オゼ迷宮#37
もう間も無く件の神殿がある洞窟に辿り着く。
そうカロナから聞いたのは、辺りがほとんど岩肌しか見えず、さらには雲の中でのことだった。今までも雲の中を抜けてきたが、今通っている場所とは比べ物にならなかった。
風が強く、まともに立っていられない。吹き付ける風には砂や氷も含まれているようで、衣服の間から僅かに覗いた肌を容赦なく切り裂いた。周囲では至る所から雷鳴が響きわたり、時折雲の中を水平に走ったり、下から打ち上がったりしてきていた。
今まで歩いてきて、雷が命中していないことが奇跡だ。
雷鳴を聞きながらサクはそう思った。寒さで身体は震え、著しく消耗した体力は意識を朦朧とさせる。さらには、地面は凍りついているのか、気を抜いたら地面を踏み外し、転げ落ちてしまいそうだった。
やっとの思いで雲から抜けると、そこには一面の『青』が広がっていた。だが、その景色を見る余裕はサクたちには全くなかった。登山で体力を極度に消耗していると言うのももちろんある。だが、それだけではなかった。『山の民』やアカラには生じていないが、サクたちは一様に体調を崩していた。
サクはまだ比較的マシなほうだ。頭痛や倦怠感は酷いものの、まだ自分で荷物を担いで歩くことができている。だが、中にはすでに自力で登ることが困難になっている者も少なからず居た。そういう者の荷物も担いでいるため、サクは今純粋に3人分の荷物を担いでいるに等しい状況で歩いていた。一方、限界を迎えているものは、頭痛や吐き気を訴え、意識が朦朧としている。中には、幻覚や幻聴を訴えるものさえ出始めていた。
これは寒さに凍えている症状にも似ているが、それだけでは決して説明がつかない。そも、単純な寒さも厳しいものがあるが、真冬の漁で似たような経験は皆積んでいる。伊達に北国出身ではない。寒さに対してならば、生活の中で対策や活動できる猶予といったものは感覚的に身についている。
だからこそ、これらの症状は不可解だった。
単純な寒さが原因ではないだろう。今は、サイラとメイラが甲斐甲斐しく手当を施すことで、多少は改善する者もいる。それでもどうしようもない者は、マロマたちに背負われてついてきていた。
【カロナ、彼らは一体……?】
【もう大分登っていますからね……。すでに1ィム(約11km)弱ーー7〜8フラウ(約7〜8000m)くらいは登ってます。そうすると、我々『山の民』にとってはなんともありませんが、『森の民』や『海の民』には彼らのように満足に動けなくなる者もいます】
【……原因は?】
【おそらく、山の精霊に嫌われているーーと言うのは言い過ぎですが、あながち間違いでもないでしょう】
山に身体が慣れていないのですよ。
そうカロナは返してきた。
【本来ならば、時間をかけてゆっくりと身体を山に慣らし、登るべきだったのでしょう。それに関してはこちらの不手際でもあります】
【いや、皆誰しもが不調を覆い隠しながら『行ける』と言ったんだ。オレたちの見込みが甘かっただけだ】
それに、全員郷愁に駆られてるのだろう。本来ならば訴え出るべき不調でも、たかが自分1人のためだけに止めさせるわけにはいかない。そう言った無意識の譲り合いが、今の現状を生んでしまったと言える。
振り返れば、真っ青になりながらも必死に山肌にしがみついて遮二無二登る姿や、どこかで拾ったのであろう木の枝を杖代わりにしながら登るもの、必死の形相で山にしがみつく者、自ら不調であるにも関わらず、隣の者を気遣う者。皆それぞれが自身の身体が訴える限界を超えて、動いていた。ひとえに『故郷に帰りたい』という一心で。
【もう間も無く、神殿に通じる洞窟が見えてくるはずです。そこまで着けば、少なくとも天候の影響を少なからず抑えることができます】
【そうか……。それで、あとどれくらいなんだ?】
【もう、間も無くのはずです】
そう言って、カロナは具体的な数字を挙げなかった。おそらく、サクたちの消耗が想像以上なのだろう。時間で単純に推しはかることもできない。かといって具体的な道のりをあげれば、その過酷さに心が折れてしまうかもしれない。そう判断したのかもしれない。
休息をしっかりととった状態であれば、サクはそこまで考えを巡らせられただろう。もしくは、カロナもはぐらかすような言い方はしなかったかもしれない。だが、現実として既にボロボロの状態であるサクはそこまで考える余裕もなく、『あと少し』と言う言葉を支えとして歩いていた。
そんな彼らの様子を見ながら、アカラは先導するカロナに追いつくと話しかけた。
〔カロナ、本来はもうちょっと登ってから洞窟に入る予定じゃなかった?〕
アカラのいう通り、本来はもっと登った先にある、神官達の手によって監理された洞窟から入る予定だった。そこならば、神官だけでなく、医術師などの人員や施療院、湯治、食堂などといった必要な施設が整っている。
一方で、この辺りにその辺りまで繋がっている洞窟があるとは、アカラは聞いたことがなかった。そう訝しげに尋ねてくるアカラをカロナは見ると、先を進みながら応えた。
〔確かに予定ではそうです。特に、ここら辺の洞窟は『繋がってはいる』ものの、『管理されている』とは言い難い。ですが、アカラ。彼らの顔色はもはや限界を超えています。いつ倒れてもおかしくない。ならば、多少不安があろうが、休める環境、手当ができる環境を得ると言うのは間違っていない判断だと思いますが〕
〔……そこはあなたたち『山の民』の方が詳しいから何も言わないけど、本来の予定の位置で他の神官の人達は待ってるわけでしょ?〕
そう言って食い下がってくるアカラを見るうち、カロナの中に僅かな違和感が浮かんだ。確かに、彼女は気になることはズバズバと聞いてくる性分でもあるが、ここまで食い下がってくるのはおかしい。そう思って改めて彼女の顔を覗き込んだ。
〔……アカラ、貴女も表面に出ていないだけでかなり辛いのでしょう〕
〔……なにを、〕
〔精霊紋章、信じられないほど輝いているのがいい証拠です。本来ならば必要な部分へ必要なだけの力を授けてくださるために、一部しか光らないはずの紋様が、全体がそう輝いているということはそれほど貴女に余裕がないことの現れでもあると見ますが?〕
その指摘に、アカラは僅かに表情を変えた。
〔でも、彼らには言わないで〕
〔なぜ〕
〔彼らにとってわたしは、『この世界』で唯一と言っていいほど関わりの深い人と思われている。そんな彼らにとって、わたしが倒れると、不安に思いかねない〕
〔だから隠す、と。先ほどから彼らに聞かれないように『我々の言葉』を使うのもその一環というわけですか。……ですが、その結果、余計酷くなっても?〕
〔……案内まで、できると、思ってたんだけどね〕
そういうアカラの顔は、微笑んでいるものの明らかに作られた顔だった。
そう言ったやり取りは、サクの耳にも届いていた。サクには彼らが何を話しているかはわからない。だが、それでも察せる部分はある。
アカラは、自身の不調をおしてまで、サク達を気遣ってくれている。
それが、どういう意図によってのものかまでは流石にわからない。だが、ここ数日の彼女の様子は明らかに作られた雰囲気だった。それが、サク達の士気を上げようとしているのだと思っていた。だが、実際は彼女も辛いのを堪えて、空元気を出していたのだろう。
朦朧とする意識の中、そう思いながら歩みを進めた。もう間も無く、あと少し、そんな言葉を支えにしながら。そして夕方、ようやっとサク達は洞窟へ辿り着いた。