アムスタス迷宮#14 エム-4/アルカ-1
遠くから何やら物音がする。それが人の話し声だとエムは気がついた。ゆっくりと目を開けると、日はもうとっくに落ち、そらには煌々と輝く月が昇っていた。その月がどうも3つあるように見えてエムは何度か瞬きをした。そこでやっとエムは片目が何かで覆われていることに気がついた。
あたりの様子を伺おうと体を動かそうとして、その時初めてエムは自身の状態を思い知った。頭の内側からの頭痛と、外側の何かで頭を殴られたかのような痛みが響いた。全身はあらゆる箇所からその怪我の酷さをエムに訴えていた。また、手足や胴体は何かで縛られているようで、全く動かすことができなかった。
それでも僅かに首を傾けてみると、近くには兵士たちが横になっているのが見えた。
「……起きた?」
突然、頭の上から声が降ってきた。
先ほどまでは確かにいなかったはずなのに、いつの間にか覗き込むように狩人のような格好をした女性がいた。
「……私、アルカ=ゾア。アルカ、でいい。私達、この近くで、貴女、見つけた」
アルカと名乗った彼女は「水、飲む?」と聞いてきた。エムがゆっくり頷くと、アルカは慎重にエムの身体を起こした。
少しずつ水を飲むうちに、エムは身体が楽になるように感じた。そうこうしているうちにエムの目が覚めたことに気がついたのか、何人か集まってきた。その中でも、初老だが立派な装具をつけた男が話しかけてきた。
「俺たちは別で動いていた隊なんだが、今色々聞いても大丈夫か? キツいなら今は寝て明日夜が明けてからでも構わないんだが」
「……だい、じょうぶ、です」
途切れ途切れにエムは返した。
「そうか。じゃあまず名前を聞こうか。ワシはノイスと言う。今お前さんを支えているのは紹介があったかもしれんがアルカだ。そして彼等は学者の」
「動物学者のシークです」
「地学専門です。ワーサ」
「薬師のアティー、よろしくね」
「えっと、エム、です。荷運び、の、仕事です」
ひと通り顔と名前を一致させたところで、ノイスが本題に切り込んだ。
「ワシらはあんたがこの近くの斜面で倒れているのを見つけた。何があった?」
「蝙蝠、の、よう、な、翼、持つ、大きな、『蜥蜴』、に、襲われ、ましたーー。」
途切れ途切れにエムはあの情景を語った。何かとても嫌な気配を感じた直後、空から焔が降って来たこと。『蜥蜴』はエムをつまみ上げ、食べようとしたこと。丘の方から飛んできた攻撃により、設営部隊を襲い始めたこと。それを見るまもなく丘の上から投げ出されて気を失ったことなど全てを。
聞き取り辛いだろうに、ノイスたちは根気強くエムの話す内容を聞き、また気遣う様子を見せた。
「ーー、そうか。いや、これで嬢ちゃんーーエムが打撲、擦過傷、骨折だらけで倒れていたのか納得が行った。そうか、化け物、かーー」
そう言ってノイスは黙り込んだ。否、その場で聞いていた全員が黙りこくった。しかし、話を受け止めると徐々に対策を練り始めた。
「この娘の言う内容から推測すると、確かに2〜30ラツくらいはありそうですね。そう考えると体重は農耕馬100頭くらいはあるかもしれない。しかしそんな重さであのように空を飛べるものか?」
「そこら辺はここで今考えられるのはシーク先生しかいないので我々はなんとも」
「アルカ、お前銃の扱いが1番得意だろ。なんとかなりそうか?」
「……シークさん。鱗、強度、推測でいい、どのくらい?」
「おそらく鎧より硬いのではないかと。それに、よしんば鱗を砕いたとしてその巨体を支える強靱な筋肉があるわけですから」
「……なら、無理。眼球狙いで、あるいは」
「アティーさん、トカゲに効きそうな毒って何かありますかね?」
「ある事はあるけど、ここで手に入るかもわからないしあったところでどれくらい集めなければならないことか……。そこはシークさんと一緒に計算するしか無いですね」
「ワーサ先生が拾っていた石に何か活用できそうなものは無いんですか?」
「さぁ? あの魚の鱗が青く光る石はありましたが、そもそも何に反応していることやら」
そのような話を聞いているうちに、エムは再び眠りに誘われていった。
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「……みんな、静かに」
「んあ? って、あぁ」
