オゼ迷宮#31
やっと入り口近くまで戻った時、くり抜かれた空から見える光は、だいぶ日が傾いていることを示していた。思っていた以上に時間が経っていたらしく、すでに空は茜色に染め上げられようとしていた。だが、そこまでたどり着くためには最後の難関を越えなければならない。行きは慎重に降りなければならない傾斜が、戻るときには否応なく体力を削った。ただでさえ意気消沈しているところに、その傾斜はさらに足に来る感覚がした。
入り口のところには『森の民』の神官達が、出発した時と同じように待っていた。彼らが上から綱を垂らして、手伝ってくれなければ、全員が無事に登りきれたかどうかさえわからない。そう思いながら綱をたぐり、彼らの手を借りながら外に出ると、暗いところに慣れた目に陽の光が突き刺さった。
「サクも来たか。こっちだ」
眩しさに何度か目を瞬かせていると、そう呼びかける声が少し離れた場所から聞こえた。眩しさに耐えながらそこへ行くと、すでに先に登った人が集まっていた。
「あとはイマチと巫の人か」
「そうですね。あとは彼らだけです」
そう言いながらサクはあたりを見渡した。入り口では、今まさにイマチが綱を頼りに外へ登ってくるところだった。少し離れた場所では、アカラが『森の民』の人たちと何事か話し込んでいた。
「これからのことって、何か聞いてますか?」
そう尋ねると、コモチが応えた。
「取り敢えず、全員外に出られて特に怪我もないようなら、日が暮れる前にあの家に戻るって、アカラがそう言ってたぞ」
「じゃあ、あとはイマチが来れば取り敢えずは待機か」
「ああ……。イマチ! こっちだ!」
振り返ると、イマチもこちらへ歩いてきていた。日もだいぶ傾いたおかげなのか、はたまた穴の中で順応させようとしていたのか、特に眩しさに目を抑える様子もなく、イマチはこちらへと歩いてきた。
そしてイマチが出てきてすぐに、巫の彼女もするりと登ってきていた。そこまで見た時、モチが話し始めたため、そちらに意識を向けた。
「全員、怪我は無いな? ……よし、まぁ、なんだ。今回はハズレだったが、まだ帰れないと決まったわけじゃない。サクがあいつらから聞いた話だと、山の上と海の中にまだ可能性はあるらしい。それに、今回は山まで行くことも織り込み済みだ。今日は休んで、また明日から頑張ろうや」
モチも内心消沈しているはずだ。だが、皆の前で虚勢を張ることで、なんとかみんなの士気を上げようとしている。モチはどちらかといえば、そう言うのはあまり得意ではない。にも関わらずここで声を張り上げている理由は、おそらく彼の義務感によるものだろう。この遭難した漁師達の中で、最先任者であるという義務感が。
「……そう、っすね」
「ああ、まだ決まったわけじゃねぇ」
そう言った経緯や心情は、ここにいる全員が大なり小なり察している。だが、敢えてここで指摘する必要もあるまい。そう考えてサクは肯定した。そう思ったのはサクだけでは無いようで、皆口々にそうやって檄を飛ばしあっていた。
【……サク】
「……すまん、アカラ。煩かったか?」
【いえ。……まぁ、否定はできないけど。じゃなくて、出発するよ? 案内してくれた『森の民』の神官の人たちも、聞きたい諸々のことは着いてから聞こうって気を利かせてくれてるんだし】
「ああ、分かった。……みんな、そろそろ出発だ」
そう声をかけると、すぐにみんな動き始めた。
幸い、日が沈み切る前に宿泊場所として割り当てられた建物まで帰り着いた。あとは、夕食を食べて身支度するだけだーー。そう思っていた。呼びかける声が聞こえるまでは。
【あの……。サクさん、ですよね?】
一瞬聞き慣れない声だったため、誰が話しかけてきたのかわからなかった。だが、その声の響きが、巫のものと同じだと気がつき、サクは驚いた。今まで彼女は、何か話しかける際には全てアカラを通じてやり取りしていた。だが、今彼女は明らかに『海の民』の言葉で話しかけてきた。
【え、ええ。自分、ですけど】
【明日、朝、色々聞くと思います。それだけ、伝えにきました】
【わかりました】
そう伝えると、彼女は一礼して去っていった。一体何だったのだろうか。そう思っていると、アカラが話しかけてきた。
【ネマが話しかけてくるって、珍しいね】
「ネマ?」
【あれ、聞いてないの? ……そういえば言ってなかったっけ、彼女の名前。ネマって言うんだけど】
そう言いながら彼女はサクの隣へと来た。
「……で、何が珍しいんだ?」
【彼女、結構掟とか仕来たりとかガチガチに守る人だし、話し合いに行った時は、いくら『マレビト』とはいえ御神木に近づけるのにも軽く拒否感示した人だから。……何かやったの?】
「いや、特には……」
【ん〜。じゃあ、やっぱりあれが気になったんじゃない? サクだけ向こう側に飲まれそうになったっていう、あれ】
「かなぁ……」
気にしていても仕方ない。明日になれば否応なくわかることだ。そう思うと、サクも部屋へと戻った。
翌日、サクは朝からソウガラマに連れられて四阿のような場所へと案内された。サク以外にも、まとめ役としてモチも同様に案内された。
四阿につくと、すでにアカラが先にそこにいた。アカラだけでなく、ネマや『森の民』の長と思われる人もすでにそこにいた。見知った顔が一つでも多いことに、少しホッとしながら、サクは案内された場所に座った。
サク達が最後だったようで、席に着くなり長が口を開いた。
【それでは、始めようか。異邦からの客人よ。我々もできる限りこの言葉で話すが、構わんか?】
【はい。こちらこそ、下手、ですが、お願いします】
【なに、構わん。我々の発生も、そこのアカラが聞けばおかしく聞こえるだろうからの。……それで、早速本題となるが、貴方は何を見た?】
目を僅かに細めながら、眼前の老人はそう切り込んできた。おそらく、彼は特に何も意識していないのだろう。だが、その瞬間発せられた気迫は、思わず息を呑んでしまうほど深く鋭いものだった。
【……む、すまんの。だが、分かってほしい。昨日にもネマから話は聞いたが、貴方の見た内容如何によっては、我々も早急に対策を考えねばならんのだ】
我々の神域を、たとえ異界の民とはいえ、侵される訳にはいかんのだ。
眼前の老人はそう語った。
確かに、あの場所とここまでは少し離れているものの、そこまで大きく離れている、と言うわけでもない。また、あの木が『御神木』ーー彼らが崇める対象であると言うならば、其処が突然何者かに占拠されたり踏み荒らされたりするのを、良しとはしないだろう。
自分たちの生活の根幹をなすものが脅かされようとしている。そして、目下彼らに迫り来るそれは、自然災害のように突如理不尽に襲いかかるものではなく、底に穴の空いた船のように、いつ限界を迎えて崩れるかわからないものだ。ならば、できる手は打ちたいと思うのは当たり前のことだろう。
自分の発言一つで、もしかすると数百、いや数千数万に影響を及ぼすかもしれない。だが、彼らはまさにその情報を欲しているのだ。ならば、こちらも丁寧に話すしか無いだろう。言葉が下手でも、出来るだけ勘違いをさせないように。
そう考えると、サクは一度大きく息をして気持ちを落ち着かせた。そして長を正面から視線をぶつけ、口を開いて語り始めた。伝わることを願いながら。
【わかりました。話します。わからない部分、すぐ聞いて、ください。まず……】