オゼ迷宮#34
日が暮れて辺りが闇に包まれた頃、サク達の泊まっている建物に『山の民』の面々が訪れた。その人数は総勢で6名おり、男女比は半々だった。そのメンツを率いているのが、昼間四阿のところで出会った2人だった。その光景から察するに、カロナとナイラはそれぞれ男女で分けた時の代表だったらしい。
〔昼間はお恥ずかしい姿を見せました〕
〔カロナ。それだと彼らに通じない。わたしに通訳を任せるならそれでもいいけど、直接伝えたいと思うなら『海の民』の言葉にすべきよ。それなら『マレビト』の中に何人か通じる人がいるから〕
〔そうか。『海の民』の言葉が通じるのか〕
〔噛み砕いて説明する必要はあるけど、日常会話程度の内容ならゆっくり話せば通じるよ〕
カロナの話に合わせてアカラが何事か話していた。聞き覚えのない言葉であるため、おそらくこれが『山の民』の言葉なのだろう。
そのカロナは、アカラから何事か告げられると、しきりに頷いたり、何か確認するかのように問い返しているかのように見えた。そして、それもひと段落したのだろう。改めてサク達に向き直ると、カロナは口を開いた。
【では、改めて。あなた達を『山の民』の拝殿まで案内するために派遣されてきました。すでにあなたと……あなたには四阿で会いましたね】
『海の民』の言葉で話し始めたことに少し驚いたが、彼らにとってはそう特別なものでもないのだろう。そう思っていると、彼はサクとモチの方を向いてそう語りかけてきた。サクは頷き、モチも静かに頷いた。
【では、まず自己紹介ですね。わたしはカロナ。あなた方を案内する人たちのまとめ役です。後ろにいる男衆はマロマとフドウ】
そう言って手で後ろにいた2人を示した。マロマはサクと同じくらいだろうか。カロナと比べると少し低く感じられた。白い顔の中で薄い灰色の瞳が印象的だった。そしてフドウは3人の中で最も背が低い代わりに、最も身体ががっしりとしていた。そして、一番の年少であるらしく、他2人と比べると少年のように見えた。静かにしてはいるものの、黄色の瞳をキラキラとさせてサク達を見つめていた。その2人は、カロナに紹介されると、サク達へ向けて静かに一礼した。
【そして女性もいるということで、女衆も連れてきました。代表はナイラ、後ろにいるのがサイラとメイラです】
先ほどと同じように示された3人はそれぞれ一礼をしていた。屋内に入って外套を外すことが出来たからだろう。ナイラに関してもようやくはっきりと顔が見えた。ナイラ自身の背はサクとあまり変わらないだろう。瞳が鮮血のように紅いことは先にも述べた。髪を背中の中ほどまで伸ばしており、その先端を軽く一纏めに縛っていた。
サイラとメイラはナイラと比べると背が少し低い。そして2人は顔立ちが良く似ている。瞳が向かって右は夜空のような紺色に対し、左側が南瓜の様な黄色というのも全く一緒だった。だが、明確な違いがあった。サイラは長い髪を一本の三つ編みにして長く流していた。解けばおそらくは腰のあたりは優に超えるのではないだろうか。一方のメイラは髪を短く整え、首筋もすっきりと見えていた。それ以外には全く違いが見られない。おそらく双子なのだろう。サクはそう思った。
【この6名であなた方を案内します】
そう言ってカロナは柔かに微笑んだ。この様子なら、いろいろ質問してもいいだろう。我々はアカラを含めて山登りの経験がほとんどない。確実性を期す為なら今のうちに聞いておくべきだ。そう考え、サクは口を開いた。
【何か、必要なものは?】
【そうですね……。先ほどアカラから皆さんは山に行った経験がないと聞きました。ならば準備するものにある意味切りはありませんが、それでも、というなら三つあります】
【それは?】
【水分。甘いもの。衣服です】
そういうカロナの表情は穏やかだったが、その中に込められている感情には真剣な響きがあった。後ろの方にいる5人も、それどころかアカラも真剣な面持ちでそれを肯定していた。
