔をつけてみると、思ったよりは浅い湖だとわかった。だが、見渡せる限りでも水深は優に大人の背丈二つ分ほどはあるだろう。
(一体、何を言いたかったんだ?)
そう思いながら水中を見渡した時、そこまで離れていない場所に不思議なものを見つけた。水中にも関わらず、壁のようなものが存在する。
「……なんだ、ありゃ」
そう呟くと、それが見えた場所まで移動した。後ろでは、サクが何かに気がついたのを見て撮ったのだろう、皆がぞろぞろとついてきていた。それを放って、サクはその場所へ歩いた。
(ここか……)
改めて水面を見てみると、暗いために周囲との区別がつけづらいが、確かに何かがある。波の立ち方や光の反射の仕方も他の部分と比べると微妙に異なる。
そっと手を伸ばすと、確かに水面に触れれば水を触る感覚がする。だが、そのまま手を押し付けるように湖に浸すと、手の甲に水がかかるまでもなく、何か硬いものに触れる感触があった。幅はどれほどだろうか。そう考え、浸した手をそのまま探るように左右に動かした。
(概ね、1ラツ(約1.8m)と言ったところか……)
その岩が、ずっと先まで伸びていた。暗くて詳細なことはよくわからないが、これが向こう岸まで通じているらしい。
【カロナさん。これが……?】
【はい。ここから向こう側へと渡ります。滑りやすいので気をつけてください】
そう言うと、カロナは平然と先導するように歩き始めた。だが、その光景は現実味がなかった。
いくら岩があるとわかっていても、この薄暗さの中ではそれはあるように見えない。そして何より、水面に出ていないと言うのが一層現実味を薄れさせていた。
その為、側から見ればまるでカロナが水面に浮かんでいるかのようにさえ見えた。だが、その状況に好き好んで突入できるかと言われれば、そうではないだろう。サクとて、安全とわかっていても、つい尻込みしてしまった。そうなると、必然始まってしまうものはただ一つ。
(お先にどうぞ)
(いえいえそちらこそ)
互いに視線のみで譲り合いと押し付け合いが始まった。
だが、その空気もさほど長くは続かなかった。あまりにも誰も進まなかったせいだろう。
【どうぞ】
そう背後から声をかけられた。見れば、ナイラが少しだけ冷ややかな視線でこちらを見ていた。顔を上げれば、いつの間にかカロナは向こう側へとたどり着いている。
(……ええい、儘よ)
誰かが進まねば、誰も動けない。そんな空気を払拭すべく、意を決してサクは足を踏み出した。
「……っ」
いくら雪や霜が入り込まないように念入りに編み込まれているとはいえ、やはり水では勝手が違う。僅かに染み込んでくる水の冷たさに眉を顰めながら、サクは歩みを続けた。
落ち着いて水面を見てみれば、確かに橋のように岩が水中に隠れている部分は、そこだけ色が違う。慎重に渡れば、何も問題はなさそうだ。
そう思いながら足元のみを見続けて渡っていた為だろう。気がつけばいつの間にか対岸へと辿り着いていた。背後を見れば、皆恐々としながらも渡り始めていた。実際、柵からそう離れていない場所にはシンが歩いていたし、道の中程にはモチの姿もあった。
割と長い時間はかかったが、皆無事に地底湖を渡り終えた。その様子をカロナ達はどこかおかしな様子で見ていたが、サク達はそれを気にかける余裕すらなかった。
【……大丈夫ですか?】
【……ああ。緊張した、だけだから】
【これ以降も神経をすり減らしていくつもりですか?】
その言葉には、言外に今のような道が続く、と言っているのも同義であった。
【因みに、どれくらいかかるんだ。その、ここから、目的地まで】
【普通に歩けばそう長くはかかりませんが……、今の調子ならば丸一日かかっても不思議じゃ有りません】
その言葉は、逆にサク達を奮い立たせた。
あと僅かの場所まで来ている。それを阻んでいるのは、自身の気持ちだけだ。ならば、あとは進むのみ。恐怖心に一度蓋をして、進むだけ。
そう言った感情で、皆の気持ちが一致した。
それからも、確かに薄暗い道が続く。また、時折境界を示す為だろう、様々な自然の障害がサク達の行手には立ちはだかった。だが、それらをサク達は意に介することなく、時に慎重に、時に大胆に動き、互いを励まし合いながら突破した。
それでも、順調に進めたとは言い難い。足を滑らせたり、全身に不必要な力がこもった結果体力の消耗が激しかったりと、サク達の内面による遅延はどうしても発生した。だが、当初、湖をおっかなびっくりで渡っていたペースと比べると、雲泥の差だろう。
そして、サクサクと進むようになった結果だろう。カロナ達の中に僅かに漂っていた、『変なものを見るかのような』空気は一掃され、積極的に手助けをしてくれるようになった。その手を借りつつ、サク達は前へと進んだ。
どれほど進んだ時だろうか。唐突に、広く明るいい空間へと出た。
【お疲れ様です】
【じゃあ、ここが】
【神殿です。正確には、本殿へと通じる拝殿ですが。そして、皆さんが目指しているのはその道のうちの一つです】
そう言うカロナの背後には、様々な人が控えていた。これまでも確かに人の気配はあったし、すれ違うこともあった。
(だが、地下にこれほどまでにいるのか)
そう思うほど、多くの人の姿がそこにはあった。