オゼ迷宮#5
漂流し始めてから数日が経った。
やはり円を描く様に捜索を続けるものの、誰1人として発見には至らなかった。それほど遠くまで流されたのだろうか。はたまた、流されているのは自分たちの方なのか。判断がつかないまま、勘に任せて手探りで探すしかなかった。
そして、それ以上に深刻なのが水や食糧だった。あれ以降、雨雲を見つけては捜索を一時中断して水の確保に努めた。だが、ここらの天気によるものか、遠くに雨雲を見つけても辿り着く前にどんどん離されたり、辿り着いたは良いもののすぐに雨が上がってしまい、あまり水を得られなかったりする事も多々あった。
日差しを遮るものなどない中で、水すらない。それは想像以上にサクたちの体力を削った。ただでさえその様な有様だが、輪をかけて彼らを苦しめたのは日光だった。
この海域はサクたちが普段漁をしている場所よりも日差しがかなり強く、文字通り肌が焼かれる様だった。一日中日差しを浴び続けると、夕方ごろには陽にさらされていた部分がヒリヒリと痛んだ。さらに、海風は湿気を孕んでおり、風がない状況では蒸し暑く感じられた。その様な状況で水も満足に得られないと言うのは、サクたちにとって余計に辛く感じられた。
また、食料に関しても問題があった。魚はポツポツかかるが、平均すれば一日1匹捕まえられれば良い方だった。理由としては単純で、そもそも有り合わせで作られた紐だったため、少しでも大物がかかれば千切れかねなかった。また、針もついていないために、うまく魚が食らいついても上手く引き上げる事が難しく、当たる割には引き上げられなかった。
どちらかといえば、舟の下の影になってくる部分に近づいてきた魚を捕まえる方が余程簡単だった。それも決して常に成功すると言うわけではなかったが、いつ千切れるかわからない紐を当てにするよりは素潜りで捕まえる方がサクたちにとっては簡単だった。
最悪、数日くらいは食べられなくても我慢はできる。水もまあ、多少は耐えられる。そう耐え忍んでいたが、やはり限界はある。そうやって耐えていられるのも、『帰る場所』もしくは『辿り着くべき場所』がわかっていればの話だ。
現状、誰もどこに行けば良いのか、どうすれば良いのかわからないまま、徒に舟を走らせることしかできなかった。さらに、感覚的には円を描くように徐々に範囲を広げて舟を走らせてはいるが、それもどれほど正確かはわからない。
風の影響。
潮の流れ。
雨雲への追跡。
そう言った要素で、航路は想定から外れていると見るべきだ。さらに、そう言った要素を修正するための地形も道具もなく、勘でなんとかするしかなかった。太陽の位置から場所を逆算するにも限界があるし、夜に星が浮かんでいても、サクたちの知る星空とは全く異なる。舟の居場所の修正などできるはずもなかった。
そうした水も無い、食料もない、仲間もいない、航路もない、道具も無い、無い無い尽くしの舟旅は、次第に彼らから気力を奪っていった。
「……なぁ、イマチ、コモチ。オレたち、どうなると思うか?」
「……生きてりゃ何とかなるってもなぁ」
「……せめて、どこに行けばいいとか分かれば良いんだが」
「……そうだなぁ。無人島でも良いから、陸地を踏みてぇ」
「せめて島があればなぁ……」
発言は徐々に気力を失くしたものになっていった。微かな希望を口にし、何とか耐える。口論をしようにも疲れるだけ。もはやその様な有様で彼らは舟に揺られるしかなかった。
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そんな最中だった。
水がなく、舟の上で干物になる気分を味わいながらサクは周囲を見張っていた。食べ物はここ数日全く口にできていない。弱りすぎて素潜りで魚を捕まえることすらできやしない。雨雲を追いかける力も湧かない。故に、水も満足に飲めていなかった。
舵を握っていたイマチはもはや全身を投げ出す様にして舟底でひっくり返っている。交代して漕いではいたが、イマチは湿気に耐えかねて上裸で漕いでいた。脱いだ服は頭にかけて日除けにしていたが、それでも陽に焼かれる範囲が増えたためだろう。昨日から元気がないとは思っていたが、今日はとうとう起き上がる気力も無くした様だった。受け答えはできているのが救いといえば救いだろう。
一方でコモチは時折海面に頭をつけて舟底の魚を探していた。3人の中ではコモチが最も素潜りが上手いため、自然とそうなったが、彼の様子を見るからに、今日もあまり芳しくはなさそうだった。
そんな中、サクは四方に目を走らせていた。何か見えないか。海に浮かぶ人影や船影は無いか。島陰は、雨雲は。ほとんど諦めかけた状態で、それでもサクは霞む目を擦りながら周囲を見張っていた。
その時、サクは異質なものを捉えた。
(なんだ、ありゃ)
海面の一部分に黒い影が見える。それどころか、海面に何か浮かんでいるものが見える。
(島、か?)