【水と甘いもの、想像つく。けど、なぜ?】
【まず、山の上が寒い、というのはご存知ですか?】
そう尋ねられたものの、そんなことを一介の漁師達が知るはずもない。サクは静かに首を振った。他の面々も同じように『知らない』と首を振ったり、口に出したりしていた。
【わかりました。……山はとても寒いのです。ここではこんなに暖かくとも、山の上は違います。特にある程度の高さを超えると、年中氷華に閉ざされるほど】
【氷華?】
【空より舞い落ちる氷です】
【……『雪』か】
まさかよもや、こんな暖かいところで雪の心配をしなければならないとは思わなかった。だが、雪に対する対策ならば、サク達にも心得はある。何せ、ひどい時は一年の半分が雪で閉ざされるようなところに暮らしているのだ。雪への対策はお手のものだった。
「たしかに、それなら重ね着するために服は必要だしな」
「それ以外にも、濡れた服はすぐ着替えないと。身体冷やしちまいます」
「雪が降った日って結構乾燥してるもんね。喉が痛くなる」
「喉もやたらと乾くしね」
「甘いものは……いざという時の食料か。なら、蜂蜜とか良いんだが、ここにあるのか?」
「それは聞いてみないとわからないが、なければないでやりようはある。アンラとかレイシとか甘い果物がこっちにはあるじゃないか」
周りもにわかに活気づいた。みんな、雪やそれに伴う寒さならば経験している。だからこそ、対策はすぐにポンポンと思いつく。気がつけば、サク達はカロナ達を放って話し合いをしていた。そのことに気がつき、サクが彼らの方を見ると、突然ガヤガヤし始めたことにカロナ達は呆気に取られていた。
【すみません。ですが、『雪』ーー氷華に対する備えなら、手慣れてるので、大丈夫です】
【ああ……。いや、そちらに備えがあるならばそれでいい】
【ところで、どれくらい冷えるんですか?】
それ次第で荷物の量の多寡が決まると言っても過言ではない。出来れば少ないほうが嬉しいが……。そう思いながら尋ねた。しかし、帰ってきた答えは想像を超えるものだった。
【……最終的には、釣り上げた魚が一瞬で凍りつき、それを突き立てれば人に刺さるほど硬くなるところまで行く】
【……はぁ】
【もちろん、途中途中で『山の民』の集落に立ち寄り、必要なものは随時調達していくが……】
【はぁ……】
示された内容があまりにも想像の埒外で、サクはただそう返すことしかできなかった。内容を受け止めきれず、ぼんやりしていると、イマチがサクの様子に気がつき話しかけてきた。
「サク、彼らから何を聞いたんだ?」
「ああ、イマチ。……俺たちが想像しているよりも遥に厳しいところに行くらしい」
「……はぁ? マジかよ」
「なんでも、釣った魚がすぐに凍りつき、凶器に様変わりするらしい」
「……マジかよ」
その内容はもちろん周りの人にも聞こえていた。そのことで、少しだけ緩んでいた雰囲気が一気に冷めた。
「おい、サク。呆けてる暇はないぞ。何が必要か聞き出せ」
「は、はい」
モチにそう言われ、慌ててサクはいろいろ聞き始めた。内容は多岐に渡ったが、一対一では時間がかかる。そのため、途中からスムーズとは言い難いがある程度やり取りができるイマチやコモチはそれぞれで質問を後ろに控えている面々に飛ばしていた。また、シン、ミカ達から寄せられた質問もサクやアカラを介して行われた。例えば、出発予定日時や持っておいた方がいいもの、それぞれの体内時計の違いに起因する登山時間について等等だ。それらに関して、彼らは丁寧に答えていた。
そうしてひと段落ついた時には、夜もすっかり更けていた。まだまだ疑問は尽きなかったものの、その日はそれでお開きとなった。
こうしたことは、出発まで延々と続いた。少しでも確実に、安全にたどり着くために、双方が手を尽くした。そして、気がつけばあっという間に時間が過ぎ、サク達は出発日の朝を迎えた。