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迷宮探索黎明期  作者: 南風月 庚
アムスタス迷宮編

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アムスタス迷宮#15 ウズナ-5

 そよ風が頬を撫でる感覚がして、ウズナは気がついた。

(……生きてる?)

 最初は信じられなかった。あのようなひどい攻撃を受け、体を治療する術もほぼない状態で、生還できるはずがない。きっとここは黄泉路の入り口か途中だろう。そうウズナは思った。けれども、幼い頃に寝物語に聞いたような陰鬱な雰囲気は感じられず、閉じられた瞼からは薄く光が透けて見えた。その明るさに目を瞬かせながらゆっくりと瞼を開くと、自身の周囲に乱立している氷に星々が映っていた。

(こんなにきれいな星明りは見たことがありませんね……)

 そう思いながら辺りを見渡すと、ウズナがあの『蜥蜴』と戦っていた丘の上だと気づいた。あの時と変わっていることといえば、あの時はなかったはずの氷の塊がいくつもあること、そして日はとっくに沈み夜空に月や星が出ていることだった。氷のことはさておき、月が頭上高く登っていることから考えても、だいぶ長い間気絶していたことが伺えた。全身がひどく重いが、周囲に氷があるにもかかわらずあまり寒さを感じなかった。

 クシュン、と小さくくしゃみをして、そこでやっとウズナは服を着ている感覚がなく、自分が何も着ていないと気づいた。一瞬で顔を真っ赤にそめて、慌てて手で体を隠しつつを起こして周囲を見渡した。

 辺りに『蜥蜴』の姿は見えず、そのことにほっとしたのもつかの間、辺りの様子がすっかり変わっていることに気がついた。ウズナが倒れた時、辺りは焼け野原と化していたり、煙が立ち上っていたりしたところもあったとはいえ、あくまでも草原だった。しかし、今ウズナの目に映る景色は見渡す限り凍り付いた世界だった。ーー正確には、ウズナを中心として一定の範囲内ーー約500ラツの円形に凍っているようだった。

 しかし、ウズナからはその範囲があまりにも広いため、見渡す限り凍り付いた世界にいるように感じてしまった。

 その時、はらり、と髪の毛が一筋ウズナの目の前に垂れ込んできた。それを手で払おうとして、ウズナは自身の身体に生じた異常に気がついた。

 わたしの髪の毛は紅みがかった焦茶色だったはず。なのに、なぜこんな蒼みがかった白色にーー?

『えっ』

 無意識に出た声は、普段聞きなれた私の声ではないかのようだった。銀の鈴を鳴らしたような、と称されていた透き通るような高い声ではなく、掠れ、落ち着いた低い声へと変わっていた。喉に手を当ててみると、指先に帰ってきた感触は鎧のような、鱗のような硬いものだった。しかも、喉と指先の二か所から。

『なんで⋯⋯?』

 ウズナは、自身の機動性と身体の可動域を重視した戦闘スタイルから、普段でもチェストアーマーくらいの最低限の防具しかつけていない。手甲も、喉まで覆うような重装甲の鎧も訓練でしか身に着けたことがない。しかし、今己の指先に感じるのは、鎧のような硬質な何かだった。

 ウズナは恐る恐る視線を下げ、自分の両手を見た。そこには、見慣れた腕とはかけ離れたものが目に入った。右腕はかろうじて自身の腕の痕跡が見て取れたが、その表面は腕を水平に伸ばした時、上半分を精巧に鱗で出来た鎧に覆われているようだった。そして下半分に関しては、普段訓練等でつけた傷や日焼けの後は見当たらず、透き通るような白い肌を晒していた。また、腕を覆っているそれは、薄く水色に輝き、指先は鋭利な刃物のようになっていた。

 一方で、左腕に関しては全体の表面が鱗で覆われており、肌の見える隙間が一切存在しなかった。また、右腕と比べると、全体的にマナの通りが右腕よりも良かった。けれども、全体像としてみると、左腕は訓練で見たどの手甲よりも恐ろしく見えた。

 そこでウズナの脳裏に微かな記憶が蘇った。朧げながら、左腕を喰われた感覚。そして、自らの意思で左腕を爆発させた記憶が。つまり、左腕は存在しないはずだ。では、今左肩から生えているこれは一体ーー?