そう思ったものの、それにしては距離が近すぎる様にも感じる。では岩だろうか。そう思いながら、サクは2人に話しかけた。
「おい、あっちの方、何か見えないか?」
「ん? ……ああ、たしかに、な」
身体を引きずりながら起こしたイマチが、サクの指差す方向を眺めながら応えた。コモチもその方向を見て確かにと頷いた。
「あれ、岩か?」
「だとしたらめちゃくちゃ小せえな」
「だが、起点が、作れるな」
小さな岩とはいえ、それだけでも基準点をつくるには十分だった。それに、その岩の周囲を調べれば見えてくるものもある。そう思って近づこうとした時だった。
「……なんか、動いてねぇか、あれ」
「確かに、てかなんかこっちに近づいてきてるような」
そう言ってコモチが海面下の様子を探るために海に入った。次の瞬間、慌てた様子でコモチが舟に上がろうとしてきた。
「どうした?」
「どうしたもこうしたもねぇ! 早く上げてくれ!」
そう言われ、サクはとりあえずコモチの腕を掴んだ。だが、絶食と脱水により、腕にあまり力が入らない。イマチにも手伝ってもらい、何とかコモチを舟に引きずり上げた。
「それで、どうしたんだ?
「この周辺、いつの間にやら鱶ばっかだ」
「何だと?」
サクはフカを見たことはない。精々、子供の頃に一度浜に打ち上げられたのを見た事があるくらいだ。それ以外は、村の大人たちが話す物語の中でしか知らなかった。
だが、それでもフカの恐ろしさは何度も聞かされていた。曰く、一咬みで人間を両断する。曰く、小さな舟ならば襲って人間を食べる。曰く、泳ぐ速さは並大抵ではなく、軍艦を追い越すこともある。
そのうちどれほどが真実かはわからない。だが、それだけでも恐ろしい話だと感じていた。
「何匹ぐらいいた?」
「10はくだらねぇ、と思う」
「どんどん、近づいて、きてるな」
「まじかよ」
イマチの言葉に促されるように海面を見た時、もう目と鼻の先ほどまでに迫っている様に感じた。先ほど岩と見間違えたのは彼らの背鰭だった。
フカはこちらをどう認識しているのかはわからない。だが、周囲をぐるぐると回り始めたことから、何かしらの認識はしているのだろう。
(それにしても、なんてぇ大きさだ)
正確なところはわからないが、明らかに大人5人分くらいはあるだろう。そう思わせるほどの大きさのフカが、周辺の海面に大勢沸いていた。
「もしや、オレたちを餌として認識してるのか?」
「だとしたら最悪だな」
「だが、ある意味で、それは、福音と、なりうるぞ?」
「どう言う意味だ、イマチ」
そう尋ねると、イマチは息も絶え絶えながら口を開いていった。
「舟の、中に、人が、乗っている、ことを、知っている、と言うことは、この周辺に、舟に、乗った、人が、恒常的に、いる、という、ことだ」
つまり、近くに人がいる可能性が高い。
そうイマチは呟いた。確かに、イマチの言うことも一理ある。その仮定が本当ならば、案外近くに陸地があるのかもしれない。そう思うと、少しばかり気力が湧いた。
「だったら、何としてもここを生き残らねえとなぁ」
「ああ」
サクの呟きに応えるようにコモチも呟いた。周囲に見えるは十を超すフカの群れ。手元に武器はなし。さて、どうするか。気配を殺しながら、サクは周囲を見渡した。




