アムスタス迷宮#1 エム-1
もうすぐ十三になるかという秋、エムは眼の前で自身の両親が見知らぬ男から金を受け取っている様子を見て漠然と思った。ーーああ、とうとう私も売られるのだ、と。
エムが生まれ育った村は、アムスタス皇国の都から遠く北の辺境に作られた小さな開拓村の一つであった。先代の皇帝がそれまで手付かずであった広大な北部の開拓を命じた結果、北部をおさめる領主の思惑もあり数多くの開拓村が作られた。
しかし、何故それまで北部の開拓が進んでいなかったのか。移住した人々は身をもってその答えを知ることになった。
一年の半分以上が雪に閉ざされる過酷な自然環境の為、皇国の主食である麦が育たず、当初計画されていた収量は全く上がらなかった。さらに、その報告を受けて領主は一部税収を変えたものの、収穫のほとんどが税として取られる状況であった。それに加えて度々熊や狼が村を襲い、被害を受けていた。
その環境に根をあげ、逃げ出そうとした村人もいた。しかし、近隣の開拓村も似た様な状況であり、北方の大きな街に行こうとしたら大人の足でも10日はかかると言われるほど離れていたため、村人たちは諦めて村をどうにか発展させようとするしかなかった。
この様な環境のため、子どもは10人産まれて10まで生きるのは4から5人ほどと言われるほどであった。ただでさえ大の大人ですら冬場には死ぬ様な環境であることから言わずもがなであった。
そのため、子どもも物心着く頃には畑仕事の手伝いや山や森の中へ食糧採集に行くのが常であった。そして、10歳くらいになると村の子どもの辿る将来は大抵3つに分けられた。
まずは親元で暮らしながら自分の土地を開墾し、皇国の法で大人扱いされる様になる14になるとその開墾した土地で独り立ちするというものだ。これは親から支援を受けられる可能性もあるが、先にも述べたように収穫量が上がらないため並大抵の努力では独り立ちする事はできなかった。
次に村を出て行くという道だ。これには大きな幸運か才能が必要だった。何の伝手もなく村を出たところで成功する事は難しく、かと言って村に戻ることもできない。そのため、この方法を取れる子供というのは村に出入りする行商人から伝手を作ったり、裁縫や計算などで才覚を示し行商人とともに街に行ったりという手段が取れる子供だけが選べる様な道であった。
最後に、親に売られて経済奴隷になるという道であった。皇国の法において人身売買は正規の商人なら認められており、その商品として扱われる人は一律で経済奴隷として扱われた。経済奴隷においても皇国の法は保護しており、同じ奴隷であっても犯罪奴隷とは明確に区別され、都市部の労働力として取引されることが多く、また売られた際の金額にもよるが短ければ2〜3年で市民階級に戻ることもできた。そのため、わずかながらの収入と子供の将来を思う最後の親心として子供を売る親は絶えなかった。
エムの家は兄弟姉妹含めて6人であるが、エムの一番上の兄は村でなんとか自立しており、姉はすでに嫁いでいた。次兄については村を出たきりわからないらしい。そして4番目の子どもであるエムは、近くの森で木の実を取って帰ってきたところでエムの両親が見知らぬ男から金貨を受け取っているのを見た。
「それで、エムっていう娘っ子はどこだい?」
辺りを見渡すようにしながら両親に金貨を渡していた糸目の男はそう両親に話しかけていた。見るからに胡散臭そうな男ではあるが、村に出入りしている他の行商人と同じく正規の商会ギルドに所属している証の指輪をつけているところを見るに、正規の商人なのだろう。そう思いながらエムは近づいて行った。
「……エムはわたしです」
「君がエムちゃんかぁ。オレはクリム、君を買った商人さ」
そう言いながらクリムはエムに近づいてきた。そしてエムの肩に手を置くと、耳元でウズクにだけ聞こえるように囁いた。
「オレのことを胡散臭く思っている様だけど、安心してくれ。オレは信頼のおける真っ当な相手にしか商売していないんだ。」
そう言うとクリムはエムの耳元から顔を離し、遠くの方に止めてあった馬車の方へエムを連れて行った。その時エムは両親を見ていたが、両親はエムを見ていなかった。でも、仕方のないことかもしれない。エムはそう思った。この様な光景はある意味村の日常的な風景でもあったのだから。
馬車に乗せられると、どうやらエムが一人目だったようで馬車の荷台は空だった。一応配慮されているのか椅子の様な板が取り付けられていたため、奥の方に詰めて座って待っていると、そこからさらに何人か顔見知りの子が乗せられて馬車は出発した。
そこからエムの長い旅が始まった。クリムはあちこちの村や街によりながら取引を行っていた。その度に顔見知りの子が1人、また1人と減り、出発してから2ヶ月も過ぎる頃には顔見知りは誰一人としていなくなっていた。
そしてウズクが馬車の荷台の上で13になった頃、クリムが珍しく思案する様な顔で馬車に帰ってきた。その頃には馬車の中は途中の街でクリムが仕入れた商品の他数人が乗せられているのみであり、またエムが最年少となっていた。
「長旅ご苦労様。次の皇都が終着だよ」
そう言いながらクリムは手綱をとり、馬車を走らせた。村にいたころは、漫然と違い国であるかのように感じていた場所にもうすぐ着くことになろうとは、人生とは数奇なものだ。そう思いながら、エムは荷台の揺れに身をゆだねていた。
この三ヶ月の間にエムはクリムがどのように自身を売りたいのかを聞いていた。クリムに言わせれば、エムは容姿もそこそこ整っており、大人びた雰囲気を離っているらしいため、商人か下級貴族に使用人として売り込めるだろうと語っていた。
「ただそのためには君は色々足りていなけどねぇ」
聞いた時、クリムは軽い口調で語っていた。どうやら、クリムはすぐに売っても構わない場合はすぐに売るようだが、ある程度商品価値を高めるためならば手元に少し置くつもりらしい。ただ、その時はクリムは笑ってはぐらかし、具体的にエムをどの様に扱うかについては言及しなかった。
だが、それまでの旅で常に飄々とした態度を崩していなかったクリムが最後に立ち寄った街を出てから時折どこか悩む様な表情をわずかに滲ませていたことにエムは気づいていた。しかし、訊ねたところではぐらかされるだろうと、エムは特に気に留めないことにした。もし、何も起きなかったならばエムはクリムが語ったようにどこかの商家か貴族に売られ、人並みの人生を歩みその生涯を終えていただろうと思われる。しかし、迷宮によりエムの人生は大きく曲がることとなる。
村を出てから三ヶ月が過ぎようかというある冬の日、エムは生涯来るとは思っていなかった皇都に到着した。