『鏡でもあれば⋯⋯』

 そう呟き、氷がその代わりになると気がついた。しかし、氷を覗き込んでもウズナ自身が月光や星明りを遮ってしまい、よくわからなかった。ーー否、現実を認めたくなかった。影ですら、異形の身となっていた。

『そ、そうだ。魔術で鏡を作ってみましょう』

 魔術が問題なく使えるかどうかも確かめなければいけませんし。そう言い訳して、目の前に氷を作ろうと考えた瞬間だった。

 一瞬で周囲のマナが吹き荒れ、目の前に氷の板が出来ていた。

『え⋯⋯』

 今、この魔術、否、魔法を使ったのは私なのでしょうか。ありえない現象に頭が理解するのを拒んだ。そして氷の板の向こうには、こちらに片手を伸ばし、地面にへたり込んだ女性の姿があった。

 淡く蒼に光る白くて長い髪は、その女性の身体に沿って流れるように地面に広がり幻想的な光景を生んでいた。女性の両方のこめかみあたりからは、薄い水色の角が後ろ斜めに生えていた。

 その女性の容貌は恐ろしいほど綺麗に整っていた。アーモンドのような目、すっとした目鼻立ちは数会などの絵画で描かれている使徒や女神に負けないほどの美貌を作り上げていた。そして頬を彩るように私の腕と同じ鱗のようなものが付いていて、それは咽まで続いていた。

 更に目線を下げると、不思議なことにその女性は肩にローブらしきものを纏っている以外は何も身につけていないようだった。しかし、背中や腰のあたりに人にはないはずのモノが見えた。

 いつの間にこんな人が近くにいたんでしょうか。現実を認めたくないあまり、希望的観測にもなりはしないようなことを考えた。もし、ここに暮らしている人ならばここら辺のことに詳しいかもしれないですね。話を聞かなければ。ウズナは現実逃避するように考えながら立ち上がった。

 すると、その女性も同じように立ち上がった。それにより今まで見えなかった部分が見通せるようになった。喉や腕を覆っていた鱗は、そのままその女性を覆うように続いていたが、全身を隙間なく覆っているいうわけではないようだった。上半身は胸元がチェストアーマーで覆われるより少し小さい範囲が鱗のようなもので覆われているのみだった。そのため胸元の上や臍のあたりは白い肌がのぞいていた。鱗は体側を伝うように下半身に伸びており、臍から下あたりをそこからまた同じように鱗で覆っていた。

 背丈は私より頭一つ分くらい高いでしょうか。

 そう思いながら近づくと、彼女も同じように近づいてきた。そして、あと少しで彼女と手が触れ合うという距離で、その手は氷に阻まれた。それでも、と伸ばし、氷につけた手は、彼女の手とうり二つだった。

 ここまで来ると、認めざるを得なかった。目の前の女性が、私であることに。

 力なく伸ばしていた腕が垂れ下がりました。そして、そのままウズナはローブを肩から外して全身を晒した。

 鏡に映っていたのは、昼間に戦った化け物蜥蜴とヒトが混ざったような姿だった。背中からは大きさこそ違えど蝙蝠のような翼が生え、腰からは長い尾が伸びていた。

『あ、ああ、ああああああっ!』

 そこまでウズナが認識した瞬間、無意識のうちに悲鳴を上げていた。

 元の顔とはすっかり印象が変わっている。母譲りの童顔にみられる顔や大きくクリッとした目も、父譲りの色の髪や碧の瞳もそこにはなかった。

 硬い印象を受ける冷たそうな顔立ち、白に限りなく近い淡い蒼の髪、切れ長の目、金色に輝く瞳。

 どれをとっても今までのウズナと同じパーツはなかった。変わったのは顔だけではなかった。すらりとした手足、一度も日に当たったことがないかのような白い肌、出るところは出ているのに絞まる所は締まった体つきは、彫刻のような美しさを出していた。背丈も伸び、ぴったりだったはずのロープも短くなっていた。

 そこには、訓練に明け暮れて血豆を作り、切り傷や擦り傷が絶えず、なだらかな輪郭線を描いていた見慣れた体つきはどこにも見当たらなかった。

 この姿を見て、誰が私だと気づいてくれるでしょうか。仮に、生きてここから出られたとして、家族は変わり果てた私を今まで通り受け入れてくれるでしょうか。

 拘束、放逐、否定、敬遠……。様々な光景が頭に浮かび、ウズナは気が付くと泣き叫んでいた。しかしその声は、もはやヒトの声ではなく化生のそれにしか聞こえなかった。 そのままウズナはふらふらと立ち上がった。頭の中ではまとまりなく悲観的な考えがとめどなく溢れて心に降り積もった。

 もう、どこにも行けない。 

 もう、家族に会えない。

 もう、ヒトといえない。

 ならばいっそのこと、死んでしまおうかーー。

 そこまで考えた時、カサカサと草を揺らす音が聞こえた。

 こんな夜更けになんでしょう。そう考え、ウズナは音の方角を向いた。そこには、地面からゆっくりと魔力の筋が立ち上り、そしてそれは次第に姿形を作っていった。その形が何なのか理解が及んだ瞬間、ウズナは目を見開いた。

「……死して尚、この世界に囚われるのですね」

 そこには、あの『蜥蜴』との戦いで死んだ兵士や奴隷たちの姿があった。

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