アムスタス迷宮#17 イグム-1
「なっ」
「なんだ、こっちに走ってくるぞ?」
「奴隷か?」
「それよりも奥のあいつ、アレ夕方のバケモノじゃねえか!」
「奴隷は保護しろ! あの化け物を近寄らせるな!」
まったく、物資を回収しに来てみればとんだ災難だ。そう考えながらイグムも剣を構えた。夕方に『蜥蜴』が来た時、イグムはなす術なく吹き飛ばされ、丘の麓に落とされた。幸いにも骨折や致命傷はなかったものの、打撲や脱臼がひどく満足に動けなかった。
そのうち日が暮れ、少しは動けるようになったところで他に生存者を探していたところ、何人かの兵士と合流した。彼らも大なり小なり怪我を負っており、中にはいち早く手当が必要そうなものもいた。そのため最重要目標は医薬品とし、回収できそうな物資を回収しに有志を募り再び丘を登った。
そして何者かいるのを見咎め、声をかけた結果が冒頭につながる。
兵士たちが口々にそう叫び、そして弓を持つ兵士たちが間合いを詰めていった。その中で1人、イグムは駆け寄ってくる奴隷に不信感を抱いていた。
「大分傷だらけーー。いや、何かおかしくないか」
化け物に襲われ、傷だらけになった割には動きが早すぎる。兵士たちならともかく経済奴隷落ちするような人間、特に女性でそんなに怪我や傷に耐性があるものか?それに、彼女の体は透けているように見えるーー。
「射撃準備完了。すぐに撃てます!」
「奴隷は銃の射線には入っていないか? ……よし、撃て‼︎」
兵士たちが射撃を開始し、奴隷が兵士たちのところにたどり着いた時のことだった。
「ぎゃああああ」
走ってきた奴隷を受け止めようとしていた兵士から悲鳴が上がった。
「何が起きた!」
そう叫びながら彼の様子を伺うと、彼は「あ、あ、あ、あ、アアアアAAAAaaaa」と途中から狂ったような声しか出さなくなり、身体をビクビクと跳ねさせていた。そしてみるみるうちにやつれ果て、「aーーーー……」と呻き声をあげて事切れた。
一体何が起きた? その場にいる全員が未知の恐怖で動きを止めていると、彼の死体からズ、ズズ、と走って来ていた女が生えてきた。そして、やっと正面から彼女の顔をみた。彼女の顔は右半分が抉れ、欠け落ちていた。そして体は腰のあたりに無残な切断面らしきものがあり、どう考えても生きている人間とは思えなかった。
「なんだコイツ!」
そう言って近くの兵士たちが剣を振り翳して斬りつけた。しかし、その剣は彼女の身体をすり抜けるだけだった。
「何がどうなってやがる」
「あの化け物に操られてるんじゃねえのか」
「じゃあ剣が効かねえ理由はなんだよ」
「しらねぇよ!」
そう口々にこぼす中、彼女はゆっくりと近くの兵士に近づいた。そして手が兵士に触れた。そう思った瞬間彼女は兵士の中に吸い込まれるように消えた。次の瞬間彼女に触れられた兵士は先ほどの兵士と同じように発狂し、衰弱して死んだ。
「おい、あいつから間合いを取れ! あいつにも近寄るな!」
イグムはそう叫んだ。ただでさえ丘を登ってきた人数は少なく、これ以上の損耗は容認できなかった。だというのになすすべなく2人が死んだ。
どうする。どうすれば。
「騎士殿! 何か策は!?」
「特殊任務部隊の方なら何か手立てがおありでしょう!!」
兵士たちはイグムが最後の頼みの綱とばかりに尋ねてきた。
正直なところ手立てがない。弓を扱えるもの3名であの『蜥蜴擬き』を牽制しているが、効果があるようには見えなかった。かと言って、牽制の手を緩めるわけにはいかず、残りの2人であの『奴隷』に対して攻撃しなければならなかった。
「ちくしょう……」
手詰まりだ。件による攻撃があの『奴隷』に通用しない以上、まだ矢が当たっている分『蜥蜴擬き』を相手にする方がマシに思われた。しかし、『奴隷』から注意を逸らすことはいつ『奴隷』から襲われるかわからないことと同義であるため、注意をさかざるを得ない。そして『蜥蜴擬き』が夕方の『蜥蜴』より弱かったとして、脅威度が低くなると考えるべきではなかった。
どうする。どうすれば。
「騎士殿っ‼︎」
いつの間にか目の前に『奴隷』がいた。そして彼女はイグムへ手を伸ばした。彼女の手が迫り、イグムに触れようとする。そのほんのわずかな時間を永劫のように感じた。
ああ、俺の人生ここまでか。そう思った。
「なっ」