「確かに、もうだいぶ夜も更けていますからね」
アルカが静かにするよう促し、皆はアルカの膝の上をみて納得した。議論に熱中しているうちに、いつの間にかアルカの膝を枕にするようにしてエムが眠っていた。それを見て学者たちはいそいそと就寝準備に取り掛かった。
ノイスは不寝番の交代のため、今まで起きていた兵士の方に寄って行った。
その様子を眺めながら、アルカはぼんやりと己のことを考えた。
それにしても、ここは本当に異世界なのだ。改めてアルカはその認識を刻み込んだ。正直、命令を何も考えず遂行することのなんと楽なことか。アルカは自分が周囲から思われているほど器用な人間ではないと思っている。ただ言われた事、命じられたことしかできない不器用な人間。最悪な事態を想像する臆病な人間。それが自分だと考えている。銃の扱いが得意というよりも、狙撃が最も得意と言った方が正しい。狙撃が得意なのも、裏を返せば近接戦による死傷の心配が少なく、言われたことを言われた通りにすればその結果がすぐに見えるためだ。だからこそ腕を磨き、今の銃の制度では30ラツ(約55m)先の人間大の的に当てられれば優秀と言われる中で、110ラツ先(約200m)の飛んでいる鴉の頭を撃ち抜く精密射撃を可能とする腕を磨いた。
それなのに、今は見たことの無い生き物があたりを跋扈し、空に月が3つも浮かび、己の膝を枕にねる少女の口からはこの世のものとは思えない怪物の様子が語られる世界にいる。
もしかしたらそれと戦う機会があるかもしれない。もしかしたらそれ以上に危険な生物がいるかもしれない。そういった想像は正直とても恐ろしかった。実際、夕刻に兵士の1人が足をあの変な粘液に取り込まれそうになった時はとても恐ろしかった。あの時動けたのは、ひとまず思いついた助かる方法を示せば、もし自分が飲まれそうになった時には同じように助けてくれるだろうという打算があった。
それなのに、それ以上に危険な存在がいるとはーー。
もしも自分がその場に出会していたらどうなっただろうか。アルカは考えた。もしかしたら、いまわたしの膝の上で寝ているエムのように勘を働かせて襲撃を捉える事はできるかもしれない。でも、ただそれだけ。おそらくわたしはウズナのようにはうごけない。棒立ちのままこの世から消される姿。化け物に踏み潰される姿。噛み砕かれる、もしくは爪や尾によりバラバラにされた姿。そのような光景が頭に浮かんで離れない。
これではいけない。あまり恐怖心を育てすぎると、本当に必要な時本当に動けなくなる。そう思い、アルカは空を見上げた。普段より明るい夜。けれども見通しは明るくない。そんなくだらないことを考えていると、ふと夜空に奇妙な生き物浮かんでいることに気がついた。
偶然月と重なるように飛んでいたため見つけられたが、そうでなくても気がついただろう。その生き物は薄く青い燐光を纏いながら飛んでいた。そのせいで輪郭がよくわからないが、ここから直線距離にして大体5エリム(約9km)先、高度はおおよそ150ラツ(約270m)くらいだろうか。さすがのアルカの眼を持ってしても詳細は判別しなかったが、どうやら大きさは1ラツ程度で蝙蝠のような翼を背に生やしていた。そこまで気がついた瞬間、アルカは先程の少女の証言が思い起こされ、一気に警戒心が跳ね上がった。
(夕方見かけたものと、同類?)
それにしてはだいぶ小さい。まだ子供なのだろうか。落ち着いて見てみると、飛び方もだいぶぎこちない。仮に子供だとすれば親も近くにいるのだろうか?
(どうか、ここに気が付かないで……)
そう祈っていると、突然下から「大、丈夫、だと、思い、ます」という声が聞こえた。驚いてエムを覗き込むと、彼女はいつの間にか目を覚ましていた。
「……何が?」
「あるかさんが、なにを、けいかい、しているか、分かりませんが、たぶん、あの、ひかってるのは、てきじゃ、ないです」
「……何故?」
「てきいや、がいい、ないです。あの、ひかり、じぶんのなかに、とじこもってる、そんな、かんじ、します。とかげは、はっきり、てきい、ありました」
「……そう。でも、襲ってくるなら、戦わざるを得ない」
「そう、ですね。へんなこと、いいました」
そう言うと、彼女は再び目を閉じた。再びアルカがソレの方を見上げた時、もうソレは見えなくなっていた。