オゼ迷宮#33
彼ら『山の民』が日に弱く、夜間に活動している、と言うのは、アカラが先ほどの内容をさらりと訳してくれたおかげで知った。しかし、サクはその話がどこまで真実なのだろうかと訝しく思っていた。
サクにとって、夜に出歩く人間というのは、盗賊やコソ泥など後ろ暗いところのある連中か、それに備える夜警や急用があり夜駆けをしなければならないような、いわゆる『事情のある人』くらいしか思い浮かばなかった。故に、昼間は寝て夜起きている、と聞いた時には、にわかには信じられなかった。
だが、その話が真実であることはすぐに証明された。
サク達の前に現れた『山の民』、カロナとナイラは、挨拶している最中もどこか眠そうに見えた。また、挨拶自体もそこそこに、宿泊場所へと去っていった。
【きちんと挨拶したいなら、夕方ーー宵闇あたりまで待ったほうがいいわ】
そういうアカラの表情は、どこか棘のある雰囲気を醸し出していた。
「そんなに敵意剥き出しにするほど何か因縁でもあるのか?」
【ん? ないよ? ただ彼らを紹介するなら、こんな日差しの照りつける時間帯に日差しが照らしてくるような場所じゃなくて、きちんとした場所があるはずだ、という事よ。……多分、あの2人が無茶してこんな時間帯に出歩いたに違いないけれど】
「……どういうことだ?」
見たところ、あの2人は確かに少し眠そうではあった。だが、それは普通の人が夜更かしするのと大して変わらないことだろう。特にアカラが憤るような点はないとサクは思った。
しかし、アカラの顔に確かに怒りの表情は出ているものの、それは心配の裏返しだとサクは気づいた。
アカラは一度気分を落ち着かせるように大きく息を吐くと、説明し始めた。
【……サク、山に登った経験はある?】
「いや、全くない」
即答すると、アカラは概ね予想がついていた、というような表情で続けた。
【そう。なら、想像しづらいと思うけど、聞いて。山の上って、海に出るのとはまた違った陽射しのきつさがあるの。特に、登れば登るほど】
「……それで?」
【むかし、『山の民』の始祖達の肌の色は、私たちと変わらなかったと語られているわ。そして、彼らがどんな考えでそこに住もうと思ったのかは分からないけれど、山で暮らすために、彼らは日差しを避けるために洞窟の中で暮らすようになった、と語り継がれてるの。そして、サクも経験があると思うけど、日に焼けなかったら肌は薄くなるでしょう?】
「……そうだな」
アカラにもそのような経験があるのだろうか。全身が日に焼かれて、もはや単なる日焼けというよりも、高級感のある黒に染められた、と言ったほうが正しいのではないかというような色の肌となっている彼女にも。
話を聞きながらサクはぼんやりとそう思った。だが、視界の端に映る『森の民』を見て考えを改めた。よくよく考えてみれば、アカラは『森の民』にも知り合いがいるようだ。『森の民』の肌色は確かにサク達と比べると焦げたように見えるが、それでも収穫期の小麦や、秋に色づいた葉のような黄色から焦茶のような肌の色が多い。彼らを見ているなら、『日差しに焼かれていない肌の状態』を知る機会もあるだろう。
1人そう納得しているうちに、アカラは話を続けた。
【そうしているうちに、肌が徐々に白くなっていって、あのような姿になった、と言われているわ】
「でも、それと今の状況がどう繋がるんだ?」
【……その引き換えとして、森の民は陽の下を肌を晒して歩けない。ーー正確にいうならば、肌が日焼けを通り越して、文字通り炙られるのよ】
「何だって?」
そんなふうには全く見えなかった。だが、確かに先ほどの彼らの格好を思い返せば、確かにと思う部分は多くあった。彼らの服装は、確かに肌を少しも見せないものだった。あの時は宗教的な理由のあるものかとも思ったが、実際は異なっていたらしい。
「けど、何だってそんなことに」
【さぁ? ただ、『日の大精霊』を拒絶し、『月の大精霊』を崇めるようになった結果、彼らは月の光のような肌となるも、『日の大精霊』に嫌われて日の下を歩けなくなった、って御伽話では言われるけど】
詳しいことはわからない。そんな様子で彼女は肩をすくめた。
「そういえば、訪ねるなら夜がいいて言ってた理由はそれか?」
【そ。それに彼らにしてみれば、今かなり夜更かししている状況に等しいからねぇ。多分寝ぼけて頭半分も回ってなかったと思うよ?】
そう言う彼女の表情からは、先ほど感じられた険しさはすっかりとれていた。逆に今となっては、彼女の表情に浮かんでいたのは、『山の民』2人を心配する表情だった。
そうしているうちに、四阿の中には再び人が戻ってきていた。当初と比べるとやはり人数は減っているものの、それでもそこそこの人数にはなっている。そして、いつの間にか『森の民』の長も戻ってきていた。
[……それでは、サク、そしてモチも、此度は話を聞かせてくださり感謝する。今回の件を踏まえて我々も急ぎ対策を講じなければならないため、先に失礼させてもらう。残りわずかな滞在期間ではあるが、ゆるりと寛いでくだされ]
そう言うと、『森の民』の一行は四阿から去って行った。そして、彼らの姿が木々の向こうへと消えた時、サクとモチは大きく息を吐いた。
いかに2人居るといえども、彼らと多少なりともやり取りができるほど話せるのはサクだけだ。そのため、『漁師達』という括りでは2人いるものの、片方は質問攻めされて、もう片方は話がすぐにはわからない状況でこの時間を耐えるしかなかったのだ。それは、2人にとって多少なりとも緊張してしまう場だった。
【……お疲れ様。すぐ戻る?】
そう労うアカラにも、サクは軽く手を振る程度でしか答えられなかった。知らず知らずのうちに全身に力が入っていたのだろう。一度途切れた緊張の糸は、そうそうすぐには戻るものではなかった。
サク達も、これで終わりと言われれば、ここに長く留まっている理由もない。だが、取り急ぎ帰らなければならない用事もない。そのため、サクとモチ、どちらともなしに少し休んでから戻ることに決めた。
四阿は、日差しを可能な限り入れないようにするためだろうか。屋根が大きく張り出していた。そして、先ほどまでは全く気が付かなかったが、近くには川も流れていたらしい。さほど遠く離れてはいない場所から、せせらぎの音が聞こえてきた。
そう言った環境の中に建てられたためだろう。森の中を吹き抜けてくる風は、程よい涼風となって四阿の中に入ってきていた。陰ということもあり、特にそこまで暑くもなく、快適な環境。だからこそ、少し眠気が襲ったとしても仕方のないことではあるだろう。そう言い訳しながらサクは軽く目を瞑った。
(……そういえば、もう2ヶ月以上も経つのか)
漂流してからここまでの日数を軽く思い返し、改めて長い旅路だと苦笑した。行く宛がどこにあるのかもわからず、ただ何処かへと歩き続ける終わりの見えない旅。通訳として、一応は冷静に振る舞っていようとはするものの、やはりふとした瞬間に考えてしまう。ーー本当に、帰れるのだろうか、と。
「山に……手がかり……あるといい、なぁ……」
自然と、そう口から漏れ出ていた。それは近くにいる2人にも聞こえていたと思う。だが、2人は特に何も言わなかった。それが少しだけ、今のサクには嬉しかった。