弓兵たちが驚きの声を上げた。どうやら彼らは今まさに俺が死ぬ寸前であることに気がついたらしい。どこか冷静な声が頭の中に響いた。そして『奴隷』の手がイグムの顔に触れようとするその瞬間、『奴隷』の胸から腕が生えた。
「……はっ」
一瞬呆けてしまったが、咄嗟にイグムは飛び退った。『奴隷』は胸から生えている腕を掴み、少し踠いていたが、まもなく宙に溶けるように消えていった。そしてその背後には、いつの間にか『蜥蜴擬き』が立っていた。
月明かりに照らされた『蜥蜴擬き』ーー否、『蜥蜴人』に対し、イグムは美しさと畏怖の念を同時に抱いた。
敵を切り裂くことに特化した様な手足。身長ほどもあろうかという尾はしなやかでいて先端に刃のような鱗があり、鞭のように振るわれたらそのまま切り裂かれてしまいそうだった。
であるにもかかわらず身体付きは異性として見るならみたことがないほど整っていた。整っているが真っ先に受ける印象は美人というより冷たいという印象を抱く容貌。薄く青色に輝く髪は地面を擦るほど長く、彼女の体表を流れていた。身体は神話に描かれる女神を思わせるような均整さで、この世のものとは思えなかった。背丈は1ラツ(180cm)くらいだろうか、イグムよりやや高く感じられた。
不思議なことに、『蜥蜴人』はイグムに襲いかかる様子を見せなければ、手に持っている剣を構えようともしなかった。ただ、何度か口を開き、まるでこちらに語りかけようとして、躊躇っているように見えた。
(なんなんだ、こいつは……)
警戒しながらイグムが剣を構え直そうとした時だった。
「テメェこのクソ蜥蜴‼︎ 騎士様から離れろ‼︎」
「騎士殿、微力ながら加勢します‼︎」
そう叫びながら兵士たちが一斉に彼女に斬りかかった。
「おいまて、やめーー」
声をかけた時には遅く、彼女は持っていた剣で真っ先に斬りかかってきた兵士の剣を受け止めようとしていた。そして剣と剣がぶつかった瞬間、兵士の剣がガラス細工のように砕け散った。
「ーーへっ?」
兵士が間抜けな声を上げた時にはすでに『蜥蜴人』の剣先は今にも兵士を斬り裂きーー、兵士の喉から鮮血が舞った。
「なっ、このーー!」
一瞬で頭に血が上り、イグムは彼女に斬りかかった。一方、彼女は動揺しているようで、動きに精彩を欠いていた。それでも尚、『蜥蜴人』の防御には目を見張るものがあり、剣で傷をつける事はおろか逆に剣に罅が入ったり、砕けたりする有様だった。それでも仲間を殺された怨みからイグムは素手で殴りかかった。
「このやろう、このやろう、このやろうっ‼︎」
明らかに無謀だった。被害を抑えるためには素直に引くべきだ。どこか冷静な自分はそう言っていた。しかしイグムは感情にまかせ彼女を殴りつけた。
それも長く持たず、手甲は砕け両手は腫れ上がり、殴り続けることができなくなった。その間彼女は無防備に殴られ続けていたが、イグムが殴るのをやめるとすっと身を翻した。そして近くに倒れていた先程死んだばかりの兵士2人の死体の心臓をどこからともなく取り出した氷柱で刺すと、夜空へ飛んで行った。
「ちくしょう、ちくしょう……」
全く相手にされなかった。その悔しさからイグムは泣いた。
「……取り敢えず、使えそうな物資探して引き上げるぞ」
「「「「……了解」」」」
返事が四人分響いた。
……4人?
驚いて顔を上げると、先程『蜥蜴人』に斬られた兵士は喉を抑えながらも生きていた。
「おま、お前、生きてたのか……?」
「はい、幸いなことに喉を掠っただけだったようで。あのバケモノ、間合いを図るのが下手だったみたいで幸運でした」
「……そうか」
立ち居振る舞いを見ると巧者のような気がしたが、今は仲間の生存を素直に喜ぶことにした。
「あいつらは……」
「明日、人手を増やしてから回収しよう。今の俺たちの装備であの氷を砕くのは無理だ」
死んだ兵士たちはいつの間にか氷で覆われており、回収できそうになかった。
兵士たちも悔しそうにしながらも、麓で待つ仲間たちのことを考え荷物の捜索を開始した。さて、俺も。そう思い、イグムも歩き出した時だった。足元の何かにつまづいた。
「っとと。なんだ?」
見ると、あの『蜥蜴人』が持っていた剣が残されていた。
使わせてもらうか。そう考え、イグムはその青白い剣を拾い上げた。
あの『蜥蜴人』には八つ当たりしてしまった。その苦い感情を噛み締めながらイグムは丘の上を捜索した。